写真の説明はのちほど…。宝尽くし柄の留袖です。
近所廻りがみんな顔なじみで、どこの家で猫が何匹生まれたかも、
三日もかからず知れ渡るような…そんな暮らしでした。
鍵は今みたいに頑丈じゃなかったし、開けっ放しもしょっちゅうでしたね。
母の顔を見に行くと、見送りはいいというのに、必ず父が出てきます。
鍵かけて帰るから、といってもいいから…と言って、
私が車に乗って走り出すまで見送ってくれます。だから私もそうしています。
家族の場合も同じで「いまだにそんなことしてるの?」といわれるのですが、
オットの見送りも、角を曲がって姿が見えなくなるまで、
息子はお迎えの車が見えなくなるまで、表に立って送ります、ヘン?
何年か前、自治会の班長の順番が回ってきまして、
たまにですが、直接それぞれのお宅に伺う用事がありました。
用が済んで「それではよろしくお願いします」「はい、ご苦労様です」…。
にこやかに挨拶を交わしてドアを閉め、さて帰ろうかとクルリとうしろを向くと、
その背中で「ガチャッ」と盛大な鍵の音がする…。
一軒ではありませんでした。
私が母にうるさく言われていたことの一つに「見送りを丁寧に」というのがあります。
「人が帰ったら一度部屋に入って、もう一度玄関に行きなおせ」と言われてました。
これは外まで見送らない人に対しての「鍵をかけるタイミング」のことなんですね。
つまり扉のむこうにまだその人の気配があるうちに「ガチャリ」と音を立てるな、
ということで、後ろから響く鍵音は、気分のいい音ではないというのです。
それまでニコヤカに、或いは丁寧に接していたことも、
その「ガチャリ」ひとつで帳消しになる…と。
もちろん昨今の世の中、「防犯」というイミでは、すぐにかけた方がいい場合もあります。
そんなことを考えなきゃならない世の中が寂しいのですが、実際のことです。
以前住んでいたマンションでは、親しい間柄だとお互いに、
「私が出たらすぐ鍵かけていいから」なんて言い合いました。
今でも私は宅配のお兄さんがきても、車に乗る音が聞こえるまで鍵をかけません。
こんなことは、いまやどうでもいいことなのですかねぇ。
鍵のお話しをしたいがために、無理やり持ってきたトップ写真、
「宝尽くし」の留袖です。「鍵」の絵があります、どこでしょう。
はいこちら…
ん~~鍵に見えない…ですねぇ。
まず、なんで宝尽くしの絵の中に「鍵」があるのか…、
もうこのお話しだけで長くなるので、最大限短く言うと…
「日本の『たからもの』は、その品物そのものよりも、それの持つ意味を
貴重なものとしたから」です。これは仏教・密教からきています。
鍵は「蔵の鍵」、つまり、この鍵を使うような大きな蔵をたくさんもてるように、
「富と立身出世」を望む気持ちですね。
では、なんでこんな鍵?これは、「おとし」と呼ばれる方式の鍵を開けるもの。
今「こざる」という鍵のハナシをしても、通じる人がなかなかいません。
見りゃわかるんですよ、一番単純なのは「雨戸の内側、下の鍵」です。
最近のものは金属製で、バネ式のものが多いですが、
ちょっと古い木造家屋などではまだまだみられるはずです。
この「おとし」の方式、つまり敷居に穴をあけ、そこに上から細い棒を「落とす」
これの大きいものが蔵に使われていました。
もっと複雑な、パズルみたいにもなっていたようです。
この「おとし」をあけるのに、蔵の壁にあけた小さい窓から、
この棒を差し込んで、先の曲がりを利用して「こざる」を開錠したわけです。
かつての日本では、家屋に鍵は、あまり必要とされませんでした。
まぁ貧しいものが多かったことと、近所の関わりが強かったことなどで、
せいぜい表戸に「心張り棒」をかけるくらいでした。
大きなお店などでは、間口と同じ寸法の板戸を並べたものを、
撥ね上げ式に作り、夜になるとそれを一気に下ろしてしまう、
いわば「シャッター」ですね。それには出入りのできるように、
扉もついていましたが、それにはこざる式の鍵がついていました。
