昨日はいったいなんだったんでしょうか。
知人からは「表題だけで、文が出ない」といわれるし、
自分で入れたコメントがぜんぜんアップされないし・・。
このところ、あちこちのブログでいろいろトラブルが起きているようです。
ブログ人口の急増に、プロバイダーが追いつかないのでしょうねぇ、
がんばってもらいたいものです。
さて、本日は袷の長じゅばんです。元禄風の芸人たち。
シボも地紋も細かくしなやかな「紋ちりめん」です。着物だったと思います。
地色はなんとなく金屏風や蒔糊を思わせる感じの色です。
描かれているのは「芸」を見せる人たち。
「人形遣い」「猿回し」もうひとつがよくわかりません。
とりあえず「人形遣い」です。
二人とも「若衆」のようですね。尺八に合わせて人形を遣っているようです。
実は、こういうタイプの人形遣いがどのあたりの時代にいたのか、
ちょっと調べたのですが、答えに到達できませんでした。
姿形は桃山風なんですが・・・。
上村松園さんの絵にも「人形遣い」という題の絵がありますが、
その遣い手は、侍マゲ、裃に長袴で描かれています。見物人は武家の家族。
舞台ではなくお屋敷の一間・・と言う感じ。
そんな風に呼ばれてお祝い事の席などで芸を見せたのかもしれません。
人形・・と言うのはそもそも「ひとがた」、つまり「神事」に関わるもので、
人の形に切った紙に、身の穢れを移して川に流す・・などですね。
やがてひいな遊びに移行してゆき、初期の頃の「這子人形」など、
素朴な人形がでてきます。もっぱら子供のおもちゃや健康を祈ってのもの。
ちょっと調べたところでは、人形遣いの歴史は「海人一族」まで
さかのぼってしまう・・・。どうも話しが大きすぎてまとめにくいのですが、
とりあえず、人形といっても「傀儡(くぐつ)」と呼ばれるほう、
つまり「操り人形」のほうですね。こちらも、最初はその身に穢れを移し・・
というところは同じようです。つまり「海人一族」のものが、胸に籠をさげ、
その中には神への供物である海産物を入れていた・・らしいです。
そして、その籠が「くぐ」という草で編まれたもので、
最初は人形に穢れを移し舞を舞わせることで浄化する・・というようなことが、
やがて籠の中に入れた人形に舞わせたり、芝居のようなことをさせることを
生業とするようになった・・、くぐの中からでる「子」で「くぐつこ」、
これがなまって「くぐつ」になったようです。
1000年ほど昔の「傀儡子記」という文献によると、傀儡師(くぐつし)は、
男は狩猟を中心、女はいわゆる「娼婦」として定住せずにいたらしいものが、
平安後期には定住し、操り人形を見せることで大道芸として暮らし始めた、
ということのようです。この「男」のほうが胸に下げた「籠」の中から
人形を取り出して操って見せたり、手妻(奇術)のようなことをやったり、
それを生業としたのですね。器用な一族だったのでしょうね。
江戸時代には、この籠が箱になります。
結局、この「人形をあやつり、音曲をBGMに舞台をつとめる」・・と言うのが
「人形浄瑠璃」「文楽」の元となったわけですね。
図の傀儡師のそばには、あのベベンべン・・という三味線ではなく、
尺八を吹く人がいますが、よく見ると人形が「虚無僧」ですからいいんですね。
いやなんだか中途半端ですみません。
お次は猿回しです。
いやもう「人形遣い」には四苦八苦しましたが、猿回しはおまかせください?!
陰陽道に興味津々のとんぼとしては、猿回しと「神事」については、
過去に調べたことがあります。
猿回しと言うのは、シルクロードを通って遠くインドから伝わった
「猿は厩(うまや)の守り神、厩信仰」というところに端を発しています。
この信仰が中国に伝わり、日本に入って「陰陽道」にのっとって、
形が整えられていったわけですが、この「陰陽道」というもの、
シロウトの私が上っ面をちょっとみただけでも、実にややこしく難しい・・。
で、ごくごくカンタンに、必要なとこだけちょっとつまんでご説明致します。
陰陽道の中に「五行思想」というのがありまして、
この世の全ては木・火・土・金・水(もっかどごんすい)という
五つの気の中に含まれ、互いに作用しあってバランスを保ち、
万物を生じる・・とする説です。
この五行に年月、方角、時刻、事象など、いろいろ当てはめるわけです。
十二支などもその一つです。で、「猿」と言うのは方角でいうと西南西、
色でいうと黒・・とまぁいろいろな「あてはめ」があります。
この五行において互いにバランスを保つため、この前の「三すくみ」のように
「AはBで押さえ、BはCで押さえ・・」というような形があります。
「妖怪」の出てくる物語などで「この妖怪は元が何々だから『木』の気がある、
したがって『火』の気を以って制する」などといいます。
これに当てはめると、馬は「火」の気、猿は「水」の気なのです。
それで「馬を制し、馬を守る」という意味で「厩の守り」とされたわけです。
昔、武士にとって馬は大切な商売道具、よい馬を持つことは
ステイタスであると同時に、自分の営業成績に関わる大事なものでした。
「一筆啓上火の用心、おせん泣かすな馬肥やせ」という
有名な手紙文がありますが、武士が「いざ」と言うときに、
