何かのおまけについてきた「カイワレの種」、まいておいたら、
育ってくれました。お味噌汁に散らして1回分。得した気分です。
週の初めに、母が久しぶりにこちらに来ました。
たまには外の風にも当たらないと…月に一回くらい、
天気のいい日に父が連れてくるのですが…。
くるたびに、足元がおぼつかなくなります。
今はとても支えナシでは歩けません。
ついこの前まで「杖を持っておいで」というのに、嫌がって「忘れた」とか
「車から玄関くらいいらへん」と、ゼッタイ素直に言うことを聞かなかったのに、
最近は、車を降りるときから杖をついています。
買ったときは「地味かな」と思っていた茶色地に唐草の柄がいまやぴったりです。
母は「介護されベタ」でして、なかなか人に頼ることができません。
それでもさすがに、杖だけでは自分自身で頼りなくなったのでしょう、
私が抱えて手を持つと、すがるようになりました。
その手の細いこと…肉はもうなーんにもありません。
昔、苦労続きで母がやせていた時期がありました。40半ばです。
近所のひとに「やせてるねぇ」と言われると、
「おかげさんで、憎(肉)い気がなくて、かわ(皮)い気ばっかしですねん」と
言い返していました。いまや「かわいげ」もひからびてますが。
もう骨格標本に皮をかぶせただけみたいな、
がりがりになった手をとるのは切ないものがあります。
実は…子供のころから私は母と楽しく手をつないだ記憶がありません。
とても厳しいヒトでしたから、叱られてばかり。
私に大甘だった実の父には、手をつないでお散歩したり、
胡坐の中に座って絵本を読んでもらったした記憶もかすかに残っているのですが、
母と仲良く手をつないだり、膝に乗ったり、座っている母に抱きついたり、
アタマを撫でてもらったり…、そんな記憶がほとんどありません。
手を引かれるときは、ひたすら迷子にならないためで、
ヨコハマの人ごみの中などを「はよ歩き!」と叱られながら手をひっつかまれて
大人の足並みについていこうと、ちょこまかしんどかったのを覚えているだけ。
そういう意味では、やさしい母ではありませんでした。
だから、今頃になって母の手を握ったりつかんだりするのが、
なんだかとても面映いのです。
でも、こうして手をつないだり握ったりするのも、
もう長いことではないであろうと思うので、しっかり握って支えています。
もっと若いころに、母と手をつないだり、腕を絡めたり、肩に手を乗せたりして、
歩いてみたかったなと思います。
あれは私が40くらいのときでしたか、母がポツリといったことがあります。
「ウチはオマエが小さいころ、いっとき片親やったし、
ヒトサマに後ろ指さされんように、迷惑かけんように、
恥かかんようにと思ぉてきびしぃ育てすぎたんやな、
大人になってもアンタはちっとも親に甘えてくれへん。
甘えさせることを教えへんかった、かわいそうなことしてしもたなぁ」と。
別に私はちっとも困ってないのですが、当時友人に言われました。
「あんたさ、親にモノねだったりしたことある?」ありません。
「里帰りして『あれ作ってぇ』とか言う?」里帰りの時は、私が料理してました。
「上げ膳据え膳で『やっぱのんびりするわー』とか言って、
ごろ寝したりする?」里帰りは、親の代わりに仕事をするものと
心得ておりましたので、トイレの掃除からして私がやりました。
これを聞いて、友人は「それってオットの実家ですることだよ」と言いました。
いまになってようやくわかります。親は「ねぇおかーちゃーん」とか、
そんな風に頼られたいんですよね。
その素養を作っておかなかったことを、母は後悔したのだと思います。
息子が生まれて、何かと大変になってから、
私の里帰りは一変し、上げ膳据え膳になりました。
母は嬉々として世話を焼いてくれたのですが、
さて…面倒見られることになれていない私には、
それがうっとおしいやらめんどくさいやら…。
食事のたびに「ごちそうさま」というと
「おかわりしたか?このおかず食べたか?もっとよそったろか」…。
30年前に言ってくれよ…でした。
ここへ引っ越してきてからでしょうか、ちっとは面倒がらずに言わなきゃと思い、
「息子のベスト編んでぇ」とか「図書券ほしい」とか、言い出すようになりました。
ある日、ねぇ息子の着物、縫ってくれない?普段用の木綿の」といったら、
「ウチはもう、よう縫えへん、悪いけどあんた自分で作ったって」と、
あっさりことわられました。そのころ白内障になりかかっていたのです。
その後手術をして、幸い視力はよくなりましたが、
結局「もう根気が続かへん」と、とうとうあんなにいろいろ作ってくれていた
息子のものも、一切作らなくなりました。
思えば、そのころが「認知症」の始まりだったのだと思います。
甘えベタの親子で、ぎこちないったらありゃしませんが…、
小さく頼りなくなった母を見ていると、老いの残酷さを感じます。
いまだに口の悪い母とは、基本的に相性悪いですが、
しっかりしていたころの母にはもう二度と会うことはない、と思うと、
もっと前から、気恥ずかしくてもめんどくさくても「甘えて」おけば、
母は安心したのかもしれないと、そんなことを思います。
結局「これで十分」なんて思える親孝行はないのだと思います。
いくらやっても早く気がついてもつかなくても、
いつか「もっとこうしてあげればよかった」があるのだろうなと。
まだまだ会話も普通ですが、5分前にいったことを覚えていない母に、
同じことを聞かれ、同じことを答える、さっき言ったやんかはゼッタイなし!
