写真は「口と足で描く芸術家協会」販売のカレンダーの絵。
大きくてスキャン範囲超えましたので、絵のところだけ。ま、暦ってことで…。
これを描いたのはスイスの男性で、口に筆を銜えて絵を描き続けたそうです。
先日「盆休みかぁ」と書きましたが、イメージでいう「夏休み」のことです。
実際の盆の迎え火は、13日、送り火は16日です。
そして本来の「盂蘭盆会」は、7月ですが、
近代になって学校の夏休みというのが7月20日前後からということで、
みんな8月の「夏休み」に一家揃って里帰りする、ということが増えたため、
盆も旧でやるところが多い…と、以前何かで読みました。
さて、本来の盆の7月16日にはそのほかに「やぶ入り」というのがあります。
これは一年のうち「1月16日と7月16日」の二回あります。
やぶ入りとは「家に帰れる日」です。語源は諸説ありますので書きません。
昔丁稚奉公などが行われていたころ、この日だけは休日、というもの。
子供のころ、そのことについての知識はありませんでしたが、
大人の会話の中で「どこそこの娘さんはやぶ入りにも帰ってきはらへん」とか、
「だれそれの息子さんは遠くで働いてはるから、旧のやぶ入りには、
もどってきはるやろ」とか、そんな話しを耳にしていました。
生活習慣は、暦によって大きく変わりました。
季節が、というより月がズレたというのもありますが、
社会そのものがかわってきたわけです。
開国前は、人がその土地を出て動くということは、
そんなに多いことではありませんでした。
ほとんどが生まれ育った土地を一生出ない、という暮らしだったわけで、
だからこそ「氏神様、産土神様」も変わらず、「旦那寺」も十分存在し、
みなその土地で生まれてその土地の土に返ることが多かったわけです。
そして、たとえば隣村に嫁いだ娘が、やぶ入りに里帰りし、
町では奉公人の里帰りを許したわけです。
ただし一日だけで、「一泊」はありません。
この日は実家に帰り、おっかさんの手料理を食べ、親孝行をして、
帰りは母親に送られて帰る…とうのが慣わしでした。
母たちが言っていた「やぶ入り」というのは、もっと意味がひろがって、
「夏休み取って帰ってくる」とか「盆に里帰りして何日間かゆっくりしていく」
ということでしたが、やぶ入りという古い言い回しは、
私にとって「竹やぶの中にわざわざ入るような、ヘンな言葉だ」
という記憶として残っています。私自身はもう、やぶ入りだから、
というようなことは言いませんが、話しているの意味はわかるわけです。
今の人はわからないでしょうからそれはちっとさびしいなぁと思うのです。
テレビでたとえば「今日は大暑、一年で一番暑いといわれ…」なんていいますね。
そして彼岸とか盆とか土用とか、何かと耳にしますが、
ちゃんとした意味だとか、内容について詳しく教える大人はいなくなりました。
土用というと「丑の日」ばかりで、うなぎ食べる報道しかありませんが、
実際の土用は4回あります。夏に言われるのは平賀源内さんの策略による
「うなぎ食べる日」と「土用波」が立つから海に入るなと、そのくらい?
