ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

木綿です

2008-01-21 18:41:32 | 着物・古布
先にお天気の話し、雪、ふりませんでした。
ほかは降ってもまず降らない横浜でさえ降るよ、と言ったのに。
降らないほうがそりゃ助かりますが、スコップ・長靴・軍手の
「雪かき三点セット」を、玄関にドーンと出してたのに…。
ま、外れてよかったということで…。


さて、本題です。
ずっと前に、京都の帯問屋様が何かにお使いください、と送ってくださったもの。
何か作りたいと思い、ずっと箱にしまってあったのですが、
今の私にはゆっくりモノを作る時間はないし、
それになにしろ「いーっぱい」あるんです。
ケチケチしてないで、手芸をなさる方に使っていただこうと思います。
好きな柄は、自分用にちゃんとピックアップしてありますけどねっ!

元々は「ふろしき」として作られたものの、いわゆる「裁ち落とし」ですね。
だからこんなに豪華な柄なんですが、木綿なんです。
ちなみにこのタイプの木綿の風呂敷、120センチ四方のものを検索してみますと
5000円から7000円くらいです。
「おつかいもの」、つまりお礼とかご挨拶とかですね、それに使われたそうです。
ですから木綿と言ってもペラぺラじゃありません。しっかりしています。
何しろ「ネガポジ」になってまして、気に入れば裏も表も使えます。
色も柄もいろいろで、ついでに大きさもいろいろ。
幅はふろしきですから、一番広いもので120センチあります。
長さは10センチくらいの細長いものから、
そのままバッグなどになるくらいのおおきいものまで。
こちらは正倉院柄、鳥が見えます。裏表が見えるように…。


     


こちらはただいまハンティング中、


     


こういった柄のほかにも名物裂の「荒磯」なんてのもありますし、
縞とか格子とか、絣調などもあります。
こんなのもあるんです「犬張子」、犬が竹の籠をかぶっているので「笑」
という判じ物ですね。今の漢字では正確には「竹冠に『夭』」ですけれどね。
大きさが分かるようにメジャーを置いたのですが、
見えないじゃありませんかもぉ…、一つの四角の対角線が20センチです。


     


一枚しかないものから、同じ柄で大きいのや小さなのがあるものなど、
いろいろなので、販売の時には同じものはまとめて、と思っています。
はぎれですから、たとえつないで風呂敷分あっても、そりゃあお安く致します。
アタリマエですけど…。もう少しお待ちください。



今日、呉服屋さんがきましてね、いい帯があるからと。
買うつもりはさらさらありません。
私のサイフは「まほーのさいふ」じゃないんですー。
底にたまった埃が見えるだけのさいふじゃねぇ…。
とりあえず寄ってくれたんですが、帯といっしょに出したのが「ライト」、
つまりですねぇ、紫外線を当てると色が変わるというのですよ。
竹藪の柄とか、山と樹とか…、そういう絵の一部分がオーロラのように光る…。
なんなんでしょ、私即座に「あっこれいらない」と断りました。
「あいかわらず即断ねぇ」と言われましたが、しょうがないですよね。

もちろん、作る側には作る側の理由もあるとは思います。
商売する以上、売れるものを作り、売らなきゃならないんですから。
でもね、建物の中ではタダの墨絵のような絵で、
外にでてお日様にあたったら、その樹の輪郭やら山の稜線が七色に光る…。
私にとっては「それがなんなのよ」です。
そんな風に光る帯なんぞより、もうなくなっていきそうな、
日本古来の技を使ったもののほうが、よっぽど魅力的です。
紫外線で光る?わたしゃ季節はずれのクリスマスツリーか…。

もちろん、いつも言うことですが物事は全て変化します。
タダの麻の頭陀袋のような貫頭衣から、少しずつもようらしきものがつき、
形が変わり、染や織りが広まり…そうやって1000年かけて、
友禅も紅型も大島も結城も、そのほかさまざまな美しいものができてきたのです。
ですから、デジタル友禅も紫外線偏光も、長く着物を作り続けていけば、
そういう進歩もいずれは「アリ」だとは思います。

でも、その前に、なぜ今あるいいもののミリョクについて、
もっと知らしるめる努力をしないのでしょう。
消えかかっているすばらしい日本のものを、助けないのでしょう。
若い人が好むから、お花満載の洋風振袖をつくる、パリコレと同じカラーにする、
ジェットコースターから降りてきても、元とかわらんよーな鳥の巣アタマにする、
「消費者のニーズに応えているのではなく、迎合しているのだ」と思います。
洋風の花柄や、洋装でも変わらないヘアスタイルは、
それしか知らないからそれがいいのです。
作る側は、つまりそういう好みに合わせたものが売れればいい、が先ですね。
確かに、消費者の側にも着物離れの責任はあります。
しかし、売れないからと価格を下げることのみに執着して、
海外で作ることに活路を求めた、その結果、同国の職人さんたちの首を
思いっきり締めることになったわけです。
そんなことは今、だれだってわかることなのに、
それについてはもうここまできたら、見てみないフリ?

