ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

あの日…です。

2015-03-11 17:53:01 | つれづれ

 

「あの日」から4年…早いと感じる人、遅いと感じる人…さまざまでしょう。

私にとっても、ある意味「節目」になった日です。

横浜ですから揺れたといっても「5弱」でしたが、地震が多い関東で60年暮らしてきていても、

「いや、これはちょっと」…と、腰が浮きました。

 

地震の大きさや、いつまでも続く余震にも怖い思いをしましたが、

なにより「あとのこと」が、想像以上にいろいろあって、本当に学ぶことの多い地震になりました。

地震のあと、スーパーからいろんなものがなくなりました。

思った時間に買い物に出られない私は、途方にくれました。

ネットスーパーもアマゾンも、なにしろものが流通しませんから、注文もできないし…。

当時元気であった父が、自転車飛ばして二つ先三つ先の町まで行って、

牛乳やパンを買ってきてくれました。そしてなにより、ブログでちょっとこぼしたら…

あっというまに「送ります。住所教えてください」と…。

息子にとっての大切な栄養源であるカロリーメイトもカルピスも、乾電池もお米も…

毎日毎日、宅配で届きました。ひとつ届くたびに、玄関で涙ぽろぽろこぼして感謝しました。

みなさんだって、それぞれの地域で、不便を感じておられたでしょうに、

本当にありがたかったです。何のお返しもできていない私ですが、

あの時の皆さんのあたたかいお気持ちは、一生忘れません。 

 

計画停電も4度経験しました。地震のすぐあとから急にです。

何の備えもなく、ただ防災用ライトと蝋燭をともし、息子と二人毛布にくるまって過ごしました。

電気にいかに頼っていたか、しみじみ思い、備えの必要性を痛感したことです。

 

復興のために、私は何もできません。せいぜいわずかばかりの寄付をしたり、

着物がいります…というところに送ったり、そんな程度です。

それでも「忘れないでいよう」という気持ちは、ずっとあります。

天災や原発のことを「忘れないでいよう」という気もちも、ずっとあります。

今日あたりは「当日」ですから、いろんな番組で「3.11」を取り上げていますが、

いままでにもいろんな形で、報道がされています。

いいことばかりではありません。いまだに…というナレーションが必ずつく現状も多いです。

いいこともまだまだのことも、私たちは「忘れないで見続ける」ことが、大切だと思っています。

 

富士山の噴火とか、南海トラフとか、温暖化による天候の変化とか…

実はちゃんと真面目に考えなければいけないことのはずです。

簡単に「じゃ引っ越そう」とはいかない現状なら、備える、忘れない、考える…

せめてそれだけはしていこうと思っています。

主人が亡くなって少し経って、ちょっと大きい地震がありました。

「震度3」くらいだったでしょうか。あら久しぶり…と、地震速報に耳を傾けましたが、

そのときふと「そうか、もう何かあっても、ほんとに私一人で踏ん張らなきゃならないんだ」と、

それを感じました。今までだって、すぐにはアテにならない人ではありました。

それでも、大きなことになれば、どんなことをしてでも、何日かかっても、

海外から帰ってきてくれる、それまで持ちこたえれば…なんて、そう思っていたのに。

それを思ったら、ますます「いろんなこと」を考えねば…と思ったことでした。

 

人は忘れるから生きていかれる、と言います。

それはそうだと思います。すべての記憶が積み重なっていたら、心は壊れます。

だから忘れたり、薄れたりは必要なことだと思いますが、

一方で「忘れてはいけないこと」もたくさんあります。

意識的に「忘れないでいること」を自分で考えて、今日という日を、静かに過ごしました。

いまだご遺体が上がらない犠牲者の方も数多くいらっしゃいます。

全ての、無念の思いのまま逝かれた御霊に…合掌。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (女々)
2015-03-11 19:54:10
そうですね…4年ですね。私は職場で遭遇しました。あの日体調不良の主任が…「あー相当ダメだ!何か揺れるの…帰って良い?」なんて言い出して「あなたが揺れてるんざゃなくて地震です!」って叫んだこと覚えています。仙台の友人は 家も家族も大丈夫でしたが…叔父は 津波にのまれて亡くなりました。それでも 遺体は直ぐに見つかり私が ボランティアも兼ねて 現地にいき確認で 新潟から親類に来ていただき色々と大変でした。3月のうちに あちらへ行ったので…生々しく記憶にあります。
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Unknown (とんぼ)
2015-03-12 13:59:39
女々様

叔父様を亡くされたのですか。
遅ればせながら、ご冥福をお祈りします。
大変でしたね。
我が家は福島と茨城に親戚がありますが、
みな無事で、屋根の瓦がおちたり、
壁にひびが入った程度ですみました。

天災は防ぎようもありませんし、
紙一重…というところもあります。
逝った人も、遺った人もつらいですねぇ。
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