アナウンサーといえば「正しい日本語」の使い手、と思うのですが、
このごろは、アナウンサーがワイドショーの司会などやっていると、
「原稿を読み上げる」という場面ではないせいか、
なんか「違うよぉ」ということがままあります。
リポーターなんかになると、だから違うってば…もしばしば。
確かに災害現場や事件現場で、興奮するあまりの間違いもあるかもしれませんが、
元々「言葉を話す」ことをシゴトにしているのなら、
ちゃんと使ってほしいなぁと思いますねぇ。
昨日なんか、あの「つかまってから裁判中も一言もしゃべらなかった」
というヒトをおいかけていってのリポート、
最後に「ソノヒト」が河原でしゃがみこんでじっと川面を見つめているところで
「川べりに座り込んで、たたずんでいました」…。
そんな器用なことできるかっ!
いわゆる「てにをは」のマチガイもけっこう耳にします。
「犯人を逮捕されました」、「たった今」という臨場感で
「今、逮捕されました」と言いたかったんでしょうけれど、
どちら様が「お逮捕なされましたので?」
それと長くしゃべっていると、前とのつながりがメチャメチャになる…。
「この道をですねぇ、まっすぐ行きますと信号が、あぁありました、
ここですね、これを犯人の車はですねぇ、目撃者はまだ現れておらず…」
どっかで区切れってば…。
NHKで深夜に、ほんの短い時間ですが「話し言葉」の番組を放映しています。
使い方が難しい言葉とか、今は意味が広がっている言葉とか、
いろいろ例に出して聞かせてくれるので、楽しく勉強させてもらっています。
今夜は「檄を飛ばす」の使い方でした。
誰かを励ましたり、ハッパかけたりするときに使うのは正しいか否か。
当然×ですが、若いヒト、というより、聞き取り調査とやらでは、
実に70パーセントだったかのヒトが「○」と答えたそうで…。
えっ?…と思う私は古いのか…、「檄」とは「主張」です。
「檄」といって私がパッと思い出すのは「三島由紀夫」の「檄文」です。
コトの次第あれこれについてはここでは書きませんが、
私が「檄」という言葉をちゃんと知ったのは、
このときではなかったかと思います。
では「檄を飛ばす」とは?これはかの番組で説明がありました。
「檄文」は時として仲間内などに、バーッと急いでまわされることもあった、
「飛ぶような速さで知らされた」ということで「檄を飛ばす」と言うのだそうで。
言葉というものは、時代の流れでかわっていきます。
「情けはヒトのためならず」などは、もう全く違って解釈されていたり、
「全然…」の使い方などは、私も…けっこうやってますねぇ…。
きれいな言葉や表現は、なくなってほしくないですね。
ちょっと話しがズレますが、先日よそ様のブログで
「京言葉」のお話がありました。
ご存知のとおり、とんぼの母は「京都出身」、私はバサマと話すときは
「京都弁ごちゃ混ぜ状態」です。
その母が「京言葉はやさしいてきつい」、そーなんですねぇ。
はんなりとつっつくんですよぉ。
「京のぶぶづけ」はご存知の方も多いと思います。
訪ね先で腰をあげて帰ろうとする「まぁもうお帰りどすか、
そない急がんかてよろしおすやろ、ぶぶづけでも食べてっとくなはれ」
といわれる、これがねぇ、一度断ったくらいじゃ下がらない、
「そなこといわんと、すぐ支度しますさかい…」と続く、
そんなに言われるなら、と「ではごちそうになります」とやったら、
あとで「あのおひとはほんまにぶぶづけ、食べはったんやでぇ」と言われる!
