
といっても、洗ったのは、ド・ピーカンだったおととい。
午後からの仕事にしたため、衿の部分が乾ききらず、そのまま部屋干ししましたらあの「雨」。
ははは、たまにまじめにシゴトするとこれだって…。
とりあえず、乾きました。
これはもう何年越しかであるものですが、販売は錦紗中心でしたので、ずっとしまいっぱなし。
いずれにしても、ちとべたつき感といいますか、汚れが気になっていまして、
えーい洗っちゃえ…と洗濯機でガラガラとまわしました。似たような色ですし、まとめて一気に…。
さーーっぱりしました。
どれも透け透けで、ほんとに涼しそう。こんな感じの透け感です。
これは、男物やら、筒袖の普段着もまぜまぜの4枚。
いつもなら、解いて洗うのですが、まず洗っちゃいました。傷みもシミもあるので、これからじっくり点検です。
ところで昨夜NHKで、ラオス織りについてのリポートをやっていました。
ラオス織りは幾何学柄で、色合いも日本人好みの色合いも多くとてもいいなぁと思っています。
このラオス織りに日本の反物として、つまり反幅の帯地としての発注をして、
見本を織ってもらい…とやったのですが…。確かに、とてもいいです。私も一本ほしいなあと思いました。
見本を持ち込まれた呉服屋の店主さんは「ラオスらしい柄、これいいねぇ」と、
ステキな柄の織物をほめていましたが、次に出た言葉が「これ、今日本で織ったら100万越えちゃうよ」。
ラオス織り、確かにステキです。
日本は大昔から遠く大陸文化や南蛮貿易で、海外の美しいものを和服に取り入れてきました。
ラオス織りも、新しい和服素材としてだせば、人気も出るでしょう。
でも…日本の技術はどうなるの?…それを思いました。どんどんいろんな技術が消えかかっています。
売れるだろうから…新しいものを発掘して…そういうこともわかるのですが、
それは国内の、今までのたくさんの技術によってつくられてきたものを、
ちゃんと残した上で、更に欲張ることじゃないかしらん、と思うのです。
ラオスはたくさんの少数民族の集まる国だそうで、ラオス織りの「シン」というスカートのような伝統衣装は、
今でもみんな着ています。柄には民族ごとに特徴がそれぞれあって、蛇神とかガルーダとか…。
日本に持ち帰った横段のジグザグ柄は、現地に行った人が「これがメコン川だそうです」と説明していました。
こんなサイトをみつけました。ニュースで似たような場面も見ましたが、
それぞれの家庭で、親から子へと伝えていく…昔は日本もそうだったはずなんです。
確かに、それは「貧しい」という現実もあったと思いますし、家業は子供が継いで当たり前とか、
女は家にいて当たり前とか、そういう時代の「負」の部分がのしかかってのこともたくさんあったと思います。
そういうことを撥ね退けるかのように、人は都会に流れ、スマートと呼ばれる職業にあこがれました。
それもまた、時代の流れというものだと思いますが、今、価値観がかわり、ダレもが好きなことをできる時代になって、
たとえ何度転職しても、別にダメ人間だなどといわれなくなりました。
こんなときだからこそ、ある種「技術育成」にはチャンスではないかと思います。
染や織りの現場は、どこも後継者不足で、かわうそ以上に「絶滅」したり「絶滅危惧種」だったりしています。
よそ様の国の伝統柄を引っ張り出す前に、国内の伝統技術を、もっと大事にしてもらえんものかと…。
ステキなものを見たのに、ちょっと哀しくなるニュースでした。
その方の知人のお子さん、和裁の最高の技術を身につけた〈修業をおえた〉のだけれど、暮らしていけるだけの収入は得られない。
他の仕事で暮らしをたてつつ、技術がにぶらないように心がける…という話で、同じ様に見える程度の物は外国で安価に仕立てるから、という意味に私はとり胸が痛みました。
私自身、高価な物には手が出せませんので。
博物館の学芸員さんにでも、後世にわかる資料を整えておいて欲しい、と考えているわたしです。
とんぼさんのこのブログは、もちろん (*^_^*) 大切な資料の集まりですよね。
もう、この技術はなくなりますよ」といわれることも多く、
そのたびに、なんで…と思います。
悪循環で、高いから売れない、だから安くすることを考える、だから外国…って。
なんでも外国で作ろうとするから、日本じゃ何も育たなくなるんですよね。
消費者がわにも、必要以上に「安い」ということに価値があるような、
安いことにこだわるような、そういう風潮も、おかしいなぁと思っています。
大手スーパーが進出して、シャッター商店街が増えた…そのスーパーが撤退したら、
買い物難民が増えている…おんなじことだと思うんですが…。
むずかしいですねぇ。
私の知り合いの呉服屋さんも今年になって廃業しました。
これから先の事を思うと難しいですね~~
着物にまつわる文化はとても広くて深いと思うのですが、それらが無くなってしまうのはアッと言う間なのでしょうね。気がついた時にはもう遅いと言うことになるんんでしょうね。
私もさまざまなところでの「廃業」「転換」を耳にしていますので、
気になっています。
なんで大切にしないのだろうと。
ほんとに作り上げるのは大変なのに、なくなるのは早いのですよ。
外国のように、伝統文化みたいなものについての国の保護みたいなものが、
思いっきり貧しい国ですからねぇ。
ラオスの織物、以前にラオスの絹織物の絹は、蚕が羽化した後の繭を集めて織っているという話を思い出しました。
ざっくりしたものでしたので、たぶん高級品ではないだろうとおもうのですが、いわゆる天蚕、野生の蚕の仲間のものの繭らしいです。
紬糸だったら、糸が切れててもいいんだから、蚕が出た後のを使ってもいいのに、とは思いました。
繭がちょっと汚れたりはするようですが、蚕を殺してしまうよりいいなあと思いました。
あ、でも日本の養蚕地では、繭の中の蚕を食べてた所もあるそうで(蝗のように)、それならいいかな、と思ったりもします。
ラオスの織り場の写真もいいですね。
やはり東南アジアのどこかの織り場で、高床式の家の床下に機があった写真を思い出しました。
広々していて涼しそうで、いいなあと思って。
ラオスの民族衣装のように、二部式だと上は洋装にして下だけ残る、というのもありますが、着物のように一繋がりだと一部残るというのも難しいですね。
野良着は二部式(?)だったけど、農村でも野良以外はやはり一枚の着物だったし…。
礼装などの技術は残りそうですが、各地の紬などで工夫されてきた技術は、普段に着続ける人がいなくなれば残すのは難しいと思います。
織ること自体は機械化もできますが、そこまでの糸の準備を人が全部するだけでも、人件費をきちんと載せたら洋服に太刀打ちできる価格ではなくなってしまうと思います。
同じアジアでも、本当にいろいろな文化が
あるものだと思っています。
今の時代、お金のある「大手」が、技術の保全よりも、
売り上げのために、外へ外へと流しています。
職人を大事にしない国ですね。着物に限らずですが。
蚕は家畜になっていて、養蚕農家の蚕は家蚕と呼ばれています。
すでに人の手を借りなければ、生きてはいけない「種」になり、
たとえ羽化しても、羽も退化して飛べず、すぐに交尾をして終わりです。
人間は残酷なものだとも思いますが、なればこそ、絹の全てを、
大切にしなければ、と思うのですけれどねぇ。