そして蔵のほうは、江戸時代には今に近い「錠前」を使いました。
錠前をあけるための鍵は、時代劇なんかだと、
主人が寝るときも首からぶらさげたりしてますね。
日本人はとても器用ですから、外国からはいってきた「錠前と鍵」も
日本独自のものを作り上げてきました。「和錠」と呼ばれています。
コレクターもいまして、一度テレビでみましたが、
ものすごく大きくて頑丈そうで、重そうで…
うちの玄関扉だったら、鍵つけたまま、外れて倒れますわ。
頑丈で精密…という信頼性から、特に有名なものは「阿波錠」「土佐錠」など。
鍵については、私もこれ以上のことはよくわかりません。
からくり錠とか、おもしろそうなものが一杯あるのですが、
例によって「専門の本」は高い…。
そうそう、最初のあの「鍵に見えない鍵」ですが、
形は使われなくなっても、言葉としては残っています。
それも最近は死語に近いなー「この先をカギの手に曲がって…」なんてあれです。
せっかくの留袖の柄、カギの説明だけじゃもったいないですから、
いずれ「宝尽くし」柄のお話しでも…。
近所廻りがみんな顔なじみで、どこの家で猫が何匹生まれたかも、
三日もかからず知れ渡るような…そんな暮らしでした。
鍵は今みたいに頑丈じゃなかったし、開けっ放しもしょっちゅうでしたね。
母の顔を見に行くと、見送りはいいというのに、必ず父が出てきます。
鍵かけて帰るから、といってもいいから…と言って、
私が車に乗って走り出すまで見送ってくれます。だから私もそうしています。
家族の場合も同じで「いまだにそんなことしてるの?」といわれるのですが、
オットの見送りも、角を曲がって姿が見えなくなるまで、
息子はお迎えの車が見えなくなるまで、表に立って送ります、ヘン?
何年か前、自治会の班長の順番が回ってきまして、
たまにですが、直接それぞれのお宅に伺う用事がありました。
用が済んで「それではよろしくお願いします」「はい、ご苦労様です」…。
にこやかに挨拶を交わしてドアを閉め、さて帰ろうかとクルリとうしろを向くと、
その背中で「ガチャッ」と盛大な鍵の音がする…。
一軒ではありませんでした。
私が母にうるさく言われていたことの一つに「見送りを丁寧に」というのがあります。
「人が帰ったら一度部屋に入って、もう一度玄関に行きなおせ」と言われてました。
これは外まで見送らない人に対しての「鍵をかけるタイミング」のことなんですね。
つまり扉のむこうにまだその人の気配があるうちに「ガチャリ」と音を立てるな、
ということで、後ろから響く鍵音は、気分のいい音ではないというのです。
それまでニコヤカに、或いは丁寧に接していたことも、
その「ガチャリ」ひとつで帳消しになる…と。
もちろん昨今の世の中、「防犯」というイミでは、すぐにかけた方がいい場合もあります。
そんなことを考えなきゃならない世の中が寂しいのですが、実際のことです。
以前住んでいたマンションでは、親しい間柄だとお互いに、
「私が出たらすぐ鍵かけていいから」なんて言い合いました。
今でも私は宅配のお兄さんがきても、車に乗る音が聞こえるまで鍵をかけません。
こんなことは、いまやどうでもいいことなのですかねぇ。
鍵のお話しをしたいがために、無理やり持ってきたトップ写真、
「宝尽くし」の留袖です。「鍵」の絵があります、どこでしょう。
はいこちら…
ん~~鍵に見えない…ですねぇ。
まず、なんで宝尽くしの絵の中に「鍵」があるのか…、
もうこのお話しだけで長くなるので、最大限短く言うと…
「日本の『たからもの』は、その品物そのものよりも、それの持つ意味を
貴重なものとしたから」です。これは仏教・密教からきています。
鍵は「蔵の鍵」、つまり、この鍵を使うような大きな蔵をたくさんもてるように、
「富と立身出世」を望む気持ちですね。
では、なんでこんな鍵?これは、「おとし」と呼ばれる方式の鍵を開けるもの。
今「こざる」という鍵のハナシをしても、通じる人がなかなかいません。
見りゃわかるんですよ、一番単純なのは「雨戸の内側、下の鍵」です。