馬が不調であることは、タイヘンな損失であり恥でしたから、
馬の手入れは重要なことでした。その馬を守るということで、
貴族社会から武家社会へ移行していった日本においては、
「厩の守り」はとても大切なものだったわけです。
また、農業国日本では、馬は大事な農耕や荷役の道具でしたから、
牛とともに大切に扱われました。家の中に厩がある・・という作りも
当たり前だったわけです。そういうところから、農民の中では
馬だけでなく「牛馬の守り」でもあったわけです。
江戸時代などは、猿回しそのものの身分は低かったのですが、
「厩祈祷・厩信仰」の精神から、お上の管理下に置かれていました。
時代がさがって江戸も中期を過ぎると、実際に「いざ鎌倉」などという
戦の様相がなくなりましたので、馬に対する武士の関わり方や思い入れも、
戦国時代ほどではなくなりました。
一生、刀を抜かずにすごす武士もいたくらいですから。
そんなわけで、「猿回し」は、大道芸として行われるようになりました。
それでも「厩信仰」がなくなったわけではありませんでしたから、
正月に猿回しが角付けして回るのは、「火を鎮める」ということから
「防火・防災」の意味を以って、喜んで受け入れられました。
とまぁ、ざっと説明するとそんなところです。
猿回しと言うのは主役は「猿」ですが、それの仕込みはタイヘンです。
一時期忘れられたような「猿回し」でしたが、今は「猿軍団」などという名前で
活発に活動しています。ためしに「猿回し」で検索したら、
「厩信仰」の前に、日本各地の「猿軍団」がでてきてしまいました。
「イモを海水で洗って味付けする猿」「温泉に入る猿」・・と
楽しいニュースもありますが、昨今は「猿被害」のほうがメインですね。
「厩」も昔のようになくなった今「守ってくれんでもいいから、
どっかよそへ行ってくれ」、というのは、元をただせば人間の勝手からでたこと、
無知や欲から出た結果でもある・・と、考えなければいけないのではないかと
そんなふうに思います。いや、被害にあわれている方々にとっては
本当に死活問題ですが・・・。
とりあえず、観光地や旅先でホイホイとエサをやるのはやめましょう。
というわけで、日々グズグズと仕事をやり残してはうなっているとんぼは
猿でもできる「反省」が足りんのです~~。はぁ~~。
親子の場合は何ドシであろうと、「守り神」はかわらないんじゃないですか?ウチなんて、息子「ねずみ」で私「ネコ科」のトラですが、とって食おうたぁ思いませんよ、ははは。
これってあんがい迷信とはいえないかも
我が家、私猿、娘牛、この関係がまるで私が娘の守り神というか、めちゃめちゃに気になるというか、心配性というか、そしてそれを親も娘も当然至極になるというか、
きょう、友達と話してまして、兄と姉が犬と猿、まったく犬猿の仲という話をしてまして、
まったく昔の話って案外迷信ではすまないかもと思ったところです。
これってほんとですかしらね。
おさるは意外に凶暴だそうですからねぇ。日光の観光客からお菓子など「かっぱらうサル」を見ていると、
ありがたみ薄れますわ・・。
陽花様
牛ってそばによるとすごく大きいですよね。まして子供の頃だったらなおさらです。私は子供の頃、近くにいたヤギにも近寄れませんでした。今じゃ代償の「トド」を手uづけておりますが???
うまこ様
すみませーん、私別の易道の「南北だけ逆」というほうで書いてしまいました。おっしゃるとおり「西南西」です。書き直しておきます。ありがとうございました。
もうひとつは長くなるので書かなかったのですが、狐面をかぶって踊る人、足元に置かれたものが、なにやら意味ありげなものだったのですが、やはり易断とかんけいあるもののようでした。いずれまた調べてみたいと思っています。
雪花様
この前はクラゲに乗ってましたしねぇ、さるどんもいそがしいですね。「~尽くし」柄は、私も好きです。「これは何々、これは何々」とひとつずつ確認したり探したり・・。このじゅばんは無地感覚の着物に着てチラリと見せたいですね。ただ、裏は変色ししているので、これも洗って仕立て直しませんと・・。
猿が馬に乗っている図は、陰陽道から来ているのですね。猿に神聖があり、馬も神の使いなので、くみあわせたものかと思っていました。
ところで、「~尽くし」って好きです。
見てて飽きないんですよねー。
これは2職種(笑)ですけど、絵の出来がいいですね。地味な江戸小紋にあわせたら、裏勝りで素敵だろうなあ。
あともう一つの出雲の阿国みたいに踊ってる人の絵はは何なんでしょうね。
ところで申って子・丑・って、右回りに行くと西南西じゃないかと思うんですけど・・・
ところで申と言えば、うちの上の息子ですが、うまこの私を守ってくれるのかしら?って、私は午年じゃないからやはりだめですね。
子供の頃母の実家に行くと玄関開けて
すぐのところに牛がいまして私はあの
角が怖くて母の後に隠れるようにして
入っていました。今のように農機具の
あまりないとき、伯父は牛は働き者だと
言って大事にしていました。
大学生の頃に嵐山へ遊びにいった折、お菓子厳禁と看板があったのにバックパックにお饅頭だのポッキーだのをいれていたら、猿の集団に追いかけられて、散々でした。オサルは苦手です。