ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

国民服…日本の服ですよっ!

2007-06-08 21:14:24 | 着物・古布
「国民服」なんて言葉は、もう死語になってます。
聞いて「あぁ」とわかるのは、たぶん70歳以上の方くらい。
なんか中国の「人民服」みたい…いやそれと同じなんです。
かつて日本は、みんなこれを着なければいけない時期があったのですよ。


          


昭和15年に、これはお国の決まりとして制定されました。
「勅令」といいますが、これは「議会を通さず天皇や皇帝が、
直接決めること、その決まりのこと」です。
この本(といってもわずか12ページの小冊子ですが)は、
主婦之友の付録、発行は昭和15年11月です。
これを監修したのはその名もすごい
「大日本國民服協会理事・被服協会被服刷新委員」田中虎一先生。

ではなぜ「国民服」なんてものが考えだされたのか…、
この本の最初のページにその理由が書いてあります。
長いので要約しますと…
・現在の日本(昭和15年)は、国外・国内において、
 安閑としていられない状態にある。(つまり戦争です)
・この状況では「和服」は動きが悪く、新体制の暮らし
(つまり戦争へと向かって いる暮らし)には合わない。
・かといって洋服では日本の気候風土には合わず、また日本人にはなじまない。
 (実は戦争の相手が「西洋」ですから、洋服をまんま奨励するのは
 まずかったんでしょうね)
・そこで複雑になりすぎている服装を簡便に、また日常着にも礼服にもなるように
 ことあるときは、そのまま軍服にもなるように考案された。

なんていってますが、けっこう複雑ですよ、この服。
カンタン・ソーイングじゃあできませんね。
で、この服ですが、上の写真の右二着は同じ服です。
ちとアップしてみましょう。


              


左の写真の右上が儀礼用として着用、衿の第一ボタンを留めています。
更に「国民帽」をかぶり、胸に「国民服儀礼章」というものをつけます。
右下の海老茶色の組みひものものです。
左下は、第一ボタンをはずした略装。

小さいほうの写真、赤茶色のものは「中衣(ちゅうい)」、
これがまた中途半端で、要するに「背広」だと、
チョッキとかワイシャツがいるが、これなら一枚ですむ、
また上着として着てもいい…とまぁそんな説明です。

どこをどう見ても「洋服」にしか見えないんですが、
説明書きを読むと、なんとかして「これは西洋の服とは違って、
和洋のいいとこどりしてるんだ」とこじつけている感じがします。
たとえば、この一式は「上衣・中衣・袴」からなる…と書いてあります。
この「袴」のところに( )で「ズボン」と入ってる、ズホンだよこれ。
製図を見ても「ズボン」、作り方も「洋服のズボンと同じだ」と書いてあります。
また、儀礼用の帽子は「烏帽子とかぶとの鍬形(前の角みたいなあれです)を
取り入れて文武両道をあらわしている」とあります。
中衣は「直垂」を文化的にしたもの…とあります。
単なるVネックの上着ですが「着物の衿を取り入れ…」だそうで。
また「国民服儀礼章」というのは「八紘一宇」の精神をかたどったもの…、
なんていったってわかりませんね。
要するに太平洋戦争をやった理由というのは、アメリカ・ヨーロッパに向けて
「日本がアジアのおとうさんになって、まとめるんだからねっ」という趣旨。
その「国をまとめてひとつの家のように」をあらわす言葉が、
この「八紘一宇」です。

この冊子には、この写真のすべての服の作り方がかいてあります。
もちろん「既製品」もあったのだと思います。
色はすべてカーキ色ですが、当時は「国防色」といいました。
なんとも味気ないといいますか…。
このとき、女性はどうであったかといいますと「贅沢は敵だ」という
スローガンがはやり、高価な着物や装飾品、お化粧、娯楽など、
すべては「NO」とされたわけです。一部には「お金持ちとの格差がなくなる、と
歓迎された向きもあったようですが、そんなことを言っていられたのもつかの間、
戦争が激しくなり物資がなくなり、男性の国民服に対して、
女性はもんぺが奨励されました。これは「勅令」ではありませんでしたが、
時節柄、のんきにきれいな着物など着ていればは当然白い目で見られたわけで、
結局は、ジミな上に下はもんぺ、胸には白いさらしに住所や名前を入れたものを
縫いつけ、どこにいても使えるように「防空頭巾」持参でした。
「防災頭巾」じゃなくて「防空頭巾」つまり「空襲」から逃れるためのものです。


「平和ボケ」などとも言われる現代、
たしかに、こんなふうにゼッタイ逆らえない「上」から、
着るもののことまで指図されるような暮らしが当たり前なんて、
二度とあってほしくないことです。
今の暮らしも、さまざま問題はありますが、少なくとも、
自分で工夫することや選択することは自由です。
色柄のきれいなものや、好きなデザイン、スタイルを選べなかった時代、
命を守るため、自分の居場所や立場を守るためにはそうするよりなかったのです。
そんな暗闇の時代を踏まえて迎えることのできた「今」ならば、
尚のこと色柄・デザイン・技術、コンセプト…さまざまなものを、
衣服についても大切に考えたいものです。
壊されかけた「和服文化」は、なんとか持ちこたえたのですから。

