おばあちゃんから、おかあさんから、あ…もちろん、おじいさんおとうさんからも…。
いろんなこと知ってるはずですから。知識はせっついて思い出してもらってでも、聞くといいですよ。
また頂いたコメントでお題をいただいて申し訳ないんですが…
「喪服」に紬は使わない…これは、一応原則とでも言うことです。
時々言いますが「~でなければならない」ということは、そんなにないのです。
それは、かつて「そうしたくてもできない」という時期もあったからです。
日本は昔から今みたいに、何でもあったわけじゃありませんし、
みんながそこそこ「中流」なんて意識をもてるようになったのも、つい最近のことです。
特に戦中戦後は、誰しもがお金がない、ものがない、仕事がない、食べるものがない、男手がない…
ないない尽くしの時代が続いたわけで、ようやく戦後という時代になっても、
はい、今日からみんな裕福~なんてコトにも、なるわけがなし…。
なので「~では、何々を着る」といわれたって、ないものはナイ…だから代用品を使う。
私の手元には「木綿の喪服」もあります。糸と布の状態から見て、たぶん戦前かなぁのもの?
裕福でなかったか、或いは買えるお金があっても、絹がなかったか、いずれにしても、
ずっしりと重い木綿の喪服、それほど褪せてもいないのは、木綿の発色がいいからかしら…でした。
また、今はなんだか「アレはいけない」「コレはいい」という断定的な言い方をします。
それは指針となること、と思うくらいで、事情や心情でイレギュラーもあったりすることもあるのです。
紬の喪服、つまり紬地を黒く染めたもの。それもあってもおかしくはないのです。
以前遠い身内が、葬儀に「喪服だ」と言って黒地だけど綸子の花柄ペカペカ輝く着物を着てきたときには、
さすがにヒキましたが…。でも真っ黒で、紋が付いていたのですよ。
なぞめく着物は、あれこれあります。
まず、なぜ紬はやわらかものと同じ立ち位置にならないか…。
これは皆さんもご存知と思いますが、そもそもの糸のとりかたと、生地にする行程の違い。
紬は、はじめ養蚕農家で「出荷できない繭」を集めて、自家用の着物に使ったことが始まり。
今は、繭の検査の方法もかわり、ランク別に厳しく選別されますが、
昔はまぁ大きさとかツヤとか、そのほかには傷があったり、割れていたり、汚れが付いていたり、
そういうものをはじいたわけですね。
通常生糸と呼ばれる糸は、繭から糸を引き、要するにクルクルとほどいて、それを巻き取ったもの。
紬糸は、繭を割って伸ばし、それを乾かして(これが真綿)、そこから人の手で糸を引きだしてつむいだもの。
だから生糸のようにつるんとまっすぐではなく、ところどころ太かったり細かったりして、
それを織り上げると「節」というでこぼこができる…。
こういう生まれと育ちだから、生糸をそのまま使ったものとは、同レベルではないわけです。
人間なら「差別だ」と、なるところでしょうけれど、今だってキレイなお皿を持ち上げてふわっと軽かったら、
「なんだプラスチックか」というでしょう。
ホンモノとニセモノ、という別ではなくても、ランクで分けるのは当たり前のようにあることですね。
農家で作るものには、型染めだとか友禅だとか、そんな柄ツケができるわけもありませんから、
最初に糸を染めてしまい、この染めた糸の組み合わせで柄を作る…だから先染めの着物といわれます。
織りながら柄を出すわけですね。
キレイな柄にしたいときは、紬糸で白生地を作り、それに染で柄をつける、コレが染紬です。
紬の喪服、であれば、白生地を織って黒に染めたもの、ということなのでしょう。
どうして、といわれても、それはその方がそれを作ったときの状況によることです。
絹そのものが、なかなか流通しない時期もありましたし。
私も喪服を集めているわけではないのですが、箱で譲られたりしたものの中に喪服があって、
それを見たら「木綿」だったり、でこぼこの織りムラがあるような安い絹だったり、
モノはいいけれど、何度も繰り回したあとがあったり…今、豊かな中に暮らしていると、
見たこともないようなものもいろいろあるわけです。
いただいたコメントに「一緒に白い着物が出てきました」とありました。たぶん中着だと思います。
縫い方を見れば、すぐわかります。着物と同じ作り方です。
喪服に中着?と思われる方もいらっしゃるでしょうけれど、
留袖も喪服も礼装ですから、元々は襲の着物、で、中に白い着物を重ねてきたわけです。
襲については、それがステイタスだというお話を、以前いたしました。
日本では、たくさん重ねることが礼を尽くすこと。最たるものが十二単です。
だから花嫁さんは3枚襲、5枚襲、なんてのも、明治の衣装には残っています。
きたら歩けないだろう…と思っちゃいますが…。その重ねて着るのがたいへん、なので、
比翼という「着ているように見える縫い方」が考え出され、今に至るも留袖は「比翼仕立て」が主流です。
でも、喪服の比翼って…最近はありません。
仏事なのだから「重ねる」は縁起が悪い…ということが、その要因の一つではないかといわれています。
