ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

久しぶりの映画…テレビですけど。

2012-04-23 16:55:56 | つれづれ

 

「名もなく貧しく美しく」…です。たまたまチャンネルを変えていたらこれでした。

すでに途中からだったのですが、聾唖者の夫婦の物語。

上映は昭和36年、たぶん、学校から見せに連れて行ってもらったのではないかと、うろ覚えですが…。

実はストーリーもすっかり忘れほうけ、覚えているのは電車の中での二人の手話。

主人公の「秋子(高峰秀子)」が、身を持ち崩した弟に、内職で使う大切なミシンを強奪され、

絶望して夫(小林桂樹)の前から姿を消そうとする…追いかけてきた夫と秋子が、

電車の連結器の横のガラス窓で、手話で話をする…という場面です。

「手話」というものがあったから、二人は話ができたわけで…思いなおしてまた二人でがんばる気持ちになる、

大切な場面です。そこだけをハツキリ覚えていました。

 

フッカツしたもんで、少しずつ動き始めましたので、じっと座ってみていることができない…。

なにしろ全編手話の場面が多いもんですから、声に出して言うせりふがほとんどナイ。

外国映画並みに「字幕スーパー」を読まないと、ハナシがわからなくなります。

ところどころアイロンかけるエプロン持ったまま立ってみていたり…。

結局、思い出のシーンは見られたものの、ストーリー全てはしかたなく検索しました。

読んで「あぁそうそう…」と。

あららそうだったのかと思ったのは、最初の方で秋子が空襲の中助けた赤ちゃんが、

成人して秋子に会いにきた場面で、それが「加山雄三」でした。あらーワ・カ・イ。

結局、外出先でその知らせを受けて、家に走って戻る途中、明子はトラックに轢かれて命を落とすのですが、

「なんでここで主人公が死ぬ必要があるのだろう」と、思っていましたら…これ実話を元にしていたんですね。

きっと実際にもそういうことになったのでしょう。

耳が聞こえなかったために、クラクションが聞こえなかったのですね。

 

障害者の実情は、今もいろいろタイヘンです。確かに戦後から少しずつはいろいろ変わってきていますし、

道具や医療も進んでいます。それでも、ハンデを持つ人は、健常者には気がつかない苦労をたくさんしておられます。

耳の聞こえない方は、はた目には障害がわかりませんから、よけいにたいへんだと思います。

白い杖をついた眼のご不自由な方と出会うと、なにかお手伝いできそうかなと、いつもしばらく眼で追います。

眼の見えない方は、いきなり声をかけられたりするとびっくりするそうですから、

まず肩をトントンと叩いて、それから「何かお手伝いできることはありますか」とたずねるのがよい、と聞きました。

 

世の中にはいろんな人がいて、いろんな事情を抱えている…、お互いに理解しあう努力をしなければ…

そんなことは、みんな百も承知で暮らしているはずなのに、優しくない社会、身勝手な事件、

責任のない仕事ぶり、あきれるような「キレ方」…もう少し、自分の足元をきちんと見つめる生き方はできないものかと、

そう思う事件が毎日のように起きています。健常者でもうっかり油断して歩けない…。

 

映画の中の情景は、懐かしい風景ばかり。最後に残された息子と父親が「サンマ」を買うシーン。

3匹で30円…袋にも入れず、指先でシッポをつまんでぶらさげて帰る…。

木製の電信柱、ゴミ箱、低い屋根の小さな住宅…この国はたった数十年で、

驚くほど豊かになったけれど、人の心や人とのつながりは、昔より貧相になっている気がしてなりません。

なんでもスイッチポン、便利便利…最近の「声をかけると電話が答える」、

「○○クンに電話」「○○クンに電話をかけます」ピポピポ…それくらい自分でやれば?検索しておすだけだろうが。

「○○に行きたい」「何々線に乗って…」人に聞きなさいよ「すみませんが○○はどこでしょう」って。

「ママにメール」「ママにメールします」「チキン南蛮をつくってくれぃ」…。

ミクシに書きました「ママから返信・ものを頼むときは『作ってください』といえ」…。

 

