今日も寒い日になりました。
「あの日」から、もう21年経つ…ほんとに早いものです。
あの翌年に生まれた子供が、成人式ですものね。
私はまだ40代でした。
テレビで、高速道路の高架橋が、積み木みたいに倒れているのを、
信じられない思いで見ていましたっけ。
のど元過ぎれば…で忘れるよ、ダメだよ…と言って10数年、3.11がきました。
阪神のときより「ここが揺れた」ということで、また忘れられない日となり、
また新たに「阪神の時は」と思い起こすこととなりました。
今でも、まだ復興しきれていないところ、建物や道路はきれいになったけど、
暮らしは戻っていないところ、結局あの日を境になくなったところ…。
まだまだあるわけです。
東北だって、同じことだと思っています。
まして福島など、家が燃えてもいない、壊れてもいないのに「ゴースト・タウン」…。
人は自分が経験しないと、どうしてもピンとこなかったり、見たり聞いたりしたときは「!」と思うのに、
時間が経つと「!」が「おどろいたよね、あの時は」…になって、やがて「そういえばそうだったね」になる。
それが一番怖いのだと思います。私も阪神の時は、遠かったですし、たまたま関西の身内は、
誰も甚大な被害を受けませんでしたから、忘れるともなく…でした。
でも、あの東北の時の「震度5弱」は、どうにも忘れようがありません。
揺れが大きかったことは、とても怖かったですが、被害はありませんでした。
ライフラインも、直後に停電が20~30分あっただけで、あとは何もありませんでしたし
たまたま表に出ていた父も、無事自宅に戻っていましたし、我が家は外出していなかったし…。
ところが、次の日から物流が止まりました。コンビニに行ってもなんにもない。
あの時、どこのスーパーも開店前から並んだのです。出かけられない私にはできないことですし、
さしものネットショッピングも「モノ」がないから売れない…。
あのとき、ブログのお客様が、ほんとにたくさんたくさん、手を差し伸べてくださって、
我が家はそれでなんとか1か月2か月を無事しのぐことができたのです。
荷物が届くたび、玄関先でありがたくて泣きました。
計画停電はすぐに始まり、たった2時間ですが、4回経験しました。
初日は夜だったので、暖房が全く使えなかった私と息子は、小さなカンテラと蝋燭の明かりの中で、
2時間、毛布にくるまって過ごしました。ラジオの音がとても心を落ち着かせてくれました。
あの日から、私は人に笑われようが「やりすぎ」と言われようが、防災をいろいろ考えるようになりました。
もちろん、これだけやっておけばよい、と言うものではありません。
家がつぶれたら、どうにもなりません。それでも、もし命が助かって、なんとか行政が動き出してくれるまで、
1週間でも10日でも、暮らせたら…と、そう思っています。
個人にできることは限りがありますが、何もしないよりはマシ…程度でも、やっておこう…と思うのです。
今日は「備蓄食品」のチェックをしました。ほとんど、来年までOKでしたが、
この5月と6月に期限が切れるものがありました。
まだ数か月は先ですがその時になって忘れたら…と思い、出してきて、明日からお昼ご飯に使おうと思います。
今夜は遅くから関東でも雪になる…と予想しています。
ほーらね、暖冬の時はドカっと降るんです。坂道の町に住んでいると、積雪=物が運ばれない…です。
今日のうちにネットスーパーでお野菜買いました。
自然を前にしたら、人間なんて「ひとひねり」であるということ、忘れないようにしたいと思います。
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