「あの日」から4年…早いと感じる人、遅いと感じる人…さまざまでしょう。
私にとっても、ある意味「節目」になった日です。
横浜ですから揺れたといっても「5弱」でしたが、地震が多い関東で60年暮らしてきていても、
「いや、これはちょっと」…と、腰が浮きました。
地震の大きさや、いつまでも続く余震にも怖い思いをしましたが、
なにより「あとのこと」が、想像以上にいろいろあって、本当に学ぶことの多い地震になりました。
地震のあと、スーパーからいろんなものがなくなりました。
思った時間に買い物に出られない私は、途方にくれました。
ネットスーパーもアマゾンも、なにしろものが流通しませんから、注文もできないし…。
当時元気であった父が、自転車飛ばして二つ先三つ先の町まで行って、
牛乳やパンを買ってきてくれました。そしてなにより、ブログでちょっとこぼしたら…
あっというまに「送ります。住所教えてください」と…。
息子にとっての大切な栄養源であるカロリーメイトもカルピスも、乾電池もお米も…
毎日毎日、宅配で届きました。ひとつ届くたびに、玄関で涙ぽろぽろこぼして感謝しました。
みなさんだって、それぞれの地域で、不便を感じておられたでしょうに、
本当にありがたかったです。何のお返しもできていない私ですが、
あの時の皆さんのあたたかいお気持ちは、一生忘れません。
計画停電も4度経験しました。地震のすぐあとから急にです。
何の備えもなく、ただ防災用ライトと蝋燭をともし、息子と二人毛布にくるまって過ごしました。
電気にいかに頼っていたか、しみじみ思い、備えの必要性を痛感したことです。
復興のために、私は何もできません。せいぜいわずかばかりの寄付をしたり、
着物がいります…というところに送ったり、そんな程度です。
それでも「忘れないでいよう」という気持ちは、ずっとあります。
天災や原発のことを「忘れないでいよう」という気もちも、ずっとあります。
今日あたりは「当日」ですから、いろんな番組で「3.11」を取り上げていますが、
いままでにもいろんな形で、報道がされています。
いいことばかりではありません。いまだに…というナレーションが必ずつく現状も多いです。
いいこともまだまだのことも、私たちは「忘れないで見続ける」ことが、大切だと思っています。
富士山の噴火とか、南海トラフとか、温暖化による天候の変化とか…
実はちゃんと真面目に考えなければいけないことのはずです。
簡単に「じゃ引っ越そう」とはいかない現状なら、備える、忘れない、考える…
せめてそれだけはしていこうと思っています。
主人が亡くなって少し経って、ちょっと大きい地震がありました。
「震度3」くらいだったでしょうか。あら久しぶり…と、地震速報に耳を傾けましたが、
そのときふと「そうか、もう何かあっても、ほんとに私一人で踏ん張らなきゃならないんだ」と、
それを感じました。今までだって、すぐにはアテにならない人ではありました。
それでも、大きなことになれば、どんなことをしてでも、何日かかっても、
海外から帰ってきてくれる、それまで持ちこたえれば…なんて、そう思っていたのに。
それを思ったら、ますます「いろんなこと」を考えねば…と思ったことでした。
人は忘れるから生きていかれる、と言います。
それはそうだと思います。すべての記憶が積み重なっていたら、心は壊れます。
だから忘れたり、薄れたりは必要なことだと思いますが、
一方で「忘れてはいけないこと」もたくさんあります。
意識的に「忘れないでいること」を自分で考えて、今日という日を、静かに過ごしました。
いまだご遺体が上がらない犠牲者の方も数多くいらっしゃいます。
全ての、無念の思いのまま逝かれた御霊に…合掌。
叔父様を亡くされたのですか。
遅ればせながら、ご冥福をお祈りします。
大変でしたね。
我が家は福島と茨城に親戚がありますが、
みな無事で、屋根の瓦がおちたり、
壁にひびが入った程度ですみました。
天災は防ぎようもありませんし、
紙一重…というところもあります。
逝った人も、遺った人もつらいですねぇ。