今日は、手持ちの着物本の写真を入れてみました。
この本は、ほとんどが昔の「婦人雑誌の付録」です。
嫁入りのときに母が持たせてくれたもの、あとからもらったもの、そして古本で探したもの。
着物に関する本は、今もいろいろ出ています。
でも、それらはみな「着物に興味のある人」向けに、作られているものです。
着物にあまり関心がない方は、今ならせいぜい「浴衣特集」とか、振活の時期だけでしょうか。
「振活」、いよいよ成人式の近い女性が「お気に入りの振袖と出会うための活動」だそうです。
ははは、活動するようなことになっておるのですな、今は。
私が子供のころは…というといつもの話ですが、母親が戦中に青春時代。
やっと平和になったころに結婚したり、していたり…、そして戦後の「それいけやれいけ」の復興時期と、
高度成長期に子育てをした時代、そういう親をもつのが私の年代です。昭和25年生まれです。
私の年代は、親が着物を着たか着ないかで、道が分かれた時代です。
母親がお正月だとか、入卒、PTAの集まりなんていうと、いそいそと着物を出して、
自分で着た時代。でも、めったに着ないような着物だから、自分では洗わずにプロに任せ、
そんなに数はいらないから、自分では縫わず、お金をためて着物を仕立ててもらっていました。
母も最初は全て縫っていましたが、、私が高校くらいからは仕事も忙しくなり、
なんとかへそくりもできるようになって、町の呉服屋さんで反物を選んでは仕立ててもらっていました。
そのころの小紋は、今私にちょうどです。
さて、母親がそういう状況である場合、そこから先、自分の知っていることを子供に伝えたかどうか…
ここで分かれるわけです。
母は、暮らしの中に着物というカテゴリーがあって当然の人でしたから、
普段でも私に着物を着せ、私の着物は母が縫い、着物に触りながらいろいろなことを教えました。
それがありがたいことだったのだと気がついたのは、ずっとあとのことでした。
今、60をいくつか越えて、着物事情を見るとき「なんでこんなことに」と思うことがたくさんあります。
伝えていくことが、どれだけ大切なことか…。
着物は「繰り回し」をすることが当たり前のものとして使われていました。
振袖や晴れ着は、妹や親戚に譲られて何度もお役目を果たしたり、
嫁入りに持っていって自分の子供に着せたり…。
小紋や紬は、譲られることもあれば、別のもの作り変えられて使われました。
古い着物を出してきて繰り回しの話をしながら、母は「これを羽織にするなら、羽織の衿は長いから、
着物からは衿が足りん。そういう時はおくみを衿にして、衿の真後ろで継いだらええねん」とか、
「コレはもう掛け衿が使えへんから、本衿のこのへんな…ここをちょっとつまんで縫うたら、
いかにもかけ衿ついてますーに見えるねんで」とか…。
うまく継ぐ方法、カギおくみなどの工夫、大人のものから子供のものを作る方法など、教えてくれました。
今、若い和裁師さんは、新しい反物からしか作ったことがないので、縫い直しはともかく、
これを羽織にしてとか、そういう繰り回しの仕事を頼むと断られることもあるそうです。
私のいつものワガママを聞いてくださる縫子さんは「工夫がおもしろい」と、喜んで引き受けてくださいますが。
本の話に戻ります。
手持ちの本は、昭和30年代40年代のものが多いのですが、つまりはこの時代はまだなんとか
着物というものが、頻度はともかく「必要」とされていた時代なんですね。
だから知らないこともコレに載っていると、重宝がられたのでしょうし、
付録として「着物関連」のものは捨てられずに残されてきたのだと思います。
最初に書きましたが、今でも着物関連の本はたくさん出ています。
でもそれは「着物好き」のヒト向けのものばかり。
また、女性たちも昔のような「暮らしの手帖」とか「主婦の友」のような本を望まなくなりました。
確かに婦人雑誌というジャンルはありますが、それぞれ分科して「ファッション(洋装)」「料理」「健康」など
それぞれのお気に入りだけを見る方向になっています。
かろうじて「婦人画報」が残っていますが、1200円で、着物記事はわずか…。
更に付録は「ノウハウ本」よりグルメがどうのとか、何か一つにこだわったものとか。
情報って大切だと思うのです。これだけ情報過多になっていても、選んでもらわなければ見てもらえません。
ためしに古い本の中身をお見せします。
もちろん、今の時代には古い情報もありますが、こんな感じ…ということで。
コレだけの本でも、中で言ってることが違うというのがあります。
世間の様子がかわり、着物の着方や使い方がどんどんかわってしまった結果なのでしょうね。
この本には、それぞれ「冠婚葬祭」の基本みたいなことも、着物の着方も、体型別に似合うものだとか、
着方だとか、小物の作り方など、こまごまいろんなことが載っています。
でも今はこんな付録をつけてくれる本はナシ…、買うなら最初からお高いノウハウ本でしょう。
悩みは尽きない、着物好きオバサンなのでありました。
やっぱり着物と着物のお話大好きです。
偶然今日友人のご主人の悲報が入りました。
ろいろな方のコメントも読ませていただいて
私も着物でお通夜に出席したいなあなんて今考えていました。
ベージュのお召しに嫁入りの時に持たせてもらった黒の帯と帯締めでいいのでしょうか?
