酒びたりで商いを怠ける亭主が浜で財布を拾ってくる。ご存じ、落語の「芝浜」である。女房は考えた。この金があると亭主はもっとだめになる。そこで亭主を酔わせ、うそをつく。「財布なんかないよ。夢でも見たんだろ」▼この人も大切な父親のため必死にうそをついた。昭和の名人、古今亭志ん生さんの長女、美濃部美津子さんが亡くなった。九十九歳。志ん生さんを支え、金原亭馬生さん、古今亭志ん朝さんの二人の弟をやはり名人上手に育てた方といってもよいだろう▼美津子さんの「芝浜」はこんな筋だ。大病から回復したばかりなのに志ん生さん、家族がどんなにとめてもお酒を飲みたがる。美津子さんは水でかなり薄めて出していたそうだ▼「近頃の酒は水っぽくなったなあ」。首をひねる父親に「時代が悪くなったのかねえ」「一級酒に変えたから」と、ごまかし続けた。志ん生さんは亡くなるまで約十年、日本酒の「水割り」だった▼ラジオ局にお勤めの時代は、時間内に収まらぬ父親の噺(はなし)を放送用に自ら編集して短くしていた。晩年、噺を忘れてしまう父親のため、高座の後ろの屛風(びょうぶ)に隠れ、「違うよ」とささやく日もあった▼「志ん生の名は志ん朝に継がせたい」。父親との約束は果たせなかった。少し心残りかもしれないが、志ん生さんも笑っているだろう。家族水入らずのお酒はもちろん、水っぽくない。
柳田国男の『遠野物語拾遺』の中に「油取り」なる怪人が出てくる。明治維新当時の話らしい▼「油取り」の名に清掃事業や美容関係者を思い浮かべる人もいるか。さにあらず。身の毛もよだつ話で、子どもをさらってはその体内から油をしぼり取っていくという。奇怪なうわさは村々へと広がり、女と子どもは夕方以降の外出を控えるよう、庄屋からお触れが出たそうである▼最近の「油取り」は人々を苦しめる方法を大幅に改めたらしい。ガソリンがなければ、車が動かぬことに目を付けたのだろう。人から油は取らぬが、その代わりにガソリンの価格をどんどんとつり上げては、人々をいたぶる。レギュラーガソリンの小売価格はリッター当たり百八十円を超えているところもある▼当時の庄屋さんなら、車での外出を控えなさいと口を酸っぱくして言うだろうが、今の時代ではそうもいくまい▼車が使えないと生活が不便な地方にあってはなおさらで、こうして、あの怪人は人々の財布からお金をさんざんしぼり取って、ガソリンスタンドの価格表示を見る者の心臓を痛めつける▼怪人の正体は原油高、円安、ウクライナ侵攻。二百円台に突入するという見立てもある。政府は九月末で期限切れとなるガソリン価格の高騰を抑える補助金の延長を検討する。その方法は怪人を一時的に追い払えても果たして、退治までできるか。
テキサスの牧場で暴れ牛を相手にプロレスラーの父親が二人の息子に関節技を伝授する。技の名はスピニング・トー・ホールド(回転足首固め)▼少年時代に夢中で読んだ実録漫画にそんな場面があったが、さすがにフィクションらしい。技を教えられた兄弟「ザ・ファンクス」の弟、米プロレスラーのテリー・ファンクさんが亡くなった。七十九歳。約半世紀、日米のマットで活躍し、ファンを熱狂させた。ブッチャーのフォーク攻撃にも耐えた姿を思い出すファンもいるか▼著書によると牛は使わないまでも父親がテリーさんにプロレスを指南したのは事実である。一つだけ父親に影響されなかったことがある。日本への考え方である▼太平洋戦争のせいで父親はいつまでも日本を憎んでいたそうだ。テリーさんは日本人にも米国人への憎しみがあると感じた。初来日当時、広島のバーに入っていくと追い出された。「アメリカ人は出ていけ」▼それでも日本のファンを大切にし、ファンもテリーさんに心を寄せるようになった。当時、敵役が相場の外国人レスラーの中で「善玉」として人気と評判を取った▼ブッチャーにフォークを使えと言ったのはテリーさんだったらしい。日本のファンのためにそこまで体を張った。タフなテキサスの荒馬が山の向こうへ去る。認知症だったそうだ。当時の少年は寂しく見送るばかりである。
沖縄県の米軍基地近くの家庭では一九七二年の日本復帰後も長らく、基地向けの米国番組がテレビに映った。「6チャンネル」。米国のバスケットボールのプロリーグNBAの試合もやっていた▼女子バスケで活躍した沖縄市スポーツ協会会長の稲嶺啓美(ひろみ)さん(61)も、中学時代には見ていた。バスケ部の仲間も画面に映った世界最高峰のプレーをまねたという▼沖縄の高校を出て八〇年、本土の実業団・第一勧銀に入ったが、チーム内でラリー・バードやマジック・ジョンソンといった米国の人気選手の名を口にしたら「はあ?」という反応。本土ではまだ知られておらず驚いたと取材に明かした▼基地で米軍と沖縄チームの試合が行われるなど本場の影響を受けてきた土地で昨日、バスケ男子のワールドカップ(W杯)が始まった。フィリピン、インドネシアとの共催で日本の開催地は沖縄である▼都道府県別の人口比競技者数は一位。五月に男子Bリーグの琉球が初の王者になり県民は歓喜した。街にバスケットリングが多いが、県によると自宅に作る人も。人気バスケ漫画「スラムダンク」の映画では沖縄出身のキャラクター宮城リョータが描かれた。たしかにW杯開催地にふさわしいと思える▼昨夜、日本代表の沖縄での試合がテレビ中継された。画面から熱が伝わったとすれば、この地が長く育んだバスケ愛が貢献している。
山口県上関町は天然の良港に恵まれ、瀬戸内の海上の要衝としてかつて栄えた。付近は潮の流れが速く、航行に好都合な潮流を待つ「潮待ち」、順風を待つ「風待ち」の船で賑(にぎ)わった▼船にエンジンなどない時代。食料などを調達できる中継港は重宝された。北前船や朝鮮通信使の船も寄港。豊臣秀吉、シーボルト、吉田松陰、坂本龍馬といった人物も立ち寄ったと伝わる。蒸気機関で動く船の時代になり、潮や風といった自然に抗する力を得ると港の地位は下がっていった▼これからは核エネルギーの利用を支える町として生きていくのか。原発の使用済み核燃料を一時保管する中間貯蔵施設建設に向けた調査について上関町長が容認する方針を昨日、議会で表明。電力会社にも伝えた▼かねて原発建設の話があるが、東京電力福島第一原発事故の影響などで計画は停滞。代替の地域振興策を町が電力会社に求め、示されたのがこの施設という▼実際に建設に至るかは分からぬが、調査段階で国の交付金が入る。町長は人口減などに触れ「住民支援策も近い将来できなくなる」と語った。疲弊が進む地方で、風向きの変化を漫然と待っていられないということか▼議会での表明前、役場に着いた町長の車を反対派住民が取り囲み、怒号が飛んでいた。上関町という同じ船に乗る者同士の対立。祝福には躊躇(ちゅうちょ)を覚える船出の決断である。