ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

どれくらい抜きます?

2008-07-30 21:33:34 | 着物・古布
写真は、今日のお話のためにとったもので、私いつもこんな感じ。
あっお福ちゃんに着せていますので、首、私よりはるかにスマートですー。

よそ様のところで「ゆかたの衿の抜き具合」というお話がありました。
つまりその方の、お出かけ先でみたゆかたビトの中に、
「衿を全然抜かずにゆかたを着ている人が、けっこういた」というお話です。
地域的なものかしらというお話もありましたが、
それはわかりませんけれど、私は「ちっと抜いたほうがよくない?」とおもふ…。

というわけで本日のお題「抜き衣紋」について。
「抜き衣紋」って、ちっと古い言い方ですね。今「抜き衿」って言いますかしら。
でも、実は「抜き衿」というと、ただ「衿を後ろに抜く」という意味ですが、
「抜き衣紋」というのは「衿」そのものを指すわけではなく、
「着物を形よく着ること」、またそのための方法、という意味があります。
「衣紋」というと中年以降の人がハンガーのことを「衣紋かけ」といいます。
つまり今は「衣紋」というのは「衿まわり」のイメージになっています。
だから「抜き衣紋」は「衿を抜いて着る」ことになっているわけですが、
たどっていきますと平安時代の装束の着方、にたどり着きます。

貴族の衣装といえば「衣冠束帯」、狩衣とか直垂とか、あのスタイルですね。
その着方なのですが、初期のころは全体的に優美なフォルムが好まれ、
「凋(なえ)装束」とよばれる、いわばソフトイメージですかねぇ、
そういう着方が主でした。その後平安もおわりころになって
今度は「きっちり着ましょう」が言われ始めまして
(つまり一番てっぺんにいる人の鶴の一声…だったんでしょーねー)
そこで今度はハードイメージ、つまりキッチリカッチリ、になりました。
素材も硬いものや厚いものにするとか、のりをつけてカチッとするとか、
シマイには昔の女性のコルセットやペチコートのように、
芯を入れて角ばらせたり…、そこでこれは「剛(こわ)装束」といわれました。
「強装束」とも書きます。当然ササッと着られませんし、
形を整えたり、着姿をきれいにする工夫が必要となり、
これを教授するプロが出てきまして、これが「衣紋道」と呼ばれたわけです。
つまり「抜き衣紋」とは、今はまんま「着るとき衿を抜く」ことですが、
昔のままでいえば「いかに衿を抜いてきれいに着るかという方法」なわけです。

さて、最初っから余計なお話しになりましたが、
単純に「衿の抜き方」と言うことになりますと、
これまた例の「原則として」ですが、普段着ほど抜かない、いいものほど抜く…。
種類でいうなら、染めの着物のほうが織りの着物より抜く、
絹のほうが木綿より抜く…となります。原則ですよ。
ゆかたは木綿であり、先日からしつこく言っておりますが、
出自を問うなら「バスローブ」、それが昇格したものだから普段着中の普段着、
というものですから、細かく並べていくなら、当然一番衿の抜き加減は小さい、
となりますが、そりゃあくまで「理論」です。
実際には…好きにすりゃいいんですよ、大事なのは「似合うこと」、
もうひとつは「夏の暑い日に着るもの」ですから、目にも涼しげに…でしょうか。

じゃ似合うってどーすればいいのよ…うぅ~それを言われますとねぇ。
私は着付け教室に行ったことが無いので、
あくまで「聞いた話」なのですが、今は半衿はこういうときは
何センチくらい出して、とか衿はこぶしひとつ分抜く、とか、
そういう風に教わるとか。それはそれで基本的にマチガイは無いと思います。
ただ、着物というのは衣装であって制服ではありません。
それを元にして「自分に似合う」半衿の分量や、衿の抜き加減を探してみる…、
「私は教えてもらったのが一番気に入っている」、それはそれでいいわけです。
人間の体は一人ひとり全部違いますし、その人の顔かたち、イメージもあります。
紬だけど、私はちょっとやわらかく着たい、首が細長いからつめて着たい、
そういう思いもあるかもしれません。だから自分で探す…これにつきますね。

