すみません、お正月早々ちとブキミですが、「干支の繭人形」です。
ピントが合ってなくて、見づらいですね。あわせてご容赦願います!
一応、絹物に関わることをしていますので、ちょっと出演してもらいました。
今年も「絹」とか「着物」についての話題をたくさんとりあげていきたいと
思っていますので・・。
着物を着るからといって、別に絹はどうやって生糸になるか・・なんてことは
知らなくてもなんの不自由もありません。それでも、自分が心惹かれ、
それを選んだり、身にまとったりして楽しいときをすごす「相手」のこと、
少しでも知ってたら、ほんの少しかもしれないけれど楽しいんじゃないかと・・。
何か見方が変わったり、べつのことに気がついたり・・これって、
「人との付き合い」にも似たところがあるんじゃないかと思うんです。
と、本日のテーマに引き込もうとするコンタン、みえみえ!
まぁ、お正月ですから、引き込まれてやってください!
では!いざ「絹と蚕」の世界へ??!!
単純に言ってしまえば、蚕が繭を作るために吐き出した糸を、
解いて巻き取ったのが「絹糸」ですが、繭から糸になるまでには
たいへんな手間がかかります。
まず養蚕農家から運ばれた繭は乾かされます。「乾繭・かんけん」と言います。
これは繭の中の蛹を殺すため。蛹がガになって出てくるときも、バリバリと
繭を壊して出てくるわけではありませんが、壊れない保証はないのでリスクを
低くするため「ごめんなさい」と昇天していただくわけです。
こうすると、中の蛹も乾き「貯蔵」して置けるようになります。
次に、出荷するための「選繭・せんけん」が行われ、厳しくチェツクされて、
選別されます。これは最終的に出来上がる「絹糸」の質を均一にするためです。
ランクの低いものを「ま、いっか」と入れてしまったら、
計量して買い取られるとき、全体的に「質」下がってしまいますから。
こうして合格した繭は、お湯で煮るか蒸気をあてるかして、繭を柔らかくします。
家庭用の「繭の生糸とりセット」なんてのも販売されてますが、
家庭なら「熱湯を入れたおなべやボウルに繭を浸け込んで糸を取る」という
ごく基本的なことをします。工場だとこの辺は機械化されているわけですね。
この、繭を煮ることを「煮繭・しゃけん」と言います。
なぜ水分と温度が必要なのでしょうか。これは繭の中に含まれる「セリシン」
という成分を緩めるためです。セリシンというのは、蚕が吐いた糸が、
うまくくるくると巻いて形になるためのいわば「接着剤」です。
このセリシンには「保湿成分」など、人間の肌にもたいへんよいものが含まれ
近年、化粧水なども作られてきています。
煮繭もただグツグツ煮ればいいというものではないのですが、
そこまでお話ししているととても長くなりますので、とりあえず、繭の外も中も
均一によい状態になるように調整して煮るわけです。
こうしてセリシンが緩んだ繭からいよいよ「糸」を引き出します。
毛糸やロープなら、ちょっと探せば「ここが始まり」というところは
すぐにわかりますが、絹糸は細いですし、余分なものもついているわけですから、
そうはカンタンにわかりません。そこで稲穂箒(脱穀後の稲穂を束にして作った
ほうき)で、湯の中の繭をちょいちょいとなでるようにこすると、
まず外側の糸がからまった状態でほぐれてきます。このからまった糸を
引き出すことを「索緒・さくちょ」といいます。更にこの絡まった糸の中の
一本だけ最後まで長く続いて出てくる糸を、その繭の「正緒・せいちょ」と言い、
この「正緒」を見つけ出すことを「抄緒・しょうちょ」と言います。
これが、本当の「糸口」になるわけです。「話しの糸口」という言葉の糸口とは
これを指します。
乾かす→選別→煮る→「固まった繭をほぐして糸をだし(索緒)、その中の
長く続く糸(正緒)をみつけて引き出す(抄緒)」・・です。
一本では細いので、正緒を引き出した繭を必要に応じた個数まとめて、
同時に糸を引き出し、軽く撚りをかけながらこれをどんどん巻き取っていきます。
これを「繰糸・そうし」と言います。どんどん巻き取られていくと、
途中で切れたり、また全部の糸が同じ長さで同時になくなるわけでは
ありませんから、たりなくなったりします。そのときは、繭を足していきます。
こうして巻き取られた「撚りあわせ糸」が「生糸」です。
でもこれで「ハイできあがり、着物作って!」というわけにはいきません。
このあと「精錬」ということが行われ、生糸に残っているセリシンや不純物を
取り除いて、やっと「絹糸」になります。できたてそのままの糸を「生糸」
というのに対して、精錬を終えた糸は「練糸・ねりいと」と呼ばれます。
生糸の巻き取りも繭一個分の長さでおわるわけではなく、どんどん足して、
長く巻き取ります。要するに「商売用」として「カセ」にするわけですから・・。
ところで、繭一個からどれくらいの長さの糸がとれるのでしょうか。
種類によっても、また個々によっても違いますが、平均的には
1300~1500メートルといわれます。つまり1.5キロ・・。単純計算で
10個で15キロとしたら、繭30個で、フルマラソンの距離を越えるわけです。
元々繭というのは、蚕にとっての「シェルター」です。蚕が「ガ」になるための
課程で、一番危険な時期、じっと動けない体を守り、なおかつその中で変化する、
そういう状態の身を守るものが「繭」なわけで、丈夫なわけですよね。
実際には、上に書いた工程中に、別のいろいろな作業があります。
あくまで、糸はこうやって繭からとられて「生糸」になる・・という
ダイジェストです。
私はこの「繭から糸を引き出す」という作業の「機械」と「座繰り」と呼ばれる
全て手作業の工程を、映像で見たことがあるだけですが、
機械にしても、座繰りにしても、結局は人の目と手が、一番すごい能力を
もっているものなのだ・・と感心しました。
一本の絹糸は、お蚕様の犠牲と、たくさんの人の技と思いによって
この世に生み出されているんですね。着物、たいせつにしましょう!
