思い切り古い写真ですみません。
これは、母のアルバムから借りた写真です。たぶん70年くらい前の写真。
何かお祝い事があったときの集合写真、なぜか母本人は写っていない・・のです。
見ていただきたいのは、着物姿の女性たち。
それぞれ勝手な着方してると思いませんか?
左端の人は一番の高齢者ですから、半衿はジミだけどずいぶん大きく出してます。
右側白っぽい着物の人が、一番今に近い着方でしょうか。
この頃は、一年中着物、一生着物という人もたくさんいた時代、
この頃の母は15歳くらいかと思いますが、母も自分で着物を着ていたし、
縫うこともしていました。当時としては当たり前だったわけです。
ここにいる人たちは、誰も「美容院へ行って着付けてもらった」なんてのは
いないわけで、みんな「自分流」、だからいろいろなんですね。
すごくオシャレで「今日は晴れの日だから」、と特別気を使う人もいたでしょうし
いつもどおりで、お祝い事だからちょっといい着物を、だけの人もいたでしょうし
性格的に、まっこれでいっか・・の人もいたかもしれません。
基本的なルール以外は、誰も何にも縛られず、自分流に着ていたわけです。
着物って本来はそういうものなのですね。
いつの頃からか、着物が特別なものになり、特別な日にしか着ない、
だから「ちゃんと着る」「きちんと着る」「着崩れないように」と、
やたらと気を使うようになってしまった・・・。
もちろん、今だって、振袖や留袖を着る日は「特別の日」、
いつも以上に気を張って、ちゃんときれいに・・は当然だと思いますが、
普段着物まで気をはっていたら、着物を着ることがつらくなります。
以前「ハレとケ」というお話をしました。
「ハレ」は「非日常」で「ケ」は「日常」だというお話。
晴れの日の着物は「晴れ着」、普段着は「褻着(けぎ)」といいます。
「褻」というのはとにかく「普通・日常的」という意味ですから、
そんなところで気を使うことはないわけです。(エチケットは別)
自分流を創ることが、着物を楽しむことだと思うのです。
昔は何でも自分で作ったし、また再三言っていますが「お古」も「更生」も
当たり前のこと。また、自分の古着を何枚か売って、新しい「古着」を
かうことだって珍しいことではありませんでした。
「全部着物だった」ということと「みんな貧しかった」ということ、
そういう時代はそうであったわけです。
だからそれに戻りましょう・・といっているわけではありません。
「その時代にあった」着物ライフを考えましょう・・です。
着物離れが、考えられないほど過激な速度ですすんでしまったこの50年、
実は着るほうも売るほうも「あれよあれよ」というまの
変化だったのではないでしょうか。その中で、着るほうも売るほうも、
何か大切なところを忘れたり、努力しなかったり、また努力が方向違っていたり、
その結果が今の状態だと思うのです。
それでも文句いってても始まりません。それなら「こうだった」の中から、
いいとこ取りして、新しく考えていけばいい。
長い歴史を持つ着物というすばらしいものにとって大切なことは守り、
あとは、現状にあわせていくほうが、糸ほど細くなってしまったものを、
少しずつ太くしていくことになるのではないか・・と思います。
たしかに「お金」は洋服よりかかるかもしれません。メンテもありますし。
でも、洋服のように、太ったら着られない、流行があるから、
3年たったらもう着られない・・がありません。
結局はながーい目でみればお得なのです。
そういうものとして日本人が、ものを大切にする心でつなげてきたものですから。
全て着物で暮らす人、半々の人、着物でいることが少ない人、
いろいろだと思いますが、普段着だけを取り上げるなら、着物はお金がかかる、
という説は単純には成り立たない、と私は思っています。
いつも思うことですが、洋服は着慣れているから、あまり困らない、
着物は着慣れてないから、何かとわからないことばかり・・。
でも、どっちも「着るもの」です、洋服・和服と分けないで、
「着るもの」として考えたら、答えがでることはたくさんあると思うのです。
そうやって考えてもわからないこと、知らないこと、迷うことがあったら
お問い合わせください。知ってることはお教えしますし、
