トップはグングンのびてるゴーヤてす。風がよく吹くので心配なんですが、今のところ順調のようです。
さて、今日はすみませんが「葬儀場」のお話…。
テレビで「町の真ん中の葬儀場」についてのリポートがありました。
新しく商店街の真ん中にできた「葬儀場」について、商店街の反対運動があった、というお話です。
葬儀場といっても、小さいもので、細長いビル1階表には花屋さんがあり、その脇を入ると…という作り。
でもこの葬儀場のまん前が「総合病院」で、ベッドに寝ると、窓の外に「葬儀社」の看板が見える…あらら。
「ご遺体の搬送」については、当初はそのビルのまん前に霊柩車をとめるといったのですが、
反対派が、そこは交差点のすぐそばで「駐停車禁止範囲」だといったら、
今度は近くの貸し駐車場にとめてそこから搬送する…。でも貸し駐車場はみんなビルから離れた裏手で、
一番近い駐車場からでも距離があって、グルリとまわってお棺をお運びしなければならない…
そこの部分はストレッチャーで商店街の歩道を押していく…。
それが日常的になったら、ご遺体搬送しながら誰かに会ったりしたとき「あ、どーも毎度ぉ」とか、やるんですかね。
宅配便じゃないんだから…。
いや、私は町なかの葬儀場そのものは、ダメだとは思っていません。
母の葬儀をしたところは、昔からこの地域で営業しているところです。
駅から歩いて5分くらいなのですが、商店街とは反対方向で、周囲から文句が出る環境ではありません。
なにしろ駅から近いしわかりやすいし、便利です。お葬式って、自分たちの都合だけでなく、
来てくださる方のこともありますから、駅から近いとありがたいです。
それからいけば「商店街の真ん中」ってのも、便利ではあるでしょうけれど…。
前が病院で搬送が商店の通りではねぇ…苦情が出てもしかたないところでしょう。
結局そこの葬儀社は経営内容を変更し「骨葬」という形で、お骨にしてからのこじんまりとした葬儀がメイン、
ということで、営業しています。表を通ると「ご葬儀の相談」なんて、料金表がでています。
このリポートのなかで、今の日本の年齢分布でいくとこれから葬儀の数は増えるんだそうです。
そりゃこれだけの高齢化社会ですからね。
そして葬儀のやりかた自体も、家族だけとか、骨葬とか、こじんまりとしたものとかが増えている、
そうなると、こういう形の葬儀社の存在もアリということになるどころか、増えていくだろうと。
そのためには訴訟問題が起きないように、ある程度の指針として「規制」を設ける必要が出てくる…。
とまぁそんなリポートだったんです。
最近はなんでも規制ですよね。
確かに、トラブルを避けるためには規制は便利なものかもしれません。
でも、規制を作らなければならないという現状は、結局「人の心」の問題だと思うんです。
この葬儀社の経営者は、もし苦情や反対運動がおきなければ、ほんとに交差点にとめるつもりだったわけだし
駐停車禁止だといわれたら、本気で商店街の歩道をご遺体搬送するつもりだったわけですよね。
そんなことが「あっそうですか」と、納得してもらえることではないなんて、ちょっと考えればわかることでしょう。
交差点の脇に車とめるなんてことだって、霊柩車なら許されるとでも思っていたのでしょうか。
葬儀場なんて縁起が悪いという理由で排除するつもりは毛頭ありませんが、
本当に「お客さまにとって時代に即した新しいタイプの葬儀場を」と考えたとしたら、
目を配り気を配る範囲は、もっと広くなければならないと思います。建てたもん勝ち…ではあんまりでしょう。
毎年騒がれる多摩川河川敷のバーベキューも、あまりにひどいので規制がかかり、川崎側は有料になりました。
またよくある「河川敷の非常識ゴルファー」には、規制を作れという声が上がります。
なんたって「年金暮らしで、ゴルフ場いく金がないからここでやってんだ。アンタ出してくれるのか」なんて平気で言う…。
だったらゴルフなんかやるなって。なんだか情けないです。
規制や条例が増えるというのは、身勝手な人が増えるということのような気がしてなりません。
自分さえよければで、やってるのは自分だけじゃない…禁止されてないじゃないか…、
注意されるとそういって逃げる、文句を言う…。子供のころ、ケンカしたときいいませんでした?
「やっちゃいけないって法律でもあんの?」とか「ケーサツがダメっていったのかよ」とか。
つくづく、ああいう人たちっておこちゃまなんだなぁと思います。
昔は親がよく言ったもんです「人の嫌がることはしちゃいけない」って。
しつけは規制じゃなかったよぉ。
母がお世話になった火葬場も「山の中」…。
お葬式のやり方も変わってきていますし、
いろいろ新しいことも考えなければならない時期に
きているのでしょうね。
横浜アタリは、もう空き地なんてありませんから、
私の住んでいるような田舎でも、新しいところはものすごく奥地です。
雑木林だったところを切り開いて…。
町の中でもいいと思いますが、心配りはほしいですよね。
どちらもさびしい峠道、今までの火葬場ひとつでは、3日から七日なんて待機あたりまえ。以前は無理におこつにしていただいて、参列者以外だれもいない火葬場でのお別れのわびしさが記憶にあります。震災で、東京でお骨にしてらっしゃる被災者のかたでも、身元不明の方のは職員さんがお骨ひろいをしたり‥なんともせつないばかりです。
無ければ困るし、場所的にも・・
大都会ならなおさら難しいですね。
必要なのは分かるけど、そばでは
困るという事でしょうね。