ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

今日が命日…でゲンジツ的なお話

2016-01-31 12:34:34 | つれづれ

 

一周忌は終わりましたが、命日は今日です。

前年の8月1日に完全帰国して、翌年1月31日…きっちり半年、なんてまぁ律儀なこと。

昨夜、おとサンの部屋の戸締りを見に行って、

ふと「あぁ去年の今夜が、おとサンの人生最後の夜だったんだなぁ」と、

あのとき言った「おやすみ」を思い出しました。

 

あとになって…ということは、きっと誰かを送ったひとには、誰にでもたくさんあるのでしょう。

人は二度死ぬといいます。ひとつは命の終わり、もうひとつは記憶の終わり。

思い出すこと、忘れないことが、記憶の命をつなぐこと。

大切な人なら、普段は忘れていても、何かにつけふと…ということはあります。

それが自然なのでしょう。親のこと、祖父母の何人かは今でも覚えているし思い出します。

でも曾祖父のことは、名前も知らない人もいます。写真もない人もいて、思い出しようもありません。

そうやって、仏様は本当の仏様になっていくのでしょうね。それが自然だと思います。

自分だっていずれそうなるのですから。

 

さて、ゲンジツ的なお話、いまどき葬儀のこと、法事のこと。

まあこの年になりますと、喪中ハガキは毎年増えていきますし、両親、義父母、おじおば…と、

いいろ送る年代になります。昨年から今年にかけても、いろいろ葬儀の話を耳にしました。

私には兄弟がいませんので、意見が合わないということがなくて楽ですが、

ある友人は、ご主人の親の葬儀に、ご主人側の兄弟が「もっとりっぱに」「いや簡素でいい」と

そこからもめたそうです。また別の友人は、さまざまな理由から、

時間的にも経済的にもたいへんな状況で「直葬」、つまりお通夜なしで…ですね。

それをしたところ、親戚から「なんだこの葬儀は、みっともない」と言われたとか。

「文句あるならあなたが葬儀出してください」と言ったら、だまったと。

 

またまた別の友人は、ご主人の両親が離婚していたために、彼の父親とは全く付き合いがなかったけれど、

亡くなったとあれば当たり前のように呼ばれ…で、葬儀をだし、いざ納骨となったら、

長野の山奥のお寺…しかも行ってみたら元々先祖は地元の名士とのことで、

あまりに立派すぎるお墓で、これからどう維持する…だったそうです。

それぞれの家庭で、いろいろな事情がありますから、どれがいいとか悪いとかではありませんが、

葬儀や法事の金額的な負担はかなりのもの…ではあります。

昔々は「香典で葬儀がだせる」などと言うことも言われました。今はとてもとても。

葬儀のやり方そのものも、ずいぶん変わりましたね。

私の実父の時は、まだ自宅での葬儀も当たり前にやっていましたから、

ご近所さんのお手伝いで葬儀は成り立つもの、でした。

それがいいとか悪いとかではなく、金額的なことを考えれば、

今よりは楽だったのではないかと思います。

 

いまはすべて葬儀屋さんで…になっています。横浜なんかは、斎場待ちが必ずあります。

母の時は9日に亡くなってお通夜が15日、おとサンは31日に亡くなってお通夜は4日でした。

2人とも冬場でしたからまだしも、夏場だとドライアイスの量が…です。まったくドライな話でスミマセンが。

母の時など、父はその部屋で寝ていましたから、母のために暖房が付けられず、

お通夜まで綿入れ着て寝ていましたっけ。そんな苦労も「現代的?」。

 

今を生きている私たちには当たり前でも、昔はそうではなかった…ということも多々あります。

昔は「客が少ない葬儀」は「さみしいお葬式」と言われましたけれど、

今は「本当に悼んでくれるひとだけでいい」、というのも、普通に言われるようになりました。

こじんまり、の葬儀はさみしい葬儀ではない、と言える時代です。

母は元々「葬式なんてものは、骨をそのへんに捨てるわけにいかんからやるようなもん」と、

カンタンでえぇでぇ…と言ってました。それでも遺った者としては、最後だからという気持ちが働くものです。

最後だから盛大に…ではなく、最後だから温かく…。

近所付き合いが昔のように密ならば、言わなくてもみんな来てくれて、盛大と温かが混じっていたけれど、

そういうお付き合いが「疎」である今、家族葬はそれはそれでいいものだと、私は思っています。

 