確かに葬儀のお返しは二つ重ねるものではない、と言いますし、話し言葉もそのときは
「重ねがさね残念で…」なんてぇことは「忌み言葉」として、使ってはいけないとされます。
結婚式の「分かれる、切れる」はダメってのと同じですね。
重なるのはよくない、と袋帯が名古屋帯になった…ということも言われています。
本来「礼装」なら袋帯が正式です。留袖に名古屋帯は締めませんから。
つまり…人間って、その時代やそのときの状況で「都合よく解釈したり」「そのときにあったように」
変えてしまったりしていくものなんですね。だからちゃんと伝えないと…があるわけです。
元々2枚重ねるのは「礼を尽くしている意味」ですから、それを重なっているから、というのは、
多分に感情や心情、というより「縁起かつぎ」ですよね。
一時期「仏事なのだから殺生はいけない」と、皮や毛皮もいけない、と革靴やバッグもうるさく言うことも
あったのですよ。今でもフォーマルのバッグって(あのカタチばっかし、なんにもはいらないヤツ)は、
布製が多いでしょう。でもねぇ、バッグはまだしも「革靴ダメ」って言われたらどーするの?です。
友人たちとそんな話をしたことがあって、だったら正絹だって「お蚕さん殺してつくったもんだよねぇ」…。
言い出したらキリがない、しかも洋装なんて、あとから入ってきた文化です。
バッグを持つという習慣のなかった着物文化に持ち込まれたものに対してまで「皮だのなんだの」…
おかしいでしょう。まぁだからと言って、寒いからと毛皮のコート着てきたらちょっと…ですけどね。
つまり、人の思いというものは、時代でも状況でも、イロイロあるということです。
一番大切なことは「誰に対してナニを思うか」…。衣装はそれの現れです。
お通夜に黒でいかない、というのは「いかにも死ぬと思って待ってた」ように思わせては失礼だから…
というのが根拠です。それとても、みんなが喪服というものを持てるようになってからのことでしょう。
それに昔は、電話もネットもありませんから、ちょっとはなれた人に知らせるのにも時間がかかります。
ほんとに「駆けつける」人も多かったわけです。
だからお通夜に行くのは「急を聞いて、取るものもとりあえず、駆けつけました」という気持ちを表して、
まずは「ジミな服装」で、明日の告別式には、きちんと哀悼の意を表す衣装で参ります。
お通夜はこれでご勘弁ください…そういう言葉に出さない「送る側の気持ちをこめた衣装」なんですね。
ある知人が「最近は忙しいし、お付き合いもそれほどでもない人の時は、お通夜だけで失礼することが多い。
だから告別式に出ない分、お通夜に黒服で行っても失礼じゃないのよ」と言いました。
聞いていて、なんだかなあと思いました。
何でもスピード化し、なんでもマニュアル化し、合理性が問われる…礼装は「相手への思いを表す衣装」…
「明日さぁ、忙しくて告別式出ないから、今日のうちに黒着てきたからね。明日の分ってことで…じゃっ」ですか。
仏様も「おぅ、おまえなんざこなくていーぞ」って言ってそう…。
遺族が洋装だと、着物で行きづらい…とも言われますが、洋装和装でランク付けはされません。
洋装の第一礼装をあちらが着ておられたら、それは喪服をきていることと同じです。
着物だからと気後れすることはないのです。ただ、先般書きましたが、今の時代は遺族でなければ、
色喪か略装が無難だ…とはいえますが。
礼装はわからなくなっている分、ほんとに厄介です。
いろいろ言われるなら右へ倣えでいいや…になってしまうのも仕方ないと思います。
以前、子供の入学式に着物で行ったら、あとで子供がそれを理由にいじめられた…という話があり、
あらら~でした。だから私は、入卒に着る着物のご相談を受けると、まずお子様の行かれる学校では、
入卒に着物を着てこられる方がいるかどうか、着ていった場合にどうかということなど、
ご近所でそれとなく聞かれたほうが…ということも書きます。
お姑さんに「着物なんて派手なカッコでいくな」と、とめられたという話もありますし。
ほんっとうに「やりにくい」時代です。
私は、もう60をすぎていますし、子供が学校でいじめられることもないし、元々図々しいし…
だから、せめて私のようなものが「なに言われたってきにせず」着物であれこれ参列することで、
一石投じる…まではいかなくても「あれでいいの?」「いいらしいわよ」…みたいなことが
始まってくれたらなぁと思っています。
まだ続くのかな、いいかげんあきた?すんません。
今回の記事も、なるほどなぁ…と思いながら拝見しました。礼装(とくに喪服)は難しいですねぇ。着物で参列される方自体が少ないし、出席頻度も少ないから、いかんせん情報に欠けます。気軽に質問もしづらいし。
なので、とんぼさんの情報はとてもとても有り難いです。
参列する自分の気持ちと、相手方の気持ちと、周囲のカタの視線と…いろんなものを考慮しないといけませんね。まあ、それは和装でも洋装でも同じはずなのですが、和装の方がいろんな誤解がありそうで気を遣います。