でも本来は「土用の間は土いじりしないほうがいい」といいます。
これは土木工事なども含まれます。いまじゃそんなこといってたら
仕事になりません。都合のわるいことは忘れるようになったんですねぇ。
ではその土用はいつあるか、といいますと「立春・立夏・立秋・立冬」の
それぞれの「前18日」くらいです。
そんなにあったらなんにもできん…なわけですが、
暦を使って暮らしていた人たちは、自分たちの暮らしにあわせて。
それを上手に使っていたわけです。だって農家の人はずっと土いじりしますし…。
では、この立春だのなんだの、これはなんというかというと
「二十四節気」といいます。いくつかは皆さんもしっていますね。
立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨、立夏、小満、芒種、夏至、
小暑、大暑、立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降、立冬、小雪
大雪、冬至、小寒、大寒 の24個。
聞いたことある~だと思います。
このほかに雑節というのがあり、土用はその中に入ります。
「節分、初午、八十八夜、入梅、 半夏生、
二百十日、二百二十日、土用、彼岸、盂蘭盆」
更に「節句」は五つ「人日、上巳、端午、棚機」があって
「六輝」というのがあり「大安、先勝、友引、先負、仏滅」
そして「中段十二直」で「建、除、満、平、定、執、破、危、成、納、開、閉」
これ、けん・じょ・まん…ではなく
「たつ・のぞく・みつ・たいら・さだん・とる・やぶる・
あやぶ・なる・おさん・ひらく・とづ」と読みます。
みたまんまで、建つは祭祀関係、婚姻、新築などにいい、とか…。
まだあるんですよー。
平安貴族などは、陰陽・易学にのっとって暮らしていましたから、
夢見が悪かったから物忌みするとか、帰る方角が悪いから方違えするとか、
律儀にやっていたわけです。洗髪の日まで決めていたそうですから。
たいへんだったでしょうねぇ。
昔はどこの家にも「日めくり」というカレンダーがあって、
そこには旧暦と新暦の日が書いてあり、その日がどんな日か
上のいろいろなことが全部書かれていました。
たとえば今日8月12日は
「新暦8月12日火曜日・きのえさる・三碧・旧暦7月大の月12日・
赤口・建(たつ)」…このあと上には書いてませんが、
「二十八宿」の「翼」「下段」の「大明」という日です。
これが全部書いてあり、祝祭日には日の丸がクロスして描かれていました。
そういえば、あのころはお正月でも、祝祭日でも玄関や門のところに
国旗を立ててましたね。だから祝祭日を「旗日(はたび)」といいました。
これも死語ですかねぇ。
私は親が毎年年末になると必ず本屋にいって「翌年の暦」を買いましたので、
私も当たり前のようにそうしてきました。最近は年末でなくても売ってますね。
だからと言って暦によって暮らしを決めているわけではありませんが、
日めくりを使わなくなり、私はこれがないとなんか落ち着きません。
両親は今でも、どこかへお祝いに行く、とか、新しい家具など大きいものを買う、
新しい服や靴を下ろす、なんて時は「大安の午前中」です。
私なんぞ、そんなこといってられませんで、
玄関のサンダルがいよいよダメになって、新しいの買って帰って
さっそく履いたら「仏滅の夕方」だったりする…。
着物だけは日のいい日におろしや、と今でも母はいいますが、
予定は暦にあわせてくれません。
息子の入学式が仏滅だったり、先輩の退職のお祝いが夜だったり…。
人が暦で動いていた時代とは違ってしまいましたから、
私もあんまり細かくは気にしませんが、日本という国はこんなに季節とか、
行事とか、神仏とかを大切に思ってきたんだな、と、
暦を見るたび思います。
「暦」は易学ですから、当然「占い、運勢」なんてことに関わってきます。
方角がどうの年回りがどうのということは、信じる信じないがありますから、
運勢だの何だのについては書きませんが、今でも家を建てるとき、
北東の角は「鬼門」というのは言われますね。
暦には、その年の「いい方角わるい方角」もかいてあります。
そして日本人は生まれた年によって十二支の「なに年」というのを持ちますね。
まずその十二支と九星(1から9までの数と色の組み合わせ)
というものの組み合わせがあります、有名なのは「ごーのとら」。
正確には「五黄(ごおう)の寅」です。
この話しを書きますと、これまた長くなるのでやめておきます。
ちなみに私はその「五黄の寅」です。
時代劇などで、よくお守り袋の中の書きつけを見る、なんて場面があります。
「ひのえさるのとしうまれ まつきち」なんて書いてある…。
こちらは今度は十二支と十干の組み合わせですが、
これがいうところの「干支」です。
過去に書いていますのでそちらをご覧ください。
この組み合わせは60年に一度しかきませんから、
「かのえとら」だの「ひのえさる」だの、当時の人は
それだけでそのひとの年齢がわかりました。
かの時代は「上のかた」の生死に関係なく、年号がころころと変わりました。
それでも、この「十二支と十干」の組み合わせさえわかれば、
年はすぐ数えられたわけです。
今じゃ「昭和45年生まれ」なんていわれると、
ちょっとまってよ、平成が20年で、昭和が63年だから、なんてめんどくさい。
それで最近はすっかり西暦で生まれを言うようになりましたね。
私はかぞえやすいんですよ、1950年ですから。
算数弱い私でも、年の計算すぐできます!?(いーのよ!今しなくてもっ!)
