私は63歳、つまり、私が生まれる37年前…が、今から100年前ってことです。
そう考えると、太古の昔だの、信長の時代だのというよりは、ずっと身近に感じられます。
日本の100年前、は今年で言うと「大正」に入っているのですが、
写真の本は、初版は1996年なので、100年前はまだ「明治」ですね。私のこの本は4刷目です。
我が家では、義父と実父が明治の末の生まれです。祖父母は全員明治生まれ。
「維新」というタイヘンな時期を乗り越え、一気に「異国」が身近になった時代。
それからわずか45年間が「明治」です。
この明治時代の写真がたくさん残っているわけで、私はこういう写真ダイスキです。
本はこちら。「2」も出版されています。
写真で見る 100年前の日本〈1〉暮らし (100年前シリーズ) | |
クリエーター情報なし | |
マール社 |
明治時代、風俗写真は外国へのお土産として、たいへん人気があったそうです。
そのため「演出」のなされたものと、自然のもの、つまりスナップ写真のようなものですね。
その二種類があります。演出されているものは、スタジオにセットを組むような感じだったり、
家や通りは自然のもので、そこに人を置いて演出しているものだったりします。
どうしても不自然さがぬぐいきれませんが、それでも当時の風俗などはよくわかります。
外国人にとっては、何もかも珍しかったかもしれませんが、特に「お辞儀」が珍しかったということで、
こういう写真集を見ると、やたら「お辞儀」をしている写真があります。
玄関先での女性同士のあいさつや、座敷での挨拶などいろいろ…。
ヨーロッパには、片ひざをついて、手を胸に当てて頭(こうべ)を垂れるという挨拶がありますが、
それは例えば、君主や皇女など、自分より身分の高い人に対して行なうことです。
お互いに深々とアタマを下げる挨拶は、ふしぎだったのでしょうねぇ。
演出のないものには、多く「仕事の風景」があります。まだ小学生くらいの子供が、縞の着物で、
仕事を手伝っている…いえ、あのころなら「奉公」に入って、一心に仕事を覚えているところでもありましょう。
女の子の写真は、まずほとんどが赤ちゃんを背負っています。子守は年長の姉の仕事、だったのですね。
母方の伯母も、小学校には母を背負っていっていたそうです。珍しくはなかったのです。
今でも発展途上の国では、子供も重要な「働き手」だったり「手伝い手」だったりします。
タイミングよく、今テレビで池上さんが「教育を受けられない子供たち」のリポートをやっています。
あららびっくり…と、手を止めてみてしまいました。「カムラリ」というネパールの「奉公制度」のことでした。
奉公という現実があるということは、貧富のさも大きいということです。
日本でも、明治時代には、まだ「奉公」は歴然と残っていました。
この写真集には、子供たちが働いているところもいろいろあります。
晴れ着を着て遊びに興じる子供たちも載っています。
どちらの子供も笑顔でいるのが救いです…。
でもやっぱり教育は大切です。世界中の子供が、等しく「教育」というものを安心して受けられる世の中は、
それこそ「平和の礎」だとも思います。
商売も農作業も、木綿の着物をたくし上げ、前掛けで覆い、素足に下駄…。
貧しい子供たちの着物は、わるいけれど「いつ洗ったのかな」です。
「着物の写真」としてみるなら、演出つきのきれいな写真があります。
確かに風俗的にはわかりますが、こうやって暮らしていた人は、数少ないだろうなぁなどと思ってしまう…。
二の腕までむき出しのたすきがけの女の子、膝裏シワシワの単衣着物で買い物に出てきた女性…
これだよねぇ…と、しげしげ眺めました。
今の着物事情は、よそ行き中心です。それはそれでいいと思いますが、
元々着物はきっちりきっちり着るものでなくてもいい…と、それはこういう写真を見ていると思います。
時代がちがっても、着物は「ただの着るもの」ということは、かわりありませんから。
なんだか中途半端なお話になりました。
本日のおまけ。以前テレビでみていいなと思って買ったもの。
