えぇと、センバツ関係の写真なんてものがないもんで、
苦し紛れに「野球つながり」で、東京ドームのテレカです。
一度だけ友達と行ったときのもの、当日のピッチャーは「定岡」、
いやー野球観戦は「テレビ」に限ります。
慣れないものには打球の行方もわかりまへん。
8回裏で席を立ちました、終わりまでいると帰りの混雑がたいへんなのと、
お土産の「買いあさり」のため。
結局、今や用のない「テレカ」をお土産に何枚も買い込み、
オットにはボール型の灰皿、あとはタオルだとかマグカップだとか…。
で、結局その日の試合結果はテレビでもみなかったという、
とんでもない観客でありました。
やっと本題です。
春のセンバツ高校野球が始まりました。
「あらもうそんな時期なんだ…」と、まぁのんきな話しなんですが、
昔よりは見るほうの情熱が薄らいでしまいましたねぇ。
実家が父もプロ野球を見ない人でして、嫁に来るまで野球といえば「高校野球」、
母は凝り性ですから、つい数年前まで毎年新聞記事をスクラップしてました。
私が一生懸命見ていた時代は、原クンが現役の時代。
おとうさんが監督さんでしたね。
ところで、行進曲として毎年選ばれる「ヒット曲」、悪くはないんですが、
これで行進曲はなぁ、というのでも、しっかりなっちゃいますねぇ。
私は「大会歌」のほうが好きです。
夏の大会歌「栄冠は君に輝く」もいいのですが、
いつの間にか(1993年からだそうです)始まっていた「春の大会歌」、
さすが谷村新司??、いえ個人的に好きなもんで。
ご存知ないかたのために「歌詞」はこちら、「メロディ」はこちら、
開会式の歌の場面をおさめた動画ページもあったのですが、
テレビ録画であまり音質がよくなかったので…。
最後のフレーズ「♪今ありて 時代も連なり始める」のところは、
バックにまだ汚れのないユニフォーム姿の、緊張した球児がうつったりすると、
ちょっとウルッときたりします。年なんですかねぇ。
最近、NHKで「校歌」を作るという企画をやっていました。
番宣しか見ていないのですが、昔からの難しい言葉ではなく、
今の時代の若者が歌いたいと思う校歌を考えようとかなんとか、
そんなではなかったかと思います。
中にはラップの校歌もあったりしてビックリ…。
確かに、あまりにも古めかしい言葉は、意味が分からなかったり、
今の話言葉でないと、感情が伝わらなかったりするのかもしれません。
でも、だからこそのよさ、と言うものもあると思うのです。
「栄冠は…」のほうの歌詞で、「♪純白の球 今日ぞ飛ぶ」
というところがあります。この「ぞ」なんていう言い方は、
いかにも古めかしいですね。
この歌詞は1948年に一般公募で選ばれたもので、
加賀大介さんという男性が、婚約者に贈ったものだそうです。
1948年と言えば、私はまだ生まれていません。
当時の学校やこういったことに関わる曲などは、こういう文語体の歌詞、
珍しくはなかったわけです。私のかよった高校の校歌も思いっきり文語体。
今のヒトにはなじみなく、それこそお経でもきいているような?
壁を感じてしまうのかもしれませんが、この高校野球の大会歌は、
文語体でもまだまだ現代にずっと近く、意味はちゃんと分かります。
私の年代からすると「とても美しい日本語」です。
それに、これを歌う目的といいますか、そういう意味でも凛として、
背筋を伸ばして大空にむかって高らかに歌い上げたくなる、
そんな歌詞だと思うのです。
おや、コレを書いているうちに一試合おわってしまいました。
成章高校というところが勝ったようです。ドコの高校やねん…スミマセン。
校歌が流れました。スタンダードな感じですね。
もしここで「ラップ校歌」だったら…いや、いいかもしれませんがねぇ。
聞いてみたいとは思いません。
紫匂う朝焼けに まずこそ見ゆれ日の本の
文化の船つき横浜市 かえりみすれば夕映えの
美空に気高き芙蓉峰…
これが私の高校の校歌一番のとちゅうまで。
あーっここなんだーと、お分かりのかたもおいででしょう。
「芙蓉峰」とは富士山の別称です。
校歌の最後のほうに「女性の道を いざ修めん」と言う言葉があります。
「女性」には「おみな」という振り仮名がふってありました。
私はこの校歌で初めて「おみな」という言葉を知りました。
自分の性であるこの言葉が「おんな」より「むすめ」より、
ステキな言葉だと思って調べたことがあります。
「おみな」は「をみな」、「を」は小さいという意味、
