ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

オリ・パラ 記念切手帳

2021-07-16 00:26:39 | つれづれ

 

1年遅れではありますが、表記は変わることなく「2020」です。

広げると切手シートが3枚入っています。すべて「種目」の切手。

広げると横に長すぎてよくわからないので、開いたところです。

次の写真は、これが入っているセロファンの袋の裏にある中身説明の写真。

上の段が「表側」で、青がオリンピック、赤がパラリンピック。

下段が全部開いた内側です。

 

     

 

左側の「国立競技場」部分の拡大。500円切手になってますが、もったいなくて使えませんね。

 

     

 

台紙がしっかりしているので、保管はしやすそうです。

「記念硬貨」とか「記念切手」とか、コレクターもいますけれど、

私はあまりこだわりはありません。じゃ、なぜ買ったの?…ですが、

これはいとこのお孫ちゃんたちのため。ちと早いけどクリスマスのプレゼントがわり。

 

たまたま今回は、2回目の東京大会となったわけですが、1回目の東京大会、私は中学生でした。

思い起こせば60年と少し前のこと。あららぁ年取ったわぁ。

当時はやっと各家庭にテレビが普及した時代です。もちろんモノクロ。

テレビの放映も今みたいに派手ではありませんでしたけれど、とりあえず私たちは毎日のように、

何々の種目の誰が素敵だとか、そんな話でもりあがっていましたっけ。

東京大会と言えば「東洋の魔女」とか「アベベと円谷」とか、何かと話題になる選手もいましたが、

私と友人は、アメリカの水泳選手「ドン・ショランダー」に一目ぼれ?でした。

当時はモノクロでしたから、あとになって水泳パンツの色がアメリカ国旗の赤と白の縞模様と知って、

「なんかパジャマみたい」なんぞと思ったものです。

 

さて、それではそのあとのオリンピックの記憶は、と言えば…そんなにはないんですよね。

開催地が東京以外であり、今のように放送技術が進んでいなかった時代は、

リアルタイムでのテレビ観戦も無理だったし…。

なにより、自分の暮らし、つまり人生の「そのころ」は、自分の仕事や結婚、子育てなど、

日々の暮らしに気を取られていて、じっくりと記憶するほどの関心事ではなかった気がします。

なにしろ、東京の後の開催がメキシコだったことはかろうじて覚えていたものの、

そのあとは?と言われると、出てきません。そしてそのあとぱっと思い出すのは、

息子が生まれた年の「ロサンゼルス大会」、生まれてすぐの大会だったから覚えているわけで…。

この年から民間資金が入って、ショーのような派手な開会式だったこともあってけっこう覚えています。

 

いまさらのように思い出してみると、中学生のころは、世間も知らないのんきな状況でしたが、

それでも大会のために東京で大規模な工事があちこちで行われ、首都高ができ、

あの面白いカタチの国立競技場に驚きました。武道館は、大会の武道のために作られたものですが、

あの法隆寺の夢殿を模したという八角の建物は日本古来の武道のための会館として建築され、

杮落としがオリンピック大会。確かあの年から柔道が正式種目になったのでした。

2年後のビートルズの日本初公演も有名です。私も行きたかったです。

国や武道関係のお偉い方々は、音楽の会場にするなんぞけしからん、と、反対なさったそうですが、

結局やってみたらその後は多用されて、私が成人したころにはコンサートの聖地みたいになりましたね。

それは今でも変わらない…。

 

ロサンゼルスの次のソウル大会では、フローレンス・ジョイナーという黒人女性が、とても華やかで

記録やメダルの数よりも、ハデなメイクや長く伸ばした爪のきれいなマニキュアが

印象に残っています。あの爪の長さでよくまぁ着替えやお化粧ができるものだと感心した…なんて

ヘンなことを覚えています。いまでいう「ネイルアート」ですけれど、1988年にアレ…。

ネイルアートなんて最近のことだと思っていたんですけれど、歴史は古い?のですね。

ものすごい筋肉質と低い声で、ずっとドーピングのうわさが消えませんでした。

派手なメイクや衣装、おしゃれは、女っぽく見せるためのものとも言われました。

40才前に急逝なさいましたが、ドーピングの疑いは今でもまだ晴れていませんね。

 

ドーピングも、いまだになくなりません。そんなにまでして勝たないかんのか…と、

そんな風にも思いますが、オリンピックは特別で、国の威信をかけて、とか、

栄光をつかめば一生セレブ、とか…そんなことが優先されて、

人生まで壊してしまうようなこともある…そんなあまり聞きたくはない話も実際にある、

そんなことがわかってきたのも大人になってから。

 

こうしてみると、オリンピックは(どこの都市の開催であっても)、その頃のアレコレが

垣間見える貴重な「記憶」だという気がします。

ただ、これもこの年になったからこそ「あの時代は…」と思うのであって、

まだ子供だったり若かったりすると、その時はさほどの感慨もないものです。

それで私はいとこの孫ちゃんたち、まだ高校生中学生、下はまだまだ年齢ヒトケタ、

そんなお子達に思い出作りのきっかけになればと思って…。

元々、孫の中で空手をやっているのがいて、かなりの実力がありながら年齢が足らず、

せめて一家で東京まで空手の試合を見に行く、といっていたのにそれもかなわず…。

思い出したくもない大会なのかもしれません。

それでも彼らが40代50代になったり、子供や孫ができたときに、

オリンピックがあるたびに「東京のときはコロナでね」と、切手帳を広げながら、

残念な思い出だとしても、話ができたらな、とおもうのです。

今、こんな状態でまだまだコロナに振り回され、いったいいつになったらコロナとの関係が

落ち着くのかすら霧の中ですが、いつかインフルエンザと同じような対処ができるとか、

そんな風に変わっていくのでしょう。

今のおちびさんたちが人の子の親になるころには、どんな世の中になっているのか、

私には見ることのできない世界です。

 

自分だけの独りよがりな感傷…と言えなくもないのですが、東京での残念な大会が、

長い時間が経って、どんな大会として記憶されるのか、その時に自分は何をしていたか、

世の中がどんなだったか…そんなことを思い出すのもまた一興、などと思っているのです。

一冊1万円…なのでさすがに「一家に一冊」にさせてもらいました。

発売数も限定だそうで、すでにオークションでは12500円で売られていました。

あーこれもいずれは思い出話でしょうねぇ。

みんな喜んでくれるかなぁ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 赤いダイヤ…じゃなくて | トップ | ドタバタ五輪、ですねぇ。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

つれづれ」カテゴリの最新記事