毎年あれこれ書くのですが…。
今年はあまりにいろいろありすぎて、戦争だけでなく「核」のことだとか、
震災のことだとか…日々あれこれがアタマをよぎります。
あちこちのチャンネルで「終戦特集」の番組をやります。
私はドキュメンタリーをなるべく見るようにしています。
戦後66年も経った…というより、経ったからこそ「言う人」がでてきたり、
隠されていたものが出てきたり、今までとは違う視点で掘り下げることがあったり…。
どれをとっても「戦争の狂気」というものが、伝わってきます。
何度もお話していますが、義父はシベリアに4年、抑留されて無事帰還しました。
帰ったとき、きっと「共産主義に染まっているのではないか」と、疑われたと思います。
当時のソ連も中国も、捕虜となった日本人に対して「教育」をしたからです。
もちろん、国によってその「教育」のやり方も違い、主旨も違い、結果も違いました。
それでも、長年囚われ、相手の国のことを吹き込まれているであろうと、日本側はそう思ったわけです。
実際帰国後に、そういう道を選んだ人もいたそうですが…。
負けた国は「お前たちはわるいことをした」といわれ、指導者は弾劾され、
兵隊であった人たちも「人殺し」をしたことを問われます。では、勝った国は何をしてもいいのでしょうか。
たった一発のバクダンで、町ひとつ崩壊したことは、一般市民を一度に何万にも殺したことは、
罪にならないのでしょうか。
先日、アメリカの最近の戦争で「PTSD」になった若い兵士たちのリハビリ施設を放送しました。
治療者側の男性が「ここでリハビリをすれば、正常な神経に戻り、また戦線にもどっていくことができる」
と言いました。事実、9割でしたか治ってまた戦争に行くのだそうです。
治るってナニ…治ることが重要なんではなくて、そんな病気になるようなことをしていることがおかしい、
そうは思わないのですね。
母の言葉「人に叩かれたら痛いやろ、そやからアンタも人を叩いたらあかんねんで」
大切なことはいつもシンプルである…そう思うんですがねぇ。
今年も暑い終戦記念日になりました。
震災の爪あとはまだまだ癒えません。
問題山積の政府はゆらゆら揺れるやじろべいのように頼りないです。
何かひとつでも、明るいものが見えるようになりますように。
戦争のために、ひとつしかない命を落としたたくさんの方たちに、
震災という人の手では避けられないことで命を落としたたくさんの方たちに、
恥ずかしくないように生きること、何ができるだろうかと…。
もわっとした生暖かい風の中で空を仰ぎます。
写っていました。
病気で亡くなるのは寿命だと諦められます。
人災、戦争などは避けられるべきものです。
そういうもので、尊い命を落とす事のないように、伝えていかなければいけないですね。
母は兄二人戦争にいきましたが、
幸いにも遠くへ行く前に終戦を迎えました。
それでも旧友も別の親戚も戦死者がいます。
現実として考えられませんが、
今、もし夫に「赤紙」がきたら…なんて考えると
ゼッタイヤダと思いますね。
もう二度としてはいけないこととして、
伝えていかなければとおもいます。
私も周りにも戦地から紙一重の幸運の差で戻ってきた人が沢山いて、お盆などになんとなく問わず語りに話しているのを耳にはさんできました。
若くして命を散らした人たちの無念。
戻ってきたのに戦犯として処刑された人。
戦争の人を狂気へと向かわせる恐ろしさ。
人を殺すことはしてはいけないと、このシンプルさを守らねばと思っています。
ただその思いを次の世代に伝えていくことのむずかしさを感じています。
過ちを繰り返す事が人間の性なのでしょうか!
義父なども、結局何もいわずに逝きました。
ほんとはもっと聞きたかったです。
私も戦後生まれですから、聞いたことばかりですが、
伝えなきゃと思うんです。
このブログで書くのも、わずかでも伝われば…なんて、
思っています。
小さいことでも、話していかなきゃなんですよね。