ベージュだと派手すぎるかも、それに黒い羽織がなくて目立ちすぎるかしら?
などなど、お通夜やお葬式に親族ではなく着物で出席するためには着物と黒い帯黒い帯締め黒い帯揚げ黒い羽織などが必要なのですか?
やはり、着物着て行くのはハードル高いですね、喪主である友人もきっと洋服でしょうし。
もっと知りたいことがたくさんあります、これからもよろしくおねがいしますU+263A
繰りまわす事も多かったと思いますが、
最近は色柄が派手になったから羽織りに
という繰りまわしの方が多いでしょうね。
お母様が教えて下さった事は生活の知恵
ですね。
着物は奥が深いですね。いろいろ知ると更に知りたくなります。
お通夜に行かれるとのこと。お召し、色目はいいかと思いますが、柄はハデではありませんか?
吉祥紋はいけませんし、花柄などもおおきければパスですね。縞なら細かいもの…。
これもまた一昔も二昔も前の話ですから、知らない方は「柄物の着物着て」なんて言うかもですが。
黒帯・黒もしくは白の帯締め(丸ぐけがお勧めです)・黒の帯揚げ・黒の草履・黒のバッグ…です。
お通夜でしたら、草履バッグはジミ目でもOKですが、周りが真っ黒でしょうから。
本来一般参列なら色無地に帯つきでいいのですが、目立ちますので、
黒紋付の羽織が1枚あると便利です。ジミ目小紋や江戸小紋の上でも着られますから。
昔は「コレはだれそれのなんだった」なんてことを
よく聞いたりしたものですが、
最近はほんと、着物を羽織に、もしくはつけ帯、くらいでしょうねぇ。
子供のころに教わったことは覚えているのですが、ちょっとトシを重ねてからのことは、
あれっこうだっけ、なんてやってます。いちいち書いときゃよかった…ですわ。
それに身内のお下がりやリサイクルだとサイズが合わないことが多く、でも気に入っている・思い入れがあってぜひ着たいと思って、いろいろ工夫する人もけっこういるのです。
それにしても、和裁士さんや呉服屋さんにそういう知恵がなくなってしまうと、これから私たち困りますね(;´д`)
そういえば、腕につける腕章というのもありましたよね?あれは黒で来られない仕事帰りの人などが、スーツの腕につけていたと思いましたが。
手持ちの古い本は、繰り回しオンパレードのものもあります。
それを実験すべく、仕立ててもらったものもあります。両褄柄の訪問着から、
絵羽風羽織。
もちろんホンモノ絵羽ではないので、あくまでお遊びは織りですが。こちらです。
http://blog.goo.ne.jp/tombo624/e/0b5850363a4cda3355736f70fdcdcef9
和裁の基本を知っていれば(縫えなくても)、パズルのように考えられるわけです。
昔の繰り回しは、どうどうと袖の真ん中につぎめがあったりします。
ものを大事にする工夫なんですね。
喪章腕章、どちらもですが、本来喪側のつけるものです。
つまり「葬儀を開催する側、遺族および関係者」。
例えば会社の人に受付をお願いしたとか、そういうときに身内でないヒトもつけるわけですが、
参列者の方がつけるのは間違いです。
私も義父のとき、主人につけさせたのですが、そのとき葬儀屋さんに
喪服着ていればつけなくてもいいですかと聞いたのです。
喪服を着ていれば、身内でも本来はつけないけれど、最近は、
参列者もみんな真っ黒だから、私は「喪側です」をわかりやすくするのにつけてもいいですよと。
参列者はつけないのですが、駅の売店などでも売っていたりして、
サラリーマンがあれをつけて普段のスーツで参列したりしますが、
間違ってるんですよと、言ってました。
葬儀社のHPには、よく「マナー」がかいてありますが、そこにも、
喪章は「喪側」と書いてありますよ。
腕章するなら、黒いネクタイ締めたほうが、正解というわけですね。
お召しの柄は江戸小紋の角通しのような細かいものですので大丈夫でしょうか?
