ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

手抜きと気抜き

2009-10-15 17:20:42 | 着物・古布
すでに何度もアップしている襦袢ですが…。
これを見たとき、私は思わず丁寧に一礼して「お迎え」致しました。

ご覧の通り「絞りのハギレ」の端縫いです。
こちらが「後ろ姿」、見事にほぼ「左右対称」になっています。


            


前を突合せに置いてみました。


  


よくよく見れば、ズレもあります。でも細かいですねぇ。
もちっとズームで…。





全てが「絞りの布」、たぶんほとんどが帯揚げだと思います。
昔の帯揚げは礼装も普段も、また若いヒトだけでなく「絞り」を多用しました。
絞りの量が多かったり少なかったり、全体に色目や絞りの柄が地味だったりで、
使い分けていたようです。
母の使っていたのも、いくつか飛んでいる花の部分だけ絞りとか、
そんなのがありました。
この襦袢に使われているのは、柄の多いものや、まんま鹿の子絞りのもの。
それにしても、細かい絞りのものでも、たとえばこんなふうに、
前になる部分しか柄がないものも(その分安価ですから)多かったのです。


   


使い古しの一枚の帯揚げから、どれだけ切り出せたか…。
それを思うと、これを作ったヒトはどれだけ時間をかけて、
この絞りの布を集めたか…と思います。
そしてそれを並べて揃えて、一枚ずつちくちくとつなげて…。
本当に気の遠くなるような作業であったと思うのです。

これを見るとき「ものをムダにしないこと」はもとより、
「キモチ」と言うことにも、教えられるところが多いのです。
ただのはがき程度のハギレでも、こうして並べてつなげれば、
布として使える、その知恵はもちろんのこと、
色あわせや柄を考えつつ、並べたり入れ替えたり、足りないところは補ったり、
もしかすると「ここにはどうしても赤いのを左右に並べたい」と思ったら、
一から並べなおしたかもしれません。
思うのです、たいへんだったろうけれど、楽しかっただろうなと。

さて、昨日の「手抜き半衿付け」、見えなきゃイイじゃん…の部分、
全くないとはいえないんです。でもどうでもいいわけじゃない…。
そのあたりのお話しをしようと思います。

母は、大正の生まれですからそれなりに「イニシエビト」でありまして、
いうこともやることも、今は「古い」と言われてしまうことばかりです。
でも「古い」から間違っている…ということばかりではないんですね。
基本的なことは、そうは変わらないものなのです。

その母がいつも言っていたことのひとつに、
「外出(そとで)のときは、下着までこざっぱりしていき。
万が一のときに恥かいたら、親の恥にもなるしな」
つまり、何かで病院に運び込まれるとか、そこまでいかなくても、
ヒトサマに下着まで見られるようなお世話になるとか…
万一そんなことになったとき、表はオシャレにしていても、下着が薄汚れていたり
穴が開いていたりしたら、とても恥ずかしい、そんな風に育てた親も笑われる、
ということなんですね。

私はこの「こざっぱり」という言葉が好きです。
別に高価であることはないし、新品であることもない。
きちんと洗ってあって、するべき始末がしてある、ということです。
私の子供のころは、まだ「ツギアテ」も「繕い」もアタリマエでした。
今は「穴が開いてたら恥ずかしい」ですが、あのころは
その「穴が繕っていないことが恥ずかしい」だったのです。
スリップのレースが外れて下がっていたり、ブラウスの縫い目がほつれていたり、
靴下に穴が開きっぱなしだったり…。
そういうところにきちんと手当てをしてあることが
「こざっぱり」していることの要素でした。母はそれを教えたわけです。

半衿を大雑把にぐしぐしとつけることは「手抜き」ではありますが、
その衿が外れてぶらぶらしたり、きちんと洗ってなかったり、
そんなことがなければ、私はいいと思っています。
外から見えるところだけきれいにする、というのは、
実は着物では当たり前のこと、になっていますね。
代表格は「うそつき襦袢」です。伊達衿も比翼も、実は「ごまかし」といえます。
「うそつき」は、外から見える袖部分はきれいな布が使われているけれど、
胴体は晒しだったり、全く別の布だったりします。まさしく「うそ」ですねぇ。
でも、この「うそ」は便利なうそで、洗濯の面倒さを軽減できますし、
なにより布が少なくてすむ、これは残り布のすばらしい再利用方法でもあります。
「うそ」と言いつつ、わるいうそではない、
大事なことは、その「うそつき襦袢」がいつも清潔であるか、
どこか穴が開きっぱなしだったり、ほつれっぱなしだったりしていないか、です。

これも母の言葉ですが「気ィ抜いたらあかん」。
これは、いつもしっかり気を張っていなさいということではなく、
大事なところで、ゆるめるなということです。
胴体が晒しでもいい、ぐしぐしつけでもいい。
薄汚れたり、穴が開いていたり、そのへんに糸がぶら下がっていたり…、
そういうことは「手抜き」ではなく「気抜き」だと…いうことなんですね。
全く違う布をたくさん寄せ集めて「見えないところに使うものにする」、
そういうごまかしはしても、それを作るときは気を抜かない、
それどころか「美」を意識する…手抜きと気抜きの違いと、
その使い分けの妙を、とても感じるんです。

