ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

道徳の授業のお話

2014-11-16 19:25:32 | つれづれ

 

先日ニュースでみました「道徳の授業化と評価」のこと。

学校と縁が切れたうえ、そもそもあんまり深く知ろうという努力をしていませんから、

間違いがあるかもしれませんが、これまでの道徳は「教科」としてではなく、教科外活動という形で

週1回、行われていたのですね。実際には「その他」「予備」みたいな使われ方が多かったとか。

それを「授業」の中に教科として組み入れる、ということです。つまりそうなると「評価」が必要となる…。

ただし、ほかの教科のような数字の評価ではなく、文章での評価…。

 

ニュースリポートでは、ある学校での状況が映し出されていました。

実はアタマの部分を見ていませんで…すみません、たぶん小学校2年か3年くらいの教室。

若い女性教師が、何か物語というか、教科書の中のお話をした後らしく「なぜ○○君はそうしたか」

「なぜお母さんはそれに対して○○したか」というようなやりとり。

そのあと、児童たちに用紙を配りました。その用紙には「家族のためにできること」とあり、

自分で何ができるか、なぜそれをするのかの理由、を書くようになっていました。

思い思いに「トイレそうじ」とか「おふろそうじ」とか、あれこれたくさん書く子もいれば、

一つだけの子もいました。そして理由もいろいろで「みんなが使うトイレをきれいにしたら、

家族がよろこんでくれるから」…等々。ひとり「やると100円もらえるから」とありましたね。

楽しい子です。これから先の育て方も大事ですけど?!

 

そして…これをどう評価するかという話し合いを先生方がしたわけですね。

私、台所仕事が忙しく、ところどころ耳を向けているだけだったのですが、

どうも「できること」をいくつ書いたかで評価するかどうか…みたいなことを…おいおい…。

それで「大変よくできました」「よくできました」「もう少しがんばりましょう」というのかえ…。

ある両親がインタビューに答えて、こういう評価の仕方への疑問…を口にしていましたし、

母親は「家でも書いてくださいと言われたとき、つい少しでもいい方に…と過大評価するようなことも心配」と。

 

そもそも…道徳ってなんじゃ?ですが、とりあえず、評価するようなものではないでしょ、というのが私の思い。

ましてや「段階」を付けたり数字で表したりするものでは、もっとない…。

「数字でなく文章で評価」となったら、教師はそういう「彼らの文章」をどう読み解くかも難しいことです。

「授業化する」ことは、評価すること…というルールがあるから、こういうことになるわけです。

まぁ実際には、どうするか…とあちこちで悩んでいるのが現段階のようですが…。

 

以前新聞で読んだと思うのですが、戦時中であったか、とにかく今より何十年か前、

ある授業中に誰かが「放屁」してしまった…教師が怒って「今、屁をしたのは誰だ!」と怒鳴る、

とたんに数人の生徒がぱっと立ち上がり「自分がやりました」と言った…。

これはまぁ要するに、放屁した生徒の友人がそれを知って「かばった」というお話ですが、

とっさに自分が犠牲になる、恥をかくことをかわりにうける…そういう友情のお話ですね。

今の時代、誰かが「ぷぅぅ」とやっても、先生怒りますかねぇ…すでにそういう時代ではないですよね。

それこそ先生が「出モノハレモノところきらわずだ。いいオナラが出るのは健康な証拠だ」ぐらいのことを

言ってあげないと、やってしまった生徒をみんなで笑ったり、

もっと嫌なことを考えれば、それがいじめのいい理由になってしまう…のではないかと思います。

 