昨日は行ったときにトイレでして、ちっと便秘気味…でした。
夕方電話があり「ちゃんとお通じあったから」とのこと。
「いやー難産どしたなぁ、ごくろーはん」と言ったらげらげら笑ってました。
60年近い母との付き合いで、どうしても「厳しい母」としかいえないけれど、
そのおかげで私は、何の苦労もなくすごしてこられました。
自分の育て方は間違っていなかったと、そう感じてくれたら、
それが私にできる親孝行かなと思っています。
来月は母の86回目の誕生日です。
大好きなユリでも贈ろうかと思っています。
育ってくれました。お味噌汁に散らして1回分。得した気分です。
週の初めに、母が久しぶりにこちらに来ました。
たまには外の風にも当たらないと…月に一回くらい、
天気のいい日に父が連れてくるのですが…。
くるたびに、足元がおぼつかなくなります。
今はとても支えナシでは歩けません。
ついこの前まで「杖を持っておいで」というのに、嫌がって「忘れた」とか
「車から玄関くらいいらへん」と、ゼッタイ素直に言うことを聞かなかったのに、
最近は、車を降りるときから杖をついています。
買ったときは「地味かな」と思っていた茶色地に唐草の柄がいまやぴったりです。
母は「介護されベタ」でして、なかなか人に頼ることができません。
それでもさすがに、杖だけでは自分自身で頼りなくなったのでしょう、
私が抱えて手を持つと、すがるようになりました。
その手の細いこと…肉はもうなーんにもありません。
昔、苦労続きで母がやせていた時期がありました。40半ばです。
近所のひとに「やせてるねぇ」と言われると、
「おかげさんで、憎(肉)い気がなくて、かわ(皮)い気ばっかしですねん」と
言い返していました。いまや「かわいげ」もひからびてますが。
もう骨格標本に皮をかぶせただけみたいな、
がりがりになった手をとるのは切ないものがあります。
実は…子供のころから私は母と楽しく手をつないだ記憶がありません。
とても厳しいヒトでしたから、叱られてばかり。
私に大甘だった実の父には、手をつないでお散歩したり、
胡坐の中に座って絵本を読んでもらったした記憶もかすかに残っているのですが、
母と仲良く手をつないだり、膝に乗ったり、座っている母に抱きついたり、
アタマを撫でてもらったり…、そんな記憶がほとんどありません。
手を引かれるときは、ひたすら迷子にならないためで、
ヨコハマの人ごみの中などを「はよ歩き!」と叱られながら手をひっつかまれて
大人の足並みについていこうと、ちょこまかしんどかったのを覚えているだけ。
そういう意味では、やさしい母ではありませんでした。
だから、今頃になって母の手を握ったりつかんだりするのが、
なんだかとても面映いのです。
でも、こうして手をつないだり握ったりするのも、
もう長いことではないであろうと思うので、しっかり握って支えています。
もっと若いころに、母と手をつないだり、腕を絡めたり、肩に手を乗せたりして、
歩いてみたかったなと思います。
あれは私が40くらいのときでしたか、母がポツリといったことがあります。
「ウチはオマエが小さいころ、いっとき片親やったし、
ヒトサマに後ろ指さされんように、迷惑かけんように、
恥かかんようにと思ぉてきびしぃ育てすぎたんやな、
大人になってもアンタはちっとも親に甘えてくれへん。
甘えさせることを教えへんかった、かわいそうなことしてしもたなぁ」と。
別に私はちっとも困ってないのですが、当時友人に言われました。
「あんたさ、親にモノねだったりしたことある?」ありません。
「里帰りして『あれ作ってぇ』とか言う?」里帰りの時は、私が料理してました。
「上げ膳据え膳で『やっぱのんびりするわー』とか言って、
ごろ寝したりする?」里帰りは、親の代わりに仕事をするものと
心得ておりましたので、トイレの掃除からして私がやりました。
