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無関係画像ですみません。
以前ご紹介した「夕顔」、花の写真をすっかり忘れておりまして…。
こんなに優雅な花が咲きました。大きくてたおやかで…朝顔とはまた違った風情です。
いとこに「来年も咲かせたい」と言ったら「大きな種ができる」と教えてくれました。
ところが…いつまでたっても枯れた花の根元に種がてきません。
そのうちひとつだけ、種らしきものができたのがこちら。
まぁホンマに大きいです。くびれたところから先だけで、私の親指の先くらいあります。
大切にして、来年また咲かせたいです。
さて…今日は9月1日、防災の日、です。
我が家も、あれこれ防災用品の確認をボチボチやってます。
おとといの迷走台風は、当たらなくてもいいのに予想通りに東北に上陸しました。
自然の現象なんですから、なんで?…と文句を言っても仕方ないのですが、
まぁあちこちにひどい爪痕を残し、とてつもなく早い逃げ足で去っていきました。
朝になってからの被害のニュースは、もう唖然茫然です。
それでなくても、前の台風の雨が続いた後ですから、もうダブル・トリプル・パンチ…です。
昔々の子供のころの台風を思い出してみました。
1959年、伊勢湾台風で、5000人もの死者が出ました。
学校で「被災者のための募金」とかなんとか、話し合った気がします。当時私は9歳。
このころの「予報」は、台風がかなり近づいてからでないとできませんでした。
伊勢湾台風の甚大な被害を受けて「もっと早く台風の動きを察知するために」と、
計画・設置されたのが「富士山レーダー」です。
おかげで、今までより早く、正確に台風の位置を知ることができるようになりました。
設置は1964年ですから、私は中学生になっていたわけです。
レーダーがなかったころ…一応「台風がきます」という予報は出ていたわけですが、
情報は少なく、とにかくすぐそばにきてからでしたから、備えるのもあわただしかったと記憶します。
学校は「明日はお休みです」となりました。
台風前日は、それぞれの家で「備え」に入ります。
我が家は木造の市営住宅でしたから、とりあえず「雨戸」はありましたが、
雨戸のない小さな窓には、内側から新聞紙などをあてがったり、
近くの家では、窓の表に板を打ち付けたり…。
母は外を歩き回って、飛んでいきそうなものを固定したり、植木に添え木をしたり、
勝手口には、鉢植えが避難してましたっけ。
夕食は早めに「おにぎり・味噌汁・煮物・つけもの」くらいで、チャッチャと食べ終え、
そのあと母は、鍋、釜、やかん総動員で「飲み水」を確保しました。
断水もあり得たからです。
父は、テレビのアンテナがダメになった時、あるいは停電に備えて、
小さなラジオを点検し、ろうそくや懐中電灯を出してました。
子供は早く寝なさい・・・で、枕元に着替えもランドセルも全部用意して寝ましたが、
子供ってそういう時、なんかワクワクするんですよね。
ちっとも寝付けなくて、隣の部屋で両親がテレビやラジオの台風情報を聞きながら、
なにやらごそごそ話しているのが気になって、しっかり耳ダンボ状態。
結局そのうち寝てしまい、夜のうちに台風が過ぎたときなどは、
翌日の晴天に「なぁんだ、終わっちゃったのかぁ」と、のんきなものでした。
気象に関する研究は飛躍的に進化し、情報も予報も格段に詳細になりました。
なにしろ宇宙からのデータがあるのですからねぇ。
台風が発生した、どころか「しそうだ」から始まるわけで、日本に近づいてくると、
細かいデータも発表されます。ただ、それでも相手は自然のもの、予報はあくまで予報ですから、
「~と思われます」「~となりそうです」ではありますが、明日来るらしい…よりはよっぽど正確です。
ただ、どうしたことか、これだけ情報が出ていても、なんで備えないかなぁと思うこともいろいろです。
昔と比べれば、天気予報だけでなく、暮らし方も様々な道具もその価値も、
いろいろなことが随分と変わっています。
朝、今日は夕方降るかもと、予報が出ても、傘を持たずに出る人もいます。
降られたらコンビニで買えばいいや…でしょうか。500円くらいで買えますからねぇ。
昔「傘」は貴重品の一つでした。なくしたりしたら、そりゃもぉぉぉ…母が鬼さんになりましたがな。
だからこそ大切にしていましたし、子供のころ、月に何度か「傘直し」のおじさんが町内を回っていました。
なんだったか…「○△#&~~ こぉぉもりー直しっ」と、そう声を上げながら。
台風や大雨の後は稼ぎ時、骨が折れたり曲がったり、生地が外れたりしたものを、
縁先で座って、細かい道具を並べながら、しっかり元の通りに戻してくれましたっけ。
アスファルト道路ばかりになり、バスや電車の交通網が発達し、地下街やアーケードもあり…
なので、雪の日でも「雪支度」をしない人も良く見ます。
ちょっとの距離しか歩かないから…と、雪の中を普段の革靴でソロソロと歩いていたり、
アスファルトを自転車で走ったり…転ばないさ、きっと…という「予報」を自分で出してる?
