写真は、昨日のじゅばんの裾部分、丁寧に丁寧に縫ってあります。
なんとなくこのごろ考えていること。
先日書きましたとおり、以前は「この着物、羽織にしたら着られるな」とか「帯にしたらいいな」とか、
そんな感じで自分が身につけるものについてばかり、よく考えていました。
最近、そもそも「繰り回すってすごいよね」と改めて思っているわけです。
「繰り回し」という言葉、経理関係では今でも使うと思います。つまり「やりくり」のことですね。
でも、着物について「繰り回し」といっても、わからない場合も多いです。
リフォームというと、本来は「改正」、建築などでいうと、手を入れて部分的に改良することですね。
手芸本などで「パパのワイシャツをリフォームして、ボクのスモックに」などという書き方も珍しくありません。
リメイクもよく使われますが、同じものをもう一度作り直す事の方が多い、特に映画なんかはそうですね。
着物から洋服を作ることは「リメイク」と言いますね。
だいたい英語というのは「広域」の意味を持ちますから、作り直しの意味も、元と同じでなくてもいいのですね。
でも、和服から和服の場合は、どうも「リフォーム」も「リメイク」も、しっくりこないなぁといつも思っています。
やっぱり和服は「繰り回し」、つまり「やりくり」というのが、一番ピッタリだなと。
つまらん屁理屈はこれくらいにして…。
洋裁の裁断と違って、和裁は全て直線裁ちです。
また、洋裁は各部分に必要な「縫い代」をつけてあとは裁ち落としますが、
和裁は縫い代の幅は縫う箇所によって違っても、全て縫い込むだけで裁ち落としません。
この違いが、いわば「リフォーム」と「繰り回し」の違いであろうと、私は感覚的に思っています。
着物というものは、最初に反物という形のものを「必要尺分ずつ」裁断して縫いあわせる、
そのときから「繰り回し」を考えているもの、といっても過言ではありません。
縫い代をどこも裁ち落としませんから、解いて全部つなげれば一反の反物に戻ります。
派手になったりどこか傷んだり、汚れたりしたら、一度全部解いて、つなぎ合わせてみればいいわけです。
そして、使えない部分がどこかを見て「残った使える部分の大きさ」で、次に何にできるかを考えるわけです。
着物は基本的に大人も子供も、男も女も、ほぼ同じ形ですから。
更には昨日のじゅばんのように、残ったものをつなぎ合わせて、また一枚の着物にもできる…つまり二枚で一枚作る、
なんてことも可能です。いいところだけをつなぎ合わせて、着物としては着られなくてもじゅばんにするとか。
それの究極が端縫いというわけです。
モノが豊かなこの時代、そんなにまでして着なくても、というキモチも私にだってありますが、
でも「ものがあるんだから、古いものはいらない」ということではなく、
あるなしにかかわらず、「今あるものをどこまで大切に使うか」が、
本当の節約とかリサイクルということではないかと思います。
今までご紹介した私の「繰り回し」、私の場合は「いいとこどり」がほとんどです。
ブログで最初はこれでしょうか。
元々は留袖、古着で出ていたもの。これは染めたものではなく、柄の部分をいわばペタっと貼ったもの…
つまり元々がそれほど高価なものではないタイプ。
こちらは男物じゅばんのくりまわしで作った道中着。桜散る中にとまっている吉原通いの駕籠二丁。
じゅばんというと、だいたい着物よりは薄い羽二重などですが、これは地厚でした。
表着の反物であったと思います。なので、道中着にしても、ぺらぺらにはならないと判断して、
つくりかえてもらいました。素材も考えれば、使い方が決まってくるわけですね。
着物からじゅばんは、最近の「大津絵振袖」こちらです。
じゅばんは、今は綸子がほとんどですが、ちりめんのじゅばんは昔は多く使われました。
ちりめんの着物からの繰り回しも多いです。
暖かさはこちらが勝ちです。ただし、どうしてもわずかでも「厚み」がありますから、
新しいもので作ると、ちょっとぽってりします。使いこなした薄いものは重さはありませんが、いずれにしても、
ちりめんのざらざらがあると「すべり」は綸子より落ちます。
実験的に、とやったものはこちら、訪問着から羽織、です。
よく見ると少し色あせ部分もあったりの、古い両褄柄の訪問着でした。
古い着物、ハデになった着物は、そこで終わらせるのはもったいないです。
確かに自分で仕立てられないということは、お金もかかりますが、繰り回すことで、また何年も着られる…。
親から子へ…というのはもちろんですが、今頼まれている「掛け着」も、三歳のお祝いには、
揚げをして、三尺しめて、被布を着せてあげて、また使ってほしいものです。
ここからひるがえって十二単を想うとあの反物はどれほどの幅だったのかしら…。
ご褒美として下賜され通貨の役もしていたように思います。
だからこそ「鶴の恩返し」命を削って機織りしたのですね(T_T)
縁あって私が手にした布、ますます愛おしくなりました。
繕りをしていました。ズボンの膝部分は
もちろんですが、周りの子も同じように
継ぎの当たったのを穿いていました。
だからどんな小さな布切れでも大事にとって
ありました。
そういう記憶があるからか、今は繕いなど
ほとんどしないけれど、布は捨てられない
方です。
とんぼ様の繰りまわしされたのは、どれも
素晴らしいですね。
「もったいない」っていい言葉だと思います。
なんたって、捨てられなくて余分なものがたまりますが、
布だけは、ほんとに「捨てられません」。
平安時代の布幅、細かい資料がなかなかありませんが、
今残っている衣装などの情報から、40センチ強くらい、
といわれています。
昔の「宝物」の絵には、白絹の反物が積み上げたりして
描かれています。ほんとにお宝だったのでしょうね。
「雨仕事」、久しぶりに聞きました。
そうでしたね、母が火鉢のそばに座ったりして、
よく「繕い物」をしていました。
ツギがあててなくて、穴のままのほうが恥ずかしいといわれました。
どの色が合うか、と、こまごましたハギレから、
ツギアテにするのを探していたり。
懐かしい風景です。
私の繰り回しもだんだん凝ってきて、縫子さんを毎度泣かせています。
どうにか しようと思ったものの
裄が着物でも足りないので
なかなか道行や羽織に繰り回せないでいます。
新しい並み幅の反物を使用しての道行は 裏表を使用し
袖に接ぎを入れて 見映え良く仕立てて頂きましたが
生地や模様を選ばないと難しいですよね。
昔の物が 自分に合わせて お洒落に変身出来ると嬉しいですね。
あやかりたいです
羽織や道行になると、遊べない場合がおおいですが、
道中着なら、思い切り別布を足すなどの方法もあります。
切り替えたり、形見代わりにしたり…。
もったいないですからねぇ。
袖なし羽織というテもありますよ。