プツリと切ったようなごお知らせだけで、お休みさせていただいてまして…。
いろいろご心配をおかけいたしました。
またたくさんのコメント、メールをいただきまして、ありがとうございました。
父は26日土曜日の夜に、突然「具合が悪い、ちょっとこられるか」と電話してきました。
父が電話できてくれというのはよほどのことです。
急ぎ駆けつけますと、一目見て尋常ではないと思いすぐに救急車を呼びました。
病院に搬送されて診断の結果は「クモ膜下出血」、よく聞く名前ではあります。
ただ、意識もはっきりしており、言葉も不自由なく、手足も全部動いておりました。
間違っているかもしれませんがクモ膜下の中では、まだマシ…ではなかったかと。
命に別状はない、といわれましたが、動脈瘤破裂は確かでしたので、
クリップで破裂箇所を留める手術が通常です。
夜の間に血管造影剤を入れての検査で場所もわかり、翌日曜日の10時から手術。
無事終了しましたが、瘤は3個あり、今回は2個処置、のこり1個は経過を見て…です。
ずっと気になっていたのですが、父はいつも目いっぱいのヒトです。
母の介護のときから、はりつめているとプツンといくよ、と、いくら言っても「大丈夫」…といってきかない。
父もそういうところは頑固なのです。
人の手は借りたくない、手は抜きたくない…なんど言っても、いつもエンジン全開でした。
おまけにほんとに「似たもの夫婦」で、父も母に負けず劣らずの「セッカチ」。
のんびり…とかぼ~っとする…とは無縁のヒト。
歩くときは人をどんどん追い越していくタイプ。なんでもチャッチャとしないと気がすまない…。
そしていつも「人のことばかり」…母がなくなってからは、私と息子のことばかり気遣っていました。
休んで欲しい、ゆったり暮らして欲しい、そう思ってもいつも誰かのために動いていることが、
父にとっての生きている実感…とでもいうのでしょうか。
動けることが、自分にとって「元気だ」という証のように思えていた部分も、あったのではないかと思います。
これといって内臓の病気もなく、入れ歯も一本もない、酒もタバコもやらず、早寝早起き、野菜中心の薄味和食…。
救急車の中で、隊員さんがいろいろ質問したのですが「この年齢で、こんな人も珍しい」と言われました。
それでも…病気は起こるのですよね。健康というものは、本当に大切なものだと思います。
私はこういう暮らしですので、なかなかずっとそばについて、ということができませんで、
病院も(実は母が最後にお世話になった病院です)、以前から私の事情も知っているし、
そんなわけで、あちらも電話での説明もよくしてくださって…。
手術の翌日「意識戻りましたよ、ちゃんと受け答えもできますから」との連絡…。ほんとにほんっとに、ホッとしました。
しかーし「あっそうそう、気になさっていることがあって」「なんでしょう」「ガスの元栓だそうです」…。
ったく信用ないんだから…「スミマセンが、元栓はもとより、あらゆるコンセントも抜き、
植木の水遣り、郵便物のあれこれ、全部やっているから心配するなと伝えてください」…。
じーちゃん、頼むからゆったりしておくれ…。
しばらくはICUですし、もう一回の手術も残っています。
父は、病院についたとき「とりあえず命に別状はない」といわれました。
それでも後遺症については、まだはっきりしません。
どうなるかわかりませんが、すでに現役リタイアの年金暮らし組です。
日常生活に不自由ない程度に戻れたら、と思っていますし、
これを機会に「ゆっくりすること」を覚えてくれたらなと思っています。
まぁそれにしてもいろいろあるもので…それでも、地震と停電に関しては、
父が倒れる前に、身内や友人からの「救援物資」で私の暮らしは何の心配もなくなり、
ストーブも届き、父には「停電の心配」はなにもない、ということを見てもらえていました。
牛乳も配達復活するというお知らせがきました。
おかげさまで、父と皆さんに助けられて、私は大丈夫です。
