昨日書きましたように、今日こそ「本」を見てのお話です。
トップは中の一枚、芸者さんってほんとなで肩…。
それと、どうしても話が(いつも以上に)長くなりそうなので本日はパート1の予定です。
昨日の本、もう一度アップで…表紙が「芸者さんの足元」。足が片方ってのがちとアンバランスですが…。
トップ写真の左側の着物の前ですね。ちなみに大阪 大和屋のみさをさん、だそうです。
とりあえず、本のご紹介ですが、編著は「福田勝治」氏、この方は明治生まれのカメラマンですが、
「女の写し方」という本を出したくらい「女性の美」を追求したかたです。
その人が、この本の表紙の裏に一文を寄せています。抜粋ですが
「美しいきものこそ、私たち日本人の誇りにしたいものの一つでありましょう。
祖先から承けついだこの美しいきものには、日本人の体温が宿っていることを忘れてはなりません」
私はこの「日本人の体温」という表現が好きです。
この本が出版されたのは、26年ですから戦後6年目です。私は25年生まれですから、
戦後の10数年の記憶はありませんで、もっぱら聞くか読むかの情報です。
今までにも書いてきていますが、着物が廃れた理由の大きなもののひとつが「戦争」です。
実際の戦争の前から中国との関係などで、軍部の締め付けは始まり、やがて太平洋戦争…。
その間「贅沢は敵」「華美にしてはならぬ」「娯楽など不謹慎」と、
年頃といえどもファッションを楽しむこともできなくなっていったわけです。
母がちょうどその年代で若いミソラで「ジミに」「質素に」「きものではなくもんぺで」…の暮らしでした。
戦前、戦中に着物から離れ、戦後日本人は活動的な洋風文化に傾倒していきました。
母の時代の人は、まだ自分で着物を縫えたし着られましたが、
その年代の人たち以降が洋服を日常着とし、着物は特別のときだけになりました。
そして、生まれた子供たち、つまり私の年代には「着物の全て」を伝えてもらえなかったのです。
この本に限らず、戦後10年くらいの本には、必ずといっていいほど「最近の若い人は着物を着なくなった」と
書いてあります。そのころの若い人、が母の年代です。昭和26年、母は28歳です。
確かに、私の記憶の中でも、母が30代のころ、近所のおばさんおばあちゃんは着ていましたが、
周囲で母と同じ年代から下の人は、着物を日常的に着ることが少なかったです。
たまたま私の場合は、母が着物好きであったことで、着物が身近にありましから伝えてもらえたわけです。
その私の年代が、子供が生まれても母親から教わっていないから伝えることができない、
そしてその子供が、また次の子供に伝えることができないまま、今に至るわけです。
私の同年代の友人で着物が着られるのは、そういう環境にあった(稽古事や母親が伝えたなど)以外は
「習いに行った」です。つまり「着付け教室」ですね。
この「着付け教室」が一時期(今でも?)、着物を買わされるとか、その教室独特の道具を買わされるとか、
そんなことをよく耳にしました。その道具がないとお太鼓が締められない、着物をお付き合いでかわなければならない。
それがだんだん問題になってきて、最近は「無料」なんていうところもありますね。
この「着方」を教えるところが出てきてから、着物の着方は「こうするもの」「こうでなければ」が
だんだん増えてきたように思います。最近の「着物教室」のCMを見ると、一律みんな同じに見えます。
着物の着方は、ごく基本的なことを除いて、あとはいろいろ自由なところがたくさんあるわけです。
やっと本の内容です。この本の最初に説明があります。
「この本の写真は、特別にお髪をあげたり着付けをしたり気取ったものは一枚もありません。
全てご自分のお好きなきもので、日常生活のありのままの姿で撮ったものであります」
着物を着ることが減っていたとはいえ、まだまだ暮らしの中での着物はいまよりずっと見られた時代です。
その中で、自分流で着ている姿というわけですから、貴重だと思います。
最初の一枚は「船場のいとはん」、つまり大阪の大きなお店のお嬢さんですね。
あ…先にお話しておきます。帯締めがベルトのように太いとか、
帯揚げがブワンと出ているとかは、当時の「当たり前」ですので…。
小紋の裾裏、まだ「ぼかしの八掛」ではないですね。小紋だから気楽にゲタ、です。
娘さんですから衿の抜き加減も衿合わせも控えめです。
お次は、ダレでしょう…武原はんさんです。さすがですね。
着丈が長いです。ついでに、おはしょりもちっと長めなの、見えます?