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13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (陽花)
2007-06-08 22:57:59
戦後生まれなんですが、やはり国防色イコール
戦争というイメージが強いです。
物の無い時代、お砂糖なんかも配給で、お米も
紙を見せないと買えない時代が確かにあったんです
ものね。
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ありました。 (蜆子)
2007-06-08 23:28:50
小さい時に、かの洋服ありました。
父が着ているのは見たことありませんが。あの服を着た写真はありました。
それに対する女物の標準服はご存知?
紺色のサージの長上っ張りみたいの。婦人会はこれを持ってなくっちゃという感じでした。
国防色ならぬ、カーキ色は好きな色で持ってるのは多いです。
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てーへんだ (風の森)
2007-06-09 09:07:24
ポケットを製作して縫いつけるだけで、一日かかってしまいそうですね。
ウエストに ベルト状の切り替えを挟みこむ作業も、面倒臭そうだわ。
長持ちするように 切り替えには全てステッチを上から叩いてあるようだし、布の感じから察するに 芯地も貼らなきゃならないようで・・・すごく手間が掛かりそうな服ですね~。
私なんかノロマだから、出来上がる前に時代が変わっちゃいそうです。
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機能美と (Suzuka)
2007-06-09 18:40:19
言えるでもなく、かといって
軍服の潔さも持ち合わせない。

夢も希望も 二の次三の次
有無をいわさず圧迫するものが感じられます。

昔 カーキ色の服を選ぼうとして
親が首を縦に振らなかったきもちが
よーくわかります。
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Unknown (とんぼ)
2007-06-09 21:33:57
陽花様
そうそう「配給」、私まだ「お米の通帳」、
覚えていますよ。昔はたいへんでしたね。
引越しのときも持って歩いて…。
国防色、母はやはりすきではありませんね。


蜆子様
「標準服」については、以前アップしたと
思うんですが…、紺のサージ、婦人会の力も、
あのころは大事だったんですよね。


風の森様
ほんとに手間がかかります。
しかもこの時代、誰もがミシン持ってるという
時代じゃありませんからね、
実際縫うのは、ほんとたいへんだったと思います。


Suzuka様
「お国」と言う言葉の力の強さ、
いやおうナシ、でも陰口もいえない、
二度とこないようにと思います。
母もカーキは嫌がりました。
何かにたような色のものがあると「国防色やん」と
はずしましたね。わんる気がします。
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国民服まで (さくら)
2007-06-13 22:58:07
着るものに関しては本当に造詣が深いとんぼさん、ここまで資料をお持ちだとは思いませんでした。
こういう時代を経ての今と思えば、しみじみ見てしまいます。
国防色って言葉は結構30年代くらいまで使っていました。
今はカーキ色、敵さんの言葉を使うのがおしゃれな感じと言うのも変ですね。
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Unknown (とんぼ)
2007-06-14 11:07:43
さくら様
古い本は、とても興味深いです。
私の生まれるほんのちょっと前、
赤ちゃんのころ、物心ついたころ、
そんなころの本は、私の知らない世界です。
その中に暮らしていたというのに
フシギなものです。
そして、全部つながっている、
この日があって今があるって、思うわけです。
母の時代の苦労はわからないけれど、
大切にしたいものが見えてくる気がします。
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Unknown (Unknown)
2014-07-21 18:56:35
子供は制服の代わりに着ていたけれども、成人男性には国民服は普及していなかった。
服の構造や色などが規定されていただけで、「着なければならない」という記述はどこにもない。
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Unknown (とんぼ)
2014-07-22 00:33:41
Unknown様

コメントありがとうございます。
私の言葉の足りなさと、認識の甘さです。
絶対着なければならなかったわけではないことは
わかっております。
私が言いたかったのは、こんなものを着なければならない
そんな時代を、二度と迎えたくないという気持ちです。
着なければならないと書いてなくても、
こんなものが奨励される社会になっていたことが、
二度とと戦争を起こしてはならないという気持ちを
思い起こさせると言いたかったのです。
言葉足らずで申し訳ありません。
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軍服 (ころりん)
2014-09-25 12:11:26
慰安婦たちが、軍服といっている服のことです。
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Unknown (とんぼ)
2014-09-25 22:37:18
ころりん様

そうでしたか。
私は戦後生まれなので、リアルタイムでしりません。
新しい情報ありがとうございました。
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Unknown (無用先生)
2020-12-03 21:57:31
はじめまして。
国民服や中山装は礼服と作業服を兼ねて機能的だから
背広よりも推奨すべきかと
思っていたのですが。
背景となる政治的情勢を考えると
それどころではないのですね。
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Unknown (とんぼ)
2020-12-04 23:35:29
無用先生様

こちらこそはじめまして。
コメントありがとうございます。
この記事を書いてから10年以上になります。
この10年でまた少し戦時中の話なども耳にしました。
自由にモノが言えなかった時代、いろんな思いで、
この服を作った人、着た人がいたのでしょうね。
今の平和に感謝ですが、コロナ対策はもう少しピリッとしてほしいものです。
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