現代ではどうなのか知りませんが、母はこの話を「当りまえやん」とイイマシタ。
さて最後は、えらそーに言ってる私のドジ話し。
勤め始めてすぐの頃、内線電話で工場内勤務の方の「××さん」が、
「○○さんいるかな、さっき部品の包み机の上に置いといたんだけど
こっちにまだこないんだ、返事ほしくて」と…
見ると「○○さん」は、すでに工場のほうへ行ったようで姿が見えません。
ついでに置いたという「部品の包み」もありません。
私は「○○さん、席にいません、包みもありません」といおうとして
「○○さん、席ありません」…、1拍おいてて××さん大爆笑、
「おーいSちゃん(私の旧姓)、○○ちゃん勝手にやめさせないでよー」
ハッと気がついて「すっすいませんっ!」
電話のすぐあと○○さんは大笑いのまっさいちゅうの工場についたそうで、
もどってきてから「Sちゃん、お茶汲みしなくていいからやめさせないでぇ」…。
ビジネス敬語たぁむずかしいもんです。
このごろは、アナウンサーがワイドショーの司会などやっていると、
「原稿を読み上げる」という場面ではないせいか、
なんか「違うよぉ」ということがままあります。
リポーターなんかになると、だから違うってば…もしばしば。
確かに災害現場や事件現場で、興奮するあまりの間違いもあるかもしれませんが、
元々「言葉を話す」ことをシゴトにしているのなら、
ちゃんと使ってほしいなぁと思いますねぇ。
昨日なんか、あの「つかまってから裁判中も一言もしゃべらなかった」
というヒトをおいかけていってのリポート、
最後に「ソノヒト」が河原でしゃがみこんでじっと川面を見つめているところで
「川べりに座り込んで、たたずんでいました」…。
そんな器用なことできるかっ!
いわゆる「てにをは」のマチガイもけっこう耳にします。
「犯人を逮捕されました」、「たった今」という臨場感で
「今、逮捕されました」と言いたかったんでしょうけれど、
どちら様が「お逮捕なされましたので?」
それと長くしゃべっていると、前とのつながりがメチャメチャになる…。
「この道をですねぇ、まっすぐ行きますと信号が、あぁありました、
ここですね、これを犯人の車はですねぇ、目撃者はまだ現れておらず…」
どっかで区切れってば…。
NHKで深夜に、ほんの短い時間ですが「話し言葉」の番組を放映しています。
使い方が難しい言葉とか、今は意味が広がっている言葉とか、
いろいろ例に出して聞かせてくれるので、楽しく勉強させてもらっています。
今夜は「檄を飛ばす」の使い方でした。
誰かを励ましたり、ハッパかけたりするときに使うのは正しいか否か。
当然×ですが、若いヒト、というより、聞き取り調査とやらでは、
実に70パーセントだったかのヒトが「○」と答えたそうで…。
えっ?…と思う私は古いのか…、「檄」とは「主張」です。
「檄」といって私がパッと思い出すのは「三島由紀夫」の「檄文」です。
コトの次第あれこれについてはここでは書きませんが、
私が「檄」という言葉をちゃんと知ったのは、
このときではなかったかと思います。
では「檄を飛ばす」とは?これはかの番組で説明がありました。
「檄文」は時として仲間内などに、バーッと急いでまわされることもあった、
「飛ぶような速さで知らされた」ということで「檄を飛ばす」と言うのだそうで。
言葉というものは、時代の流れでかわっていきます。
「情けはヒトのためならず」などは、もう全く違って解釈されていたり、
「全然…」の使い方などは、私も…けっこうやってますねぇ…。
きれいな言葉や表現は、なくなってほしくないですね。
ちょっと話しがズレますが、先日よそ様のブログで
「京言葉」のお話がありました。
ご存知のとおり、とんぼの母は「京都出身」、私はバサマと話すときは
「京都弁ごちゃ混ぜ状態」です。
その母が「京言葉はやさしいてきつい」、そーなんですねぇ。
はんなりとつっつくんですよぉ。
「京のぶぶづけ」はご存知の方も多いと思います。
訪ね先で腰をあげて帰ろうとする「まぁもうお帰りどすか、
そない急がんかてよろしおすやろ、ぶぶづけでも食べてっとくなはれ」
といわれる、これがねぇ、一度断ったくらいじゃ下がらない、
「そなこといわんと、すぐ支度しますさかい…」と続く、
そんなに言われるなら、と「ではごちそうになります」とやったら、
あとで「あのおひとはほんまにぶぶづけ、食べはったんやでぇ」と言われる!
