ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

えぇーーーっと・・何十年前だっけ・・・・

2006-04-20 21:47:29 | 着物・古布

と、思い出すのもたいへんな自分の結婚式・・。
本日の写真は「加賀の国の美しき伝統・花嫁暖簾」です。
とんぼのとこにはこんなものまであるんです・・。いつ買ったんだっけ・・。
当然、自分が使ったわけではありません。「落札モノ」です。
こうしてみると、ほんと「オークション」はなんでもアリの世界です。
何しろ大きいです、幅は反物4反分、長さは3メートル60センチほど、
短めの帯が4本ぶら下がっているようなもんです。

この暖簾は、そんなに古いのものではありません。
柄としてはそれほどハデではなく、どちらかというと落ち着いたジミ目の柄。
青系のほかにも赤系のものもあり、模様は鶴亀や鳳凰などのめでたいもの、
薬玉や花車など、華やかで美しいものなど、さまざまです。
「花嫁暖簾」とは北陸地方の習慣で、嫁ぐとき花嫁側が用意して、
相手方の家に着くと、これを仏間の入り口に掛け、花嫁は婚礼の前に、
その家の仏壇におまいりをして「ご先祖様」にご挨拶をする・・のだそうです。
幕末から明治の頃から始まり、今に至るも続くというみやびなしきたりですね。
母親が嫁ぐ娘の幸せを祈ってつくるものだそうです。
この「花嫁暖簾」はいわずとしれた「加賀友禅」ですが、
もともと加賀の国には「五色調文化」というものがあるのだそうです。
五色とは、赤・黄・緑・青(藍)・紫の五色を基調とした色使いのことで、
これは「宗教的背景」があるのですが、加賀藩の宗教政策やら立山信仰など、
お話が広がってしまいますので、とりあえず、お寺で、節会などがあるとき、
寺の内外、門前にいたるまで、この五色の旗や幟などを飾り立てたそうで、
その色目が、加賀に暮らす人々の「ハレとケ」の「ハレ」の意識に
大いに影響した・・と言うことのようで、花嫁暖簾もこの「五色」を基調として
華やかに染められています。
今は「花嫁衣裳」同様「レンタルのれん」もあるそうです。

それでは、花嫁暖簾のしきたりが始まるもう少し前、
江戸時代の「結婚」についてちょっとお話してみましょう。
江戸の町に住む女性の適齢期は16~18くらい、それに比べて男性は、
職業によっては今で言うところの中年くらいにならないと、嫁をもらえなかった、
ということもあってまちまちですが、まぁ25~28くらいでしょうか。
武家を始めてとして、ある程度上流の暮らしをしている家庭では、
まずは本人の意思は二の次三の次、家同士がつりあうかどうか・・
それが一番大切でした。ほとんどが「見合い」で、それも見合いするときは
最終確認で「OKです」の返事のようなもの・・。
たいがいの縁談は、仲人が両家の間を走り回って取り決めたようです。
もちろん身分はどうであれ、最初からお互い「ぜーんぜんオッケー」なんて
縁組もあったりするわけで、そういう時は今で言うところの
「頼まれ仲人」を立てました。「座敷仲人」と言います。
つまり、昔は嫁ぎ先のお屋敷の奥座敷で披露宴をしますから、
その座敷で祝言の間、座ってくれてればいいだけの仲人です。
夫婦として認められるのは「杯ごと」ではなく、そのあとの宴会、
つまり「コレで婚礼は終わりました、この者が当家の嫁です、
よろしくお願いします」という「披露」の宴(うたげ)をすることで、
周囲の人たちから認められる・・ということでした。

武家はお上への届けが要りましたが、庶民の場合「宗門人別帳」に、
翌年書き足されました。以前「お寺が役所の役目もしていた」というあれです。
一方、裏長屋に住むような庶民は、これといって婚礼らしきものはなく、
女が鍋釜さげて一緒に住むようになる、というようなものであったようです。
現在、結婚式は教会がいいとか、いやいや日本人なら「神前」が当たり前・・
なんぞといろいろ言いますが、実は、つい最近までは「結婚式」は「人前式」
だったわけですね。

さて、ついでのことに結婚があれば「離婚」も・・ということで、
江戸時代の「離婚事情」について・・・。
昔は男社会で、女性のほうから別れることは難しく、逆に気に入らないの
子供が生まれないのというと、一方的に離縁されたりしたわけですが、
それでも「反撃」はできないわけではありませんでした。
仲人と言うのは、そういうときのためでもあるわけで、
女のほうから相談に行き、間にはいってもらって離婚を成立させる、
と言う場合もあったそうです。当時は「嫁が持ってきたものと持参金は、
とついでからも嫁のもの」でしたから、離縁する場合は、
きたときと同じだけのものを持たせて帰さねばなりませんでした。
それができなくて「離婚」に応じない・・なんてのもあったでしょうね。
それと、いわゆる「三行半」の離縁状ですが、実は大事な意味がありまして、
コレには「もう別れたんだから、どこの誰とくっつこうと、
一切関知しないから、勝手にすりゃいいよ」ということが書いてある。
つまりコレは「離縁状」であると同時に「再婚可」の許可証でもあったのです。
これをもらっておかないと、出て行って誰かと再婚したとき
「重婚罪」に問われてしまったのです。
あれこれやってもどうしても別れてもらえないときの「最後の手段」は
かの有名な「鎌倉 東慶寺」への駆け込み・・。
家のものに見つからないように家出して、鎌倉まで必死に逃げるわけですが、
追手がかかってあわやというときでも、たとえばそのとき髪にさしたかんざしを
門の中に投げ入れれば、無事到達した・・と認められたそうです。

