写真は紬の訪問着の解きです。
とりあえず、まずはお知らせ・・。
先日「こぎれ庵 和之介」の方で「お茶会」のページを
掲示板として開きました、ブックマークからどうぞ・・とお知らせいたしました。
書き込みをしてくださった方もいらしたのですが、
なにしろ「迷惑えーご書き込み」がものすごい・・・。
カットURLとして、それこそ30,50と登録したのですがキリがない・・。
きちんと稼動するときは、面倒でもパスワード制にするとか、
もう少し別のガードを考えたいと思っておりますが、
とりあえず、ヒトの迷惑も顧みずのヤカラに、
余計な時間をとられたくありませんので、「お茶会」のページは
開設までとじさせていただくことに致しました。
かわりに、うちのブログペットの「まめかず」がお留守番をしております。
ブックマークの「まめかず」におります。ボディをクリック致しますと、
お近くまで寄らせていただいて、たわいもないことをおしゃべり致します。
HP開設まで、どうぞよろしくお願い致します。
(本人、師範代といっとりますが、なんせ師範がとんぼですので、
テードは知れようというもの、とりあえずかわいがってやってくださいまし)
さて、紬の単の訪問着なのですが大きなシミがあります。しかも「胸」のところ。
とりあえずシミが抜けるかどうか(安く!)聞いてみようと思っています。
背中に縫い取り紋がひとつ、とても大柄のかたのものだったようで、
身幅はデブ・ボディの私でさえ「デカッ!」と言うくらい広かったです。
料亭の女将さんのもの・・と聞いたのですが、さぞかしカンロクあったでしょう。
訪問着、しかも紬で、おまけに単・・となったら、
仕立て直しても私は着る機会なんてまーず考えられません。
実は小さいシミもいくつか飛んでいますし、格安で手に入れたもの、
だったら別のものに仕立てようかと考えています。
「紬の訪問着」は本来「認められないもの」ですが、
世の中がかわって「そういうのもアリ」になってきました。
私は別に紬の訪問着があってもいいと思います。
ただ、いつも言うように、変えてもいいけれど
元をわかっていて変えていかないと、着物の本当のよさとか、
何が大事かがわからなくなってしまう・・・と思うのです。
確かに、着物が廃れかけた今、若い方が着物に眼を向けてくださるのは
とてもうれしいことだし、その中で新しい色柄や着方が出るのは
かまわないと思います。ただ、それは「育まれる」ものであるべきで、
パッと出てきてパッと消えてしまう流行のようなものであったら、
結局何もわからないまま、また着物が飽きられるのではないかと・・。
着物と言うのはずっと長い年月の中、毎日の暮らしの中で、
育ち、形をかえ、着続けられてきたものです。
一度パッタリ着られなくなってしまった今、
まずは「着られていたころ」のところまで戻って(知識としてそれを知って)
そこから「今の時代」の着物と、その着物に合う暮らし、を育てていく、
そうしないと、ただもう「なんでもアリ」になってしまうのではないかと
思うのです。
話しがそれました。すみません。
とりあえず、紬の訪問着、ですが、まずは「本来はないはずのもの」
と言いますのは、着物の基本的なルールにおいて、
織の着物は染めの着物より「格が下」であり、
普段着の域をでないものであること、この場合の普段着と言うのは、
家の中で・・ではなく「街着」と言う意味です。
なぜそういう「格」になってしまったかという理由は、
紬の糸の生まれ・・にあります。
これは、以前糸のところで書きましたが、カンタンに説明しますと、
「繭」が日本で作られ、養蚕業が盛んになったころ、
お上、或いは問屋に収めるにあたって、繭を厳しく選別いたしました。
キズのあるもの、汚れたもの、割れたものなどは収めることができないので
養蚕農家のものとして残されました。これを「くず繭」といいます。
本来絹糸は、繭を湯につけて糸を引き出し、それを長くまきとって作りますが、
