本日も起動してくれたぁ、明日になったらお休みさせてあげるからねっ、
和太がんばっておくれ…。
着物好きなら誰でも一度は着たいと思う「本場大島紬」。
なんであんなに高いんだべか…、なんてことは言ってもせんないことですが…。
とりあえず、今回反物で3本ださせていただく予定です。
これは呉服屋さんをおやめになった方から譲られたものです。
少し古いものであるというだけで、目立った傷などもなく、
ホンモノである証明の証紙もついてます。
まずは証紙の見方のお話です。
大きいので左右に分けて写しました。
大切なのはまず右側の「地球のマーク」
こちらは「奄美大島産」であることを証明しています。
このほかに「国旗がクロスしているもの」があります。
それは「鹿児島産」の証明で、大島紬であることにはかわりありません。
大島と鹿児島で証紙が違うのは、戦後のアメリカ統治のための時期、
同じ証書が使えなかった名残です。
この証書は、本場大島紬と証するための、いくつかの「定義」を
全てクリアしているものにつけられます。
左側はこれです。但し、2年前から証紙の地色が青ではなく、
茶色になっています。つまりこの反物は平成17年以前に織られたものです。
この証紙は「泥染め」であることの証明です。
このほかにも、機械織りだとか、あれこれ見方はありますが、
とりあえずこれは「手織り物」の記載も、証明である赤い判もあります。
(機械織りの場合は、金色の丸いシールがあります)
絹糸を機織にかけて反物を作り、それに柄をつけるのが染の着物、
最初に糸を染めてから、柄を織り出すのが織の着物、
そういうわけ方をするなら、京友禅も加賀友禅も紅型も江戸小紋も、
皆まとめて「染めた反物」であり、大島も結城も黄八丈も「織った反物」ですね。
更にその中で、その地域の技術の特徴や色柄の特徴によって分けられると、
それが京友禅・加賀友禅、大島紬・結城紬と呼ばれたりするわけです。
そして、その地域でその方法で作られたものが特産となるわけです。
大島で作られた紬については、奈良時代にすでにその記述があるといいますから、
かつての琉球王国では、古くから作られていた織物であったわけです。
但し当時はおそらく無地、せいぜい縞・格子程度であったろうと言われています。
つまり、かつての大島での紬織は、さまざまな種類があったわけです。
これは、大島に限りませんが、その土地で採れる染料となるものや、
糸となるものの原料がいろいろあれば、いろいろな染物織物ができるわけです。
大島は南の島ですから植物はたくさんあったわけで、多種の草木染がありました。
それは今でも読谷山花織とか芭蕉布とかで、大島紬とは別に残っています。
明治に入って、いわゆる「産業」として大島紬を広める段階になって、
特色をだすために「大島紬」は車輪梅(現地ではテーチギと呼ばれます)と
鉄分の多い泥を使ったもののみが「大島泥染め」であると決めたわけです。
というわけで今、大島紬と呼ばれるものの歴史は、
実はそれほど古くはないものなわけですね。
更には明治の終わりごろに、絣のくくりについて新しい工夫が発明されました。
ここでまたちょっと脱線ですが「絣・かすり」というのはなんでしょう。
絣というと久留米や伊予、備後…と、木綿が真っ先に思い浮かびますが、
木綿であれ絹であれ麻であれ、糸の染めの部分を縦糸と緯糸を
織りながらあわせて柄を織り出す、ということで
実は結城でも大島でもみんな「絣」なんですね。
模様が糸の微妙なズレでかすれたようにみえるから「かすり」と言います。
さて、この絣の織り方、模様の出し方は、産地によって
それぞれに特徴はあるわけですが、ごくごく基本的なことをいいますと…
紺地に白の絣だとしましょう。
まず縦糸を紺地に染めるとき、ところどころを糸で強くくくって、
紺色に染まらないようにします。次に緯として通す糸にも、織ったときに
縦糸の染め残した部分と交差する位置を、糸でくくって染まらないようにします。
この糸を使って機織をしていくと、緯を通すたびに縦糸の染まっていない部分と