そして、これは珍しいと思います。「紬屋吉平夫人」です。
さすがにこれは「訪問着・帯・羽織」全部紬だそうです。
半衿が多めに出て、首から離れているのがわかりますか?
このかた、たぶん私と同じで「クビが短い」はずです。
それと江戸前…と紬であることからでしょうか、着付けが短いですね。
上の「はんさん」と比べると、足袋の見える分量がずいぶん違います。
こちら、私結構ホレてるんですが、このかたは江戸文化研究の「宮川曼魚」氏のお嬢さん。
対丈かと思うような着方ですが、柄とあいまって、なんかステキ…。
わずかに見えている半衿が、白じゃないところもいいなぁ。
着物は藍に白抜きの十字絣、帯は朱、白、茶の博多、帯締めは紫だそうです。
そして私がオーーと思ったのがこちら、女優細川ちか子さん、私名前だけは知ってました。
これは黒の総絞りだそうです。帯は小豆紫。
残念ながら絞り特有の「ポッテリ」で、衿がきちんと納まっていないのですけれど
下半身の感じ、すごくこなれた感じがあるように思います。
帯締め、下ですよねぇ。
同じ細川さんですが、こちらは体ぴったり、下半身が大きい方のようですが、
上のすっきり感と帯の締め具合が「この人流」なのでしょう。
いかがですか?
写真はまだあるのですが、とりあえず「パート1」ということで、今日はここまでです。
着物の世界にも「流行」はあります。洋服のようなデザインの大きな変化はもちろんありませんが、
帯の締め方や、帯締めの太さ、締める位置、帯揚げの出し方、そういうものはいろいろです。
上の写真を見ただけでも、それぞれが「私はこういう衿の詰め方」「私はこういう半衿の出し方」
「こういう着物のときはこんな着方」「こういう帯のときはこんな帯締め」…と、
みなさんいろいろやってますよね。もちろん年齢や、その人のもつ雰囲気によっても違います。
自分を知らなければ、着こなすことも難しい…それは洋服もかわりません。
さて、どんな風に話が続くのか、私もまだ頭の中ゴチャってますが、
いいたいことはひとつ「着物は自由なもの」です。
違うものですねえ~~
面白い!!!
最近気になっていることは裄です。
近頃かなり長めですよね。洋服の影響だと誰かが書いていましたが、確かに長めの方が落ち着く感じがしますがこれはどう考えるべきなのでしょうか?
私の若い頃はもっと短かったーー「宮川曼魚」氏のお嬢さんも今の感じからすると短めのような気がしますが・・・・
一番上の「いとはん」、わかりづらいですが、
おそらく小紋は左の訪問着と比べて、裄がちと短いはず。
つまり「用途に合わせて」裄も変えてフシギはないんですね。
普段用の小紋や絣や木綿は裄が短い方が、動きやすいです。
安土桃山のころの小袖などは、袂がない上七分袖、って感じですよ。
着物で暮らさなくなって「着物は外出のオシャレ着」になってしまい、
なんでも長い方が優雅ということだと思います。
それと最近のお若い方は手足が長いので、裄短めだと、
普通サイズでもつんつるてんに見えますよね。
だから幅の広い反物もでているくらいで…。
いろんな理由があると思いますが、昭和30年代くらいまでは、どちらかというと礼装以外は短い感じだと思います。
いつも楽しく拝見&勉強させていただいています。
裄には私も悩まされています。
自分であつらえる実力がないもので、もっぱら母・祖母・親戚からのお下がりで楽しんでいますが、
全員私より背が高いにもかかわらず、裄が短いのです。
伸ばそうにも、昔の反物は幅が狭く、断念した着物も多いです。
正装は長め、普段着は短め、という知識は仕入れたのですが、
長襦袢との組み合わせを考えると、長さが違うのはやっかいです…。
本当は長襦袢も数を増やして、見えないおしゃれに凝りたいところですが、
お財布が許してくれません。
とんぼさんは古着も購入されるようですが、長襦袢とはどのように
折り合いをつけていらっしゃるのでしょうか?