「怒新党」という番組があります。視聴者からの「怒りのメール」を「マニフェスト」とし、

あの有吉・マツコの両名が、それについていろいろ討論?する…という番組。

過日の放送で、ある視聴者が

「最近の昔話はおかしい。カチカチ山では、本来泥船にのせられて沈められるのに、

今の本では、タヌキがおじいさんにあやまり許してもらう。

桃太郎では、鬼が反省して桃太郎にゆるしてもらい、みんなでパーティーをして大団円、こんなのはおかしい」と。

あははです。まぁマツコさんも言っていましたが、こういうものは、時代でかわる・・・ものです。

有吉さんは「こういう話を聞いてそだった子供がどうなるのかは、何十年かたたないとわからない」、

だからこそ考えねば…のことですが、元々おっしゃるとおり、こういうものは「かわり」ます。

元々カチカチ山では「最初におばあさんがタヌキにいじめられる」という部分が、

ただ暴力をふるって逃げるだけでなく、おばあさんを殺し「ばば汁」にして、

おじいさんがそれを知らずに食べてしまい、タヌキがそれを暴露しておじいさんに更に打撃を与える…です。

この話は室町時代にはもう完成していたと思われる話です。

「農家の仕事をタヌキがジャマする」、これは今でも鳥獣による農家の作物被害がありますね。

それを捕まえて「タヌキ汁」にするのは、当時としては「貴重なタンパク源」として、獲物を無駄にしないこと。

そして、敵を討つのはウサギですが、このウサギは以前から老夫婦にかわいがられていた、とか、

死にかけたところを助けられていた、とかですから、これは「報恩」とか「忠誠」です。

時代がそういう時代であったから…ですね。

そういうことは、時代やその国の社会情勢によって変化していくものです。

その時代、そこで生まれ育ったものは、その社会の中でその話を聞く…。

 

道徳というものは、そういう変化はあると思いますが、大事なことは「人としての基本」、です。

「お手伝いすること」がいくつ書けたかではなく、お手伝いをする気持ちの元は何か…を

一緒に考え、教えること、100円もらえるから…それはそれでいいと思います。

ただ「やればカネになる」ではなく「お母さんがあなたに感謝の気持ちとしてくれたのだ」と、

そこを気づかせてあげる…評価しなくても、それでいい…と思うのですがねぇ。

 

差別がどうの、平等がどうのと「運動会ではみんな並んで一等賞」だの、

みんなが主役をできるようにと、シンデレラが3人も4人もいる学芸会だの…

そんなことをやっている時代に「評価する」っていうのは…現場は現場を自分で難しくしている気がしますねぇ。

そしてなにより…元々道徳の基本なんて、学校上がる前に親がおしえるものだと、

私は今でもそう思っています。

ご近所の中学生のアナタ、顔合わせたら目をそらさないで挨拶くらいしなさいな…。


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4 コメント

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Unknown (とんぼ)
2014-11-17 21:04:13
fiona様

挨拶できませんねぇ。
それどころか、すれ違っても道も譲らず、
人の家の玄関先でたむろして
私が出て行ってもちらっと見ておわり…。
ナニサマだと思ってるのかと…。
いつも「親の顔がみたいわ」と思います。
社会に出たら、苦労するのに…。
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Unknown (とんぼ)
2014-11-17 21:02:20
陽花様

私もほんとに「三つ子の魂…」を思います。
まだわからない、ではなくて、
わからないうちから、正しいことを根気よく教える…
日本で生まれて育てば、いちいち教えなくても
日本語をしゃべるようになるのと同じです。
なんだかため息出ました。
返信する
挨拶しろって! (fiona)
2014-11-17 08:11:43
今更、道徳を学校で教えるなんて、片腹痛い気がします(怒)
人としてどう生きるかなんて、家庭という最も基本的な場所で教え、地域で子供を育てていく事で自然と身についていたと思うのですが…。
我が家は中学校の真横(門のすぐ横)に位置しますので、自分が子供のころから何十年と子ども達の様子を見てきました。
とにかく挨拶ができる子がいない…子どもだけでなく先生すらまともに挨拶が出来ないのです。
当然、その親も然り…。
何でも平等だとか、直ぐに差別だとか言い立てる風潮も理解できない。
情けは人の為ならず!
返信する
Unknown (陽花)
2014-11-16 22:22:44
三つ子の魂百までとよく言いましたよね。
目上の人には敬語をからいつの間にかため口と
言われるものになって、ここへきてようやく道徳の
見直し? でも、方向性が気になりますね。
相手をおもいやる気持ちがあればいい事では・・・と
思うのですが・・・
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