最初に…
お休みしますのお知らせのあとも、コメントを下さる、メールを下さる、
気にかけていただいて、本当にありがとうございます。
毎日できるだけ書き綴ってきたブログですが、被災地の状況がわかってくるにしたがって…
もう毎日言葉もない状態で、ただ画面のこちらで涙したり、会えてよかったねと笑ったり…。
毎日くる余震になんだか落ち着かなかったり…。
実はまだやっと4日目なんですが、なんだかもう長いことこんな日をすごしている気になってました。
それに気がついたのは、少し落ち着いたせいかと思います。
とりあえず、近況ご報告ということで…思いつくままです。
急にでた「計画停電」の実施、被災者のことを思えば、それくらいの辛抱はいたします。
そうなりますと、私の住んでいる「区」は、グループ2、
停電時間が9:20~13:00 18:20~22:00になります。
グループ1とグループ2だけ、1日2回です。
ちょうど昼食と夕食にかかる時間帯。なんとか工夫して生活のリズムを整えないと、と思いました。
ところが…なんとも東京電力さん、やることが雑すぎでしてねぇ。
まず発表が夜8時。それも発表内容とホームページに書いてあることが違う…。
おまけに各ニュースで「詳細は東京電力のHPで」なんていうものだから、
アクセス殺到して、いくら待ってもちっとも開きません。
ミクシのほうで、やっと「東京電力のHPの丸写し」を出してくださった方がいて、
時間もグループもやっとわかりました。すでに11時…。
とにもかくにもやると言ってるんだからしかたありません。深夜に父が来ました。
土曜日の時点で、ちょっと買い物に行った近くのコンビニ、何にもなくなってまして、
私の欲しいものはあったのでよかったのですが、次の日は休業しちゃいました。
我が家のお米が残り半分ほどだと言ったのを覚えていて、父は停電のニュースなど見て心配になり、
夜中にあいている店を回ったのだそうです。でもどこにもなかった、と
渡されたのは「ホットケーキの素」、これは役に立ちます。(お米はその後、入手しました)
朝は間に合うだろうけど、昼飯にこれなら焼けばいいんだからと。いつもありがとね。
ところが、いざ朝になったら停電中止…。
結局、何回記者会見を開いても「たぶんやらない確率の方が高いです」…。
まだ一日目でしたから、やってるほうも試行錯誤なのでしょう。
私は家にいるからいいですが、お勤めのかたや学生さんは、電車が止まる、道路は渋滞するで
ほんとに大変です。お店のヒトなんかは、あけようか閉めようか…。
テレビで被災地の状況がわかるにつれて、あぁゼータクは言うまい、みんな必死なんだ。
あの場所に比べたら天国だ、停電になったらなったで、中止なら中止で、
私は働く人と違って、稼ぎに影響あるわけじゃなし、やることやっていこう…と思いました。
実のところ、つい昨日までは、余震のたびに「いつまで続くんだ」とうんざりし、ため息ばかりついて、
買占めに走った人たちのことを「わけあうということを思いつかんのか」と毒づいてました。
でも、だんだん届く被災の実態の映像、あの惨状を見て、ふと思ったのです。
一瞬にして平穏な日常生活が断ち切られ、目の前で家をなくし家族をなくし、一晩で身一つになってしまった…。
これは私の親の代の人たちが、60数年前に遭遇したことではないかと。
あの時は地震や津波ではなく、爆弾、銃弾という人災であったけれど…。
何もかもなくして、壊れて跡形もない町にたたずんだことは、変わりなかったろうと思うのです。
それでも、親の代のあの人たちは、そこから這い上がり、立ち上がり、今の礎を作り上げました。
「ここからもう一度」と言う思いで「もう一度あの町を」という思いで、
つらいことも「なんのこれしき」「戦争で死んだひとのことを思えば」と、やってきたのだと思います。
母が昔言っていました「京都は空襲がなかったから、のんきに暮らしてた。
農家だったから食べることもそれほど困らなかった。
横浜の焼け野原を見て、初めてこれが戦争と言うものかと、恐ろしくて悲しかった」と。
地震は戦争のように全国ではありませんが、今は何が起こっているのか
遠い土地のことでも、映像でも活字でも、すぐに知ることができます。
自分があの中にいない幸せを思うとき、せめて何かできないかと思いました。
できるものなら、今写っているあの人たちをお風呂に入れてあげたい、あったかいごはんをたべさせてあげたい、
ふとんで寝かせてあげたい、いろんなことを思っても、実のところ全く何もできません。
ボランティアにもいかれません。だったら今できること、なんだろう。
停電で寒くなるけれど、買い物不自由だけど、それがなんだ、そのくらいなんだ、
「荷物は命ひとつだけ」になってしまった人が何万人もいるんだぞ、そんな風に思いました。
確かに夜になるとまだ不安です。余震は回数も減ったし、小さいですが続いています。
たまに大きいのがきます。緊急地震速報がチロチロリンとなるたびに、息子のそばに駆け寄ります。
今度こそ大きいかもしれない…と身がすくみます。それでも現地のヒトははもっともっと怖いはずです。
それを思えば、なんのこれしき、乗り切ってやる!
