羽裏がほしくて入手した…といういつものパターンです。
羽裏は正絹でしたが、表地はさわったら交織のようです。お召し風で、縫い紋がひとつ、
ちょっと気取らず羽織るつもりのもののようです。裏も表も状態良好…ですが、
今の時代男物の紋付羽織は、用のない和服の筆頭みたいなもんですからねぇ。
この黒地だけ、帯裏にでも使いましょう。
交織の分、ちょっと化繊っぽい手触りで、滑りはいいんですが、しまりが鈍くなるかなぁ。
とりあえず、いそいそとルーペを出して広げました。
さてさて、にぎやかな街道筋の風景です。
いろんな人がいますねぇ。
女性の髪形を見ると、つとが後ろに長いですから江戸初期のようす…前帯らしき人もいますしね。
このころは帯結びも前から後ろに変わりつつある時期だと思われます。
着物の柄も派手です。そりゃまぁ羽裏なのでの、柄付けもあるとおもいますが…。
笠をかぶって踊っている細い帯は庶民の女性、真ん中で思いっきり重ねて着ているのは
たぶん遊女とそのおつき。履物を履いていません。
江戸の初期のころは、江戸市中でも履物なしの庶民はずいぶんいたといわれています。
履物は、農業の道具である「田ゲタ」の類と、身分の高い人の履物、
それに戦や、歩くシゴトの人の「足半(あしなか)」と呼ばれる、後ろ半分のない草鞋などで、
日常的に、それも街が主で履物を多用するようになったのは、江戸中期ごろです。
この絵の中でも、踊りの者や武家らしき人は履物がありますが、裸足の人もいろいろいます。
確かな時代考証に則った正確な絵とはいいかねますから、大雑把な描き分けと思いますが、
そんなところも気を使って描いているのが面白いなと思っています。
こちらひげのやっこさん。 裸足ですね。
この「やっこ(奴)」は、「家つ子」が語源といわれていますが、要するに「使用人」、当時は「奉公人」。
この奴さん、巴の紋をつけていますね。お仕着せということになります。
奴は「パート」「アルバイト」での就職も多かったので、どこへでも勤められるように、
釘抜紋といわれる真ん中に穴のある四角い紋をつけたものが多くいました。
なぜ釘抜紋が、どこでも通用するのかは、私も調べたことはありませんが、
元々「くぎ」が「九城(くぎ)」に通じる、つまり、城を九つも落とす、という
戦国時代には縁起のいい紋とされていましたから、武家に仕えるには都合がよかったのかもですね。
ちなみに「冷奴」のやっこは、この紋のように四角く切るから、です。
身分の低いこういった奉公人の呼び名については、過去にも書きましたが、
長い時間経過の中で、ゴチャゴチャになっている部分もあり、また藩によって使い分けが違ったりしましたので、
厳密な身分わけではありません。おおよそ…ということです。
「若党」「足軽」「中間」「小物」「奴」など、いろいろごちゃこちゃに呼ばれたりしています。
若党、足軽は一応「武士の身分」なので、あの特有の奴さん衣装の下に袴をつけています。
刀は、奴まで持ちますが、それは「身分が低くても、戦があればはせ参じる」…の象徴。
後年「戦」がなくなると、仕えている主人を守るため、ということで普段のお出かけのお供には、
丸腰か中間などは木刀、棍棒などに換わったりもしています。この奴さんは刀ですね。
こちらの二人は武士のようです。二本差してますし…。履物なし…近所におでかけか?
武士の装束については、これも時代によって、また身分によってがありますか、まだ江戸初期ならば、
お勤めのは袴を着け、普段の外出はいわゆる「着流し」だったと思います。
江戸初期といえば、まだ道路整備も整いませんから、はしょって着るのも当然かと思います。
女性は、ジミですが、お供の傘を差しかける奴もおり、履物もあるので「武家の奥方」ではないかと思います。
こちら、ちとセリフなどいれてみました。普通のお供の荷物は「挟み箱」なのですが、
これは天秤棒ですね。そのアタリがこの柄のユルいところかな…です。
街道というのは、あらゆる階層の人が行きかうところです。
羽裏や着物にも使われる柄ですが、絵のうまいへたに関わらずなんだか楽しい絵が多くて、
みるとついひとりひとり、何をしているのか覗き込んでしまう私です。
感謝しつつ 感心しながら読ませて頂いています。
それにしても これもまた素敵な羽裏ですね
いろいろ細かくて、ルーペが大活躍です。
全体の見た目も色合いがいいなぁと思っています。