写真は、ただいまいっちばん元気のいい「おしろいばな」…ふえるんだよねぇ…コレ。
梅雨のさなかですが、スダレも下げました。今日はピーカンなので役に立ってくれてます。
身近で殺伐とした事件が起きてしまいました。
まぁすぐ近くというわけではありませんが、線路をはさんで向こう側、お隣の区です。
現場近くには知り合いも住んでいます。
事件は、19歳の女性が、付き合っていた同い年の男性に刺し殺されたというもの。
ニュース報道だけの情報ですが、元々高校の同級生で、別れ話からの無理心中…のやりそこない。
「殺伐」とは、潤いやあたたかみのないさま、と出ていますが、本当にこの犯人の心には
温かみも何もない、ただのわがまま…19にもなって、なんで殺す、死ぬとしか思いつかないのでしょう。
しかも自分は生き残ってしまった…ほんとに後を追って死ぬ気なら、頚動脈でも…
あっ過激ですね。やめておきましょう。腹を立ててもしかたありません。
まぁこういう事件は、珍しくないといってしまえばそれまで。
身近で起きましたから、改めてため息がでたわけですが、
たった19で、人生を強制的に終わらされてしまった女性、親御さんの無念や悲しみを思うと、
言葉もありません。
さて、このニュース、我が家の新聞でも、地元ですから一般面とほかに横浜版にも出ていました。
こんなときにいつも言われるのは、被害者は未成年でも写真入り実名、
なんで犯人は、未成年だから「少年」なんだ、実名も報道せよ、写真もだせ…ということ。
イマドキ19歳を少年とは言わないと思うのは、もうみなさん同じ感覚だと思いますが、
法律で守られている以上、法律がかわらなければ、いつまでたっても「少年A」です。
私も、犯罪によっては実名報道もやむを得ないのではと思うこともあるし、
被害者の笑っている写真など見ると、読者や視聴者に「ねっ、かわいそうでしょ」と
強要しているようで、その偏りに、いやだなと思うことがあります。
しかし…昨日のうちに、ネットでは犯人の実名も写真も出たようです。
私はわざわざ覗いてみることまでしませんでしたが、結局例えば犯人の近所の人とか、
彼らの周囲にいた人とか、過去の同級生など、情報を知っている人がアップするのでしょう。
それを紹介した人は「これで両方の家族とも引越しだな」と書いていました。
こういうことがあると、被害者のブログなども紹介されてしまうことも多いです。
あの、大津のいじめ自殺のあとなども、いろいろ発覚したいじめで、
いじめた側の生徒の写真や実名は、あっという間にネットに出ました。
遠い地域でのこと、私などはその生徒の実名など知らなくても問題ありませんから見てはいませんが、
それをアップする人は「コイツが主犯」とか「転校先でもかわらないって」などと
コメントをつけて、写真のURLなどを貼り付けていました。
確か同名ということで、まったく別の男性の写真が「父親」として出たとかもありましたよね。
それでご本人は仕事にも差し支えたと。
加害者家族も被害者、ということは、時々言われます。
犯罪のために、例えばその家族の縁談が壊れたり、主が会社をやめるようだったり。
私は、こういう事件が起きると、やはり「親がどう育てるとこういう子供になるのか」とは思います。
それでも、事件が起きた時点で、親は自分が死にたいほどの思いをするのだと思いますし、
誰に言われなくても、後悔や反省ばかり、それも相手が死んだとなれば、
生きている限り、それを背負っていくのでしょう。
他の家族もお兄ちゃんのせいでとか、おかあさんのせいでとか…
それを家族みんなで背負っていくだけでも、一生つらいと思います。
それだけでいいじゃないかと思うのです。それもなけりゃ、私もバッシングしたいですけどね。
人の子の親になった立場の私は、自分だったら…と考えれば、
必要以上にかかわらないであげられたらいいと思うのです。
もちろん、すぐ近くの関係の人の励ましや世話焼きは、必要なことだと思いますけど。
ネットで拡散すれば、もし保存されたら、大げさに言えばほぼ永久に消えることはないわけです。
まったく面識のない、世界中の人に知られてしまう。それこそどこへ越しても…です。
パソコンそのものは、私は本当に便利で、つかえるようになってよかったと思っています。
でも、このモニターの向こうには「ネット」という、それこそ宇宙空間のようなものがあるわけです。
そこには人が住めない大気をまとう星、雲やガスに包まれて本体が見えない星、
どこから飛んでくるかわからない彗星、のみこまれたら出てこられないブラックホール…。
美しく眺める星ばかりではないわけです。
ネットという宇宙空間を、正しく飛び続けるためには、わが身を律することも、思いやりも、心配りも、
現実社会より尚、気をつけねばならないのではないかと思うのです。
顔が見えない、名前も言わない、それは身を守るためであって、攻撃するためのものであってはならない、
そんな基本的なことも守れない人も、一緒に空間をとんでいることを、忘れないでいようと思います。
お近くで恐ろしい事でしたね。
最近は子供の頃に我慢をさせずに育て
過ぎているのでしょうか。
自分の思うようにならないと自制が
効かない事件が多いように思います。
自分が事を起こしたら、自分だけでは
済まないという事を今は教えないのかと
不思議に思います。
便利なものほど使い方を誤ると大変なことになりますね。誰でもが被害者、加害者になる可能性があるなあと実感しました。
私はIT系、ネットに関する会社に事務方として
勤めております。
(お客様は個人ではなく会社様になりますが)
とと様が言われるようにネットやPCは確かに便利なものと
思います。
そう、便利な「もの」です。ツールです。
使い方次第と思います。
知っている方は知っていると思いますが
現在、私たちが使っているネットの起源は
軍事目的に作られたものです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ARPANET
せっかく平和利用されているのだから
もっと平和に使っていただきたいと願わずには
いられません。
以前、息子の学校のまん前で起きたのは、
一方的に男性が追いかけて、殺してしまった事件。
こちらも中学校の同級生でした。
こんなことをしたら、あとあとどうなるか、
家族も巻き込む…そんなことを考えられないのが
フシギです。
世の中なんて、思うようにならないことの方が多いのにねぇ。
追いかけますわマスコミは、いかにも読者や視聴者の見たいところ聞きたいところを
変わりにおいかけてる…みたいに思い込んでいるようですが、
行きすぎていると、よく思います。
こういうニュースがあると、ミクシの方では、すぐそれに関することを書いた日記がアップされるのですが、
フツウに犯人に対する憤りを書く人もいれば、被害者をバカにしたようなことや、
勝手にやってればいいみたいなことを描く人もいれば…です。
誰が書いたかわからないということが、強気にさせるのかもしれませんが、
時々「こんなこと書く人の方が、よっぽどこわい」と思います。
「道具」は、正しく使えてこその道具だと思うんですけどね。
元来、人がまだ「動物」であったころから、戦いというものは
続けられていたわけで、
知恵がついて、それがエサの取り合いから、領地の取り合い、宗教の争いと、
人間は頭がよくなったのか悪くなったのか…。
目的はなんであれ、平和や安全のために使えるものだと
わかっているなら、
そういう使い方をするべきなんですけどねぇ。