まずは例の「鉄塔」、こんな風に「ぬぎぬぎ」が始まりました。
一日がかり・・とおもっていたのですが、けっこう早くて、
3時間くらいでしたか、こうなりました。
よく見ると、「たて」の布はやはり全部つながっているんですね。
うまくたためるように、当然いろいろな工夫がしてあるとは思いますが、
それにしても、あんな大きなものに着せて脱がせて・・は、
やっぱりたいへんなことだと思います。軽くて破れず、カンタンに操作できる
そういうものを考えた人に、やっぱり脱帽です。
次に、私のおひなさま。
なぜ「おかっぱ」で、ビラビラのついた冠なのか、
毛が糸髪ではなく「塗り」なのか・・。これについては、
株式会社大進さまというところのHPに「質問」コーナーがありましたので
これはもうプロの方に伺ってみよう・・とメールで質問させていただきました。
今日、わざわざ直接お電話を頂きまして、やっとわかりました。
こちらが、そのHPのアドレスです。
お雛様ゲームがあって、お雛様の置き場所を勉強できまっせ!
http://www.hinaningyou.jp/index.html
そのお電話のお話しによりますと、このおひなさまの作られたその時代の
小さい「木目込み」はみんなこういう髪型なのだそうです。
理由としては、当時の技術では小さすぎて「糸髪」を使うことが難しく、
高級木目込み以外は、みな「塗り」の頭だったのだそうです。
そして、まぁその「さびしー」ところをカバーするためもあってでしょうか
冠は、写真のような華やかなものにするのが通常だったと・・。
男雛の方は、そのまま大人の男性の姿で、このアンバランスは
まぁしかたのないものといいますか、それがスタンダードとされた・・・
ということだそうです。確かに、どー考えても「高級品」を買っていただける
お家柄ではございませんでしたから・・ははは。
それにしても、古いお雛様を見る機会というのがあまりなく、
ましてこう小さいものは、もうないのでしょうか、
これと同じおつむりのおひなさまは、まだ見たことがありません。
とりあえず、時代を語るもの・・としても、大切にしていきたいと思っています。
大進の係りのかた、ありがとうございました。
というわけで、後日談ふたつでした。
本日、時間がありましたら、もう一本書く予定です。
眠気に負けたらゴメンナサイです。
土雛でよろしければ、お茶のお稽古のところに飾られるお雛様、大正時代か、昭和初めのものだと思います。
土曜日お稽古にいって写真撮らせてもらって、お送りいたしましょう。
現代のものとは随分違うのです。
お雛様になると、俄然元気がでてくるのです。
いろいろお世話になります。
お雛様は、ほんとにいいものですね。
私、仕事でお雛様毎年作るのですが、
今年はまにあいそうにありません。
それでも一つくらい作って3月3日に
アップしたいなぁと思っています。
http://umacco3.exblog.jp/3516244/
大きさは一人分が手のひら一杯またはちょっとはみ出すくらいのサイズです。
私の友人も形や色がよく似ていて、ただし、
私のおひな様の菱餅くらいの大きさのおひな様を持っていました。
ひょっとすると3つとも近い時代のおひな様かもしれませんね。
ふっくらとしたいいお顔ですね!
私のはてのひらで両方のりますから・・
いえ、並べたら4個はのるというチビちゃんです。
大事にして、伝えたいもののひとつですね。
この頃はみんなこうだったのかも・・。
そういえば7段飾りとって、お金持ちの子しか
持ってなかったと思います。
お医者さんの娘さんとか・・。
でも、小さいから残ってきたのかもしれませんね。
大事にしましょうね。
私は5人姉妹の真ん中ですが1番上の姉が
男の子みたいに何でもこわしてしまうので
お雛様は家にありませんでした。
母が言うには木で出来た積み木だけは壊さなかった
そうです。手作りの人形を飾ってもらった記憶は
ありますが、本当は貧乏だったんでしょうね。
こんな話をしていたら娘の初節句に買って貰った
お雛様飾らないと・・・と思いました。
二月生まれ、ある人形屋ではもうお雛様商戦晩期に。あまりに高価で大きすぎて出なかったんですが、もう晩期ですので・・・という言葉に親はほだされ、きれいな雛の顔、初孫に似ている(そりゃ思いすぎだってば)張り切って買ってくれました。
座敷10畳一杯のもの、有職故実にのっとって、花は雲上流なんて紙が入ってます。
さて私の孫、ここは親のように張り切ってと思ったのに、娘夫婦はマンション住まい、大きい親王飾りだけにしました。残念な思いはありますが、しかたなし。
4代のお雛様ありますが、時代をうつしています。
だからよけいお雛様にひかれるのです。
間違いました。
私も結婚するとき持ってきて、最初は面倒で・・。
でも母に「お雛様は必ず飾れ、元はといえば
身代わりになってくれるものなんだから」と、
いわれましてね、つまりは昔、穢れを移して
川に流すものだった「形代」がお雛様なのだから、
という意味だったんですね。母がどうしてそれを
知っていたのかわかりませんが、
「子供を守るもの、身代わりになってくれるもの」
そういうことから感謝をこめて「だしなさい」と
そういわれました。必ず「お供えをせよ」とも。
下戸の私は「甘酒」はお供えしないんですが、
雛あられや桜餅は飾ります。とーぜん全て、
私のおなかにはいりますが・・。
蜆子様
時代を反映するものとしては、ならべたら一目瞭然
かもしれませんね。
それぞれの時代の特徴があっておもしろいでしょう。
私の娘時代は「団地暮らし」が多くなって
「ガラスケース入り」って言うのがたくさん
でていましたね。友人の家では、娘さんのが
「しまうところないから」と、一年中出しっぱなし。
「嫁にいかれないかもね、この子」なんて
のんきなこといってました。