毎年、一応パラパラっとですが、豆まきはします。
それはいいんですけど、後始末がねぇ…と毎年思っていました。
掃除しても隠れてるのがあったりして、何日も経ってから何かの拍子に踏んづけたり…。
そこで今年は「大手抜き」だけどかわいいのを見つけました。
鬼を打ち払うのですから、ほんとは「鬼の絵」じゃおかしいのかもしれませんが、
こまっかいことはいーじゃありませんか。一つずつはこんなです。かわいいでしょ。
ちなみに黄色のカオが好きですー。
父がくるのを待って、分け分けしました。この袋ごとで撒いて、後で回収して中身をいただく…。
鬼さんも、投げつけられて「なんだこりゃ」っと、拾ってながめるかもです。
お土産に持ってかえられたりして?
いつだったか「鬼打ちピーナッツ」があって、殻つきのピーナッツを撒くと、あとで回収して、
中身を食べることができるということで人気がある…なんてことを聞きました。
地方によってはピーナッツがアタリマエ…のところもあるようです。
ピーナッツは1700年ごろに日本に入ってきていますし、一般に出回るのは更にその後、
一方「節分」の鬼打ち豆をまくのは室町ころからといわれています。
鬼打ちピーナッツは、歴史の新しい「節約豆」ですね。
また大豆というのは意味があって、昔は大豆、米、桃などの作物には霊力が宿る、といわれていました。
またもうひとつには「鬼は丸いものを恐れる」といわれています。
また必ず「炒り豆」を使いますが、これは豆を炒る音を鬼が嫌うから。
ちなみにピーナッツは炒っても音がしないそうです。
鬼と炒り豆にはいろんな「民話」がありまして、よくあるのは、娘をとられないように、
炒った大豆を「この大豆が芽を出して花が咲いたら、娘を嫁にやる」と鬼に渡し、
何度撒いても芽が出ないので鬼があきらめた…というものや、
襲ってくる鬼に供えて、豆を炒っていると「パチパチ」という音に鬼がおびえ、
炒った豆をつかんで投げつけたところ、鬼が逃げだした…というもの。
昔は家の土間は土でしたから、ナマの大豆を撒いて、それが転がり込んだところから芽が出ると、
悪いことが起きるといわれました。
「鬼」というと、御伽噺の角があってトラ皮パンツのあの姿を思い浮かべますが、
元々「鬼」は「人ではないもの全般」を言いました。つまり鬼神という言葉があるように、
時には力のある神様も「鬼」だったし、病気や災害なども、鬼の仕業とされましたし、
亡くなった人も時には「鬼」と言われました。
先月母も「鬼籍」に入りましたが、鬼籍は閻魔さまの管理している、いわば死者の「戸籍簿」、
こちらに名前を書き移されることで、人は死者というヒトではないもの…鬼になるとされたわけです。
つまり「怖いもの(こと)、避けたいもの(こと)、縁起の悪いもの(こと)」をみんなひっくるめて鬼とよんだわけです。
そういう災いから免れるように、と豆を撒き、近寄らないように、またよけて通るように、と
なまぐさいいわしの頭や、ちくちくとげのあるヒイラギを門口や玄関にかざしたりするんですね。
病気というものがかかってしまうと治す手段がないものだったり、災害の予知や抑止がなかった時代、
人が恐れるものはゴマンとあったわけです。いまよりずっと「安全」ということを強く願ったことでしょう。
今はヒイラギをさしたりなんて家もなくなりました。大きなお寺では、有名人を呼んで「客」にむかって豆を投げる…。
客は鬼かい…ですが、あれもまた「厄払い」として定着しました。
我が家も今年は、直接豆がぶつからない豆まき…にして、鬼さんにおどろいていただきましょう。
夢占いで畳とか床に草が生える夢は大凶らしいです。そんな感じなんですかね<かまどに草
荒れた家なんか、畳に草が生えてたりしましたね、昔。
そんなイメージを嫌ったのでしょうね。
後終いが大変と言う事だけで。
勝手なものでお寿司の丸かぶりはするのにね。
こういうお豆さんならいいですね。
よく歳の数よりひとつ多く食べましたが
最近は歯が弱くて無理ですわ。
私の場合は煎り大豆を求めてきて、日暮れ後に
里山めがけて秘かに声を出しながら撒きますが、
残った豆はブレンダーで黄な粉にしてしまい、
瓶に入れて、残っているお餅などにまぶして
お昼などに消化しています。
かわいいお豆袋ですね。食べるにも差し上げるにも
重宝ですね、食べすぎには注意!!の私です。
なんのなんの、ただの「年の功」ってアレです。
家というものは、ヒトがすまなくなると、あっという間に傷みます。
ヒトが住んでいるというだけで、家って少しずつ傷んではいくけれど、
ちゃんと一緒に年をとるんですよね。
ヒトがいなくなると、そりゃすぐ草も生えるし柱も傾く…フシギですが。
だから、ぺんぺん草が生えたり、かまどにきのこが生えたりということは、
その家が「絶えた」ということで、
縁起が悪いんです。
ナマの豆から芽が出るということは、
その家にヒトがいなくなる、ということにつながる…
家に草の生える夢なども、そういうことを暗示するからだと思いますよ。
ほんとに、後始末けっこう手間ですよね。
うっかりつぶして粉々になっちゃったり…。
我が家も「太巻き」は関西に便乗してまーす。おいしいことはねぇ…。
私もとても年の数なんて…です。
食べるのめんどくさいですよねぇ、
歯を気にしつつ…。
残ったら黄な粉にしちゃいます。
私もいつのころからか「小声」になりました。
ご近所のどなたもやらないんですもん。
これはほんとに「始末」がラクです。
父もわらってました。
こりゃいい、袋ごと玄関においておくって。
私も残ったら黄な粉にして、安倍川餅を楽しむことにしています。