昨日の雪もですが、とにかくものすごく寒いのです。
寒いところで一日中立っているお福ちゃん、先ごろまでショールをかけていたのですが、
あまりの寒さに「せめて」と、使い物にはならない舞台衣装をかけました。気は心ってところです。
たぶん「日舞踊」ではないかと思います。「男物」です。
残念ながら花や葉の色がはげたり変色したりです。ふき綿だけはたっぷりなんですが。
さてさて、少し前にマイミクさんの日記で、いわゆる「学芸会などの舞台衣装」というような話題がありまして…。
ふと、自分の時は…と考えてみました。
小学校は、なにしろ昭和30年代ですからねぇ…。
まだまだ今よりみんな生活水準ひくかったですし、学校の劇といっても、衣装はそれほど凝りませんでした。
まぁせいぜい「ウサギさんの役だから白いの着てね」くらいで、
あとはどんな役でもみんな「頭の上にそれを描いた絵を紙の鉢巻につけて巻く」でした。
皆さんは、どんな役をやったか、覚えていますか?
私が覚えているのは、たぶん4年生の時の「夜の教室で」という劇と、名前は忘れましたが6年の「クレヨン」の劇。
なぜか私は二回とも文房具の役で、最初が「六角鉛筆」、クレヨンの方は「黄土色」…。
聞いただけで笑える役です。言うほうは、もっと笑いたくなりますがな…。
アタマに六角鉛筆の絵の鉢巻をして、下は制服でした。
ある男の子が学校に筆箱を忘れて帰ってしまい、夜になって筆箱の中身たちが出てきて話をする…。
結局遅くなって、男の子が筆箱を取りに来て、大事に思われてたんだ、よかったね…ではなかったかと思います。
写真がねぇ、あるんですよ。左から二番目のおかっぱが私です。
舞台装置もシンプルでしょう。このとき体育館はまだ新しくできたばかりでしたが、
装備は不完全でマイクが懐かしい「木のイス」に乗ってます。このころはワイヤレスなんて…ないっ!
二年後の「クレヨン」の役の時には、それぞれそういう色の衣装を…といわれて、
その色の服を母が作りました。母は「なんやねん『おうどいろ』て、もーちっときれいな色になれへんかったんか」
知らんがな、先生が決めはってんから…。母はよほどその色が気に入らなかったらしく、
結局ワンピースを縫ってくれましたが、その後着た記憶がありません。
たぶん、母のお好みではなかったので、即、京都にいとこのところに行ったと思います。
当日は、先生が作ったそれぞれの色の三角帽子をかぶってやりました。
これも写真アリ…。無事終ってみんなで撮った記念写真。前列右から二番目がおうど色…いやワタシ。
今、手紙のやり取りをしているのはこの中でひとりだけです。みんなどうしてるかなぁ。
さて、そのマイミクさんのお話は、こういう舞台とか発表会などの衣装を先生が作る…というお話し。
へぇぇとびっくりしました。息子の養護学校では、教師と保護者が協力して、親ができるものは親が作り、
それ以外を先生が作る…といった感じ。息子が1年生でやったのがドナルド・ダックの役でして、
そりゃもぉぉ、はーりきって作りましたがな。らしくみえるでしょ。
でも、このときほかのお母さんに言われました。できる人はいいけどさ…。
きがつけば、そのころすでに「針仕事」をする人が、減っていたんですね。
状況も昔と違って「それらしい色の服でいいですから」というわけにはいかなくなりました。
舞台も凝っていて、照明や音響なども本格的だったり、背景もお金賭けて作ったり…。
そういう中では「かぐや姫」といったら、金襴の着物でも作らにゃならないわけで…。
(イマドキ、かぐや姫はやらんでしょうけれど)
親の負担は、手間だけにとどまらず、主役のコほど、お金が掛かってしまったりもするでしょうし。
そうなると、その幼稚園や学校で、まず「予算」を計上し、作るのは先生方…ということになるのでしょうね。
豊かになるということは、そういう意味では子供たちの思い出としても「本格的に○○の役をやった」とか、
「○○の踊りを踊った」とか、とてもすばらしいものになるのだと思います。
アタマに「六角鉛筆」をかぶっているだけでも、とても懐かしかったり、思い出すことがあったりしますもの。
