まだ昼間の暖かい時間に少しだけ…ですが、主人の部屋が「災害のあと」みたいなので…。
そして出てきたのが、トップ写真のモノ。なんだかわかりますか?
30年ほど前の「パソコン」ですよー。
まだウィンドゥズなんて便利なものはありませんでした。
なにかやるたびに「プログラム」を自分で打ち込む…実にめんどくさいものだったです。
主人はゲームをやってみよう…で買ったらしいのですが(元々こういう電子機器関係のシゴトでしたし)
プログラムされたゲーム用のカセット(そう、カセットを入れていたのです。写真の右上部分)が、
結構な価格でしたから、まずは「ゲームのプログラム本」を買ってきて、それを私に入力せよと…。
子供を寝かしつけた後、ポチポチと一生懸命ブログラムを入れましたがな。
プログラミングって、ほんっとに面倒なんですよ。
このページのURLみたいな、わけのわからないものをずーーっと打ち込むわけです。
一番プログラムの短いゲームをためしに入れて見て…と言われたのですが、
それでも6ページくらいあったんじゃないでしょうか。
一字間違えても動きませんから、とにかく何度も確かめながら、数日かかって打ち込みました。
やっと終わって動かしてみたら…
モニターに出たのは、ただの横一本線の端に、一筆書きみたいなバイクに乗った人間らしきもの。
スタートさせると、そのバイクが線上をトコトコ走って行って、三角の出っ張りがあるとピョンと飛び越す…
坂道登るとか下るとかしていくのですが、途中で引っかかると、コテンとコケて、はい、ゲームオーバー。
あれだけ苦労して入れたのに、子供の落書きみたいな絵で、ゲームもアホみたいで…。
ジョーダンじゃないわよ、でしたが、主人もこれじゃねぇと、結局その後はカセット買ったようです。
いつの間にか…そのゲームカセットがたーくさん…。
こんなのです。
こんなきれいな絵ですけどね、実際にはこんなもの…。
今では考えられないですよね。
でも、今のあのバーチャルなものすごいゲームも、始まりはこれだったのです。
私は当時パソコンなんて全くわからないし、興味もありませんでしたが、
とりあえず「プログラミングする」ということが、どれほど大変なことか、それだけは理解しました。
主人は、元々「通信工学科」の出ですから、こういうものが結局は好きだったのだと思います。
オーディオも自分でスピーカーやアンプを組み立てていましたから。
でも、部屋の電球取り替えるのは、私だったのよねぇぇぇ。
私は理数系はまったくダメですし、音楽も、りっぱなステレオで聞きたいとも思いませんし、
テレビも映りゃいい…ほうですし…なんでこんなかーちゃんもらったんでしょー。
結局、ゲームがとんでもなくバーチャルになってから、主人はサッカーゲームくらいはやっていたようですが、
そういうことからは「卒業」してしまったようで…。そして今私がゲームやってるというゲンジツ。
私のやるようなのは、単純明快な、あのテトリスの変形みたいなものですが。
LPレコードもたくさん出てきました。ロックやソウルが好きでしたから、ほとんどそればかり。
昔の喫茶店にあったような、直径30㎝くらいある「リール・テープ」もでてきました。
どれもこれも、今の時代では、りっぱな「あんちーく」?
オーディオ系というのは、部品取りのために、古いものも売れるそうではありますが、
まぁどうしたものか…壁一面オーディオ棚ですが、これはちと考えよう…と思い始めました。
それにしても、人ひとり60年余の人生って…モノがたまるんですねぇ…。
あ、自分のことを考えるとオソロシヒ…。
というわけで、片づけ終わったら「着物の収納場所」が増える、と、それを楽しみに、
あ、おとサンごめんねぇ…ごそごそ始めています。
それが今では(@@) まさかこんな世の中になるとは、思いませんでしたね。
でも おかげでネットお友達も増えて、もう一つの世界ができました。離れた友人とも気軽にメールでやり取りできるし、ブログを覗けば様子が分かるし。
我が家の子供たち(30代)はいまだゲーム好き。孫たちとおばちゃんでもある娘と、ワイワイできるのも昔は考えられれなかった姿。
そんなこんなも、元をただせばご主人のPCの様なものから始まったのですね。すごい世の中を生きているんだわ~と、改めて実感しました(^^)
家に初めてパソコンが来たのが16年前、
その頃からでも随分変わりましたがそんなに
前からパソコンを触っておられたなんてスゴイ
ですね。
ゲーム、最近は気分転換に私はナンプレを
しています。
あー懐かしいPC
今は 殆どPCも触りもしない私ですが…商業高校でしたし…プログラミングの時間も有り 大変でしたが…楽しくゲームも作り遊びました(笑) おとサン 仲良くしたかったなぁ…
30年前だと、父がNECですがパソコンを買ってきて、たしか88,その後出た98シリーズのデスクトップ型とほとんど変わらない外観で、5インチフロッピーでした。
その前はテープだったという話は聞いたことはあったのですが、実物見るのは初めてです。
初期のワープロみたいな格好ですね。
1~2ヶ月はブログどころではないだろう…と思ってたんですが、久々に覗いてみました。
この間にも、ぽつぽつ更新されてたんですね。
体を使うお片付け以外にも、色々手続きとか気を遣うことも多くて大変でしょうし、無理なさらずお過ごしください。
熱帯魚のお写真(見納め)も、戻ってきたお着物も、きれいなもの楽しく見せていただきました。
私はワープロでした。当時はワープロ検定というのもありましたよ。
時代の変化は驚くほどですね。
便利になればなるほど、変な人間が増えていくような気がしますが。
「馬○とハサミは使いよう」と言いますが、文明の利器も使い方によっては凶器です。
これからスマホだ、パソコンだと言い始めるであろう娘に、その怖さを教えておかなくちゃと思っています。
それにしても、物持ちの良さはピカイチですね。
レコード…私のコレクションは行方不明のまま…どこに行ったのかしら?
あまりの変化の速さに、ついていけないのが
悩みのタネではありますが、とりあえず、
「すごい世の中になったもんだ」ですね。
私は、40年前「和文タイピスト」でしたが、
ずっと続けられる仕事だとおもっていたのに、
あっというまに「昔の職業」になってしまいました。
主人がIパッドも遺して行ってくれたので、
また挑戦することが増えています。
アタマ動かさないとー、です。
これをいじっていたころは、今のようになるなんて、
想像もできませんでした。
何十年もたって、こんな暮らしになるなんて、
ほんとにすごい世の中ですね。
ナンプレ、私数字苦手なので、
トランプなどよくやってます。
イマドキの若い人がやってるようなのは、
どうにもついていけませんしねぇ…。
ほんとに、こういう電子・電機の関係のモノ、
すきでしたねぇ。
私は言われたことしかできなくて、
こんなめんどくさいもの…なんて思ってました。
今のような状態になっているのが、
フシギですー。
息子の年齢から割り出していますから、
間違いないと思います。
当時はいろんなものが出始めていましたし、
あのころは、こういうものはとても高額でしたから、
たぶん出ていても新しいものは、
買えなかったのだと思いますよ。
あれこれやることは山積みですが、
ぼちぼち…とやっています。
風邪もようやく「ほぼOK」になりましたので、
昼間は、ゴミ出しに努めています。
私は、ワープロ触ったのが40後半、
パソコンが50の手習い…。
なんでも人より始めるのが遅いので、
四苦八苦です。
レコード、父のも私のも一緒にあるので、
古いのは「三橋美智也」だの「三波春夫」だのから、
タイガース、加山雄三、そしておとサンの「ロック」
バラエティにとんでおりますです。