ハム・クリップ…
我が家は少人数なので、ハムもできるだけ枚数の少ないものを買い、
早めに使い切るようにはしているのですが、残ったときは乾燥しないように、
結局ラップに包んだりしています。これはよかったですよ。
実際使ってみますと…
これは長く伸ばせるので、ベーコンなどの長い袋のときもOKです。
面白グッズは飛びつく前によく考えて…なのですが、これは実際に使用しているところを見たので
すぐ買いました。ははは、こういうのが好きなあたしです。
同じシリーズの他の本も検索して見てみましたが、「東京」とか「女性のたしなみ」とかもちょっと見てみたいです。
本屋にあるといいけど…。
子守をする女の子は、姉だけでなく子守奉公というのもあったんですよ。
「赤とんぼ」の歌の「ねえや」です。
15で嫁に行ったんですから、15まで子守奉公をしてたんだと思います。
ハム・クリップ…色々なことを考える人がいるんですね…うちでは開封したらジップロックに入れて、なるたけ空気を抜いてきっちり締めてます。
パックがあるのであまり汚れませんから、ジップロックだと何回も使えるので。
私もひどく遠い世界という感じではありませんね~。
祖父母が明治生まれで話に聞いていたり
明治頃(大正?)の写真を見せ貰ったりしました。
今からの感覚ではグダグダな祖母の着付けは
祖母の大雑把というか洋服よりな生活によるもの・・・
と思っていましたが・・・。
写真を見るとそれが昔はフツーだったのだな・・・
と思ったり・・・(笑)
でわん
実母は大正初期の生まれです。
そして家中の着物を縫ってくださっていた方は
東京の某大学総長のお宅で奉公しながら
和裁を学ばせてもらっていた方でした。
かなり前に亡くなられていますが、
今もって虫干しなどで出したときに、
娘の着物の縫いとくらべても
歴然とその技術の高さがわかるほどです。
その方の言葉に<奉公先の方の見識>が語られ、いつもその言葉に心打たれるものを
感じていました。
100年前は私から見れば、振りかえれば
見えそうな時代です。
そんな時代を生きていた父母の言葉や
行いを今では古い!と言われてしまいそうですが、私にとてはとっても貴重な宝です。
今の自分は子どもたちにどう感じられているのでしょうか。
良い本をご紹介頂きました。さっそくゲットしなくては!
ついそこにあった時代なのに今は本当に遠くになってしまったような気がします。
我が家の祖父は明治に関西から北海道へ渡ってきました。確か20代後半だったと聞いています。当時の写真を見ると物語がいっぱい詰まっているようで本当に興味が尽きません。
はい、子守奉公も含めて、家の姉の仕事…のつもりでした。
言葉が足りなくてすみません。おしんもそうですものねぇ。
私もチャック式の袋に入れたり、2枚くらいだとラップにしたり、
いろいろやっていたんですが、コレはパックそのものにパチンとはめるので、
洗う手間もなく、折れている部分をのばすと、ベーコンのような
長いパックもとめられるので、便利です。
私も最近まで「明治生まれ」の人とお付き合いがあったり、
祖父母がそうだったりしているので、
生々しい感覚が残っている…とでもいいましょうか。
思えば貴重なのですよね。
もう明治生まれは100歳ですから、そうそうお話もきけませんし。
母方の祖母もそうでしたが、一生を着物で通した人です。
着物で暮らしていたら、シワ一つなくだの、衿元ぴっちりだの、
いってられませんものねぇ。
子供のころ「昔お屋敷にご奉公していた」なんていう人が、
いたりしました。
今のお手伝いさんは、家事仕事を指示通りに…だけなのかもしれませんが、
昔は「行儀見習い」ということも重要だったのですよね。雇うほうも、嫁に出す面倒を見たり…。
時代が変わっても変わらないこと、変えるべきでないことは、
たくさんあると思います。自由は「勝手」ではない、と、時々思うことがあります。
母は大正12年の生まれでした。
いろんなことを教わりましたが、明治の女、が大正の女、になり、
やがて私たちも「昭和の女」なんていわれるのですかねぇ。