でも、草履の黒いものを持っていませんでした。今後のためにぼちぼち紋付の黒い羽織も揃えてみようとおもいます。
私は着物を着はじめて4年程になります。今52歳ですが着物の事本当に何も知らないのです。
繰り回しの羽織すてきですね、大事に使うお話を読ませていただいてなんだか感動しました。
この感性をもった日本人に生まれて良かった~。
教えてくださってありがとうございました。
慶事・弔事ともに、和装洋装問わず迷走しているような気がする昨今です。洋装はもともと伝統がないものを、基本がよくわからないまま採り入れてしまったことと、昨今のカジュアル化。和装も基本がわかっている人がいなくなり、さらに洋装に引っ張られてカジュアル化して…などが原因でしょうか。
確かにどこにでも同じような服装で行けたら楽だし、それが合理的というものかもしれませんが、「ハレ」と「ケ」のメリハリがどんどん薄れて、ちょっとつまらないような気がします。
せっかくきものを着るのだから、きものの「着分け」を楽しみたいなぁと思います。(でもドのつく庶民なのでなかなか「ハレ」の場がないんですけど。汗)
角通しのような細かいものなら、柄として問題ないと思います。
ただ、ベージュという色が、黒の中では目立つ、ということですね。
今の時代、着物だというだけで…ですから。
上の「本」の写真、下の真ん中は「酒井和歌子さん」なんですが、
喪の衣装に若いからとピンクです。それでも通ったということなのだと思いますが、
この場合は「色」よりも「色無地である」という着物の格付け優先なわけですね。
着物はいろいろわかってくると、楽しいことがたくさんあります。
私は皆さんに見ていただきたくて、繰り回しをすることもあります。
まぁ自分で着るから問題はないのですが、こんなものが、これになるのよ…と知ったら、
また別の工夫に気づかれる方も、出てこられるのではないかと。
ゼッタイの決まりごとなんて、そんなにはないのです。
楽しんでお召しになってください。
ちっともはずかしくなんてありませんよ。
一時期よく見ましたし、今でもやっておられるかた、
いらっしゃるかもです。
ちなみに葬儀社の方たちも「喪側のお手伝い」ということで、
社の方針として、つけるところもあるといいます。
ウチのときはどうだったかなぁ…こんなもんです。
人はラクな方へと流されますから、都合よくめんどくさいことを省略したりしてしまう。
それもまた、一つの変化として悪いことばかりではないと思いますが、
なんでもごちゃ混ぜは困りますねぇ。
ハレとケ、コレが今はあいまいですね。
明治のお葬式は、娘は振袖も着ました。第一礼装ですから。
それでもいい地域もあったりしたわけです。
人があちこち移動するようになると、地元のやり方が通じなくて、
そのうち無難路線になって…なんてこともあるのでしょうね。
過去に「ハレとケ」についても書いていますが、本来「非日常」が「ハレ」ですから、
本当はちょっとおめかししてデパートに買い物…でも、晴れ着なんですよ。
今はレクリエーションが増えたので、芝居見物の着物を晴れ着とは言わなくなってしまったんですね。
ハレとケの記事、こちらです。
http://blog.goo.ne.jp/tombo624/e/5747ffb1ffbc8fe0ca2d3118d6680283