人と言葉を交わすことは、社会での基本です。

話せないから、聞こえないから、一生懸命唇を読んだり、手話を使ったりする聾唖の方々。

私たちは、当たり前にできる「人と話す」ということを、機械に頼り、誰にも聞かずに機械と会話する…。

むしろこういう道具は、ハンデのある人にとっての福祉機器としてたいへん有効だと思うのですが。

そのうち、町のあちこちでケータイに向かって喋ったり笑ったりする人が増えるのでしょうか。

気味の悪い光景でしょうね。

 

転んでも、たたかれても「一生懸命に生きる」という当たり前のことを、家族で寄り添って実践していく。

そんな物語のモノクロ画面を見ながら、今の時代の不可解さに首を傾げています。

先週、62歳になりました。

残りの方が短いけれど、機械との会話はほどほどで、生きていきたいと思っています。

 

 

写真は、花の終ったあとの「ルピナス」のはっぱです。

折からの雨のしずくがいっぱいついていて、とてもキレイでしたので。

しかし…水滴にピントを合わせるのは、ムズカシヒ…。

 

           

 

こちらはうっかり雨の前に、ガードし忘れたマーガレット。ごめんねぇ、でもキレイ。

 

      


コメント (9)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« フッカツ前夜 | トップ | フッカツへの助走? »
最新の画像もっと見る

9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
みくし (人形屋)
2012-04-23 18:48:10
お久しぶりです。
毎日拝見させていただいています。
みくしでも拝見したいのですが、是非検索キーワードを教えていただけると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
返信する
Unknown (とんぼ)
2012-04-23 19:10:12
人形屋様

えーと、私ミクシってよくわかっていないのですが…。(それでよくやりますよね)
ココで書くと…ですので、よろしかったら
メニュー右上の「とんぼへメール」でお便り下さい。
アチラでは別ハンドルを使っておりますので。
「友人を招待」っていうのがありますよね。
私はお誘いがあってあれで入ったのです。

ところで、ミクシでは着物のことはほとんど書いておりません。
オバサンのグチやら、悪友との掛け合いばっかりです。
返信する
Unknown ()
2012-04-23 21:01:20
先週は 
自分自身が はたふたバタバタしてまして
お誕生日メッセージを差し上げておりませんでした。
こちらで 遅まきながら 
あら 蝋燭3本? 
まぁ 良いでしょ 
こんなおまけもつけて
返信する
Unknown ()
2012-04-23 21:02:18
はたふた じゃなく あたふた だよ
返信する
Unknown (陽花)
2012-04-23 22:01:16
携帯電話が小型になって、PCが
家庭に入って、本当に便利な世の中に
なりましたね。
便利さをず~っと追い求め、いつかは
何かを忘れた事に気がついて原点に
戻るのでしょうか。

遅ればせながら、お誕生日おめでとう
ございます。

返信する
Unknown (ちあき)
2012-04-23 22:23:46
ブログが開発されて私はとんぼさんを知ることができたので、発達すること自体は悪いことではないのですけれど。
便利=100%善、という考えかたには違和感がありますねえ。結局いくら科学技術が発達しても、使うのは人間だということですね。

おなじく遅ればせながら、
おたんじょうびおめでとうございます。

ゆっくり養生なさってくださいまし。これからもたのしみにしています。
返信する
Unknown (とんぼ)
2012-04-24 21:04:43
惠様

ありがとうございます。
爆弾つきで、どーんといきましょう!

惠様も、いろいろおありですよねぇ…。
たいへんでしたよね。
おたがい、身をかばいつつ、がんばりましょう。
返信する
Unknown (とんぼ)
2012-04-24 21:06:06
陽花様

ありがとうございます。

便利になりすぎて、たまにひとつ何か壊れると、
アタフタします。毒されてますねぇ。
道具は使いよう…便利でいいものは使えばいいけれど、
使わなきゃ、という思い込みは危ないですよね。
返信する
Unknown (とんぼ)
2012-04-24 21:09:06
ちあき様

ありがとうございます。
おっしゃるとおり、道具は使いよう。
人が使うのですから、しっかり「選択」すればいいのですが、
便利も過ぎれば怠惰になる…が、どうも消えかかってます。
賢く使うことの意味を、考えなきゃだと思っています。
返信する

コメントを投稿

つれづれ」カテゴリの最新記事