緯の染まっていない部分が交差したところは、白く残り柄になっていくわけです。
これを白く残すだけでなく、いろんな色に染めたり、
交差する場所を細かくかえたりすることで、さまざまな模様ができるわけです。
また緯のみで柄を出す絣もあり、それは「緯総(よこそう)」或いは
「よこそ」といわれます。絣と一口に言っても、作り方はイロイロなわけです。
原理自体は単純なのですが、これを細かい柄にしようとすればするほど、
たいへんな手間がかかるわけです。
さまざまな産地では、それぞれの特産として染料や模様の織り出しに
工夫をこらして「何々紬」「何々絣」として残してきたわけですね。
ところで、大島紬についていうならば、この最初の糸をくくるというところに
特徴があります。実はくくるのではなく「締めばた」と言って、
仮織りをしてくくりの代わりとするのです。
これはもう説明すると、実際には理屈しか知らない私には
とても難しくて説明できませんので、分かりやすい写真でもないかと
ググってみました。ありましたよぉ、私の説明の貧弱なところは
この画像でお確かめください。糸でくくる結城と締めばたの大島です。
こちらのペーシが「糸でくくる」ほう、結城紬です。
そしてこちらが大島の「締め機」のページです。
とまぁこんな具合に、大島の紬にはいろいろな特徴があり、
これを定義として、その定義に当てはまるものだけに「証紙」がつくわけです。
紬という字が使われていますが、正確には紬ではありません。
使われている糸が「紡いだ糸」ではなく「績んだ糸」だからです。
はいおさらいでーす、ってアンタはせんせーか…。毎度書いておりますが、
紡績、という字は、どちらも糸を「つむぐ」という意味ですが、
紡ぐほうは、一度綿にしたものから糸を引き出してつむぐこと。
績(う)むほうは、蚕の繭から直接糸を引き出してまきとること。
クズ繭とか規格ハズレの繭、野蚕などを、繭を割って真綿にし、
そこから引き出して紡いだ糸で織ったものが紬です。
紬という名前もそこからきています。つまり手仕事ですから糸に太い細いができ
織物にしたとき布がざらついて、ところどころに節があったりします。
蚕から直接取った糸は均一で滑らか、織り上げてもでこぼこがありません。
大島紬は、今、生糸から作られています。だからでこぼこがありません。
結城や牛首などは、今でもざらつきや節がある紬がありますね。
そういうことできちんと分けるとするなら、大島は正確には単なる「絣」です。
たまたま、昔は紡いでいたものが戦争などによって
大島紬そのものの製造が、存亡の危機に陥り、
その染や織りの技法は復活したものの、すでにそれだけのものが作れるほど
大島近辺での養蚕はなかったということです。
また生糸を使うことによって、薄く軽いものが織れるわけで、
そういうメリットもあって大島紬は紬でなくなったのです。
さて大島ではよく耳にする「マルキ」という言葉ですが、
このマルキ数が多いほど「こーきゅーひん…」。
これもまたややこしいのですが、マルキというのは1マルキ80本という単位で、
この糸が模様を織り出すための、くくられた染残りがある糸、なわけです。
例えば、一反の大島紬を織る場合の縦糸の本数は、
だいたい1200から1500本くらい、その中に何マルキの糸が入るか、です。
たとえば7マルキといえば、7×80で560本(実際にはズレがあります)
残りは無地糸になります。
絣の模様というものは、細かければ細かいほど柄のあわせが難しいわけで、
たとえば「蚊がすり」というのは、ごくちーさな十字がすりが、
反幅いっぱいにこまかーくならぶので「蚊」と呼ばれます。
ほんの何ミリの糸の色をあわせますから、たいへんな作業になるわけです。
大島では、染の段階から、泥染めにつける回数とか締め機の手間とか、
このマルキの数とか、さまざまなところで手間がかかればかかるほど、
お高くなるわけですね。
今回の反物でちょっとその細かいところを…
を拡大すると…
接写があまり得意でないカメラなもんで、こんな程度ですみません。
あっアタシの腕か…。
ともあれ、これだけの柄を織り出すために、まずはデザインががおこされ、
