「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれたのは、南米ウルグアイの大統領を昨春まで務めたホセ・ムヒカさん(80)だ。もっとも、ご本人は「私は貧しいとは思っていない」と言っている▼ムヒカさんによれば、貧しい人とは、ぜいたくな暮らしを際限なく求め、欲の奴隷となって働き続ける人。逆に「質素でつましい生活をすれば、自分のしたいことをする時間が増える。それが自由だ」と話す▼自由。この人が語るこの言葉には特別な重みがある。彼は反政府勢力の幹部として捕らえられ、十数年間も獄中で過ごした。地面に穴を掘った独房に入れられ、一年余も体を洗えなかったこともあるという▼それは狂気と闘う日々だったという。ムヒカさんは口に石を含み、叫び出す衝動を抑えた。穴に入り込んでくるカエルやネズミとパンくずを分け合い、彼らを友とすることで孤独を癒やした▼そんな極限の生活を体験したからこそ、地球の資源を食い尽くすような大量生産・大量消費の虚構が見えたのだろう。初来日したムヒカさんは「私たちは多くの富を抱え、技術も進歩した時代に生きている。しかし私たちは幸せに生きているのか」と語り掛けた▼五年前の春、大震災と原発事故の不安の中で多くの人が「足るを知る」ことの大切さを感じたはずだ。それを忘れてはいまいかと、ムヒカさんは問い掛けているようにもみえる。
足るを知る者は富む
【読み】 | たるをしるものはとむ |
【意味】 | 足るを知る者は富むとは、満足することを知っている者は、たとえ貧しくとも精神的には豊かで、幸福であるということ。 |
【足るを知る者は富むの解説】
【注釈】 | 人間の欲望にはきりがないが、欲深くならずに分相応のところで満足することができる者は、心が富んで豊かであるということ。 『老子』に「足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り(満足することを知っている者は富者であり、努力している者は志ある者であると言える)」とあるのに基づく。 |
老子(ろうし)は、古代中国の哲学者であり、後に生まれた道教は彼を始祖とする(老子自身が道教を作ったわけではない事に注意)。「老子」の呼び名は「偉大な人物」を意味する尊称と考えられている。春秋戦国時代の諸子百家のうちの代表的な一人であり、道家は彼の思想によって生まれた(道教と道家は別である)。書物『老子』(またの名を『老子道徳経』)を書いたとされるがその履歴については不明な部分が多く、実在が疑問視されたり、生きた時代について激しい議論が行われたりする[2]。道教のほとんどの宗派にて老子は神格(en)として崇拝され、三清の一人である太上老君の神名を持つ。
史記の記述によると、老子は紀元前6世紀の人物とされる。歴史家の評は様々で、彼は神話上の人物とする意見、複数の歴史上の人物を統合させたという説、在命時期を紀元前4世紀とし戦国時代の諸子百家と時期を同じくするという考えなど多様にある[3]。
老子は中国文化の中心を為す人物のひとりで、貴族から平民まで彼の血筋を主張する者は多く李氏の多くが彼の末裔を称する[4]。歴史上、彼は多くの反権威主義的な業績を残したと受け止められている