「み」はおんな、男の場合は「をぐな」、
確かこれが「始まり」で「をみな」と「をとめ」があまり差がなかったため、
だんだん混同し、やがて女性一般を示す「をんな」になった、と。
確かそんなことだったと思うのですが、おみなという言葉は今でも好きです。
話しがいつものよーーに脱線しました。
ともかく、私は「大会歌」がすきで、特に春のセンバツの「今ありて」は、
私の好きな歌ベストテン、上位常連です。
今ありて 未来も扉を開く
今ありて 時代も連なり始める
ひとつの国であっても、高校野球であっても、ただの一個人であっても、
「今があるから未来があり」「今があるからつながってゆく」
今は過去からのつながりであり、昔があるから今がある。
かぞえきれないほどの失敗と成功、やまほどの喜怒哀楽、
そして何もない幸せな平穏、それの積み重ねがあるから今がある、
今日一日のことも、またその積み重ねの上にのり、明日へとつながっていく、
そしてそれが自分史となる…、
少しずつ年を重ねてくると、そんな思いが
「ターシャならずとも地道にいこうや」という気にさせるのです。
大会歌から、とんでもないほうへ話しがすすみました。
少し難しいけれど、美しく凛として品格のある「言葉」を耳にして、
きょうはちっと誇らしい気分になったとんぼです。
おまけは先日の「ご近所のこぶしさん」、
あっという間にもうすぐ満開です。
にしても…電線、ほんっとジャマ!
苦し紛れに「野球つながり」で、東京ドームのテレカです。
一度だけ友達と行ったときのもの、当日のピッチャーは「定岡」、
いやー野球観戦は「テレビ」に限ります。
慣れないものには打球の行方もわかりまへん。
8回裏で席を立ちました、終わりまでいると帰りの混雑がたいへんなのと、
お土産の「買いあさり」のため。
結局、今や用のない「テレカ」をお土産に何枚も買い込み、
オットにはボール型の灰皿、あとはタオルだとかマグカップだとか…。
で、結局その日の試合結果はテレビでもみなかったという、
とんでもない観客でありました。
やっと本題です。
春のセンバツ高校野球が始まりました。
「あらもうそんな時期なんだ…」と、まぁのんきな話しなんですが、
昔よりは見るほうの情熱が薄らいでしまいましたねぇ。
実家が父もプロ野球を見ない人でして、嫁に来るまで野球といえば「高校野球」、
母は凝り性ですから、つい数年前まで毎年新聞記事をスクラップしてました。
私が一生懸命見ていた時代は、原クンが現役の時代。
おとうさんが監督さんでしたね。
ところで、行進曲として毎年選ばれる「ヒット曲」、悪くはないんですが、
これで行進曲はなぁ、というのでも、しっかりなっちゃいますねぇ。
私は「大会歌」のほうが好きです。
夏の大会歌「栄冠は君に輝く」もいいのですが、
いつの間にか(1993年からだそうです)始まっていた「春の大会歌」、
さすが谷村新司??、いえ個人的に好きなもんで。
ご存知ないかたのために「歌詞」はこちら、「メロディ」はこちら、
開会式の歌の場面をおさめた動画ページもあったのですが、
テレビ録画であまり音質がよくなかったので…。
最後のフレーズ「♪今ありて 時代も連なり始める」のところは、
バックにまだ汚れのないユニフォーム姿の、緊張した球児がうつったりすると、
ちょっとウルッときたりします。年なんですかねぇ。
最近、NHKで「校歌」を作るという企画をやっていました。
番宣しか見ていないのですが、昔からの難しい言葉ではなく、
今の時代の若者が歌いたいと思う校歌を考えようとかなんとか、
そんなではなかったかと思います。
中にはラップの校歌もあったりしてビックリ…。
確かに、あまりにも古めかしい言葉は、意味が分からなかったり、
今の話言葉でないと、感情が伝わらなかったりするのかもしれません。
でも、だからこそのよさ、と言うものもあると思うのです。
「栄冠は…」のほうの歌詞で、「♪純白の球 今日ぞ飛ぶ」
というところがあります。この「ぞ」なんていう言い方は、
いかにも古めかしいですね。
この歌詞は1948年に一般公募で選ばれたもので、
加賀大介さんという男性が、婚約者に贈ったものだそうです。
1948年と言えば、私はまだ生まれていません。
当時の学校やこういったことに関わる曲などは、こういう文語体の歌詞、
珍しくはなかったわけです。私のかよった高校の校歌も思いっきり文語体。
今のヒトにはなじみなく、それこそお経でもきいているような?