そのデザインによって、縦糸緯にそれぞれくくりや締めがされて染め分けられ、
更に更に、はたおりで織りながら一本ずつ柄あわせをしていく、という、
気の遠くなるような作業の繰り返しなわけです。
このほかに「○○大島」と呼ばれるものは…、
泥藍大島は、藍で先染めした糸を更にテーチギで染めて泥につけたもの。
草木泥染大島は、大島の定義以外の草木染で染められたもの。
色大島は、新しく考え出されたもので化学染料を使用しています。
白大島は、地色を染めずに、絣模様にだけ色を入れたもの。
草木染には「草木染」の証紙が貼られます。
大島は水を通れば通るほど、つまり長年着用して洗い張りの回数が増える、
ということですが、そうなればなるほど軽くしなやかになります。
一枚はもっていたいものですね。
和太がんばっておくれ…。
着物好きなら誰でも一度は着たいと思う「本場大島紬」。
なんであんなに高いんだべか…、なんてことは言ってもせんないことですが…。
とりあえず、今回反物で3本ださせていただく予定です。
これは呉服屋さんをおやめになった方から譲られたものです。
少し古いものであるというだけで、目立った傷などもなく、
ホンモノである証明の証紙もついてます。
まずは証紙の見方のお話です。
大きいので左右に分けて写しました。
大切なのはまず右側の「地球のマーク」
こちらは「奄美大島産」であることを証明しています。
このほかに「国旗がクロスしているもの」があります。
それは「鹿児島産」の証明で、大島紬であることにはかわりありません。
大島と鹿児島で証紙が違うのは、戦後のアメリカ統治のための時期、
同じ証書が使えなかった名残です。
この証書は、本場大島紬と証するための、いくつかの「定義」を
全てクリアしているものにつけられます。
左側はこれです。但し、2年前から証紙の地色が青ではなく、
茶色になっています。つまりこの反物は平成17年以前に織られたものです。
この証紙は「泥染め」であることの証明です。
このほかにも、機械織りだとか、あれこれ見方はありますが、
とりあえずこれは「手織り物」の記載も、証明である赤い判もあります。
(機械織りの場合は、金色の丸いシールがあります)
絹糸を機織にかけて反物を作り、それに柄をつけるのが染の着物、
最初に糸を染めてから、柄を織り出すのが織の着物、
そういうわけ方をするなら、京友禅も加賀友禅も紅型も江戸小紋も、
皆まとめて「染めた反物」であり、大島も結城も黄八丈も「織った反物」ですね。
更にその中で、その地域の技術の特徴や色柄の特徴によって分けられると、
それが京友禅・加賀友禅、大島紬・結城紬と呼ばれたりするわけです。
そして、その地域でその方法で作られたものが特産となるわけです。
大島で作られた紬については、奈良時代にすでにその記述があるといいますから、
かつての琉球王国では、古くから作られていた織物であったわけです。
但し当時はおそらく無地、せいぜい縞・格子程度であったろうと言われています。
つまり、かつての大島での紬織は、さまざまな種類があったわけです。
これは、大島に限りませんが、その土地で採れる染料となるものや、
糸となるものの原料がいろいろあれば、いろいろな染物織物ができるわけです。
大島は南の島ですから植物はたくさんあったわけで、多種の草木染がありました。
それは今でも読谷山花織とか芭蕉布とかで、大島紬とは別に残っています。
明治に入って、いわゆる「産業」として大島紬を広める段階になって、
特色をだすために「大島紬」は車輪梅(現地ではテーチギと呼ばれます)と
鉄分の多い泥を使ったもののみが「大島泥染め」であると決めたわけです。
というわけで今、大島紬と呼ばれるものの歴史は、
実はそれほど古くはないものなわけですね。
更には明治の終わりごろに、絣のくくりについて新しい工夫が発明されました。
ここでまたちょっと脱線ですが「絣・かすり」というのはなんでしょう。
絣というと久留米や伊予、備後…と、木綿が真っ先に思い浮かびますが、
木綿であれ絹であれ麻であれ、糸の染めの部分を縦糸と緯糸を