いつの時代も男女の中は不可解なもの、まして夫婦の仲なんてものは
他人様にはわからないことだらけ。こればっかりは時代にゃ関係なさそうです。
それにしてもこの花嫁のれんをくぐったお嫁さん、幸福でありますように・・。



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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
5色の文化、 (ぶり)
2006-04-20 23:55:17
加賀周辺の国でも、様々な形で見受けられますよね。

九谷焼の色もそうだし。たぶん、韓半島の影響大と思います。 食文化にしても、コチュジャンによく似た「かんずり」などがあるし、日本海側の文化と韓半島の文化のコラボレーション、以前から、気になっています。

返信する
Unknown (Unknown)
2006-04-21 00:16:29
ぶりねぇ様

なるほど、加賀友禅の色は独特の鮮やかさがあります。そういう影響もあるでしょうね。私は若~いころ、能登にいって「輪島塗」や「加賀友禅」を見たとき、この北国の、雪も深いわ、海は荒れるわ、そういうところでなんでこんなに鮮やかできれいな色が作られるのだろう・・とフシギに思いました。冬の暗いイメージや、厳しいイメージから、勝手に「無骨」とか「堅牢」というイメージを作っていたんだと思います。海の向こうからの影響と言うものもおおいにあったでしょうね。
返信する
Unknown (陽花)
2006-04-21 00:23:21
とんぼ様



地方によって様々な風習やしきたりが

あるのですね。親御さんは一日も早く

婚家に馴染むようにと作られたのでしょうね。



娘二人嫁がせた私としては、日々健康で

夫婦仲良く家族円満に・・・

平穏無事で暮らしてほしいと

ただ、それだけが願いです。
返信する
親の思いは・・ (とんぼ)
2006-04-21 00:36:40
陽花様

いつの時代もかわらないものですよね。

昔のように舅・姑のいるところへ嫁がせる

親の思いは、今よりさらに心配が

つのったでしょうね。

お嬢様お二人ともお幸せでしょう。

何事もありませんように・・の毎日ですね。
返信する
なつかしくも恥ずかしい (蜆子)
2006-04-21 09:39:34
そうです。私花嫁暖簾をくぐって嫁いだのでした。仏壇には白の内掛けでおまいりしました。嫁入りには仏さん、神様のお土産を持参しました、ちなみに仏さんには、御香ろうそくと鈴台を、神様には酒と鯛でした。

その時代でも珍しい自宅での結婚式、ならびに披露宴、お客いれかわり、三度披露宴がありました。

当人は一番膳のみ参加



ところであの派手な色目、九谷焼きもそうですし、加賀染めの友禅もそう、普段暗めの色調に彩られているので反動かもと思っていたのですが、宗教的な裏づけがあるのですね。



私の地方、豪華で重々しい柄が好まれます。



花嫁暖簾と風呂敷が大体セットになってます。縮緬の豪華柄の風呂敷、豪華な柄の部分は中にして、表は紋だけしか見えないのです、豪華さを内に秘めておくのです。奥ゆかしい?
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き、きれい・・・ (Suzuka)
2006-04-21 09:44:51
加賀というと、どうも 

もよーが地の色おしのけて

どこまでも続くような気がして(持てないヒガミ)たのですが!

なんと、このイサギヨイ構図。

目が醒めるようですね~



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Unknown (とんぼ)
2006-04-21 18:28:19
蜆子様

おぉそうでした。蜆子様は北陸でしたね。

拝見したかったですねぇ。

のれんと風呂敷がおそろいと言うのは

はじめて知りました。いいもんですね。



Suzuka様

どちらかというとあっさり系の柄です。

地色はもう少し紫がかっています。

かけておきたいけれど、使うことのできない

のれんですー。
返信する
花嫁暖簾 (ねね)
2006-04-21 19:44:57
とんぼさん 能登も花嫁暖簾持って行くんです。

まあ そんなしきたりは私の世代までで、今

持って行く人はあまりないみたいです。

私は 相手が次男でしたので許してもらい(笑)

50万助かったと親が申しておりました。



北陸では 婚家に子供ができるまで 鰤を贈る

習慣があり、天然物は10万します!



女大学は 飛んでるお姉ちゃんが けっこう

いたので戒めのために書かれたなんて説も

ありますよね。離婚するための駆け込み寺も

あったりして、当時の女性も今と大差ない

考えをもっていたのでしょうね。
返信する
なるほど・・ (とんぼ)
2006-04-21 20:45:02
ねね様

長男とか次男とか、そういうことでも

いろいろランクなど考えたりしないと、

長男なのに・・とか、あとあと言われたりする

などという心配もあったでしょうね。

ちょっとネットショップで調べたら、

15万くらいしました。

お嫁入り・・となるとついつい親もさいふが

緩むかもしれませんが、たいへんですね。

子供ができるまで「鰹」を送るというのも、

子供早く作らなきゃとせかされているようですね。

昔は家同士の結婚で、跡継ぎは生んで当たり前で

そういうしきたりの中で、女は生きてきたのですね。

強いはずだわ?!
返信する
Unknown (古布遊び)
2013-01-03 19:22:08
早速、探していただいてありがとうございます。
うーん、青も素敵ですね。
目が覚めるようです。
柄もいいなあ~~
確かにぼかしになっていたらいうことなしでしょうか。

でもこちらのお邪魔して皆さんのコメントを読ませていただいたら実際に花嫁暖簾をくぐってお嫁入りしたと言うお話しがあってびっくりしました。
なんだか遠いお話のように思っていました~

以前、能登の結婚式に花嫁側として参列させていただいたことがあったのですが、花嫁の乗った車が式場に向かう道の途中、途中に人が立っていて、その人に何かを差し上げる(チョッとしたお土産のようなものだったと思います)。そんな風習があって面白いなあと思ったものでしたが、その土地土地ならではの風習は興味深いですね。
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