mixiの方のニュース話題です。
ある中学で、授業参観日に50代のある担任教師が、有給休暇の届を出して欠席しました。
授業参観日は日曜日、これはよくありますね。働く保護者のために日曜にして、月曜を代休にする…。
さて、この「担任の先生」が休んだ理由は、NHKで生放送される「のど自慢」に参加するため…でした。
このニュースの取材で校長は
「教諭から日程が重なり心苦しいとも聞いたが、日ごろ仕事熱心な方から再度、
のど自慢への強い思いを伝えられた。都合がつく限り勤務するのは教職員として大事だが、気持ちをくんだ」
と、答えたとか。
私は、読んだときに「あらら、もう壊れてるねぇ」と思ったのですが、
実は、これについて「つぶやく」欄がありまして、やまほどのつぶやきがあります。
私は最初の50件くらいしか読んでいないのですが、ほとんどの人が
「何が悪いの?」「有給とったなら問題ない」「問題にする方がおかしい」…。
エスカレートしてくると「公僕は自由がないのか」とか「むしろ楽しんでテレビの前で
みんなで応援したらいい」…。
たまーにぽつんと、反対意見がありました。
私の年代では、そちらの方に共感したんですがねぇ。
「公僕は、私を優先すべきでない」というような…。
こういうことを許すから、教員がサラリーマン化する…という意見もありました。
今の時代「教師」はとっくに「聖職」などではない、と言われます。
熱血先生は珍しく、というより、昔当たり前だったタイプの先生が、今や熱血と言われてしまう、
しかもそうなると「叩かれる」…。
もう学校と縁が切れている私などが、あれこれ言うことではないと思いますが、
教師って、会社員とは違うという思いは今でもあります。
「人間」に対して「教育」ということをする仕事ですから。
まぁこういうことも、たぶん生徒たちは、さめた目でみるのでしょうね。
つぶやきの中には「中学なんだから、担任が授業をするわけではないだろうし、
副担任もいるのだからいいじゃないか」というものもありました。
気になったのは、この授業参観あと、PTA総会、学年別の教師と親の懇談会、とあったのです。
のど自慢大会のあと、この教師がかけつけて、総会や懇談会に間に合ったのかは不明ですが、
どれも「子供のことに係わる大切なこと」だと思うのです。
確かに、あののど自慢に出られるチャンスは、もう二度とないかもしれません。
その確率の方が高いでしょう。でも、それに出て、それを機会にプロデビューを考えて…
というような、その教師にとっての人生の一大事だったならともかく、
単に歌が好きで、みんなの前で思い切り歌いたい…だけだったら、
文化祭ででもソロデビューすりゃいいでしょう。
60代のオバサンとしての意見は
「のど自慢と、教育者としての仕事は、元々天秤にかけるべきものではない」です。
こんなことを書くと「古い」「頭が固い」、そういわれるのかもしれません。
でも「有給をちゃんととっている」とか「手続き上問題ない」とか「公務員だって自由がある」とか、
そういう言葉を見ると、手続きだけで測れるものではないものもあると思うし、
自由というのは、勝手とは違うと思います。
もしこれが、会社員で、当日お得意様との大切な会議があるのに…だったら、
しかもその人もプレゼンの予定があったとしたら…のど自慢行きますかね。
そういえば「これがオリンピックとか、何かの世界大会だったら、みんな喜んで
応援して送り出すよね。勝手だ」というような意見もありました。
のど自慢とオリンピックを同レベルで考えること自体、間違っています。
最近、いろんなことで「優先順位」のつけ方がおかしいと思うことがあります。
この教師が、鐘いくつ鳴らせたかはしりませんが、そんなにがまんできなかったのでしょうかねぇ。
今「がまんする」というと、なんだかものすごいことを考えてしまいますが、
私が若いころは、今ほど便利道具ばかりではありませんでしたから、
たとえば「ビデオデッキ」がなかったから、裏番組は見られなくて当たり前だったし、
その日仕事なら、見たくても見られない…休みの日に再放送してくれるのを祈るばかり。
ケータイもなかったから、電話したけりゃ公衆電話を探す。
ウォークマンが出るまでは、乗り物の中で、好きな音楽をステレオでなんて聞けませんでした。
せいぜいポケットラジオで、オジサンがイヤホン耳につっこんで競馬中継聞くくらい…。
「できない」ことが、いっぱいありました。たいしたことでなくても、我慢は今よりあった気がします。
なんでもできないことがない…みたいな今、のど自慢に出ない、という選択ができなかったことは、
「がまん」の枠が小さかったんだなぁとしか、思えないのです。ため息がたーっぷり出ました。
ちょっと考えられない。
私の子供の頃とは今は違うのだなあと思いました。
私の方も主人の方も教員や公務員とか多いのですが、