くず繭の場合は、途中で割れていたりすれば糸を長く引くことができません。
そこで、最初から水の中で繭を割ってしまい、その繭を少しずつ四角く広げます。
これを広げた状態で何枚か重ねて乾かすと、繊維の重なった綿ができます。
これが「真綿」、この真綿から人間の手で糸を引き出し、
細くよりからげて糸にします。綿から人の手でつむぎだすので、
太さが均一にならず、太いところ細いところがある糸になります。
この糸を使って布を織るわけですが、個人の家でやるわけですから、
友禅のように美しい絵を染めるなどはできません。
そこで織る前に「糸」を先に染め、それで反物を織るわけです。
ちりめんや綸子などは、白生地に織られたあとで染や刺繍をするため
「後染め」と呼ばれ、先に糸を染めて織るので紬は「先染め」と呼ばれます。
紬は「つむぐ・紡ぐ」から出た言葉です。
染や織りの技術がまだ今のように進んでいなかった時代は、
紬はあくまで「くず繭」からとった糸を、柄を染める技術よりカンタンな
糸を染める方法で染めて織ったもの、つまり美しい色柄を誇る「後染め」より
「ランクが下」の、自家用絹もの、だったわけです。
そのため、紬と言うのは「格」が下・・なのです。
時代はかわり、機械化が進み「くず繭」にあたるものも、
選別の際の「規格」で分けられたもの・・になってゆきました。
また、蚕から糸を引くとき、これを「索緒(さくちょ)」といいますが、
最初から一本で出てくるわけではありません。周りのしっかり巻いた糸を
ちょいちょいととってやります。外側ですから多少汚れてもいますし、
こすれて傷もついています、でも絹糸ですから捨てません。
この外側をとったあと出てくる一本、これを巻き取っていくわけですが、
こういう繭から糸をとるときにできる「糸にならない糸」、
これを集めてまた糸にする・・ワンランク下がった糸です。
これは「絹紡糸」といいます。富士絹などは、この糸で織られます。
こんなふうに、繭から糸を取ることが、昔とは大きくかわってきたことで、
今は「紬糸」といっても、人がくず繭から糸をとっているなんてことは
まぁごくごく一部・・。逆に今はそのほうが価値が高いという部分もありますね。
とりあえず、そういう「紬」というものの「出自」から、
紬はどこまでいっても「普段着・街着」というランクだとそういわれるわけです。
技術が向上し、糸のでき方も布のでき方も、なにもかもどんどんかわっている今、
紬は下・・という解釈も実情とはズレていると、そう思います。
確かにそうなのですが、ひとつの「いわれ」のある決まり事、として
残しておくことのもいいのではないかと思うのです。
その「決まり事」から少し外れた自由として「紬の訪問着」
或いは「お召しの訪問着」というものができても、それはそれで、
ちゃんと「ちょっと外れたステキなもの」という位置づけで
認めていけばいいのだと。
紬の訪問着は、ほとんどの場合紬地に「染め柄」です。
写真の着物もそうですが、大きな柄は「染め」です。
バック(地)は白地に黒の細い縞模様、これは織りです。
経糸も緯糸も、節のある糸を使い、小さなポコポコとした節の縦縞と
ときどき急に太い糸が入る横段の白地が、紬地特有のザックリした感じを
残しています。
こういう着物を、昔のように「そんなものはありえない」と否定するのは
やはり時代に逆行することだとは思いますが、
そのかわり「着る場面」をしっかり考えて着るべきだとは、思います。
目上の方、たとえば、夫の仕事関係の上司やお客様がたくさん出席するはずの
そういった席なら、やめたほうがいいでしょう。
学校の同窓会やクラス会、同年代の友人のパーティーなど、
そういうときは、とてもステキなオシャレ着になると思います。
以前、普段着でも、目上の人と合うときはアチラが小紋でこちらが紬だと、
相手に失礼だ・・といったのと同じです。
実際には、どこまで昔からの「決まり事」を守るか・・と言うのは、
とても難しいことだとは思います。