法事も一周忌、三回忌くらいまでは、親族にも連絡して…になりますが、

お付き合いの度合いにもよりますよね。

それでも遠方のいとこからお花が届いて、私は嬉しかったです。覚えてくれていたんだ…と。

 

若いころはそこに参列していても、なんだか他人事のようで、何もかも言われるまま…でしたが、

年を取るにしたがって、葬儀、法事ということが、人のつながりの上の行事なのだと実感します。

それにしても…葬儀代はよーく考えておかないとですよー。

互助会に入っていると、ほんと割引や特典がありがたいです。

母のときは地元の互助会に入っていたので、いろいろ便宜を図ってもらえたのですが、

私が入っていたのは千葉の互助会。ああいった会は公的な全国共通組織ではないので、

主人のとき、こちらの葬儀やさんでは使えませんでした。

まぁ解約して払い戻していただきましたが、いざというとき使えないのではねぇ…。

「葬儀関係」というと、つい、まぁそのうち考えれば…だったのてすが、油断しました。

 

えぇここでいかにも世俗的なお話ですが「お布施」…。これって一番困りますねぇ。

実は、葬儀屋さんで聞いたところ、あちらもはっきりとは言わないのです。

「一応こんな感じらしいのですが…まぁ直接お聞きください」です。

あちらは毎度違う宗派のお坊さんだったりするわけですから「一律料金」と言うわけにはいかないし、

自社の収益ではありませんから、ムリはありません。

そこで、ご住職さまに「モノ知らずでお恥ずかしいことなのですが、いかほど…」とはっきりお伺いしました。

昔のように地元に根付き、檀家がたくさんあって当たり前だったころとは違いますから、

あちらもビジネスライクです。御戒名の価格、と言うのがあって…まぁ「松・竹・梅」じゃありませんけどね。

その松と竹の違いは3倍…およよぉぉです。そしてその後の法事は、その時の戒名料の1割がお布施。

まぁ「お心で…」などとはぐらかされるよりはずっといいですが、知らずに奮発して「松」にしたら、

あとあとまでたいへんでした。

もちろんこういうことは、地域によってお寺や宗派、信仰する宗教によって違うものではあると思いますが、

あとあとずっとお世話になりますから、そのあたりのことも、きちんと確かめておいた方が…です。

結局、いろんなことが「遺ったものの気持ち次第」なのですよね。

 

今年の12月は母の7回忌、来年1月は主人の3回忌、前倒しして一緒にやっていただこうと思っています。

その時…二人分だと、やっぱお布施は二人分だよね…と、父と顔を見合わせました。あたりまえじゃっ。

高齢化社会と言われるようになって久しく、昔は「縁起でもない」と敬遠された「しまい支度」のことも、

最近はあれこれなかなか活発です。自分のこともですが、つれあいのこと、親のことなど、

いろいろ考えておくことは、今の時代、必要なことなのだと思います。


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8 コメント

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Unknown (とんぼ)
2016-02-03 01:06:23
akkomam様

おっしゃる通りです。
ドタバタの1年でしたが、
とりあえず、年が一めぐりして、
なんとなく気持ちも落ち着いてきました。

いろんなことが変わって、それはそれでしばられなくて
いいのではないかと思うことも、あれこれ耳にします。
四十九日を早めにしたとき、お寺さんが、
日数よりも「心」がだいじですよ、といってくださって、
ほんとにそうだなと思いました。
どのように変化しても「キモチ・心」というものは、
大切ですよね。
返信する
お命日 (akkomam)
2016-02-02 13:12:47
一周忌をすまされ、お命日を迎えられ、
気持ちが落ち着かれますと、
いろいろ仏事のことを考えるようになりますね、
突然のことだっただけに慌てたものです、
まだ現役でしたので会社がすべてでしたが
お願いして家族の意向も入れていただきましたが、
後で考えますと、家族だけで送りたかったと
しみじみ思いました。