壁を感じてしまうのかもしれませんが、この高校野球の大会歌は、
文語体でもまだまだ現代にずっと近く、意味はちゃんと分かります。
私の年代からすると「とても美しい日本語」です。
それに、これを歌う目的といいますか、そういう意味でも凛として、
背筋を伸ばして大空にむかって高らかに歌い上げたくなる、
そんな歌詞だと思うのです。
おや、コレを書いているうちに一試合おわってしまいました。
成章高校というところが勝ったようです。ドコの高校やねん…スミマセン。
校歌が流れました。スタンダードな感じですね。
もしここで「ラップ校歌」だったら…いや、いいかもしれませんがねぇ。
聞いてみたいとは思いません。
紫匂う朝焼けに まずこそ見ゆれ日の本の
文化の船つき横浜市 かえりみすれば夕映えの
美空に気高き芙蓉峰…
これが私の高校の校歌一番のとちゅうまで。
あーっここなんだーと、お分かりのかたもおいででしょう。
「芙蓉峰」とは富士山の別称です。
校歌の最後のほうに「女性の道を いざ修めん」と言う言葉があります。
「女性」には「おみな」という振り仮名がふってありました。
私はこの校歌で初めて「おみな」という言葉を知りました。
自分の性であるこの言葉が「おんな」より「むすめ」より、
ステキな言葉だと思って調べたことがあります。
「おみな」は「をみな」、「を」は小さいという意味、
「み」はおんな、男の場合は「をぐな」、
確かこれが「始まり」で「をみな」と「をとめ」があまり差がなかったため、
だんだん混同し、やがて女性一般を示す「をんな」になった、と。
確かそんなことだったと思うのですが、おみなという言葉は今でも好きです。
話しがいつものよーーに脱線しました。
ともかく、私は「大会歌」がすきで、特に春のセンバツの「今ありて」は、
私の好きな歌ベストテン、上位常連です。
今ありて 未来も扉を開く
今ありて 時代も連なり始める
ひとつの国であっても、高校野球であっても、ただの一個人であっても、
「今があるから未来があり」「今があるからつながってゆく」
今は過去からのつながりであり、昔があるから今がある。
かぞえきれないほどの失敗と成功、やまほどの喜怒哀楽、
そして何もない幸せな平穏、それの積み重ねがあるから今がある、
今日一日のことも、またその積み重ねの上にのり、明日へとつながっていく、
そしてそれが自分史となる…、
少しずつ年を重ねてくると、そんな思いが
「ターシャならずとも地道にいこうや」という気にさせるのです。
大会歌から、とんでもないほうへ話しがすすみました。
少し難しいけれど、美しく凛として品格のある「言葉」を耳にして、
きょうはちっと誇らしい気分になったとんぼです。
おまけは先日の「ご近所のこぶしさん」、
あっという間にもうすぐ満開です。
にしても…電線、ほんっとジャマ!
甲子園もいい野球日和のようです。
本当に今年ももう選抜です。セーターしまって春服出さなきゃと焦り気味。
それでも、開会式から試合を見ながら、座布団やらクッションやら春模様に変えました。
勤めていた頃はテレビを見ながら、夏休みまでの服づくりをしたものでした。
長男は中学から大学院まで野球部。高校野球では甲子園の夢は果たせなかったのですが、球場通い、私も大いに燃えました。
選手とスタンドの親御さんに昔の息子と自分を重ねます。
「栄冠はーー」を口ずさみながらーー
校歌は作られた時代の空気を伝えますね。
校歌を聴くとその学校の歴史の長さが分かるような気がします。
好きです。きびきびと走って戻る
プロ野球にはない姿勢も好きです。
手に汗握る好試合には、どちらも応援
出来ず勝った方にも負けた方にも思いを
はせて泣けてきます。
♪栄冠は君にかがやく♪というところが
好きですね。
なんだか知らないけど、やっぱりチャンネルを
あわせています。地元が出るときは、
やっぱり気になりますし…。
不思議なものですね。
息子さん「球児」でいらしたのですね。
夏は燃える季節だったんですねぇ。
大会歌は、歌いながらほんとに「ガンバレ」という
気持ちになります。
陽花様
夏はきついですよねぇ、あの暑さの中、
ほんとにすごいなぁと思います。
私は一度だけ甲子園にいきましたが、
あまりのあつさに、勝敗もおぼえてなくて、
思い出は「かちわり」だけ…。
妙な駆け引きのない試合、すがすがしいですね。