結局答えにもなんにもなっとらんがな…。すんません…。
では、衿を抜くようになったわけ、なんてことをお話してみましょうか。

昔は何か新しいことが始まっても、いまのように情報を広く早く伝達するものが
ないわけですから、少しずつつたわっていくわけで、
服飾文化の変化も、いろんなことが絡み合ってゆっくりかわっていったわけです。
衿を抜くようになったことについても、いろいろなことが
絡みあってのことだったわけですが、そのひとつの理由として
「髪型がかわった」というのがあります。
思えば単純なことで、女性の髪形のあの後ろに突き出した「髱」、
それが触れて着物が汚れないように、というわけですが、
ある日突然、みんなが丸髷を結うようになったなんてことはありませんし、
また結うようになったためにかわったことはほかにもあり、
つまりそれらがいろいろ絡み合ったわけです。
なんかごちゃごちゃお話しばっかりですから、まずは「髪型」のことから。

こればっかりは、やたらと写真を使えないのでカンタンマンガです。
とんぼの七変化、笑ってやってください…。

これは正倉院に残されている絵の中の女性、奈良時代です。
この前に古墳時代がありますが、それは略しました。
壁画などにも描かれていますが、これじゃ「美人画」たぁ言えませんな。
形は、長い髪を両脇に膨らませてたらし、後ろでまとめて上で髷にする、です。
   


同じ奈良時代の貴族の女性、「高髻(こうけい)」と呼ばれるもの、
髻とは「まげ」のことです。
   


そして平安時代は「垂髪(すいはつ)」、これをきちんと結い上げたのが
「大垂髪(おすべらかし)」です。お雛様のスタイルですね。
   

この「垂髪」にも、源氏絵巻に出てくるような、ただ長い髪のままと、
首の後ろで結ぶ「元結垂髪(もっといすいはつ)」など数種があり
これはその「元結垂髪」です。主に「作業をするために長いとジャマな人」が
結いました。首の後ろから下もところどころ縛ってあります。
日本には髪に関しては「編む」という技術はでてこないんですね。

安土桃山になって、大陸や南蛮などとの交易が盛んになったことで、
ファッションにも動きがでてきました。
長く垂れ流し、じゃなかった垂れ髪できたものが、ちっと結ってみっか…と
こんな感じで、女性が髪を「上にあげること」を始めました。
当初はやっぱり大陸風が色濃く残る「唐輪まげ」、
   

それまでずっとカオの脇を隠してきたものが、いきなり全開は
やっぱり不安だったのでしょうか、切り下げ風に横を残し、
後は一気に上にあげて、まげを作りました。
やがてこの形の横や後ろを膨らませ、前髪を上にまとめた「縦兵庫」という
後年の数多い日本髪の原型ともいうべき髪型の登場です。
こちらは後ろから見たところ。
      


やがてこの「前髪・鬢(びん)・髱(つと・関西では「たぼ」)」の三つの部分が、
いろいろに変化して何百種といわれる髪型になったわけです。
こちらは逆に「鬢」を張り出して上に大きくまげを乗せた「丸髷」、
既婚女性アコガレの髪形でもあります。
これ、実は後ろの「髱」はほとんどありません。
      


鬢と髱は反比例で、どちらかが横に大きく張り出すと、もう片方は引っ込みます。
江戸も後期になると、このどちらか極端、というのが減って、
どっちもそこそこの、それぞれバランスのいい髪形に収まります。

というわけで、女性の髪形は安土桃山アタリから、大きな変化を見せました。
さて、それでは着物は?、とここでようやく着物の衿の話しになるわけですが、
マンガ並べてましたら、時間なくなりましたー。
続きは明日にしますね。

(モノはなげないでくださいっ!…イデッ!)

