喪中のハガキを出させていただいたあとのこと…。
亡くなったのは1月でしたから、喪中ハガキを出したのは、葬儀すんでもう10か月後です。
もちろん、親しい人などには前もってお知らせしてありましたのでそれで終わったのですが、
当時はお知らせしなかった友人知人は、驚いて電話や手紙をくれました。
それもまたありがたいことではあります。
そして、2人の友人からお線香が送られてきました。表書きは「お供」。
これは「仏様に」ということですよね。お線香にはお返しはいらない…といわれますが、
そもそもお香典が「お線香でも…」の意味なので、私はお香典と同じ…と考えています。
ところが今回、もうお一方「喪中お見舞い」と表書きされたお線香を
この時期に送ってきてくださいました。
さてこまったぞ…です。
喪中ハガキは本来「年賀欠礼挨拶状」です。つまり「こちらが喪に服していますので」…というお断り書き。
これに対して受け取ったほうは、こちらも年賀状は出さず、かわりに寒中見舞いを出す…。
これが一番一般的です。
「寒中」と言うのは、こよみでいうところの「寒の入り」からですから、だいたい1月に入ってから。
来年は1月6日だったかな?そこから小寒、大寒となって、立春の前日までが「寒」です。
つまりこの間に出すのが「寒中見舞い」です。
では「喪中見舞い」とは?…実はこれ、最近になって言われるようになったこと。
冠婚葬祭に関して詳しい友人に言わせると「あれはバレンタインのチョコレート」。
つまり、昔からのしきたりというよりは「業者が考え出した企画」。
友人はきっぱり「喪中見舞いは寒中見舞いでいいのだ」と言いました。
なくなったことを知ってから、すぐでなければならないことはない、
「寒中見舞い」に菓子折りでも送って、御身体きをつけて、とすればいい、と。
「喪中見舞い」などという中途半端な贈答を考え出したのはだぁれだ、です。
ちなみに「喪中見舞い」を検索すると「喪中のお知らせをいただいたら、こころを込めて○○を」と
やたら書いているのは、お線香を売るところとお花などの販売店。
新しい習慣…を作り出しているわけです。
あるサイトでは「喪中見舞いにお線香」はおかしい。
なぜなら喪中の家族に対してのお見舞いなら「元気出してください」とか「お疲れ様でした」で、
生きている相手に対しての贈答なのだから、お茶とかお菓子とかでしょう。
お線香は「仏様にあげるもの」、生きてる人に送ってどーする…だと。これは納得ですね。
つまり、葬儀の直後には知らされていなかったから、遅ればせながら…なら、「お供」でいいわけです。
こちらもそれは「遅れてきたお香典」と考えてお返しを考える…。
しかし「喪中見舞い」って…と思うわけです。
これがお菓子だったら(遺族に対しての)お気遣いありがとう…で、歳が明けてからでも、
ちょっとしたお返しを…なんですが、仏様へのお線香だと、お返しは基本いらない…です。
どうしたらいいんでしょうねぇ…と悩んでいるわけです。
新しいしきたりができること自体は、世間の流れ…で必要なことだと思います。
かわってほしくないこともかわっていくこともあります。お通夜に黒装束とか。
でも、こんな変わり方といいますか、習慣は面食らいます。
元々寒中見舞いというものがあるのですから、それを大事にしてほしいと、私は思います。
たぶん…ですが、今はなんでも「スピード」が優先されます。
喪中ハガキもらったんだから、早めにしないと…という気持ちが個人というより、
社会全体にあるのかもしれません。
息子の担任だった先生から、手紙が来ました。ちゃんと最初に書いてありました。
「寒中お見舞いで出そうと思ったけれど、気になって気になって…なので早々ごめんなさい」と。
ありがたかったです。
気遣いってなんだろう…と思いました。
喪中お見舞いをくださった方も、ただ主人の冥福を祈って、きれいな箱入りのお線香を
一生懸命選んでくださったのだと思います。お気持ちはほんとにありがたいです。
でも、なにか「バレンタインのチョコレート」式のものに踊らされてしまっているとしたら、
ひとによっては「なんでこんなものを、今の時期に」と思うかもしれません。
しっかり定着したしきたりになるには、時間がかかるものですが、
こういう「割り込むように現れたあいまいなもの」は、定着してほしくないですねぇ。
私は、お線香を送ってきてくれた友人には、年が明けて松がとれたら、
手紙をつけて、何かちょっとしたものを送ろうと思っています。
手紙は便利です。「こういうわけでこれを」と書けるから。
「喪中お見舞い」、皆さんは、どう思われますか?
良くも悪くもテレビの影響ってすごいですね。
家の様々な所を綺麗に、そして整理整頓を
しておられるのをみていて、何もしない私は
自己嫌悪に陥りそうです。
見習わなければ・・です。
年が明けてから、形の残らない物を送らせてもらおうかな
と、表書きは 粗供養??お礼?でしょうか。
亡くなったのはかつての夫の上司であり仲人だった方。
11月に亡くなったとあるだけで、知らせは受けませんでした。単身赴任中の夫に奥様にお悔やみの電話をするように連絡しました(私がするのはでしゃばりすぎるので)。
近親者のみで見送ったことや、まだ49日を迎えていないことがわかりましたので、お線香を送りましょうと私は考えていました。
しかし、夫が「小さいお孫さんが一緒の家に線香の煙はなあ~」と。
とんぼさんの
>気遣いってなんだろう…と思いました。
を読んで、考えてしまいました。
自分が礼を失したくないために、焦るのは良くないですよね。
故人は型にはまったことの嫌いな方でした。
今私の体調が良くないので、少し落ち着いてから手紙をしたためて、現金でお香典を送ろうと思い直しました。
ほんとに、いつのまにか「乗せられてる」…です。
あまり「うるためらは」って、考えてほしくないことも
ありますねぇ。昔ながらでいいと思うのに。
整理…やってもやってもなんですよー。
今陽花さまがウチにいらしたら、
「なにこれ、どこ整理したの?」ですよぉ。
きもの好き様も、ご主人様がご逝去なさったのですか。
ご愁傷さまです。いろいろ落ち着きませんでしょう。
いろいろ新しいものがでてくると、
こちらも構えてしまいます。
こちらは来月が一周忌、あっという間でした。
関西圏は「粗供養」ですね。こちらは「志」ですが、
ちょっとしたお返し…の友人もいるので、
そちらは手紙を添えて無地のしにしようかと、
これもまたまよっています。
それはまたいろいろ気になることですね。
私もおっしゃる通り
「自分が例を失したくないために」ということは、
気を付けなければいけないと思いました。
「なくなった、ハイお線香」…では、キモチなんか
入ってませんよね。
実は私の方も、高校の担任だった方の奥様が
亡くなられました。電話でしかお話したことないし、
元々の担任の方は先年亡くなられているし、
それでも奥様とは、その後も電話で
楽しくお話させていただいたし…。
でも、お二人とも家族葬でひっそりを望まれたし、
こちらの主人のことに対しても、知らせただけでおわったし…。
あららどういう「位置づけ」で考えたらいいんだろぅ・・・。
さんざん悩んで、あちらは小さい子もいらっしゃらないので、
いつも我が家用に使っている「好物ろうそく」…
これを熨斗なしで手紙を添えて送ろうかと思っています。
今なら「冬の和菓子シリーズ」があるので、
それを買って準備しています。
寒に入ったらお送りしようと思っています。
何かを送るって、特に「仏事」のことは、
迷ったり悩んだりですねぇ。