私だって、自分は「かのえとら」の生まれとわかっていても、
人のを聞いてもわかりません。それでも、私たちの年代って、
まだ年の上下を知るのに「あの人ウシだもん、あなたより年上よ」なんて
そんなことを言ったりします。バサマなんぞ、シンセキ関係は、
「あの子ははウマやから、あんたより8つ上や」とか、
「あそこのおばはんは、あんたの一周り上やから○○才や」とか、
そっちのほうが計算が速いですね。
暦にはこの「干支・九星・十干」の組み合わせも書いてあります。
一番上は、107歳までありますから、あなたのも見ればわかりますよ。
暦はその使い方はすっかりかわってしまいましたけれど、
この日本という国の、季節や人心を大切にする歴史が見えます。
以前にもお勧めしたと思いますが、一度読んでみてください。
お高いのもありますが1000円前後です。
大きくてスキャン範囲超えましたので、絵のところだけ。ま、暦ってことで…。
これを描いたのはスイスの男性で、口に筆を銜えて絵を描き続けたそうです。
先日「盆休みかぁ」と書きましたが、イメージでいう「夏休み」のことです。
実際の盆の迎え火は、13日、送り火は16日です。
そして本来の「盂蘭盆会」は、7月ですが、
近代になって学校の夏休みというのが7月20日前後からということで、
みんな8月の「夏休み」に一家揃って里帰りする、ということが増えたため、
盆も旧でやるところが多い…と、以前何かで読みました。
さて、本来の盆の7月16日にはそのほかに「やぶ入り」というのがあります。
これは一年のうち「1月16日と7月16日」の二回あります。
やぶ入りとは「家に帰れる日」です。語源は諸説ありますので書きません。
昔丁稚奉公などが行われていたころ、この日だけは休日、というもの。
子供のころ、そのことについての知識はありませんでしたが、
大人の会話の中で「どこそこの娘さんはやぶ入りにも帰ってきはらへん」とか、
「だれそれの息子さんは遠くで働いてはるから、旧のやぶ入りには、
もどってきはるやろ」とか、そんな話しを耳にしていました。
生活習慣は、暦によって大きく変わりました。
季節が、というより月がズレたというのもありますが、
社会そのものがかわってきたわけです。
開国前は、人がその土地を出て動くということは、
そんなに多いことではありませんでした。
ほとんどが生まれ育った土地を一生出ない、という暮らしだったわけで、
だからこそ「氏神様、産土神様」も変わらず、「旦那寺」も十分存在し、
みなその土地で生まれてその土地の土に返ることが多かったわけです。
そして、たとえば隣村に嫁いだ娘が、やぶ入りに里帰りし、
町では奉公人の里帰りを許したわけです。
ただし一日だけで、「一泊」はありません。
この日は実家に帰り、おっかさんの手料理を食べ、親孝行をして、
帰りは母親に送られて帰る…とうのが慣わしでした。
母たちが言っていた「やぶ入り」というのは、もっと意味がひろがって、
「夏休み取って帰ってくる」とか「盆に里帰りして何日間かゆっくりしていく」
ということでしたが、やぶ入りという古い言い回しは、
私にとって「竹やぶの中にわざわざ入るような、ヘンな言葉だ」
という記憶として残っています。私自身はもう、やぶ入りだから、
というようなことは言いませんが、話しているの意味はわかるわけです。
今の人はわからないでしょうからそれはちっとさびしいなぁと思うのです。
テレビでたとえば「今日は大暑、一年で一番暑いといわれ…」なんていいますね。
そして彼岸とか盆とか土用とか、何かと耳にしますが、
ちゃんとした意味だとか、内容について詳しく教える大人はいなくなりました。
土用というと「丑の日」ばかりで、うなぎ食べる報道しかありませんが、
実際の土用は4回あります。夏に言われるのは平賀源内さんの策略による
「うなぎ食べる日」と「土用波」が立つから海に入るなと、そのくらい?