考え方が違うのですねえ。
最近のニュース余り観たくないんです。
ムカ!ときたり悲しくなったり。そんなのばかり多いようなきがして、チャンネルかえて現実逃避。
昨日の付け下げ、柄は良いのに残念。
どうリメイクされるのかしら。
押入れ片付けたら、ボロがあれこれ。今度こそ捨てなきゃ!と思いつつまた仕舞ってしまいました。
このままだとゴミ屋敷になりそう。
(私の子供の頃は・・・)なんて考えるから出来ないのよね。あ~ぁ。
あののど自慢には書類審査や予選があって
なかなか出られるものではないと聞いた事が
あります。
この有給休暇がのど自慢じゃなくご本人の結婚式
とかだったら問題にならなかったのかも・・ですが、
参観日と重なって問題になった事がお気の毒な
気がします。
文化が違う、と思っていましたが、
それが50代(一番偉い人の世代)になったんですね・・・
同じ日本人じゃない人々が世の中を動かしている・・・
江戸から東京になったとき・・・あるいは、
関ヶ原の後・・・・
ひょっとしてそれくらい時代が変わってきているんでしょうか。
若い人たちの間では
ゆとり世代とその上、あるいは、その下が、
やはり文化的に違う、という話をしていましたが、
なるほど・・・と思うことがいろいろありました。
別の国の人々になりつつある私は
どうしたもんだろうか・・・と、今考えているところです。
それにしても自分の代わりをする人がいる、
と考えるから休みが取れる、その教師は、
ある意味、不幸ですね。
自分は必要ないってことですからね。
それくらいやりがいの無い仕事をしているのは、
定年になっても転身が楽、つまり、
別の意味で幸せかもしれませんね。
いえいえ、賛成意見が多いってことは
それがフツーなんだから、
やはり、フツーがいい日本人としては幸せなんですね。
襤褸をまとい 親たちは食べるために一生懸命働きました。
街には 親を失った子供たちが 沢山いました。
蒸かしたお芋を食べるとき 母は家の中で食べるように きつく言っていました。
お昼の弁当のない子供に先生がそーと 分けているのもみました。
皆まじめに 何をするべきか 一生懸命に生きていました。
今の世の中 警官がストーカーをし 先生が 参観日にのど自慢に出演するなんて 私には考えられません。
古いものや 考えがすべて良いとは 思いませんが 日本の素晴らしさ がだんだん 失われていく感じがしてなりません。
少し前に先生が入学式に欠席するのはどうの、という事が話題になっていましたが、その時も
理解できる派が結構、多かったように思います。
その時もとても違和感を感じましたが、この度のお話も同じですね~
これが会社員ならどうなんでしょう?
例えばお店のオープンの日にそういった理由で休むという事は可能なんでしょうか?
私には理解できないなあーー自由とか権利とか言葉ばかりが踊っているように思います。
この人だけ、この学校だけ…ということでなく、
そういうのがだんだん当たり前になってきているのかなと、
なんだかちょっと不安だし、さみしい話ですよね。
もう学校とは縁がないから…とは思いますが、
いろんな意味で「こういう考え方」が、
朱理由になっていくとしたら、
暮らしにくい、生きにくい、世の中なのかな…です。
あの附下も、今、解きにかかっていますが、
なんでよりによってこんなところに…のシミだったりして。
モダンな柄なので、つないで大きな鏡のカバーもいいなぁ、
なぁんて、考えているだけですが…。
あの審査は大変だそうですね。
歌好きだったら、それはもう信じられないほど、
素晴らしいチャンスなのでしょうね。
確かに、日が重なったのは、お気の毒です。
そのあとがねぇ…です。
「結婚式なので」と、ごまかしたら…
いやそれはそれで、あとでバレたら…
要はあきらめればよかったんではと思います。
ほんとに「ナントカ世代」というのが、もう細かくて…。
すでに私も、異星人みたいな?住人で…。
おっしゃるとおり、仕事に対する熱といいますか、
仕事はそこまで、情熱をもってすることではない…みたいな?
仕事だけが人生とは言いませんが、
つまらないだろうなぁと思います。
どこかで何かがまちがってる…という気がしても、
それが何かと、細かく話すことはできません。
それでも、人としての「根幹」みたいなものは、
変わってしまったら、結局不幸だと思います。
おっしゃるような事件が起きるたびに、
「仕事を愛してないのね、誇りなんてないのね」と、
腹を立てています。
個人主義なんだか、なんなんだかわかりませんが、
いいじゃん個人の勝手じゃん、みたいな言い訳に
どうしても聞こえてしまいます。
権利を主張するには、元々義務をしっかり果たすのが、
基本なんですけどねぇ。
だんだんわからない世の中になっていくようで、
自分はともかく、50年後100年後の、
孫子の代の苦労を思います。