なんでも杓子定規に「あれはダメ、これは正しい」と決めつける風潮は、私も反対です。知識を持った上で、柔軟に対応したいと思います。
様々なので、どうしても右に
ならえの無難な装いにしています。
思いをそのまま書いていただいている心持がします。
私は、文章力がないので、とんぼ様のようには書けませんが、本当にわが意を得たりなのです。
こんなに着物の肩身が狭い時代が来るとは、、、、
素敵に着物を着て見せて、着物好きを増やしましょう。
なぜ駄目なのか、その理由からきちんと説明していただけるので(しかもわかりやすく)、とても助かります。
自分に自信がないと周りの視線を気にして萎縮しがちですね。そうならないためにも、知識はその大事な拠り所です。
着物を着たい楽しみたい、という気持ちを見失わないようのびのび歩いていきたいと思います。
これからもよろしくおねがいします。
大島は結婚式でも着られる、と云われたことがあるのですが、それは生糸だからってところからきているのですね。
売りたい気持ちも分かりますが・・・。
先日のコメント、縞は縞お召しとのこと、なるほどお召しならよさそう、と思いました。
紬はちょっと違和感あったもので。
最近、結城とか久米島の無地、というのを見かけますが、とするとやっぱり完全に洒落着なんでしょうね。
あと、昨日の記事の写真に、色喪帯に黒の帯締め帯揚げ姿がありましたが、黒とグレーなどのどちらにするかも、よくわかりません。
法事も、洋服だとずっと黒の喪服で済ましてますし、なんだか横着しているような気もします。
ネットオークションなんか眺めていると、麻とか紬の黒五つ紋の着物、たまに見かけます。
何となくこういうものは、戦前の地方の中くらいのお家、礼服は用意できるけど買うのは難しいから、自家製で糸・布を作って染めだけお願いする、というような場合もあったのかなあと思ってました。
そういうものが戦中・戦後を経て残っている、というのは、きちんと残ってきたお家だろうなと思えます。
蛇足ながら、この連休に実家の方の法事があり、着物にしようかなあとも考えていたのですが、一番下の甥っ子が幼稚園に入ったばかり、着物は小さい子供がいなくなってからにしようと思い直しました。
婚家の方に着ていく度胸はないです…。
ご近所付き合いの残る地域では まだまだ葬儀にうかがうことが多く 喪服に悩んでおりました。いっそのこと 色喪服を誂えようかと江戸小紋や色無地を見て歩きましたが決断できていません。やはり一つ紋は入れておいたほうがいいでしょうか?灰色がいいか黒に近いほうがいいか、、、おすすめってありますか?
出かけて行くほうの礼装は、何より相手のあることですから…特にお悔やみの場合、無難にというより、なるべく遺族の気持ちを波立たせないようにと…そうすると、洋装を選ぶこともあるのは仕方ないかなと思います。自分の着たいものを着る場ではないから、と。
人の目を気にしてばかりも疲れますが、きものは洋服以上に「人の目を意識する」服装だと思います。夏物はたとえ自分は暑くても涼しげにとか、季節感を表すのも人の目を意識し楽しませるように(往々にして自己満足にもなりますが)など、それはきものという服装のよい面でもあると思うのです。
和装洋装問わず、周りの人を気遣いながら、自分らしい服装をしたいと感じています。
そのためにも、ある着方やきまりの拠って来るところを知ることは選択の拠り所となりますので、感謝して拝読しておりますm(_ _)m
着物って派手でしょうか・・・日々、暮らしの中で、疑問に思ってるところでした。
なぜ着物を着てるのかと聞かれることが度々です。
着物ですもの好きだから着てるだけ、というのが正直なところです。しかし、世間の目は、呉服の仕事でもしてるのか?など。。。理由を求められがちです。着物=お金がかかるという構図が良くないのかなと思いますが、実際は、中古、祖母、母の物でもなおして着てるのでそうでもないと私は思っているのです。
どんなカジュアルな着物でも、盛装ととられることが多く残念な思いをすることが多いです。
礼装は親族に合わせることが多いので、洋装が多いです。波風立てたくないので。
とても勉強になりました。「こう出なければいけないではなく、もっとおおらかに、私も着物を見ていきたいと思います。
更新楽しみにしております。
ありがとうございます。
いろいろやっかいな上に、着物を知らない人に
「これはこうよ」と教えると、そこから抜け出せなくなる…。
知らないことには誰もが臆病になりますからね。
もっと自由で「このアタリはこうしておけばいいのよ」という
柔軟性を持った「教え」をつたえてほしいものです。
自分で考えさせるということも、育てるには必要なことだと思うのです。
あ、先生にはシャカに説法だったーっ。
そうなんです。
以前地元の名士のかたの葬儀のとき、
家の前を続々とブラックフォーマルの集団が行く…。
私は紫の江戸小紋も出してあったのですが、
息子がかえる時間もきになったのと、
その集団の圧倒的な色に押されて、
右へ倣え…してしまいました。
今更ながら「クヤシイ?」