着物ならできますね。もっとも布は足しますが…。
その見本のようなものが手にはいりましたので…。
写真は今回入手の着物についていた「紋」、「白浪紋」とか「波頭紋」といわれます。
ちなみに「浪」はしぶきの上がるような強い波のこと…です。
今日の写真は、長い衣桁のようなハンガーを出す時間がありませんで、
お粗末写真ですみません。
「子供の着物」です。いかにも「明治」の柄ですね。なんか「とんびがピーヒョロ」状態の写真ですが。
実はコレも「繰り回し」で作られたものでした。なんかちと長さがねぇ、柄がねぇと思っていましたら、
衿の内側など、みえないところでついであります。
五つ紋入ってますから、娘さんの振袖か、若い奥さんの色留。とてもいい変わり格子の紋錦紗です。
この着物の紋が上の写真の紋です。
今の振袖などと比べたら地味に見えますが、柄の大きさや分量からいくと、当時としては若向きです。
表と更に共八掛のこんな小さい松のところに金糸がちょっと入っています。控えめで…ゼータク!
掛け着なら「広袖」ですが、コレは「小袖」になっていますし、長さからいって7~8歳の女の子でしょうかねぇ。
揚がたっぷりで、紐もそのままですから、帯をしないで昔の子供ふうに着たのかもしれません。
紋部分は、大切に、こんな紙が縫い付けてあります。袖口布は薄紫の鬼しぼちりめんです。豪華です。
さて、これと同じような紋付を繰り回したものがこちら。お福ちゃんに掛けてみました。
いい加減写真ですみません。「中着」ですね。襲(かさね)として中に着たもので、薄く綿が入っています。
前はこちら。袖は長いですが、八掛の色からいっても中年以降の人用でしょう。
実際、襲で着るとかなりモコモコになりますから、動きづらかったでしょうねぇ。
この中着の青色の部分が元・紋付、似たような感じでの柄付ですが、絹の質は、上の着物には及びません。
普通の平織りですが、ちょっと節があったりします。濃い色は褪せてくると目立ちますね。
背中部分、かなり色あせがひどいです。元の着物の前身ごろを後ろに使ったようです。
縦に長くヤケているのは、たぶん「揚げ」のあと…。色を見ると、何度も繰り回されたようです。
袖はもうコレしか使えなかったのかもです。通常は、袖はそのままで、袖口と振りだけ別布ですから。
紋がちょっとだけ見えてますね。上の方の白いところです。
後ろの柄、水辺の植物ですが、ジミめですから、上の着物よりは、少し年上の人の紋付だったようです。
ちょっと柄アップ、刺繍もありません。柄行から単ものだったかもですね。
グレー部分の拡大ですが、細か~~い小紋です。お年寄りのものでしょう。
ちょっとざらついたてざわりでしたので、お召しかと思ったら、染柄でした。
細かいでしょう。ジミですー。
裏はあまり質のよくない紅絹で、胴裏は地味なサビ朱に近い赤、袖裏は両袖とも見慣れた真っ赤な紅絹。
八掛も薄くて胴裏を染めたような感じに見えます。ちょっと染ムラも見られますし。
ほんとにもう使えるものはんなでも使いましたって感じですね。
地味な柄付けは明治のものですが、これが作られたのは昭和に入ってからのような気がします。
モノがなくなっていく中で、かき集めて作ったものではないかという気がします。
それぞれがあまり上質のものではありませんし…。
汚れても薄くなっても色あせできても、大事にとってあった子供の着物と、ありったけの胴裏と、
もう部分的にしか使えない小紋と…そして、袖口布には黒繻子が使われています。おみごと。
戦争はご承知のとおり、昭和20年からですが、実際にはその前から、外国との関係が微妙になり、
浮き沈みしておりました。暮らしが厳しくなる、またお金はあってもモノがない…悲しい時代ですね。
元々着物は「繰り回して当たり前」のものです。
振袖や留袖などの高価で美しいものは、そのまま「着る人が繰りまわる?」で、
母から娘へ、また姉から妹へ、そして娘から孫へ、或いは身内の女の子へ。
そうやって受け継がれていきました。
普段着物は、当たり前のように解かれ、洗張りされ、次のものになりました。
多く残っていれば着物が羽織に、或いは子供の着物に、またじゅばんに、帯に。
そして、もうとても大きなものは作れない…となったときには、何枚かの着物をあわせて1枚に仕立てる…。
或いは鏡掛けやら琴掛け、袱紗、ふとん側などに使われました。
よくハギレは「三寸あったら捨てるな」とか「一寸でも捨てるな」とか、いろいろ言われています。
細かくなってしまったものは、お細工物になり、木綿や麻は道具に編みこまれたりしました。
そうやって、もう触ったら崩れる、これを布が溶けるとよく言いますが、そんなになったら燃やして灰にする。
灰にしたら水を入れて灰汁(アク)にする。最後は畑の土に撒く…。
日本人が着物を普段に着なくなって、着物を家で解く、洗う、仕立て直す…がなくなりました。
そのために「繰り回し」もなかなか行われません。
「繰り回し」という言葉を知らない人もたくさんいますよね。
今まで私は「こうもできる」という実験みたいに、いろいろ作ってもらってきました。
自分で作れないのが、ほんとに情けないのですが…。
男物襦袢で道中着とか、同じく男物襦袢で帯とか、両褄柄の訪問着で羽織とか…
どれもそこそこいけてると、私自身は思っています。
これをこうして…とお願いするとき、いつも呉服屋さんは、決まった縫子さんに頼みます。
その人しか、こういう繰り回しをやったことがないからです。
和裁士さんも少し年齢が若いと、新しい反物で縫うとか、洗張りしてのもう一度縫い直ししか
やったことがないので「わからない、やりたくない」といわれるのだそうです。
どんどんこういうことが、起きていくのではないかと、ちょっと心配しています。
イマドキの振袖や訪問着は、また誰かの身を飾ることはあるのでしょうか。
古くなった小紋や襦袢は、そのまま古着屋さんに出されるばかりなのでしょうか。
なんだかそれもまた、ちょっと寂しいなと思っているのです。
とっても素敵ですね。
こんな素敵な着物を着せてもらったお子様は
どなたなんでしょうね。
元の着物はやはり明治のものらしい雰囲気です。
こんな着物を持てる人は矢張り裕福な家庭だったと思います。
それを見事に繰り回して使っています。
使い捨てにしない着物の本道です。
それでも珍品には違いないと思います。
昔着物は、子供でもただかわいいだけじゃありませんね。
ほんとに、どんな子供が着たんでしょと、つい想像します。
明治の柄はいいですね。
派手といわれても派手じゃない。
上の着物は、とてもいいものだと思います。
お祝い事なども、華やかにしたのでしょうね。
捨てるところがないのが着物…ずっとそうであってほしいものです。