あのー、つまり、こんな風に髪型がかわったこともいろいろかかわって、
衿を抜いて着るようになっていったっつーことで…。
ではまたあしたっ!(モノは…投げないでってば…ゴンッ!…)

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5 コメント

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楽しみながら...。 (akkomam)
2008-07-30 22:10:37

  いつもながらの豊富な知識と語り口にひきこまれて
 読ませていただきました。
 私の若い頃は衿の抜き方は祖母によく注意されて
 抜きすぎると着なおしをさせられたものでした。
 今ではあまりよく覚えていませんが、浴衣はほとんど
 抜かないで着た記憶が...若かったからかも。
 明日の続きを楽しみにしています。
返信する
Unknown (てまりばな)
2008-07-30 22:23:16
うわ~、すごい~!!
とてもおもしろいお話でした。

浴衣って、
衿芯を入れないで着るから
うまく衣紋が抜けないのかな~なんて思っていました。
慣れた方は、バチ衿を少し開けて
衿芯を入れるみたいです。
だらしなくなってしまうのは困りますが、
あまりキツキツの襟元では
見ているほうも暑苦しいですね。

とんぼさんの衣紋の抜き方、私の好きな感じです♪
最近、大河ドラマの『篤姫』の衣紋が
すごいな~と思って見ています。
首が長く見えるように
前はぴたっ、
後ろは背中から生えているみたいにビチッとしていて急に立ち上がり、
ぐいっと抜いてある。
後ろ、ちょっと不自然な感じもあるのですが(笑)
どうやったらああなるんだ?と
じーーーっと見てしまうのです。

明日も楽しみにしています♪
返信する
Unknown (陽花)
2008-07-30 23:15:48
いつもながらの素敵なイラスト入りで
髪型も良く分かります。
衣紋の抜き加減って仕立ての時の繰り越し
寸法でも変わってきますからね~
若い頃は5分の繰り越しだったのが、今は
7分にしています。
やっぱり若い頃より衣紋は抜いています。
返信する
よく分かります~。 (りら)
2008-07-31 02:29:35
とんぼさん、絵がお上手ですよねぇ。
同じ顔で髪形の変化を見せていただけると、とてもよく分かります。

衣紋抜き、古着を着ていますのでとても難しいです。
一枚一枚くりが違うんですものねぇ。
元々きっちりつめて着るのが好きなのですが、仕立てがそうなっていなかったらなんとなく肩や胸元がぐずぐずしてきてしまいます。
最近ようやく着ていて「これぐらいかな?」というのが分かるようになってきたような気がします。(ややこしい書き方で済みません。)

浴衣の衣紋抜きは、「浴衣だけは自分で着られる」という人も多く、中には「衣紋を抜く」ということを知らない方もいるようです。
お腹のおはしょりがモタモタしてしまっていたり・・・
自分で洗って糊を効かせないと襟元も決まりませんよねぇ。
返信する
Unknown (とんぼ)
2008-07-31 04:24:39
akkomam様
着物を着るのに、若いときはVを詰め気味に
しますし、あまり衿を抜きませんね。
私は首が短いので年頃になってゆかた着るとき母が「不細工やし、ちっと抜きなはれ」と。
わずかに抜かせてくれました。
見るにしのびなかったんでしょうねぇ。


てまりばな様
ゆかたの衿がくしゃりやすいのは、
真後ろの部分ですね、掛け衿の内側の下を
といて、ポリなどの衿芯の薄めのものを
短くして差し込む方法もありますが、
本格的に縫われたものは、衿が分厚いです。
衿つけの真後ろの部分だけ少し解いて
真後ろの部分より少し長いくらいの何か、
薄ーいプラ板などをいれるとか。
手っ取り早いのは、そこだけしつこく
糊(スプレータイプ)をつけてアイロン。

大きく衿を抜くお話し、今日のブログの
記事の中で書きました。
お答えにはなってないかもですが。


陽花様
私も、若いころよりは繰越を大きくしてます。
年をとっていいことは、襟元をつめなくて
よくなったことですね。ラクー。


りら様
ちょっと昔のものは、今のように、
まるで規格もののようには同じじゃ
ありませんものね。
若向きなのに繰越おおきかったりすると
「アタシと同じ短首だったのかな」なんて。

今のかたは「まずゆかたから」が
多いようですが、カンタンに着られますよー、
と言っても、個人差については
あまり教えないみたいですし、
着崩れしているのも気がつかない人もいたり、
なんかおせっかいオバサンの血が騒ぐ…。
あー、みなかったことにしよー!?です。
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