でも本来は「土用の間は土いじりしないほうがいい」といいます。
これは土木工事なども含まれます。いまじゃそんなこといってたら
仕事になりません。都合のわるいことは忘れるようになったんですねぇ。
ではその土用はいつあるか、といいますと「立春・立夏・立秋・立冬」の
それぞれの「前18日」くらいです。
そんなにあったらなんにもできん…なわけですが、
暦を使って暮らしていた人たちは、自分たちの暮らしにあわせて。
それを上手に使っていたわけです。だって農家の人はずっと土いじりしますし…。
では、この立春だのなんだの、これはなんというかというと
「二十四節気」といいます。いくつかは皆さんもしっていますね。
立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨、立夏、小満、芒種、夏至、
小暑、大暑、立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降、立冬、小雪
大雪、冬至、小寒、大寒 の24個。
聞いたことある~だと思います。
このほかに雑節というのがあり、土用はその中に入ります。
「節分、初午、八十八夜、入梅、 半夏生、
二百十日、二百二十日、土用、彼岸、盂蘭盆」
更に「節句」は五つ「人日、上巳、端午、棚機」があって
「六輝」というのがあり「大安、先勝、友引、先負、仏滅」
そして「中段十二直」で「建、除、満、平、定、執、破、危、成、納、開、閉」
これ、けん・じょ・まん…ではなく
「たつ・のぞく・みつ・たいら・さだん・とる・やぶる・
あやぶ・なる・おさん・ひらく・とづ」と読みます。
みたまんまで、建つは祭祀関係、婚姻、新築などにいい、とか…。
まだあるんですよー。
平安貴族などは、陰陽・易学にのっとって暮らしていましたから、
夢見が悪かったから物忌みするとか、帰る方角が悪いから方違えするとか、
律儀にやっていたわけです。洗髪の日まで決めていたそうですから。
たいへんだったでしょうねぇ。
昔はどこの家にも「日めくり」というカレンダーがあって、
そこには旧暦と新暦の日が書いてあり、その日がどんな日か
上のいろいろなことが全部書かれていました。
たとえば今日8月12日は
「新暦8月12日火曜日・きのえさる・三碧・旧暦7月大の月12日・
赤口・建(たつ)」…このあと上には書いてませんが、
「二十八宿」の「翼」「下段」の「大明」という日です。
これが全部書いてあり、祝祭日には日の丸がクロスして描かれていました。
そういえば、あのころはお正月でも、祝祭日でも玄関や門のところに
国旗を立ててましたね。だから祝祭日を「旗日(はたび)」といいました。
これも死語ですかねぇ。
私は親が毎年年末になると必ず本屋にいって「翌年の暦」を買いましたので、
私も当たり前のようにそうしてきました。最近は年末でなくても売ってますね。
だからと言って暦によって暮らしを決めているわけではありませんが、
日めくりを使わなくなり、私はこれがないとなんか落ち着きません。
両親は今でも、どこかへお祝いに行く、とか、新しい家具など大きいものを買う、
新しい服や靴を下ろす、なんて時は「大安の午前中」です。
私なんぞ、そんなこといってられませんで、
玄関のサンダルがいよいよダメになって、新しいの買って帰って
さっそく履いたら「仏滅の夕方」だったりする…。
着物だけは日のいい日におろしや、と今でも母はいいますが、
予定は暦にあわせてくれません。
息子の入学式が仏滅だったり、先輩の退職のお祝いが夜だったり…。
人が暦で動いていた時代とは違ってしまいましたから、
私もあんまり細かくは気にしませんが、日本という国はこんなに季節とか、
行事とか、神仏とかを大切に思ってきたんだな、と、
暦を見るたび思います。
「暦」は易学ですから、当然「占い、運勢」なんてことに関わってきます。
方角がどうの年回りがどうのということは、信じる信じないがありますから、
運勢だの何だのについては書きませんが、今でも家を建てるとき、
北東の角は「鬼門」というのは言われますね。
暦には、その年の「いい方角わるい方角」もかいてあります。
そして日本人は生まれた年によって十二支の「なに年」というのを持ちますね。
まずその十二支と九星(1から9までの数と色の組み合わせ)
というものの組み合わせがあります、有名なのは「ごーのとら」。
正確には「五黄(ごおう)の寅」です。
この話しを書きますと、これまた長くなるのでやめておきます。
ちなみに私はその「五黄の寅」です。
時代劇などで、よくお守り袋の中の書きつけを見る、なんて場面があります。
「ひのえさるのとしうまれ まつきち」なんて書いてある…。
こちらは今度は十二支と十干の組み合わせですが、
これがいうところの「干支」です。
過去に書いていますのでそちらをご覧ください。
この組み合わせは60年に一度しかきませんから、
「かのえとら」だの「ひのえさる」だの、当時の人は
それだけでそのひとの年齢がわかりました。
かの時代は「上のかた」の生死に関係なく、年号がころころと変わりました。
それでも、この「十二支と十干」の組み合わせさえわかれば、
年はすぐ数えられたわけです。
今じゃ「昭和45年生まれ」なんていわれると、
ちょっとまってよ、平成が20年で、昭和が63年だから、なんてめんどくさい。
それで最近はすっかり西暦で生まれを言うようになりましたね。
私はかぞえやすいんですよ、1950年ですから。
算数弱い私でも、年の計算すぐできます!?(いーのよ!今しなくてもっ!)