私もわからないこと、迷うことは、もっと知っている人に聞くとか、調べるとか、
一緒に考えていきましょう。
以前から「変更したいこと」については思いがありまして、着る時期とか、機会とかについて書くつもりでおりました。少し早めて16日のブログから書かせていただこうと思っております。答えの出るようなことではないかもしれませんが、言わないと聞いてもらえない、やらないと始まらない、だと思いますので、ごまめの歯ギシリ程度でも、がんばって書いてみます。
しばることで、より着る人が減ったら本末転倒じゃないか。人が先なのか、決まりごとが先なのか。
たとえば、
・なぜ黒留袖は結婚式だけなのか?なぜ新郎新婦の母か仲人、兄弟などの近親だけなのか?昔の写真をみると、結婚式だけでなく、ハレの時には第一礼装として着ていたみたいなのに。着る機会がなくては敬遠さればかり。黒留袖は大好きなのに(←ほとんど個人的恨み) 色留袖だって結構新しいものですよね。
・なぜ紬の訪問着を略礼装としてきていけないのか。紬の中には日本が誇る伝統工芸品が多くある。木綿の絣の単とかは如何にも仕事着という感じだからわかるけど、例えば後染めの訪問着とかでもだめだっていうのは首をかしげる。別に礼に欠けるとは思わない。紋つければ礼装にならないの?と思う。
・衣替えのルールをいい加減変えてくれないですかね。昨今5月でも暑くってかなわんです。
一体誰にいえば変えてくれるんでしょう?
写真のお刀自様が祖母です。
あとはほとんど農家のお嫁さん、髪型、着方、色柄
いろいろあっても「そういわれれば」ですよね。
うまこ様
そういう時代に、私たちは生きていたのですよね。
あたらしいものがどんどんじゃんじゃん出てきて、
「規制」も「既成」も嫌いだった。
わたしもけっこう・めでしたねぇ・・。
ぶりねぇ様
バンドですかぁ、いやびっくり。
私はもっぱら「聞く」ほうでしたけど、
それなりのカッコして、それなりのところへいく
稼いだお金は、そっちに消えましたネェ。
ミニ、サイケデリックと続いたし、バンドやってたので、洋服の工夫が面白かった時代でした。。。
着物より車の方がいいって。
それでも持たされましたけど。
時代を変えてしまったのは私たちかも、と
反省して今頃流れに逆らってます。
反逆児の世代なので、今の着物の流れにも逆らってますけど。
時代小説、あるいは着物を着ている人がでてくる小説を読んで思うのは
着物って形は一定
そうすると、着方で年、娘、未婚、既婚、しかも年によるとか、境涯とか、つまりはどんな仕事をしているい人とか、素人、水にかんした商売、堅気の商売の人とか、
ともあれさまざまな条件を着方で結構あらわしていたふうに読み取れます、
写真のずらっと並ばれた一族の人、家刀自の人、姑になってる人、嫁である人などさまざまと思います。
その立場、立場が着方に色濃くでているとも思います。いかがでしょう。
名古屋のお嫁入りはすごいと聞いていますが、私の頃でも一そろい、もちろん帯、羽織、道行なども。着物着ないとわかっていても「嫁入り道具」という名目で持たせたものです。最近は着ないから、ともたせないのではなく、娘が断る・・と友人が言ってました。
洋服と和服、ワードローブを書き出して整理していかないと、お金かかりますよね。あれもほしいこれもほしいでは・・。流行ごとに服を買い換えること考えたら、普段着は着物のほうが安いです。私なんて実際、体型の変化で洋服は2年前のものがきられません。
徐々に冠婚葬祭、そのほかの晴れの場を
着物で過ごすようになってきました。
そういう冠婚葬祭用の着物は名古屋の場合、
30年くらいまでは全部、最近はどの程度かしら?
嫁入り道具として持ってくるので、
着物にしようと思えば何も買わなくても良いのですよ。
ある意味経済的です。30年前の物でもちゃんと着れますし。
(たまに難しい人もいますけどね)
最近はお呼ばれだの、お出かけだの、パーティーだの、
いい口実なので趣味と実益が一致して
嬉しい限りです。
でも着物洋服両方となると大変ですね。
洋服ってサイズが厳しいし、流行も激しいから
出費が倍になりますね。
それに絹って意外に汚れないのですよ。
なかなか絹物着るのは勇気要りますけど、
セルフドライという物の存在を知ったので
ますますうれしくなりました。