手術が終わるまで、さすがに落ち着きませんでしたが、ICUにいる今は安心です。
病気に関しては私は何もできませんから、父に心配をかけないように暮らすことが、一番だと思っています。
ジェットコースターのような日々ですが、それならそれで乗り切ってやろーじゃないの、です。
地震の時もそうでしたが、何があっても、できるだけ「いつもどおり」のところまで
気持ちをもっていくことが、大事なのだと思います。
悩んで解決するなら、いくらでも悩みますが、何の解決にもならないなら「今できることをする」、
ずっとそれできましたので、今回もそれで行きます。
今、一番しんどいのは父ですから、私は私の居場所でがんばります。
皆様には、私の健康もたいへん気遣っていただきました。
拙いブログだというのに、楽しみにしているけれど無理はしないで、待っている…と言っていただいて、
ほんとにありがたくてうれしくて…。
そのためにも、自分の健康はきをつけていこうと思っています。
どうしても不規則になりがちな暮らしですが、父のような「全力疾走・エンジン全開」は、
今までもそうですが、しないことに決めています。
ホコリじゃ死なない、三日くらい洗濯しなくたってあるもん着ておけばいい、
しんどかったら料理も手抜き、眠かったら息子と一緒に昼寝…ものすごい「いーかげん」、
でもそれでやってきましたからこれからも…のんびりやっていきます。
毎日とはいかないかもしれませんが、また書かせていただきますので、
どうぞよろしくお願いいたします。
もう一度、本当にたくさんのご心配、お心遣い、ありがとうございました。
ここから先はゆっくりさせてよと、身体のうったえだったの
かもしれません。
とんぼさんもおだいじにされてくださいね。
無事に手術がすみますよう、おいのりしています。
何事にも手を抜かず、
健康だからと、休息を怠けると
感じて頑張る年代ですからと
心にかかっておりました。
でも、それがご自分の異変に
気づいて電話をかけていらした
判断の早さにつながったのではと
思っています。
とんぼさん宅に近くに住まわれて
いて本当のよかった!!と
思いました。
年代関係なく、今は療養の時期と
思っていただき、完治いむけて
頑張ってほしいと願っています。
とんぼさんも大変でしょうが、
今は病院にお任せして、
季節の変わりめですので、
ご自身、息子さんの健康に
充分留意して過ごされて
くださいね。
お気の毒です。
何とか後遺症無く、快復なさいます様に!
お達者なお父様ですから快復されるのも
お早いと思いますが、とんぼ様もお疲れが
出ませんようにお気を付け下さいね。
どうぞ無理をなさらず、「適当」にお過ごし下さい。
ありがとうございます。
思ったより元気でほっとしています。
実際「休め!」という信号だったのだと思います。
まだ先はわかりませんが、父のことですから
また地道にがんばってくれると思います。
私もほっとして、バクバクご飯食べられてます!
ありがとうございます。
いくら言っても立ち止まらない人でしたから
ここらでちょっと一休み…してほしいです。
私は「いつかこんなことに」という懸念がありましたが、
父自身は「こんなことになるなんて」と、
驚いていました。
忠告なんて右から左だったのですね。
やっと怖いもんだなと言ってました。
やっと少し暖かくなりました。
今日、桜を見ましたよ。
もう少しですね。
私も息子とのんびり、春を迎えます。
ありがとうございます。
おかげさまで、今のところは一段落です。
もう一回の話は医師からいってもらいます。
治ったらら少しのんびり暮らしてほしいものと思っています。
ありがとうございます。
おかげさまで、いつものパワフルジーちゃんです。
抑えて抑えて…と、しかってきました。
元気で戻ってきてくれたら、温泉にでも、けっとばしてでも連れて行こうと思います。
ありがとうございます。
今まで言うこと聞いてくれませんでしたが、
いい理由ができましたので、
「適当」の極意を伝授します!?