それにしても…こんなところで言うのもなんですが…針仕事、しない人、多いんですよね。
息子の学校でも、PTAの行事で「手作りのもの」を保護者が作ることになったとき、
ほとんどの人が「縫い合わせ」の作業を嫌がり、のりで貼るとか、紙を切ったりとかそっちに流れました。
指貫の使い方を知らない人、ミシンを使ったことのない人、「中表に合わせる」とか「いせこんで」などの用語が、
全くわからない人…いやもう驚きました。
母の時代は、買いたくてもお金がない、お金があっても品物がない…そんな時代でしたから、何でも手作りしました。
それがあたりまえのように、家の中には母の作ったお膳かけだの、ザブトンカバーだの、のれんだの…
当時は着古した洋服の継ぎ合わせだったりしましたが…。
豊かになるということは、モノがないよりはシアワセだと思います。
ただそれが「あってアタリマエ」になってしまうと、心に残るものも、
砂のようにさらさらと流れていってしまうような、そんな気がするのは、年齢的な感傷でしょうか。
おしまいに、私の生涯最初で最後の「主役」写真。
幼稚園の「おわかれ会」での「光の子供」というダンス。母お手製の白いワンピです。
やっぱり「オデコにはちまき」でしょ。
学芸会でした。
思い出の貴重なお写真ですね。
息子様の衣装、全部手作りとはスゴイ
ですね。
ベッドに寝ている狼に、「どうしてお口が大きいの?」って、大きく手を広げるふりを付けて聞くくだりをなんとなく覚えています。
衣装も、ほとんど持ち合わせのお洋服をお母さんたちが工夫して着ていたように思います。
狼のしっぽは私の狐も襟巻でした。
豊かになって、派手になっても演じる子供や見守る家族の気持ちは同じだとは思いますが、あまり行き過ぎるのもどうかと思ってしまうのは老婆心でしょうか。
しかし、未だに保育園の同級生には赤ずきんの主役を私に取られたと根に持っている子がいるんですよぉ(笑)
小とんぼちゃんの衣装もかっこいい!
自分の学芸会は、ざんねんながら、記憶があまり。
なぜか白いタイツだけ…なんででしょ。
針仕事は、機会がへったせいもあるのかも。
家庭科実習で、浴衣を縫っていて
下の制服のスカートまで縫い込んだのは思い出です。
今の女子も実習、あるのかな?
こんなでしたよねぇ。
いつも主役からは外れてましたが、
親が見に来るからと、緊張しましたわ。
写真がもっとあればと思いますが、
昔はカメラも誰しもが持っているものでは
ありませんでしたね。
貴重な写真です。
「赤ずきんちゃん」、私もやりたかったなぁ。
昔は「民話」とか「童話」とかがけっこうありましたよね。
最近は創作劇だったりが多くなりました。
「主役をとられた」…私も「光の子供」のとき、母が別の女の子の母親に、
いやみを言われたそうです。
おかげさまでそれっきりですが…いや、け
っこう今でも、
あのときあそこんちの娘が…なんて、おもわれているかも?!
写真はいいですね。顔がはっきりうつっているものはね
そんなにはないのですが、見るとなんとなく思い出します。
家庭科の実習って、今はどうなんでしょうねぇ。
高校ではスーツまで作りましたが、今はあるのでしょうか。
指貫を使うと縫えないって友人がいて、びっくりしてるんです。
楽しいことだと思うんですけどねぇ。
その先生に当たったクラスの親は我が子の晴れ姿を
かなり期待しているとも聞きました。
私の時は小学3年の時 蝶々と水玉?の2役をして
蝶々は白いワンピース。
水玉はブルーのセーターとブルーのコール天の袖なしワンピースを親に作って貰いました。
記念写真を撮る段になって時間が無いからそのままでと
水玉役の衣装に蝶々の大きな触角をつけ
本当はこれじゃないのに・・・と憮然とした顔をして写真に納まっています。
「はりきる」のは、わかるんですけれど、
変な競争心とか、自分は何もしないとか、
なんかヘンだなー、とおもっちゃいますね。
蝶々プラス水玉、総括しちゃったんですね。
子供って、そういうとき「これ違う!」って
こだわりますよね。
大人はそういうところがわからないっ!