現代ではどうなのか知りませんが、母はこの話を「当りまえやん」とイイマシタ。
さて最後は、えらそーに言ってる私のドジ話し。
勤め始めてすぐの頃、内線電話で工場内勤務の方の「××さん」が、
「○○さんいるかな、さっき部品の包み机の上に置いといたんだけど
こっちにまだこないんだ、返事ほしくて」と…
見ると「○○さん」は、すでに工場のほうへ行ったようで姿が見えません。
ついでに置いたという「部品の包み」もありません。
私は「○○さん、席にいません、包みもありません」といおうとして
「○○さん、席ありません」…、1拍おいてて××さん大爆笑、
「おーいSちゃん(私の旧姓)、○○ちゃん勝手にやめさせないでよー」
ハッと気がついて「すっすいませんっ!」
電話のすぐあと○○さんは大笑いのまっさいちゅうの工場についたそうで、
もどってきてから「Sちゃん、お茶汲みしなくていいからやめさせないでぇ」…。
ビジネス敬語たぁむずかしいもんです。
興奮して喋っているのか日本語がむちゃくちゃな時、
時々「何が言いたいの~」とテレビに向かって
つっこみ入れています。
間違いも多いのですが、「乱れ」の加速がものすごい!と感じます。9月に、ローカルラジオの「お天気お姉さん」が、
「ワタクシ、先程、お昼食べに出ましたら、ハンパない暑さに大変ビックリ致しました。」。
「黙秘の人」のリポート、ラジオで聞いていたので「受け答え」のなさがよく伝わってきました(笑)「ラジオで無声映画劇場」・・って?
深夜やお昼の「第一放送」を聞くと、あまりに美しい日本語が流れてくるので、タイムスリップしたみたいです・・。相手を思いやる気持ちが感じられて切なくなります。
「5時になります。今日が素晴らしい一日でありますよう・・・。では、ご機嫌よろしゅう。」。つい、頭が下がってしまいます~!
例えば、とんぼさんがご不在の時、とんぼさん宛てに電話があったとして、折り返す場合は『折り返す』んですから、とんぼさんが掛け直すワケですよね。
でもよく、掛けた方が『お留守のようなのでまた折り返しお電話します』と言う場合が多いのです。
私、もう長い事、電話に携わる仕事をしてますけど、こういう場合、ホントに最後までよく聞かないと、折り返し掛けて欲しいのか、掛け直すと言っているのか分からないので、要注意なのです。。。
ところで、京都のお話って聞いた事ありますが、本当なのですね。。。
同じ日本でも、文化っておもしろいなぁ。。。
言葉はその時代を映すものとて・・少しずつ変化してゆくのは仕方ないことかもしれませんが、
美しい日本語は残してゆきたいものですね!
そうなんです、陽花様もひょっとして、
テレビにむかって文句言ってる?