織りながらあわせて柄を織り出す、ということで
実は結城でも大島でもみんな「絣」なんですね。
模様が糸の微妙なズレでかすれたようにみえるから「かすり」と言います。
さて、この絣の織り方、模様の出し方は、産地によって
それぞれに特徴はあるわけですが、ごくごく基本的なことをいいますと…
紺地に白の絣だとしましょう。
まず縦糸を紺地に染めるとき、ところどころを糸で強くくくって、
紺色に染まらないようにします。次に緯として通す糸にも、織ったときに
縦糸の染め残した部分と交差する位置を、糸でくくって染まらないようにします。
この糸を使って機織をしていくと、緯を通すたびに縦糸の染まっていない部分と
緯の染まっていない部分が交差したところは、白く残り柄になっていくわけです。
これを白く残すだけでなく、いろんな色に染めたり、
交差する場所を細かくかえたりすることで、さまざまな模様ができるわけです。
また緯のみで柄を出す絣もあり、それは「緯総(よこそう)」或いは
「よこそ」といわれます。絣と一口に言っても、作り方はイロイロなわけです。
原理自体は単純なのですが、これを細かい柄にしようとすればするほど、
たいへんな手間がかかるわけです。
さまざまな産地では、それぞれの特産として染料や模様の織り出しに
工夫をこらして「何々紬」「何々絣」として残してきたわけですね。
ところで、大島紬についていうならば、この最初の糸をくくるというところに
特徴があります。実はくくるのではなく「締めばた」と言って、
仮織りをしてくくりの代わりとするのです。
これはもう説明すると、実際には理屈しか知らない私には
とても難しくて説明できませんので、分かりやすい写真でもないかと
ググってみました。ありましたよぉ、私の説明の貧弱なところは
この画像でお確かめください。糸でくくる結城と締めばたの大島です。
こちらのペーシが「糸でくくる」ほう、結城紬です。
そしてこちらが大島の「締め機」のページです。
とまぁこんな具合に、大島の紬にはいろいろな特徴があり、
これを定義として、その定義に当てはまるものだけに「証紙」がつくわけです。
紬という字が使われていますが、正確には紬ではありません。
使われている糸が「紡いだ糸」ではなく「績んだ糸」だからです。
はいおさらいでーす、ってアンタはせんせーか…。毎度書いておりますが、
紡績、という字は、どちらも糸を「つむぐ」という意味ですが、
紡ぐほうは、一度綿にしたものから糸を引き出してつむぐこと。
績(う)むほうは、蚕の繭から直接糸を引き出してまきとること。
クズ繭とか規格ハズレの繭、野蚕などを、繭を割って真綿にし、
そこから引き出して紡いだ糸で織ったものが紬です。
紬という名前もそこからきています。つまり手仕事ですから糸に太い細いができ
織物にしたとき布がざらついて、ところどころに節があったりします。
蚕から直接取った糸は均一で滑らか、織り上げてもでこぼこがありません。
大島紬は、今、生糸から作られています。だからでこぼこがありません。
結城や牛首などは、今でもざらつきや節がある紬がありますね。
そういうことできちんと分けるとするなら、大島は正確には単なる「絣」です。
たまたま、昔は紡いでいたものが戦争などによって
大島紬そのものの製造が、存亡の危機に陥り、
その染や織りの技法は復活したものの、すでにそれだけのものが作れるほど
大島近辺での養蚕はなかったということです。
また生糸を使うことによって、薄く軽いものが織れるわけで、
そういうメリットもあって大島紬は紬でなくなったのです。
さて大島ではよく耳にする「マルキ」という言葉ですが、
このマルキ数が多いほど「こーきゅーひん…」。
これもまたややこしいのですが、マルキというのは1マルキ80本という単位で、
この糸が模様を織り出すための、くくられた染残りがある糸、なわけです。
例えば、一反の大島紬を織る場合の縦糸の本数は、
だいたい1200から1500本くらい、その中に何マルキの糸が入るか、です。
たとえば7マルキといえば、7×80で560本(実際にはズレがあります)
