編み物はやめよう…なぁんて言っちゃって、思いついたらやらずに済むものか、このとんぼが。
とはいえ、毛糸はあるものの「針」を探さねばなりません。
トップ写真は「母の編み針コレクション?」、いまや形見になってしまいましたが、
編み物をしなくなったからと、以前に届けられたもの。
一応並べてみましたら、一つのサイズで「竹製」と「プラ製」とあったり、同じ号数で長さの違うものなど、
山ほど入っています。母は、私と父のセーターを編みつつ、自分の帽子を編むなど、
同時進行でいくつも編み物をしていましたので、同じ号数のものが何セットもあったりします。
編み針見ただけで、やる気がうせるか奮起するか…なのですが、
今回は毛糸があるので「やるぞ」の気分。ところが、そうなってみたら「アフガン針」が…ないっ!
確かあったはず、編んだものもありますからあるはずなのに、なぜか出てきたのが細いの一本だけ。
あぁぁ10号かせめて8号…がありませんで、何のことはない、結局買うことになりました。
アフガンも最近は「ダブル・フック・アフガン」なんてものがあって、輪編みでアフガンが編める…。
上のページの下の方に動画がついてます。見ただけで「あー、ものすごくめんどくさそー」…。
いやーなんか間違えそうだし、わたし、これはいーわ…で、昔ながらのアフガンにします。
ところで何か柄でも、いや色を挿して…はい、まだなーんにも考えていません。
この冬も節電、ということを意識して、ひざかけタイプのものをと思っています。
さて…寒い間に完成するのでしょうか。それが一番疑問です。
母親がとにかく手仕事の好きな人でしたから、
私も小学生のころから、縫い物編み物をしていました。
最近は、目が…とか肩が…とか、いろいろ理由をつけては、
遠のいていたのですが、またはじめて見ました。
さて、どうなりますか。
半衿のつけ方は、しつけいとでザクザク、がラクですよ。
っていうか芸術家って感じ。
だって糸一本をあんな風にいろんな形に仕上げてゆくなんて、あたしには不思議でならないのデス。
とはいえまったく出来ない訳じゃなくて、マフラーとかショール、腹巻、コタツ掛けは編んだ経験がありまして....みぃんな四角ばっかり。
しかもそれすら既に忘れてしまっていて....(汗)
お裁縫はまるきり駄目だし。
世の中には五体満足でこんな女もいるんです(恥)
着物に半衿を付けるのさえ大仕事の私にとって、とんぼさまは尊敬すべき大先生なの!!!!!
どのように完成するのか楽しみでーす
母の最大の大作は「残り毛糸のコタツがけ」でした。
まだ残っています。
私も母に減らし目増やし目をおそわったのに、
学校の課題の靴下のかかとは、母にやってもらいましたっけ。
母の編み方は、指に糸をかける方法が、
基本からちょっと外れているのです。
私もそれで覚えてしまいましたので、
本に載っている「編み方(糸のかけ方)」ができません。
それにしても、母はいつ寝ていたのかと思うほど、
針シゴトと編み物をやっていました。
私も母のそんな姿を思い出します。
今の自分を見ると…怠惰ですなぁ。
子供が生まれると、フシギとやりますよね。
私もずいぶんいろいろ編みましたわ。
母は冬は毛糸、夏はレース…よくやってましたね。
とてもマネできません。
母の編んでくれたセーターなどは、結局何度も解いたり編まれたりで、
最後はイナカに行きましたから、
子供のころのものはさすがに残っていません。
今、古いのは嫁入りの時に持たされた着物用ショールですかね。
ちょっと母の真似して、せっせと編んでみようかな…なんて思ってますが。
機械編み機をプレゼントでした。
その当時から編み機を替えながら
子ども達や主人のものを
編んできました。
いつのころからか機械もなくなり、
手編みになりました。
今もソファ~のそばのカゴには
新しい毛糸が入っています。
自分のセーターに挑戦です。
手仕事をしながら、
母に最初に教えてもらった
靴下の踵の目の作り方とか、
手袋の親指にところとか、
思い出しています。
私は娘に何を教えて伝えて
いるかしら?
お母様の編み針をみながら、
私は母の編み棒の動かし方を
懐かしく思い出しています。
孫が生まれてから編んで以来めったに
しません。それこそ道具探しからです。
沢山の編み針ですね。
その時々で編んで着せて、小さくなったら
解いて湯のしして、また編んで・・を
お母様にいっぱいしてもらわれたんですね。
編み物は場所を取らないからいいですね。
のんびり頑張って下さいね。