教えていただければ幸いです。
私は幸いにもチビなので、裄は女並でだいたい合いますし、
直すのも可能なものが多いです。
ほとんどが「街着」用ですので、襦袢は二分式をよく使います。
絹の二分式も持っています。胴部分に羽二重など使ったもの…。
これはキレイな柄なのに、袖分くらいしかないときの常套手段。
裄がちと長いなんてときは、仕付け糸でちょこっとつまんでごまかすし、
普通のさらしの二分式などは、袖だけはずせるようなものも使います。
見えなきゃなんでもいい、とは申しませんが、全部そろえるのは大変ですから、
これは母から教わった「知恵」だと思っています。
逆に襦袢の裄が短いときは、袖幅の真ん中に足し布をします。
古着ではそういうものもよく見かけます。
オシャレって「手間をかけること」なんですね。
自分が思う着姿ってどんなものなのかまだ分からないけれど、こんな風に一人一人の姿がある世の中だったらどんなに素敵だろうと思います^^
続きも楽しみにしています。
追伸:件の着物の番組、終わりごろに島谷さんが「粋ですね」を繰り返したのが気になりました。粋って、そんな使い方かなぁ…と(ひねくれもんですみません
何度眺めても楽しいですよ。時間の経つのを忘れますー。
自分流…なんていわなくても、昔はみんな自分で
自分の着方を探っていたんですよね。
「粋」って言葉の意味を単に「かっこいい和風」くらいにしか、
とっていないんでしょうね。
私はあの島谷さんが、最初すぐ視線をはずして、
先生にきちんと対峙しないのが気になりました。
仕立てますが、お嫁に持ってきた着物は
袖丈も裄も色々、昔のノートを見て、
長襦袢も着物に合わせて
先生の言われるまましていました。
1尺5寸丈のお袖をじきに3寸に直した
記憶があります。
今のシワの無い着方と随分違いますね。
私もウールなどは、裄短めでした。
着物がオシャレにしか着られなくなって、
「応用編」がなくなっちゃったんですよね。
母はわざわざ、私と自分との区別だといって、
私のだけ全部袖丈を二分長くしたんですよ。
昔の着物や襦袢は、あ、長かったんだこれ、と
そのたびにめんどくさい思いをしています。
だらしないシワシワは嫌ですが、ものさしがはいってるみたいな
かっちりまっすぐは寂しい気がします。
いつも目いっぱい出して仕立てて貰っていましたが
それでも 腕がにょっきり
お淑やかにしていると良いのですが
地が出ると 腕が
袖丈は結婚前の小紋・訪問着などと
結婚時に持たせて貰った箪笥の肥やし着物など
種類によって 長さが51cm・54cm・56cm程
今は 裄70cm 袖丈51cmに統一していますが
70cm取れないお気に入りの反物は
出るだけ出来るだけとお願いしていますので
襦袢の裄を考えないといけない状態に陥っています
裄丈って体の大きさではないんですよね。
友人で、背は私と同じくらいなのに、
一人は腕が短くて、市販の服はいつも七分袖が長袖になる人と、
どれを着てもつんつるてんという人がいます。
二人ともいつも「不経済」とぼやいています。
たいへんですよね。
最近は、幅の広い反物が増えてきているそうですが。
袖丈も、ほんの1センチでも合わないものは合わない…で、
着るときになって気がついたりすると、がっかりですね。
体は標準、袖丈などは一律同じ…が理想?