時代の移り変わりはいろいろなところに
変化をみせていますが、
送る側の気持ちを添えてのお布施で
よいのではとこのごろは思うように
なりました。

家族 も親族も少ないこのごろは
後のお墓のことまでが気掛かりです。
返信する
Unknown (とんぼ)
2016-02-01 23:29:38
古布遊び様

地域によっていろいろ違うと聞きます。
とにかく簡単に済ませるわけにはいかない
という気持ちがありますから、
なんだかオロオロオタオタです。

親族だけの葬儀が一番いいかなと、
私も思います。我が家は結局そういう形でしたので、
こじんまり…ただ、主人の会社には知らせなかったのに、
元同僚とか、部下の方とか、どーっといらして
びっくりしましたが、
みなさん義理で来てくださったわけではなくて、
あれは嬉しい誤算でした。
返信する
Unknown (とんぼ)
2016-02-01 23:20:03
陽花様

あっという間に終わるのがお葬式…でしたが、
横浜では、ヘタすると1週間…。
勤めている人は「忌引き」の休みで困るそうです。
母の場合は、大好きな自宅に、母を長くいさせてあげられたのは
よかったんですけどね。

横浜でもかつては大きな花輪がズラリと並んで、
へんに競う様相がありましたが、
だいぶ変わったように思います。
あれはどうも感心しませんね。
大仰だし、悼む気持ちより
名前の宣伝みたいで…。

葬儀代、お布施、いつまでたっても、なんか霧の中みたいな
そんな気もします。
返信する
Unknown (古布遊び)
2016-02-01 21:15:20
お葬儀も私の若かった頃とは様変わりですね。
特にこちらはそうです~

私が一番いいなあと思うのは人数ではなくて亡くなられた方を温かなお見送りが出来たなあと感じられるお葬儀ですね~
ただ葬儀やお年忌は若い人にとっては、普段合うことのない親戚にあったり色々な経験を詰める場なのではないかと思います。

色々なことは時代と共に変化していくのは同然だと思います。シンプルにすっきりとした形がいいですね~
返信する
Unknown (陽花)
2016-02-01 10:55:00
この辺りでは友引に掛かると一日ずらす
事はありますが、たいがいは亡くなった
次の日がお通夜で次の日が告別式です。

今の様に葬儀が簡素化になるまでは、樒や
花輪など数を競うところがありましたが、今は
ほとんど見かけなくなりました。

戒名のお値段は本当に分かりにくいですね。
返信する
Unknown (とんぼ)
2016-02-01 00:12:38
Sari様

斎場は「仏滅」だけのお休みですのにねぇ。

いろいろな技術とか道具が開発されるのは
いいことなのでしょうけれど、
だからいつでもいいよね…は困りますねぇ。
どうも葬儀とか法事と言うのは、終わるまで
なんとも気が張って落ち着かないものです。
同じ行事でも慶事になると、ウキウキなのに。
こりゃ生きているもののわがままですかしらね。
返信する
早いですね (Sari)
2016-01-31 20:49:34
もう一年ですか…

私の父のときは、斎場が混んでいて3日待ち、おまけに五月の連休で斎場がお休み、結局8日目になりました。

斎場がお休みになるなんて知りませんでびっくり。
ドライアイスでは間に合わないので、父は専用の冷凍室に入ってました。

当日早めに出してくれたそうですが、お棺の中の父は緑がかった顔でコチコチ
頭が寒そうでしたので、お気に入りだった帽子をかぶせましたら、最後の対面で皆さまに不思議がられましたっけ。

お葬式はただでさえ煩雑なことが多くて頭が痛いですが、
こんな余計なことまで起こるんですね。
返信する

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