ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

1.17

2016-01-17 21:57:50 | つれづれ

 

今日も寒い日になりました。

「あの日」から、もう21年経つ…ほんとに早いものです。

あの翌年に生まれた子供が、成人式ですものね。

私はまだ40代でした。

テレビで、高速道路の高架橋が、積み木みたいに倒れているのを、

信じられない思いで見ていましたっけ。

 

のど元過ぎれば…で忘れるよ、ダメだよ…と言って10数年、3.11がきました。

阪神のときより「ここが揺れた」ということで、また忘れられない日となり、

また新たに「阪神の時は」と思い起こすこととなりました。

今でも、まだ復興しきれていないところ、建物や道路はきれいになったけど、

暮らしは戻っていないところ、結局あの日を境になくなったところ…。

まだまだあるわけです。

東北だって、同じことだと思っています。

まして福島など、家が燃えてもいない、壊れてもいないのに「ゴースト・タウン」…。

 

人は自分が経験しないと、どうしてもピンとこなかったり、見たり聞いたりしたときは「!」と思うのに、

時間が経つと「!」が「おどろいたよね、あの時は」…になって、やがて「そういえばそうだったね」になる。

それが一番怖いのだと思います。私も阪神の時は、遠かったですし、たまたま関西の身内は、

誰も甚大な被害を受けませんでしたから、忘れるともなく…でした。

でも、あの東北の時の「震度5弱」は、どうにも忘れようがありません。

揺れが大きかったことは、とても怖かったですが、被害はありませんでした。

ライフラインも、直後に停電が20~30分あっただけで、あとは何もありませんでしたし

たまたま表に出ていた父も、無事自宅に戻っていましたし、我が家は外出していなかったし…。

ところが、次の日から物流が止まりました。コンビニに行ってもなんにもない。

あの時、どこのスーパーも開店前から並んだのです。出かけられない私にはできないことですし、

さしものネットショッピングも「モノ」がないから売れない…。

あのとき、ブログのお客様が、ほんとにたくさんたくさん、手を差し伸べてくださって、

我が家はそれでなんとか1か月2か月を無事しのぐことができたのです。

荷物が届くたび、玄関先でありがたくて泣きました。

計画停電はすぐに始まり、たった2時間ですが、4回経験しました。

初日は夜だったので、暖房が全く使えなかった私と息子は、小さなカンテラと蝋燭の明かりの中で、

2時間、毛布にくるまって過ごしました。ラジオの音がとても心を落ち着かせてくれました。

 

あの日から、私は人に笑われようが「やりすぎ」と言われようが、防災をいろいろ考えるようになりました。

もちろん、これだけやっておけばよい、と言うものではありません。

家がつぶれたら、どうにもなりません。それでも、もし命が助かって、なんとか行政が動き出してくれるまで、

1週間でも10日でも、暮らせたら…と、そう思っています。

個人にできることは限りがありますが、何もしないよりはマシ…程度でも、やっておこう…と思うのです。

今日は「備蓄食品」のチェックをしました。ほとんど、来年までOKでしたが、

この5月と6月に期限が切れるものがありました。

まだ数か月は先ですがその時になって忘れたら…と思い、出してきて、明日からお昼ご飯に使おうと思います。

 

今夜は遅くから関東でも雪になる…と予想しています。

ほーらね、暖冬の時はドカっと降るんです。坂道の町に住んでいると、積雪=物が運ばれない…です。

今日のうちにネットスーパーでお野菜買いました。

自然を前にしたら、人間なんて「ひとひねり」であるということ、忘れないようにしたいと思います。


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