たとえば、江戸の昔は庶民は「絹」は着てはいけないことになっていました。
それは、お上の決めたことではありましたが、それを守らない者もいました。
庶民の着物文化は、そういう中で、それならこれでどーよ、という反骨精神や、
いいじゃないか大きなお世話、と破戒の心意気で育まれてきたわけですから。
つまるところ私の考えは、最初に書いたとおり
『まずは「着られていたころ」のところまで戻って(知識としてそれを知って)
そこから「今の時代」の着物と、その着物に合う暮らし、を育てていく』
であってほしいと思うのです。
ものすごく保守的な雰囲気でした。気にはなっていますが、個人的な好みで着るだけにしていまして、話題にすまいと誓ったのでした。
単だそうですが、恰幅の良いかたのもののようですとありますが、単、恰幅の良いものにとっては、ぺらぺらする染めの着物よりも、しゃっきりと織のもののほうが着やすい、うんうんわかるわかる、とくに料亭の女将さん、着物着ている時間も長いでしょうからね。
単の織物、そのほうが着易い、実感しています。単の染物、袷になりそこなったようでどうも落ちつかないのです。
織物の訪問着、大島なんかですと値段も結構なものです。ただのお洒落着です、格好いいけど、勿体ないですね。
私が10代の頃伯母がとてもお高い
大島紬を着て来ましたが、その時の
伯母いわく、何十万、いやそれ以上
出して買っても紬は普段着で正式な
場所には着て行けないと言ったのを
覚えています。
保守的であるべき部分も多いと思うのですが、
なかなか難しいですね。
この紬は、道中着のようなものでも・・と
考えています。
着物の自由な部分を楽しみたいと思いまして・・。
陽花様
私たちはそうやって教わってきましたよね。
季節はずれの柄のゆかたとか、
つむぎの訪問着とか、もう少し時間をかけて
ゆっくり進んでもらいたいものです。
私もやっぱり、紬は普段着・・です。
だから気楽にきられるんですもんね。
紬の格は上がっているようで、上がらない(金利とか株みたい)。歴史を背負っているのと業界の思惑とか??色々ですね。でも訪問着着るお祝いの機会がありません┐('~`;)┌そんな理由があるのかもしれません。
ところでいつもお伺いばかりしてすみません。和裁はどういった所で習ったらいいでしょうか?といっても 勤めがあるのでナカナカ時間が取れません。目標は「単衣」ですが・・・果てしない道のりのようです(小学生高学年(110~150cm)姪の夏のワンピース等はもう7年で20枚ほど縫った実績はあるのですが・・・和裁は発想自体が違いますよね)
一応、カルチャースクールを考えておりますが。足跡残して頂ければと思います。
すみません、リアルショップを開くのは
たぶんあと10年かかると思いますー。
とりあえずHPだけで・・。ゴメンナサイね!
今月中にはなんとか開設の予定です。
和裁教室ですが、りこ様の方にコメント
書かせていただきますね。
誰だったか、有名女優が黄八丈(鳶八だったかも)を着ていったら、財界の大物から「そんな普段着を」と鼻白まれた、と書いていました。
後染めの紬ならいい、とか色々言いますが・・・
紬の中で、たぶんランクが出来て定着するんだと思うんです。これは普段着、これは訪問着でもOKっていう風に。
徐々になるかもしれないし、あれよあれよとそうなるかもしれませんね。
生物の進化もだんだんになるのではなくて、一気に進みますから。
革新とは怒涛のように進むものなので、業界の仕掛けではなくて、消費者のニーズが強ければ、どっぱーんと行くかも。
極端な例が、茶道においては、形そのものを重要視する哲学ですから、色々の形にはまったお手前があり、そのいちいちをあえて踏襲する事で精神的な安らぎや喜びを得る訳ですから、これは文句なしに着物の格も形にはめなければいけない訳です。特に男性がそうですが、いわば着物も重要な因子なのです。
最近話題に取り上げられる事に浴衣の着方がありますよね?