これを聞いて、友人は「それってオットの実家ですることだよ」と言いました。
いまになってようやくわかります。親は「ねぇおかーちゃーん」とか、
そんな風に頼られたいんですよね。
その素養を作っておかなかったことを、母は後悔したのだと思います。
息子が生まれて、何かと大変になってから、
私の里帰りは一変し、上げ膳据え膳になりました。
母は嬉々として世話を焼いてくれたのですが、
さて…面倒見られることになれていない私には、
それがうっとおしいやらめんどくさいやら…。
食事のたびに「ごちそうさま」というと
「おかわりしたか?このおかず食べたか?もっとよそったろか」…。
30年前に言ってくれよ…でした。
ここへ引っ越してきてからでしょうか、ちっとは面倒がらずに言わなきゃと思い、
「息子のベスト編んでぇ」とか「図書券ほしい」とか、言い出すようになりました。
ある日、ねぇ息子の着物、縫ってくれない?普段用の木綿の」といったら、
「ウチはもう、よう縫えへん、悪いけどあんた自分で作ったって」と、
あっさりことわられました。そのころ白内障になりかかっていたのです。
その後手術をして、幸い視力はよくなりましたが、
結局「もう根気が続かへん」と、とうとうあんなにいろいろ作ってくれていた
息子のものも、一切作らなくなりました。
思えば、そのころが「認知症」の始まりだったのだと思います。
甘えベタの親子で、ぎこちないったらありゃしませんが…、
小さく頼りなくなった母を見ていると、老いの残酷さを感じます。
いまだに口の悪い母とは、基本的に相性悪いですが、
しっかりしていたころの母にはもう二度と会うことはない、と思うと、
もっと前から、気恥ずかしくてもめんどくさくても「甘えて」おけば、
母は安心したのかもしれないと、そんなことを思います。
結局「これで十分」なんて思える親孝行はないのだと思います。
いくらやっても早く気がついてもつかなくても、
いつか「もっとこうしてあげればよかった」があるのだろうなと。
まだまだ会話も普通ですが、5分前にいったことを覚えていない母に、
同じことを聞かれ、同じことを答える、さっき言ったやんかはゼッタイなし!
昨日は行ったときにトイレでして、ちっと便秘気味…でした。
夕方電話があり「ちゃんとお通じあったから」とのこと。
「いやー難産どしたなぁ、ごくろーはん」と言ったらげらげら笑ってました。
60年近い母との付き合いで、どうしても「厳しい母」としかいえないけれど、
そのおかげで私は、何の苦労もなくすごしてこられました。
自分の育て方は間違っていなかったと、そう感じてくれたら、
それが私にできる親孝行かなと思っています。
来月は母の86回目の誕生日です。
大好きなユリでも贈ろうかと思っています。
母と娘の会話、それぞれの想いがぎゅっと詰まっていてせつない気持ちになります。
厳しい母、やさしい母、どちらも結局は
可愛い子供の為を思ってなんですね。
母はまじめすぎて、いつもいっぱいいっぱい
と言う感じでした。
タイヘンだったろうと思います。
ゆつくりしてほしいのに、
いまだに「悪口」はとまりませーん。
元気なもんです。
ありがたいものですね。
甘えさせない親子関係です。
ここ数年、持病と母親の母親…祖母との不仲がそのまま持ち越されて、いっぷう変わった親子関係になってしまったのだなと自分なりに感じています。
こうして親は老いてゆくもの、事実を受け入れてゆく連続で
数年後の自分と重ねています。まだ間があるとはいえ、とんぼさんのお母様のようになってゆくのでしょう。
それもまた現実で、親は子を子は親を思うものだと信じています。
母娘といえども…ってところ、ありますね。
女同士なだけに、いやなところも
ロコツにわかるし…。
それでも…親子なんですよね。
大事にしていきましょう、お互いに。