残りは無地糸になります。
絣の模様というものは、細かければ細かいほど柄のあわせが難しいわけで、
たとえば「蚊がすり」というのは、ごくちーさな十字がすりが、
反幅いっぱいにこまかーくならぶので「蚊」と呼ばれます。
ほんの何ミリの糸の色をあわせますから、たいへんな作業になるわけです。
大島では、染の段階から、泥染めにつける回数とか締め機の手間とか、
このマルキの数とか、さまざまなところで手間がかかればかかるほど、
お高くなるわけですね。
今回の反物でちょっとその細かいところを…
を拡大すると…
接写があまり得意でないカメラなもんで、こんな程度ですみません。
あっアタシの腕か…。
ともあれ、これだけの柄を織り出すために、まずはデザインががおこされ、
そのデザインによって、縦糸緯にそれぞれくくりや締めがされて染め分けられ、
更に更に、はたおりで織りながら一本ずつ柄あわせをしていく、という、
気の遠くなるような作業の繰り返しなわけです。
このほかに「○○大島」と呼ばれるものは…、
泥藍大島は、藍で先染めした糸を更にテーチギで染めて泥につけたもの。
草木泥染大島は、大島の定義以外の草木染で染められたもの。
色大島は、新しく考え出されたもので化学染料を使用しています。
白大島は、地色を染めずに、絣模様にだけ色を入れたもの。
草木染には「草木染」の証紙が貼られます。
大島は水を通れば通るほど、つまり長年着用して洗い張りの回数が増える、
ということですが、そうなればなるほど軽くしなやかになります。
一枚はもっていたいものですね。
反物というものは、ほんとうに
手間隙かかっているんですよね。
大島に限らず、反物のできるまでの工程を見たら
どんな着物も「大事に着なきゃ」と思うと思います。
だんだんホンモノが作れる人が減っているのは
悲しいですね。
蝸牛様
私はほとんど紬しか着ませんので、
やっぱり大島には特に心惹かれます。
一枚はほしいですよね。
雪は幸い消えましたが、また週末どーのこーの、
今年はこんな風に何回も降るのかもしれません。
久しぶりに冬らしい寒い冬になりました。
otyukun様
おお、大切にしてください!
それにどんどん着てあげてくださいねぇ。
あれだけの手間、職人さんもタイヘンだと思いますが
残してほしい技術です。なくなりませんように!
伊藤様
そのかた、ずぇひっご紹介していただきたく…!?
でも、今でもいなかの家で、
家族総出でいろいろお仕事なさっているのでしょうね
そこで生まれた美しい紬が、誰の身を飾るのか、
あたしであってほしー、コラコラ。
心安く話をし合う内に、「今度メシ食べに行かへんか」ってことになりましてね、後日、食事をしながら
「アンタ、在所何処や?」・『ウチは大島です』
「大島って何大島や?」・『奄美大島です』
「へぇ~っ・そりゃまた遠い処やなぁ・ご両親は御健在か?」・『え〃・お婆ちゃんかてもう九十近いんやけど、元気で機織してますワ・』
「機織ってあの大島紬でも織ってはんのか?」
『え〃そうです、時折、内地から女子大生が研修兼ねて見学にも来ますよ・ウチも島を出て来る時にお婆ちゃんが(お金に困ったときはコレ売って何とかせいっ!)ちゅうて一反呉ましたワ・・』
♪ 夜業 (よなべ)おさおさ 織る筬の音
せめて通わそ せめて通わそ
此の胸添えて
男物の柄、亀甲絣です。
特別な高級品ではありませんが、上の下と言った所でしょうか。
手織りである以上、高価にならざるを得ないでしょうが、大島の産地でも仕事が無くて、待機している職人さんが多いと聞いています。
大島は普通の紬と違って、まとわりつかず足さばきが樂です。
一着しか無い普段着ですが、着る機会を鵜の目鷹の目で探しているのになかなか見つかりません。
決して華やかではないけれど・・・素敵ですね!
関東は大雪でしたね。岐阜は降りそうで降りませんでした。今日は伊吹颪の冷たい風が吹き荒れています。
それにしても、本当にお詳しい・・・
マルキの数が多いほど高級品だということは
知っていたんですが他のことは皆目です。
やっぱり手間隙掛かるからお高いんですよね。