最近のものは金属製で、バネ式のものが多いですが、
ちょっと古い木造家屋などではまだまだみられるはずです。
この「おとし」の方式、つまり敷居に穴をあけ、そこに上から細い棒を「落とす」
これの大きいものが蔵に使われていました。
もっと複雑な、パズルみたいにもなっていたようです。
この「おとし」をあけるのに、蔵の壁にあけた小さい窓から、
この棒を差し込んで、先の曲がりを利用して「こざる」を開錠したわけです。
かつての日本では、家屋に鍵は、あまり必要とされませんでした。
まぁ貧しいものが多かったことと、近所の関わりが強かったことなどで、
せいぜい表戸に「心張り棒」をかけるくらいでした。
大きなお店などでは、間口と同じ寸法の板戸を並べたものを、
撥ね上げ式に作り、夜になるとそれを一気に下ろしてしまう、
いわば「シャッター」ですね。それには出入りのできるように、
扉もついていましたが、それにはこざる式の鍵がついていました。
そして蔵のほうは、江戸時代には今に近い「錠前」を使いました。
錠前をあけるための鍵は、時代劇なんかだと、
主人が寝るときも首からぶらさげたりしてますね。
日本人はとても器用ですから、外国からはいってきた「錠前と鍵」も
日本独自のものを作り上げてきました。「和錠」と呼ばれています。
コレクターもいまして、一度テレビでみましたが、
ものすごく大きくて頑丈そうで、重そうで…
うちの玄関扉だったら、鍵つけたまま、外れて倒れますわ。
頑丈で精密…という信頼性から、特に有名なものは「阿波錠」「土佐錠」など。
鍵については、私もこれ以上のことはよくわかりません。
からくり錠とか、おもしろそうなものが一杯あるのですが、
例によって「専門の本」は高い…。
そうそう、最初のあの「鍵に見えない鍵」ですが、
形は使われなくなっても、言葉としては残っています。
それも最近は死語に近いなー「この先をカギの手に曲がって…」なんてあれです。
せっかくの留袖の柄、カギの説明だけじゃもったいないですから、
いずれ「宝尽くし」柄のお話しでも…。
表に立っています。これって教えてもらって
しているのじゃなく親がしていてそうするもの
なんだと・・・でも、たまにとんぼ様が言われるように、すぐガシャと聞こえる時は気分の
いいものではありませんよね。
そうしなければいけないほど物騒な世の中に
なってしまった事がさみしいですね。
現在の状態はわかりませんが
当時はかなり物騒なところでした。
車で送ってもらったりすると、
日本式の感覚で言えば
車の姿が角を曲がって見えなくなるまでは見送る、
というのが礼儀ですが、
実はそれは危険なことなので
反対に車から降りた人が
建物(アパート)に入って家(その人の部屋)の電気がつくまで
車を運転した人(または送った責任者)が
見届けてから車を発進する、
というのが正しい礼儀でした。
礼儀作法も現実を見据えないと
理由がわからないこともあると
しみじみ思ったことでした。
優雅に出来ることには,あこがれるんですけどね・・・・
見えなくなるまで見送られるご家族はお幸せだと思いますよ。
・・・私は恥ずかしながら玄関先までです。
それとともに、うまこさんの書かれた「送って行った人が玄関を入るまでは見守る」というのも常識になっています。
見えなくなるまで見送るというのは、なるべくしたいなぁ、と思いつつ家から出てというのがなかなか日常的にでき難くなってます。(大邸宅でも無いくせに~)
窓から見送ったりはするのですけれど・・・
わたしの実家がそうですね(新潟の田舎です)
まだ独身時代、帰省した際、近所のお祭りにでかける時、母は鍵をかけないのです
「鍵 かけないの?」と言ったら
「かけないさあ。獲られるものがないじゃない。むしろ何か置いていってくれるさ」ですって。
のどかだ・・・・
あと、ご近所さんは、「○○さーーん、いるけー」と言いながら、勝手に玄関を開けて入ってきます。
縁側にも勝手に入ってきて、いろいろおすそ分けをもってきます。