元々は、この国はついこの間まで、誰しもが貧しかったのです。
身分も仕事も、着るものさえも、山ほど制限のある中で、
たくさんの人の手を経て作られる、さまざまな食べ物や布や道具…
それらを大切に、できるだけ長く使う、
その「もったいない」という気持ち、これしかないという気持ち、
だいじにしようという気持ち…モノがあふれる今、
このあたりが磨り減ってしまったように思います。
「手間をかけることは時間の無駄」とか「めんどくさい」になり、
いまや半衿だけあとから首に巻いて…なんてモノができました。
「着物着慣れないかたに便利ですよ」は、親切かもしれませんが、
自分で苦労して着ることの楽しさと「それで身につく」というメリットを
奪い取ってしまうと思いませんか?いつまでたってもちゃんと着られません。
いつも思います、便利な「省略道具」は、初心者ではなく、
細かいことまで知っているベテランこそが使うべきだと…。

年をとって目が疲れやすくなって、指先もなかなか思うように動かなくなって…
便利道具はそれから使ったっていいわけです。
先日「選択肢」というお話しをしましたが、
この場合もラクな方をとる、のではなく「なんのためにそれを選ぶか」、
その「選択眼」から育てないと、なんでも便利道具のオンパレードになってしまう。
半衿をどうしたらさっと縫い付けて、キレイに「こざっぱりと」できるか、
なんて楽しみを、味わうことがなくなっちゃうと思うんですね。
「針仕事」は、いまや面倒なもののように言われますけれど、
布に手を触れ、針と糸という長く変わらない「便利道具」を駆使することは、
実はとても楽しいことなのだということを、知らずにいるのはもったいなーい!

農業国日本は、昔から植物の繊維から糸をとることができました。
では、雪に閉ざされたり、繊維のたくさん取れるような植物がとれなかった国は
どうやって糸を作っていたか…大きなトナカイや鹿のスネからとった「腱」、
あれもりっぱな繊維なんですね。生きるために最低限の動物を獲り、
肉も骨も毛皮も全て使い切る、その中で「腱」は繊維として使いました。
乾かして裂くんですね。これを寄り合わせる、
そして、動物や魚の骨で作った針に通して布を縫い合わせた…。
それぞれの国で、使えるものを使い切る、
その点では狩猟国も農業国もかわりません。

ほかにないからそうしていた、今はあるからいいじゃない…、
ではなくて、あるから選べると思うのです。
基本を知って「手抜き」「気抜き」を使い分ける、
スイッチポンの便利なことの恩恵にあずかり、手間をかけることのよさを知る、
どっちもわかってこその幸せだと思うんですよね。
だーかーら…「職人さん」は、いつの時代になっても大切だと思うのです。

なんだかぼーよーとしたお話しになっちゃいましたね。
お口直しに昨日撮った写真の一枚、アケビともうすぐ終わりのデュランタです。


     

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6 コメント

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Unknown (陽花)
2009-10-15 20:05:50
大正生まれの女の人はそういうことも
きちんと習ったんでしょうね。うちの母も
そんな事をよく言いました。
何処かへ出掛けようものなら家の中はきちんと
片づけ、草むしりまでしてからしか出掛けませんでしたから、外へ出ると何が起こるか分からないという事をいつも考え、恥をかかないようにしていたんですね。
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Unknown (りのりの)
2009-10-15 23:35:39
今日のお話はしみじみ心にしみました。
手抜きと気抜きの違い・・・

半衿を芯を入れて仕立てておいて案全ピンでつける方法を懇切丁寧に教えてくれた知人がいますが(あんまりちゃんと聞いてなかったのでどういうものかよくわかってません)私はいちいち針で縫う方法でいきますわ。針を持つことは苦にならないのでささっとつけれるんです!苦にならないついでにザックザク縫う手抜き方を知ってますもん・・・けっ!  ←あ、これはその知人に向けてます。
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Unknown (ゆん)
2009-10-16 08:32:43
おはようございます

 昨日、「昭和の暮らし博物館」の小泉さんがラジオに出演されていたのを こま切れですが聞いていました。
 とんぼさんが普段からおっしゃるのと同じように、「手間を楽しむ知恵」の温かさについて話されていて、「この方も、数少ない先輩女性だ~。」となんだかほっとしました。

 手抜きはしても気は抜くな…どんなことがらに対しても言えることですね。

 この襦袢を縫いあげた方のことを思えば、あんな半襟一枚縫いとめる時間と手間なんて・瞬きするほどのこと。布を傷めてあれこれする「裏技」より、私も「今日はこの辺を出してみよう」って、考えながらザクザクと留めて行くのが好きです
 せっかくの素材の優しさを損なわずに着させてもらおうと思ってます。(…出がけに「うおッ!この襟・失敗じゃ!」ってあわてて替えるときを除いて
 大事なお話、どうもありがとうございました。
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Unknown (とんぼ)
2009-10-16 19:04:01
陽花様
母も出かけるときは、きっちり…でしたね。
大正生まれは、そうなのかもしれません。
私にもよく「恥」を知るということを
言ってました。恥ずかしいと思う心を持つと、
悪いこともできないものだと。
単純なことなんだけど、ほんとですね。
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Unknown (とんぼ)
2009-10-16 19:08:16
りのりの様
ボタンまでなんとかいうホチキスみたいなのが
あるそうですね。
母の口癖で「便利はバカを生む」…。
ずしりときます。
道具も使いようなんですけどねぇ。
どうして針と糸という道具から
にげるんでしょうねぇ。楽しいのに。
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Unknown (とんぼ)
2009-10-16 19:10:38
ゆん様
この襦袢の縫い目は、ものすごく細かいんです。
しかも…黒糸の部分が多いんですよ。
たぶん、糸がなかったのだと思います。
芥子粒ほども、黒が見えないように、
きっちり縫っています。
「手わざ」という言葉を思います。
ダレでもなれる「名人」なんですけどね。
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