いきなり3枚…きました。喪中はがきをいただくと、やっぱりさみしいなと思います。
来たのは私の友人3人、いずれも親御さんとお舅お姑さん…。
まぁ60過ぎればしかたのないことですし、いただいたおハガキでは故人となられたみなさんもうすぐ90才…
長寿でいらしたのだし…と思ってはみますけれど、なんとなくため息が出ます。
実は、昨日も別の訃報を耳にしたのですが…。実の母親が亡くなった、古い友人からの電話でした。
まずは「葬儀ってひとつずつお金がかかるのよね」、普通のことだと思いますが。
「戒名料聞いたら40万だっていうから、うちは神教だから戒名はいらないと断ったの。
おかげで15万ですんだ…」。でも、葬儀は仏式でやるのですよ。神教だというなら神式でしょう。
「親戚が遠いし高齢者が多いので、来てもらうの大変だから家族葬にしたの」。
それは別にいいと思います。来る人が多けりゃいいってもんでもありませんから。
でも「姉妹二人でやるから、お通夜もナシ、告別式当日二人で行って斎場行って終わりなの」…。
聞けば生まれたときから暮らしている町内にも誰にも知らせていないのだとか。
葬儀のやり方は多様化しています。お金の問題もあるでしょう。
それはおかしい、それはひどい…そんなことを言う権利はありません。
それでも…経帷子も着せず、いつも散歩の時に来ていたのが好きだったから…と、
ズボンとセーターで納棺したとか。
葬儀やさんの式典リストの中には、当然「経帷子」など、旅立ちの支度一式というのがあります。
きっとそれも断ったのでしょう。本人が好きだったものは、あとからお棺に入れてあげるものです。
私の母の時はどうだったかと聞かれたので、私は親の経帷子をひそかに作っておいたので、
それを着せて、好きだった紬と、一番好きだと言っていた帯をいれた、というと
突然「私も母の着物を入れてあげたいけど、介護用ベッドが動かせなくて出せなくて…」。
介護用ベッドなんて、電話かけたら翌日取りに来てくれます。
言い訳ばっかりが並ぶようで、こんなひとだったかしら…と悲しくなりました。
何十年もお会いしていなかったけれど、私の記憶の中に残っている彼女のお母様はいつも着物でした。
田舎のおばちゃん、というイメージでしたので、決して粋な着物姿ではなかったけれど、
いつも着物にひっぱりや羽織で、寒い時は首にスカーフを巻いてました。
セーターにズボンという姿が想像できなくて…。
人は自分の最後は何もできません。お棺に入れるときはこれを着せてね、と頼んでおいたって、
ほんとにそうしてもらえるかどうかはわかりません。
そこは「信頼」あるのみです。たとえ何もいわなかったとしても、自分の親なら、最後の旅立ち、
ないわけではないのに、お金をケチってお通夜もない葬儀で送ること、後悔しなきゃいいですが。
96歳まで頑張ってた「おばさん」、昔々は家に泊めてもらったりして、
いろいろお世話になりました。どうか天国でおじさんと仲良くしてください。
二人だけの見送りで旅立つなんて
寂し過ぎますね。
お金を掛ければいいってものではないけれど
せめて心がいっぱいこもっていたと思いたい
ですね。
基本的な知識がないので偉そうなことは言えませんが、長い歴史の中で培われてきた葬送の儀式の一つ一つに故人を敬って、極楽浄土へ(神式やキリスト教徒はべつか…)無事に辿り着けるように願って心を込めて行うものです。
他所のお話とはいえ、本当に寂しく感じました。
きっと、お母様のお友達やご親戚は後から知って悲しまれることでしょうね。
今の時代、孤独死でだれに看取られる事も無くお亡くなりになる方もたくさんいる中で、手厚い介護の後に亡くなられて事が救い…かなぁ。
普段着でなんかお棺に入りたくないので、自分の時は葬儀のお金と、一緒に入れてもらう着物ぐらいはちゃんと残しておかなくちゃ!!!
数年前に母を送って思うのは、生前に「長生きしてね」と言えなかったことの後悔です。
古い友達ですから、あまりわるいことは思いたくも
言いたくもないとはおもうのですが、
昔、とても贅沢な旅行や買い物をしたりして、
けっこうお金を使う人だったのです。
なんだかちょっと信じられなくて。
気持ちだけはいっぱい…と信じたいですね。
豪華にしなさいとは言いませんが、
他にも限度を超えているような話ばかりが続いて、
なんだか嫌な気分になりました。
確かに家で看取ったのですが、
ずっと家で見ていたわけではないし…。
古い友人なので、よっぽど少しだけでも
言ってやろうかともおもったのですが、
どうにも口を出せない領分で…。
なんだか切なかったです。
死んでみなければ「死んだ側」のことはわかりませんが、
少なくとも、遺った者は、送る側として、
できるだけのことをと、そう思うものだと思います。
ずいぶんな長電話になったのですが、
そのときも、あれっ最初に言ったことと違うよ…
と思ったことなどもあって、妙な気持でした。
人は年月でかわるのですかねぇ。