私の若い頃は、浴衣は湯上がりに着る物で、出かけるにしても、せいぜい近所の買い物や盆踊りに行く程度だったのが、最近では電車に乗って遠出をしたり、長襦袢を着て足袋を履いて観劇や行楽に出かけるそうです。歌舞伎座自身が「浴衣でお出かけください」と宣伝してるそうですから、そういう時代なのかとも思いますが、それでも私には抵抗があります。(古い人間ですから(笑))
話が広がり過ぎちゃいそうなので止めますが、私のような世俗的な大衆文化にどっぷり浸かった男にとっては、木綿と紬で過ごす日々でしかないので気楽ですが、その点、女性は色々とお悩みの日々が続きますよね?ご苦労様です!(笑)
「そんなことと言うのは古い」と一蹴するのはカンタンなんですが、そうしちゃっていいのかな・・というのが着物の世界です。自然な流れの中で徐々に部分的にかわっていくなら、それは必要な変化かとも思えるのですが、知らない状態で「きれい・ステキ」だけで変えてしまうと、やっぱり「壊れる」方に進むと思うんですよね。今どっぱーんと行くとしたら、それは古いものが形を変えるのではなく、全く新しい価値観で進むということだと思います。何がいいのか悪いのかは、誰にもきめられないことですが、日本人は着物の素材一つ柄ひとつで、相手を敬ったり礼を尽くしたり
という、奥ゆかしさを大事にする民族だということは、忘れられたくないと思うのですよ。
千兵衛様
着物の格は面倒だというけれど、じゃあイブニングドレスにGジャンひっかけて友人の結婚式にでるかといったら、芸能人ならやるかもねーで、一般の人ならただの非常識ですよね。洋服になぞらえて考えるとわかることって、いっぱいあると思うんですけど。
ゆかたで電車、今は「花火大会」だのお祭りだのが「おらが村さ」でやらないから、そういうこともおこってくるし、また「それでもいいんですよ」なんて、物分りのいいことを言う人もいますが、私も自分は浴衣で電車に乗って「ヨコハマ」へってのは、イヤですね。年齢的にも同じ木綿でも「単の着物」がせいぜいですかねぇ。
さて紬の訪問着。
どこかの着物サイトで、どこかの着物専門家?が、大島紬は奄美で花嫁衣裳だったから、結婚式に礼装として着てもいいだろうと書いておられました。でも、それは大島の話。実際着ていけば、白い眼でみられるかもしれないし、京都だったりしたら、それこそ…。
私はあまり染め紬というものは好きではないので、いただいた一枚しかありません。紬は紬らしいのが好きですね。紬には紬の楽しさがあると思います。
ほんとになんでもありきで、驚きの連続です。
この間皆さん礼装で来られたパーティで、ポリの矢絣柄の浴衣を単のように着ているお嬢さんがいました。お直し隊ならぬおばさまに何か言われたらしく、「私はこれが好きだから着てるんです。礼装なんてめんどくさいだけです。そんなこというと嫌われますよ」という声が聞こえました(唖然…)。ある披露宴では、真っ赤のロングドレス!を着ていた人がいましたが、やはり誰かにいわれたとかで、「私は赤を着ている時が一番綺麗なんです。どこがいけないんですか」と仰ったそうです。お母さんは何もいわないのだろうか。礼ってなんだろう。何がなんだかわかんない世の中であります。恥の感覚はどこへ。
なんというか・・・傍観者ですね。
いずれ時代が決めていくだろう、という感じです。
自分で買うかといえば・・・買わないです。今の私にはそもそも訪問着が必要ないし(初釜の時とおさらい会くらいです)・・・
たぶん、着物を文化と取るか、ファッションと取るかで物言いが違ってくるのだと思います。
私の場合は、普段着はファッション。ちょいと改まれば、文化です。
この話題(TPO)って、どこのサイトでも盛り上がりますね。
着物初心者や若い人が集まるサイトでも、喧々囂々になるんです。それだけ、今、価値観が揺れているのかもしれません。