ま、ある意味、田舎の父母は幸せっちゅうーか 離れてる私は安心?(笑)
端折ってしまうのかしら?って、思うことしばしばです。
私の場合はエレベーター前でドアがしまり、ガラス越しに
姿が見える間は手を振ったり、お辞儀をしたりして、
マンション内の人は送りますし、
娘、息子などは姿が見えなくなるまで送るし、
友人などはバス停でバスの姿が見えなくなるまで送ります。
これは母からの教えもありますが、母が人をもてなす
ときの基本でした。
<自分がしてもらって嬉しい!と思うことをしなさい>と。
今では心の余韻を楽しむ時間さえ惜しむ人が多くなった
ような気がいたします。
私自身も改めて気をつけたいことですね。
以前は鍵などかけたことが無いお家でしたがある日、見たことがない人が立っていて、水を飲ませてくれ、少しで良いからお金くれ・・・と言うことが有ったそうです。
それ以降、彼女も鍵をかけてくれます。
七五三に対するとんぼさんの感想役に立ちました、先日電車に乗った所、半数以上が着物の女性!!皆同じ駅で降りたけど着物を観察して、とんぼさんの意見聞きたいなぁ~と思いました。
着方にも寄るのでしょうが背が高く痩せた人は私の目から見てもバランスが・・・着物が透けて見える生地の長羽織り、始めてみました。
なみがしらとうこ先生、私も大好きです。単行本殆どあるんじゃないかな・・・
親の背中見て育つって言いますけど
昔はみんな荘でしたよね。
私もここへきて10年以上ですから、
ご近所の方とは、ワリと顔もあわせるんですけど
ニコヤカに話していても、帰るときに
「ガチャッ」とされると
なんか寂しい気がしますね。
けっこうお年のかたでもそうですから、
そういう世の中…なんですかねぇ。
オットがあちこちの外国に行ってまして、
そういう話を何度か聞いたことがあります。
自分の身は自分で守れなんだよ、とか。
「日本はいいねぇ」なんて言ってたんですが、
日本も最近はねぇ…。
優雅でありたいと思いつつ、
ダミーの防犯カメラに眼がいったりしています。
母は大正生まれのイナカびとですから、
そういうことは、うるさい人です。
言われてみれば、私はずっと母に見送られて
ガッコへ行ってましたわ。
今はなんだかせちがらいですね。
気持ちが大事…なんだと思うんですよ。
窓からでも見送られたら嬉しい!
以前、マンションで「回覧」を持ってきても、
ピンポンならして、出るともういない、
って人が居たんです。
むこうは「きたことを知らせるため」と
そういうつもりらしいんですけどね、
ちゃんと顔見て「回覧ですー」って、
それくらいしてもいいとおもうんだけど…。
そうでしたよ、私のところも。
晩のおかずのおすそ分けやら、
お茶菓子持参のおしゃべりやら…。
夫婦喧嘩も全部聞こえる暮らしじゃないのさ…
でしたからねぇ。懐かしいです。
世の中かわって、私が結婚して家を出るとき、
母に「これからは昼間ゼッタイ玄関に
鍵かけるのよ」と教え込んで出ましたわ。
もう10年以上住んでいても、
挨拶と立ち話だけのお付き合いしか
進んでいかないって言うのは、寂しいです。
それでもニコヤカに話すんだから、
ガチャリはやめてほしいと思いますねぇ。
ほんとに一瞬にしてさめますものね。
近所づきあいの形がかわってしまって、
なんか同じ類のひとたちだけ、
みたいなところがあります。
若いお母さんたちはおばさんには
見向きもしないし、おばさんはなんとなく
「若いヒトとはねぇ」って感じがして…。
寂しいですねぇ。
ほんとに物騒なことも多いです。
一時期「トイレかして」ってはいりこんで、
訪問販売はじめるってありましたよね。
母もそのころ一度やられましたよ。
品物は買わなかったんですが、
かえってもらうのにたいへんだったと。
世知辛い世の中になりました。
着物、たくさん見られたんですね!
透けて見えるのは「単羽織」の一種ですが、
イマドキは珍しいですね。
着る期間が短いですからねぇ。
なみがしらとうこ先生、短編では
「唐人屋敷」と「空中楼閣」がお気に入りです。