は「少しでも「規格内」のマチガイです。
そうなんですよ。蚕自身は、自分で作った繭ですから、セリシン、つまり接着剤を自分で溶かしてでてくることができます。そうでないと、まだ出来たばかりの羽は柔らかいですから、硬い繭の殻をバリバリとやってでてきたらキズついてしまいますから。ただ、絶対に繭が壊れないという保証はありません。蚕は自分が無事に出ることが優先ですから、繭を壊さないように・・とは、やってくれませんでしょ。繭の出来ていた場所とか、隣の繭との位置とかも関係してきます。それと途中で死んでしまう蛹もいまして、そうなると体液が漏れ出して繭を汚すんです。その周辺にある繭も、中は生きていても外が汚れてしまいますから、少しでも「規格外」の繭(これは大きさだけでなく、汚れや凹みなども入りますから)を多く収穫するために、繭になって10日目くらいで収穫してしまうんです。全て「人の都合」ってわけです。あ~人間って・・。
もう一つ、蚕のことで以前聞いた話を。
蚕が繭から出るときにはなめてなめて、糸が切れないように出てくるんだそうですが、ほんとですか?蚕に穴を開けるのはさなぎになるときに体内に入ってしまった害虫とも。だから蚕が出た後の繭も一本の糸になって巻き取れるんだそうです。ン十年前に永六輔さんがおしゃっていた話。ロマンチックな思いで聞いていましたが、さて、真相は・・・。とんぼさんご存じでしょうか?
そのかげて苦労する人がいる・・世の常ですね。
養蚕は、良い桑のとれるところがよい産地になりました。桑というのはもともと丈夫な植物ですから、たんぼのあぜ道にでもつくれますが、その程度の桑ですむような数の蚕では食べて行けない、だから「桑畑」を作るわけで、つまりは米を作るよりはそのほうがまだいい・・・ということになります。私は、昔繭の計量に使った「桶」を持っていますが「この桶いっぱいの繭をとるのに、どれだけの場所と桑と手間がかかっているのだろう」と思いました。桑は年数がたつと、かれはしませんが根や株が古くなって、いい葉がとれなくなるのだそうで、結局「植林」じゃありませんが、少しずつ植え替えなければなりません。また蚕は繭をとった時点で死にますから、次の蚕の卵は「和紙につけた蚕の卵」を買わねばなりませんでした。米もよい米をとるためには「よい苗」を買います。元がかかっているんですねぇ。モノのありがたみ、ということを考えさせられます。
ぺたこ様
あけましておめでとうございます。
こちらこそ、よろしくお願い致します。
玉繭はどれを割っても必ず「オスとメス」なんだそうですよ。成熟する前に「恋」しちゃったんでしょうかネェ。蚕は平らなところに置くと丸く繭を作ることができません。それを利用して、うちわなどの上に蚕を置いて糸を吐かせ、全面を絹で覆ったうちわってのを見たことありますが、なんか・・残酷ですよね。そこまでやらんでも、と思います。お蚕様の恵、素直にいとおしんで生きたいものです。
今年も色々教えてくださいね。
今回は繭がテーマ。絹にはかかせないお蚕さんですが案外知らないことが多いですね。、トンボさんの豊富な知識には舌を巻きます~。昨年は着物のレクチャーの祭に玉繭を見る機会がありました。ほんとに丸い玉でした。
五箇山で昔蚕の棚に使っていたという竹を手にいれ、自作茶杓「やままゆ」という銘をつけました。まだ披露したことありませんが。
その時聞いた話、
「蚕は桑を食べだすと、寝ないで世話をしなきゃならない、そうなると世話のためたんぼ農家に電報で頼むがいけど、、その時草もち持参で手伝いにこられたもの、もち米がとれる農家がしんからうらやましかった、米がとれるということがどんなにけなるかったか・・・」と仰ったばあちゃんの言葉忘れられません、
桑を作り、蚕の世話、米がとれない山のやせた土地のことなのですね。
「なつかしいと思われますか?」「なもなも、ひどいもんでしたちゃ」
こんな過酷な労働から生まれるから、絹ってあんなにもきれいなのね、とおもったのです。
なんかヘンですねぇ、おかげで「国産繭」で
「国内手織り」「国内手染め」は超高級品!
これって逆ですよね。
私の伯母が(もう鬼籍に入りましたが)京都の
片田舎で「疋田絞り」をやっていました。
薄暗い部屋、日焼けしたシワシワの手、
作業のために妙な形に伸ばしてギザ目のついた爪、
その手の中で、丸く青い点に染められたところを
実に手早く、キュックリクリッと、ひとつひとつ
絞っていくんです。気の遠くなるような作業でした。
「こんなん見てておもろいか?」と聞かれて
中一くらいだった私は「うん!」と答え、
ちょっとだけ手ほどきを受けました。
たった一時間では「絞りってこうやってするんだ」
ということしかわかりませんでしたが、
いまになって「もっとちゃんと習えばよかった」と
思います。叔母には娘が3人いましたが、
誰もつぎませんでした。惜しいです。ほんとに。
30年くらい前まで、北関東から信濃、上越へ地帯では、農家の2階にお蚕さんの部屋があって、畑のまわりに桑の木が植わっていましたよね。 信越線や上越線沿線の風景、覚えています。
今では、すっかり、無くなってしまいました。 生糸は、中国で専ら生産されるようになったのですから、当然なのでしょうけど。。。