私だって、自分は「かのえとら」の生まれとわかっていても、
人のを聞いてもわかりません。それでも、私たちの年代って、
まだ年の上下を知るのに「あの人ウシだもん、あなたより年上よ」なんて
そんなことを言ったりします。バサマなんぞ、シンセキ関係は、
「あの子ははウマやから、あんたより8つ上や」とか、
「あそこのおばはんは、あんたの一周り上やから○○才や」とか、
そっちのほうが計算が速いですね。
暦にはこの「干支・九星・十干」の組み合わせも書いてあります。
一番上は、107歳までありますから、あなたのも見ればわかりますよ。
暦はその使い方はすっかりかわってしまいましたけれど、
この日本という国の、季節や人心を大切にする歴史が見えます。
以前にもお勧めしたと思いますが、一度読んでみてください。
お高いのもありますが1000円前後です。
暦は四季のある日本だけのものですから
残しておきたいですね。
最近は温室効果のせいか
ノロウィルスが活動活発で、点滴でかつぎこまれて来られた
患者さんを見ました。
(なんであたしだけ~とつぶやいていました^^;)
インフルエンザウィルスも変異が早くて
ワクチンが追いつかないそうです。
怖いですね。
冬場に0度になる日がすくないからだとか。
毎日見るという事はないですが、やはり
大事な事のある日は詳しく載っている暦を
見ます。
出来る事なら悪い事は避けて通りたいですものね。最近は仏滅の日はサービスがいいからと
結婚式を挙げられる時代ですが、母に教えて
もらった事は守りたいなと思っています。
なにうれしかろ~
帷子はなし~
帯はなし~
つまりは、嬉しい筈の「薮入り」だけれど
家に着ていく衣装が無い・・ということですナ
候というのもあり、俳句でも使うことがありま
す。
8月7日は二十四節気で「立秋」で、七十二候
で「涼風至」でした。8月23日は「処暑」で
暑さようやく収まる日だそうです。期待しまし
ょう。
新暦と旧暦の違いでが原因で俳句の季語で苦労
することがあります。それは、「七夕」「朝
顔」が秋の季語であることです。「七夕」は
旧暦7月7日となれば、一月違えて何とか無理
やり納得はできますが、「朝顔」はどうにも困
難です。これも地球の温暖化現象でしょうか?
江戸時代には江戸で鶴が空を飛んでたそうですから。
小さな集落の 神社の祭り 田んぼの水神様の
行事 などです。
段々サラリーマンの休みに あわせていますが
残したいものです。
嫁に来た頃寒くなって コタツを出そうとしたら 義父に亥の子がきてから 出すように
言われたのを思い出します。
暦は読み物としても(なんて失礼ですが)
面白いと思います。
転校異変って、そんなところまで
影響するんですね。
夏はふつうに暑く冬は普通に寒い…
あたりまえじゃなくなっちゃいましたねぇ。
陽花様
私もそうです。
できれば日のいい日に、とか方位のいい所に、
なんて思いますね。
いろいろな行事は消えてほしくないです。
仏滅の結婚式ねぇ、よく聞きますが、
一生に一度のことなんだから…、
あっ二度目もあったわ…アタシ。
伊藤様
大店では、奉公人に新しい着物を買ってやって
やぶ入りさせたところもあったようですが、
そんないい条件のところは
めったになかったんでしょうねぇ。
うんちく様
季語は難しいですね。
私は調べないとわからないので
失敗があります。
でも、今の暮らしにあわせて
「朝顔」は夏のほうがいい句が
できそうな気がしますけどねぇ。
穴熊の女房様
ああ、いいですねぇ。
「亥の子」、懐かしいです。
母もよく「まだ亥の子やないけど」といいつつ
コタツだしてましたね。
だんだん「実生活」のほうが大事になって、
衣替えも緩んできましたけれど、
なんていうのか「心意気」みたいなものは、
残ってほしいですね。