今回の北海道では、川のそばの老人施設で、9人もの方が亡くなられました。
あれほど「北へ行く。前の大雨で地盤が緩んでる。川は急に増水する」と、テレビで言っていたのに、
なんで早めに避難しておかなかったのでしょう。
あっという間に水が…と言ってましたが、水が来る前に「来るかもしれない」と思うことが防災だと思うわけです。
大量の雨が降れば、川の増水は「それより後」にきます。毎日川の状態を知っておけば…と、
そう思うことは、現場にいないからそんなことが言えると、言われてしまうでしょうか。
テレビで「東北や北海道は、こんなふうに直接上陸を経験していませんから、予測不能だったのかも」と、
どこかの先生がおっしゃっていました。確かにそういう面もあったかもしれません。
でも、それなら何のための「予報」?あんまりしつこく「こうなるかも、こうなるかも」と言われ続けると、
逆に緊張感なくなるのでしょうか。
人間っておかしなものですよね。
情報がロクになかった時代は、来るかどうかわからないけど、いえ、わからないからこそ、
あれこれ用心して、今なら大げさと思えるほど備えました。
実際、いまより停電も断水も、台風と言ったら起きることでしたし、
まだアスファルトでない道も多くありましたから、雨の日に長靴は当たり前でした。
いろんな情報が多く出るようになったら、なぜか何もしなくなった?
東北の震災のとき、津波について「津波てんでんこ」という言葉を実践して助かった人がいて、
また「ここより先に家を建ててはならぬ」という、先人の残した石碑通りに、
家を建てていなかったので、津波被害を免れた地域がありました。
大事なことは、変わらないと思うのです。
そして、もっと大事なことは、予報が外れて「なーんだ、たいしたことなかったじゃないか」というのは、
実はとてもありがたいことだということです。せっせと避難所に避難したのに、
なんか雨ふっただけでおわっちゃったね…だったら、そんないいことはない、ということです。
防災用品は、一度も使われないまま古びて使えなくなったら、
それは無事のあかしで、ムダではなく、宝物であるということです。
あまりにもひどい北国の状況に、自然には逆らえない、と思うと同時に、
もしかしたら救える命があったのでは…と、そんなことも考えて、溜息ついた私です。
文明が発達しすぎて、ある意味、想像する力が衰えてきているのかもしれないと。。。
経験したことのないことが起きるって、自分の想像力をはるかに超えたことが起きるってことですものね。
政府のいうところの想定外?というやつ??
つまり、その程度しか想像できないってことなのでしょうけれど。。。
災害に対して、一番考えなければならないのは、最悪の状況なはずなのに。。。
しかし、準備万端整えていたら、ほんと左程のことはなかったなんて結構あったりして、それを運が良かったととらえず、この程度かと思ってしまうと、次回からは。。。
それでも、やっぱり備えあれば憂い無しなのだと思います。まさかこんなことが。。ということにならないためにも。。
避難する時間があるにもかかわらず、避難しなかったがために被った災害や準備をすることで回避できたであろう災害は、ほんと、人災と何ら変わらない。。
ほんと、悲しいです。
私は、
災害ではないけれど、一瞬で殺人鬼と化す車の運転をしていても、無事に帰ってこれた有難さに。。感謝してますから。。
運転が。。。荒いので←"(-""-)"オイオイ
あの「避難勧告」とかそういったものは、やたらと出して
出すほどのことはなかった…となると、それはそれで
また責任問題になったり…。
だから「出すのにギリギリまで迷う」なんてことも、
あるのではないかと思っています。
確かに、避難所を用意するのも、お金がかかることですから。
私、避難勧告なんて出るの出たの言ってないで、
自分の判断で動くことが大事じゃないかって
いつも思います。
時々いますよね。「早めに来たんです」なんていう人。
「なぁんだ」で終わったらいいことですもの。
私は、運転が荒いのではなくヘタなので、
よけいに「あぁ無事で帰れたー」と思ってます。
この前、自分の家のカーポートの壁と、
ちょっと意見が合わなくて、ゴンッといやな音が…。
あんたずっとそこにいた?なんて。