イモの粉の団子と、イモの茎のすいとんで育った両親の子だもの。がんばれるはず。
いつまで続くのかとグチも出るし、ああまた揺れてると文句もいうけど、ゼッタイ負けない。
被災地に、被災者に何にもできないから、一緒にがんばるつもりで私は私にできることをする…。
それでも息子の栄養食がないとSOSを出したら、遠くのいとこと友達が、町中はしりまわって
かき集めて送ってくれました。体に気をつけて、できることがあったら言ってと、
たくさんメールもいただきました。お電話もいただきました。
ほんとにほんとにありがたかったです。
今回は長野もありましたから、どっちかの余震がここまできます。
原発の不安は日に日に大きくなります。あんなもん、いらんわ。
それでも元気でやってます。父もこまめにきてくれます。息子も元気です。
昨日はキモチが落ち込んで、すっかり忘れていた鉢植えにたっぷりお水を上げました。
気温にあわせてお天気に合わせて、チューリップは芽を伸ばし、雲間草はつぼみをたくさんつけ、
花簪はわが世の春と咲いてます。見習いましょう、身の丈にあわせて、できることをやろうと思います。
写真はご近所のミモザです。せめてもの手向けの花のつもりで…。
すべての犠牲者の方に黙祷、合掌。
とんぼさんとこは、むすこさんもいらっしゃるから
停電ひとつ気がかりでしょう。おさっしします。
偶然とは言え輪番グループがとんぼさんと同じ。
なんだかいっきょにご近所さん気分です(笑)
こちらも買い物パニックが…。チェーン店が停電でのレジダウン
を警戒して休業しまくってしまい
中規模経営のスーパーは長蛇の列に電車乗り込み待ちの改札行列も。
ガソリンスタンドも休業、移動手段が車しかないため困ったくらいで
診察してお薬を受けとって帰ってきました。
今日もふつうに(笑)点滴通院です。
余震が続いております。お気をつけてください。
おだいじに。
痛々しく涙がとまりませんでした、私達の平凡な愚痴だらけの暮らしがどれだけ幸せか、好きなおかずが無いと言える家族達が、
どれだけ幸せか思い知らされました、私の所も主人の母と私の母、高齢者が二人も同居して居ます、子供に多頭飼いのワンちゃん、
いざとなったらどうして逃げようかと…不安で眠れません、地震の揺れも感じない地域に住む私達でさえこれだけ動揺し、
不安感で一杯になります、震災に遭われた方ははかり知れません、何か出来る事探すつもりです、
お父様はじめご家族みなさん御自愛下さい。
きれいな黄色が「こんなことに負けるな~!」と応援してくれているように見えます。
不安なこと不自由なこと・・・直接の被災地でなくても、多くの皆さんが緊張を強いられ疲れを溜めてらっしゃることと思います。
負けないで頑張って!というのは如何にも安易な感じがするのですが・・・とんぼさん、頑張れーーー♪
ありがとうございます。
こちらもお見舞い申し上げます。
何しろ3日くらいは浮き足立つのは仕方ないとは思いますが、
こんなところまで影響が…です。
通院も大変でしょう。
ひたすら一日も早い安定と、それまで持ちこたえる元気と、
家族のことも皆さんのことも思うばかりです。
がんばりましょうね。
ありがとうございます。
備えあれば…といいますが、平穏無事に暮らしていると、
身の幸せもなかなかみようとしないものです。
今回は、ヘンな言い方ですが、
危機感持とうね、といういいきっかけになったと思います。
我が家はみんな元気です。
あら「堅実」もあったんですね。
そりゃよかった。
お見舞いありがとうございます。
ここで踏ん張らなくちゃと思っています。
やっと余震も減りましたし、
停電時間も今日はやるようなので、
ただいまおべんと製作中。あとはお味噌汁です。
声援、ありがとーっ。