私もあんまりひどいと「出直しんさい!」なんて、
やってます。言葉の乱れ、寂しいですね。
ゆん様
流行語と、普段使いの言葉、と敬語、
この境目が初きりしませんね。
職業でしゃべるのは、ウケねらいでわざと
そういう言葉をうまく使うのは、シャレてますが、
アンタ仕事中でしょ、普通にしゃべるなよ、っての
ありますねぇ、特に女の子に多い、
言葉のTPOっての、崩れてますね。
ハンパじゃないのはアンタだよって、つっこみたい。
武者子様
言葉を学ぶのは、その言葉の一語一語を理解する、
それが必要になりますよね。
「折り返し」というのを、
ただ「返す」という部分だけしか
捉えていないわけですよね。
なんか「返す」ってついてるから「再度」って
カンタンに考えちゃうんでしょうねぇ。
マニュアルはそんなところにも必要のでしょうか。
このごろなんとなく、そういう「ま、いっか」が
いろいろな部分で見られると思います。
気をつけたいですねぇ。
コメントが前後したようですみません。
日本語は、とても繊細で美しい「国語」だと
そんな風に思っています。
普段は「そんでさー」でもいいから、
話すべきとき、聞くべきときに、
きちんと使えたら…と思います。
なかなか難しいですけれど、
その時代時代を生きる世代の責任でも
あるんじゃないかと思っています。
言葉について、私も気になることは多々あるのですが、それが必ずしも正しい疑問ではなく、恥ずかしい思いをすることが少なくありません。例えば仰っている《全然》という言葉も明治時代と現在では全く逆の使い方をするのだそうで、どちらが正しいのかは結局不明、《流行》という以外にないらしいです。今は「全然・・・無い」という否定に使うことが一般的に正しいと思われていますが、明治の頃は「全然・・・ある」という肯定の意味で使われるのが一般的だったそうで、漱石の小説等でもちゃんと出てくるんですね。
アナウンサーの慌てぶりは《用法の間違い》というよりは、単に《アドリブ》の不足でしょうし、今、年寄りに属する人達が思い込んでいる常識も、何代か前のご先祖にとっては《非常識》だったことも多いはずです。
《美しく正しい日本語》と言っても、現在のちょっと高齢の方が漠然と思い浮かべるものは、あくまでも現代語の範疇でしかありませんよね。言語学者に言わせると、言葉というのは《変化して当たり前》のものであって、だからこそ生きているのだということです。
私自身は、《若者言葉》というやつは大嫌いで、今の基準でいうと《古い》言葉遣いや意味に拘る性質なのですが、それはたかだか百年かそこらの話だと割り切っています。現在、昔からの日本の文化だと信じられているものの多くは、実は明治~大正時代に様式化されたものだと聞きます。外国との接触が一般レベルで加速されたために必要とされ、作られた《日本的なもの》だったのですね。
言葉も文化も、誕生し、成長拡大をし、洗練され、やがては磨耗してゆくものだという話を聞いたことがあります。京言葉などはそのいい例なのだとか・・・。独特の《はんなり》した雰囲気は、磨いて磨いて角が取れ、しまいにつるつるの引っ掛かりが無い状態にまでまん丸くなってしまったのだと・・・、言われれば成る程そうなのか?という気もします。取れて無くなった角や棘の機能は、《ぶぶづけ》とか《逆さ箒》といった別の何かで補わなければならなかったのでしょうか?
自分の言葉遣いに自信があるわけでもないし。。。
と思ってみても、やっぱり気に入らないものは気に入らないわけで。
近頃気になっているのは、
「○○が△△したためXXのようになっているという状況です(状態です)」
といったような表現です。
単純に「XXのようになっています。」と言い切って良いはずなのに。
なんだか回りくどくてイライラします。
ほんとに「言葉は生きている」と思います。
たかだか長くても100年しか生きられない人間が、
順送りに暮らしていくうちに、形を変えて当たり前、
今太鼓のヒトとしゃべったら、
おそらくなかなか通じないでしょうね。
宮中の「もじ言葉」とか、江戸のべらんめぇとか、
今でも残っていて、耳に心地いいなぁとか
粋だよねぇというのは、残してほしいですねぇ。
流行語も、親ににらまれながら使っていました。
それを思えば、今の言葉もいずれは消えていくものとのこっていくものと、いろいろなのでしょうね。
京都は「包んでしゃべる」という感じ、
遠まわしな表現や、見えないところでの反撃、
けっこう楽しんでいるんじゃないでしょうか。
KOMA様
本人は一生懸命「もったい」つけて
いってるんでしょうねぇ。余分をとっぱずしたら
単に「こういうことでしょ」なのに…。
責任をあいまいにする、という感じでも
使われますね。要するに自信が持てないか、
ほんとはいいたいけど「組織がねぇ」
というところなのでしょうね。
はっきりいえるということは、責任もあるけど、
気持ちのいいものです。