友人の娘さん、最初は振袖姿の成人式を「おばぁちゃんに見せたい」と張り切っていたのに、
とても残念なことに、そのおばぁちゃんが、去年冬の入りに他界されてしまいました。
がっくりきて「もういいわ」と言い出したのを、周囲の人になだめられて…
私も言いました。成人式は一生に一度、晴れ姿は自分のため、育ててくれた親のため、
天国のおばぁちゃんだって望んでると思うよ、と。
それで着ることになりまして、お母さん、親御さんの法事の合間にドタバタたいへんでしたが、
なんとかお支度はセーフ。あとはお天気だけと思っていましたらいいお天気にもなりました。
で、送ってきてくれましたのが、横浜アリーナへ向かう途中の写真です。
お顔はちょっと隠させていただきました。
帯は、彼女の雰囲気から、銀とピンクの…と言っていたのですが、
実は彼女、ちとふくよかでして…帯も長尺でないと。
それで急きょそのまま、帯もおかあさんの…でこうなりました。
もっと赤い部分が目立つかと思ったのですが、背中に回る部分は、
黒基調で、なかなかです。
メールで会場でのお友達との写真も、何枚か送ってくれたのですが、
どの写真もほんとに笑顔はじけていて、私も嬉しくなりました。
髪型だけは、簪が間に合わず、3月にお誕生日記念写真を撮るそうで、
その時までには届くとのこと、「もっと日本髪っぽくしてもらうんですっ」とはお母さんの意気込み。
送ってもらった写真には、ほかの娘さんたちも写っていたのですが、
見た感想として「おでこ出したのは正解です」と、書きました。
一人一人の娘さんたち、それぞれにアップに結って、そこだけ見ればかわいくてよく似合っているのですが、
着物には「顔の輪郭を出す」のが合うのです。それはそういう文化として育ってきてのことだから。
着物は全身を包むもので、顔と手しか出ません。それでなくとも振袖は女性の着物の中でも、
特出して豪華で華やかなものです。顔の輪郭を隠して、前髪が目までかぶさっていたり、
耳の横にパラリとおろしてあったりすると、顔が小さくなって、着物に負けてしまいます。
小顔は洋装のときだけ。着物を着たら狭くてもおでこをすっきり出す方が、「着物」に合うのです。
今日は、テレビで朝からいろいろ振袖を見ました。古典柄もふえてきていて、
一時期の「なんだか花ごっちゃりで、みんな同じに見える」…のは減った気がします。
お母さんの…と言う人も何人かいましたね。解説者いわく「今年成人式の人のお母さんは、
バブル時代に成人式の年代。親(つまり本人の祖父母)は、いいものを買って着せているはずです」
なーるほどね。
今年も花魁もいればバカ殿様もいました。女の子なのに男物の紋付羽織袴(それも白)なんて人もいました。
テレビに映るのは、ほんのごくごく一部です。普通の「イマドキ振袖」の人もたくさんいました。
いろんな考え、いろんな思いで選ぶのでしょう。
それでも「成人式ってなんだ?」を考えたとき、20年先30年先に、自分の「晴れ姿」を
どう思ってみるのか、答えが出るのは先だなぁと思いつつ、見ていました。
ともあれ、成人のみなさん「おめでとうございます」。
お召しだったのですね。
準備された甲斐がありましたね。
お友達のお嬢様もきっとあの時振袖を着て良かったあと思われることと思います。
お写真を拝見しながら我が家の娘の時の成人式を思いだしました。
美容室に送っていったり会場に送ったりと、どたばたの1日でした(笑)。こちらは雪の時期ですから本当に大変です。
それが、おばぁちゃんがなくなる10日ほど前に、
父方のおじいちゃんも亡くなってるんです。
もう葬儀やらなんやらでたいへんだったんですわ。
でもきっと、おじいちゃんおばぁちゃんも、
天国から見てくれたと思います。
写真も載るし、いい思い出になると思います。
次は彼女の娘さんかも…。
こちらは何年か前でしたか、吹雪みたいになった年が
ありました。かわいそうでしたー。
雪国は毎年大変ですよね。
地域によって春とか秋とかにしても
いいのではないかと思いますわ。
今年の成人式は親戚の葬儀があったため一人も成人式の人見かけなかったのです。見たかったな~、振袖のお嬢さんたち。代わりに見たのは喪服のおじさんおばさんばかり・・・。
今年になって二つ目の親戚の葬儀でした。いずれも長年患っていた高齢の叔父なんですけど昔を思い出して懐かしんだり冥福を祈る気持ちはもちろんですが初めてのある感覚に自分で驚いたことがあります。時代が変わっていくなー、そしてあちらの世界に自分が行く日が近づいたなー、と。そんなこと感じたこと無かったんですけどね。
私ももうすぐ3回目の成人式ですからね、少しは大人になりましたかねー
こちらこそです。
こちらも喪中で、ぼやけたお正月になりました。
毎年の「喪中ハガキ」の数がだんだん増えていく…
おじおば、両親、舅姑…そういう年齢になったんだと
毎年思っています。
それにしても、最近の喪中ハガキに書かれた年齢が、
とても高齢なのに驚きます。90代も珍しくなくて…。
我々はまだまだですよん。