流行の変遷があまりにも早すぎます。
途中ですっぽ抜けた時代のカバーもフォローもないのです。
たくさん売る業者ほど、迎合ではなく「これが日本の誇るホンモノなのだ」と
アピールしてもらいたいものです。
七色に光る帯は、光ったとたんに、とてつもなく安っぽいものに見えました。
この光るのがなきゃいい帯なのに、と、そこまではとても言えず、
私みたいに保守的な人間にとっちゃ、これは邪道だわ、と。
呉服屋さんは、分かっているのです、だから「どうして?」ではなく
「やっぱりそうか」と言いました。
単純に私が珍しい物好きだし…、と、もしかしたらで見せに来たようです。
いつの場合も苦労するのは、もっとも外側で仕事をする職人さんや、
小さな呉服屋さんです。真ん中でぬくぬくとしている大手とよばれるところこそ、
価値あるもの、チカラある人を大切にしてほしいし、
いいものは金持ちに売りゃいいという考えを、改めてほしいものです。
ふろしきに包まれて、持ち帰られたあの帯は、
いつか誰かの背中で、ピッカピッカと七色に輝くのでしょうか、
玉虫織りの捉えようとして捉えられない七色の光の美しさを
その人は知っているでしょうか…。

見送りながら、急に寂しくなった私でした。






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5 コメント

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Unknown (陽花)
2008-01-21 20:16:47
私もすこ~し前に光の加減でというのを
聞いたことがありますが、フウ~ンと
いう感じだけでした。
いつかデジタル友禅ばかりになったり、
ハイテク仕立てといって手縫いが無くなったり
そんな時代が来ないように考えなければなりませんね。
返信する
むぅ (zizi)
2008-01-21 21:39:09
紫外線ライト、ウランガラスの判定用に持ってます^^
まさか 着物に使うとはTT

知人の故郷に帯の織り元さん、手綴れ帯の作家さんがいらっさるそうです。でも織り元さんは中問屋さんのおかげで原価据え置き、手綴れ帯の作家さんにあっては、
「マックで働いた方が儲かる」ほど、ダンピングされるようです。

昔のようにパトロンさんは居てないのでしょうか><
(ガッコでこういったベンキョしてきたのに全然違う職業で$を稼ぐのに甘んじている自分が最近許せなくなってきましたTT)
返信する
Unknown (六十路独り言)
2008-01-22 10:38:32
お早うございます。
雪は狼少年の雪だよりでしたね。
嫌いなくせに怖いもの見たさで楽しみにしていた私でした。(雪国の方、ごめんなさい)
先ほど、NHKテレビで「着物のリフオーム」を見ました。
鋏を入れないでドレスのように纏うなどでした。
発想の転換、工夫などが大切なことを改めて感じました。古いものの良さを見直し、ものの命を大切にして生かしきる心を今の日本人は取り戻さなくてはいけないのですね。
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残念でした (人形屋)
2008-01-22 18:48:40
今年成人式だったうちの娘に、去年から振袖のダイレクトメールがばんばん来てました。でも、最新流行の着物の柄や、ヘアスタイルに辟易してしまい、結局スーツで成人式に行っちゃいました。
振袖を着る機会なんてめったにないのに。おばあちゃんズもがっかりでした。

素敵な古典柄の振袖、復活してほしいですね。
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Unknown (とんぼ)
2008-01-22 19:49:21
陽花様
何もかもがなくなってしまったら、悲しいですね。
「昔はねぇね針ってものに糸を通して、
手でぬってたんだよ」なんて…ヤダヤダー。
デジタル友禅と、ホンモノ友禅の違いを
しっかりわかってほしいですね。


zizi様
なんだか道具立てがはじまったときには、
なんなんだいこれは…と思いましたよ。
確かに光っているところの色そのものは
とてもきれいでしたけどね、
なぜこんな技が帯に必要なのかと、
首を傾げました。なんか寂しかったです。


六十路独り言様
降らなくてよかったと言いつつ、
ふり出すとじっと見てたりする私ですー。
明日はホントに降りそうですね。
「使い捨て」なんてものがいろいろ出てきた時点で、
人はおごってしまったのでしょうね。
形を変えるというのは、すばらしい知恵ですね。


人形屋様
昔はお下がり当然で、母が着たもの、姉が着たもの
そういうのはかえって誇りだったんですけどね。
とっておく人もいなくなりましたし、
なんだかもったいないことが、たくさん
行われている気がします。
私は振袖のたもとを切って訪問着にして着ましたが、
女の子がいないので、たぶん京都の姪のところへ
いくと思います。ふとんになってもいいから
ずっと残してほしいです。
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