昨日は風がまだ残っていましたし、着物はたいへんだったかなぁ、などと
思っていたのですが、結局これといってニュースも見逃してすごしてしまいました。
あっ写真は、関係ない画像ですみません。
せめてちっとお祝いのつもりで?ただいま色づき中の万両と千両です。
さてさて、遅ればせながらで、ニュース画像を検索してみたのですが、
あんまりみつかりませんで…。
出てくるのは「記念写真やさん」と「貸衣装やさん」ばっかし…。
で、今日の朝刊にちびっと写真が載っていました。
新聞の写真ですから、顔隠す必要もないのですが、ま、気は心ってとこで。
さて、あなたの気になるところはどこ?なぁんて、こういうこと書くから、
「お直しおばさん」だの「重箱のスミつつき」だの「アラ探し姑」だのと
いわれてしまうんでしょうけれどねぇ…。
とりあえず…坊やの袴が長すぎるのは、きっと下がってきちゃったんでしょうね。
子供用のズボンみたいにゴム入ってないし、ズボン釣りもないし。
帯ごとさがっちゃうとこうなりますね。
これだと階段の上り下りで、踏んづけて転ぶこともありますから、気をつけて!
小さい子は大人のように腰骨が張ってませんし、
オナカのあたりはふくれてて、要するに帯が落ちやすい体型ですからね。
子供の袴は「あんどん」ですから、時々したから手を入れて、
着物を引っ張りながら帯を上に押し上げてあげるといいです。
いよいよ記念写真、なんて時は、「ここチェック」ですね。
袴の着付けというものについて、聞かれたことがあるのですが…。
袴って歴史で言うと、元々は男女共にはいていたものなのですが、
室町鎌倉あたりから、女性は袴を捨て?ました。
残ったのは公家の身分の高い人の衣装だけ。つまり宮中ですね。これは長いもの。
それ以降は男性のものが主ですから、今の女性の袴については歴史も新しく、
かの「はいからさん」が、眼になじんでますかね。
明治に入って、さすがに宮中の女官も「切り袴」になりまして、
一般の女性にも「活発に動ける」と、普及したものです。
女学生の袴は「下田歌子」という、元宮中にいた女性の考案と言われています。
女史は、維新後の「女性の教育」に力を尽くした人で、
今の学習院の前身となる「華族など身分の高い子女の通う学校」の
校長を勤めた人です。女学生の袴の「海老茶」という色は、
宮中での未婚女性の袴の色(濃き色)に、似せたものといわれています。
この袴を穿いた女学生のことを「海老茶式部」と呼んだそうな。
えぇ私なんぞは、紬のかるさんだの絣のもんぺだのですから、
さしずめ「いなか式部」「絣納言」ですかねぇ。
男女に限らず、袴そのものが「目的別」に穿くものですから、
それぞれの穿く長さの細かい規定はありません。
例えば仕舞いや狂言の方はわりと短めです。また女学生も短い…。
でもって巫女さんはわりと長目…。
つまり「活動する目的」なら短く、礼装や「静」の場面なら長く…ですかね。
かの宝塚では、タビの上にちびっと素足が見える程度…だったかな?
私は若い女性の短い袴って好きですけどね。
一番左のおちびちゃんの着物は最初から長すぎ…ですね。
しっかり揚げをしてあげないと、なんか締まらないですね。
最近の小さい子は着物を着慣れていませんし、それでなくとも小さい子は、
足元がおぼつきませんから、短いくらいの着付けでいいと思います。
それこそ、タビの上にちょっと素足が見えているくらいでも、
それもまたかわいいものです。あっ7歳のほうは別ですから。
この写真の子供さんたちの着物の色柄を見ると、やっぱりこうだよね、
なんていう気がしました。まぁできれば男の子は着物も黒系の方が、
袴とのメリハリがついたかな…なんて、よけいなことですが…。
今までに何回か入っていた「七五三の貸衣装のチラシ」では、
やはり人目を引くためでしょうか、なんかヘンに歌舞いた羽織袴だったり、
やたらフリフリ飾りまでついた着物だったりしましたが、
実際には、こういう古典的といいますか、オーソドックスなものを
選ぶ親御さんが多いようで、なんかホッとしました。
小さい子の晴れ姿って、ほんとにかわいいですね。
輝く未来が透けて見えるようです。あーもどりた…いやいやこれはム・リ…。
えーと、あと気になったのは、写真なのではっきりしませんが、
真ん中のお母さん、袖のところに赤く縦に見えているのは
位置から言って襦袢かなぁと思うんですが。違ってたらゴメンナサイですが、
昔々、喪服の裏も紅絹を使ったような時代ならともかくですが、
今の時代、留袖や喪服の襦袢は白、その他の礼装、略礼装は、
だいたい白もしくは淡い色、が基本です。
それと、もし見えているのが襦袢の袖だとすれば、
脇が前に来てしまっているということですね。
この「帯の脇に近いところの前」というのは、手をあげさげするので、
一番着崩れとして眼にとまるところです。
帯の下から着物をひっぱればすぐに直せますが、
こういう状態になるときは、脇が前に来てしまっている場合が多いです。
右の脇、袖つけの下の「身八つ口」あたりを
後ろに回す感じてひっぱって脇に寄せるといいですね。
もうひとつ、これは別のところの写真で見たのですが、
子供さんはびっちり「お着物」で、華やかに着飾っているのに、
ついていたご両親が、ごく普通の普段着…お母さんも細いパンツで、
パーカーのような上着とか…これはねぇ…ちょっと悲しかったです。
着物を着なきゃとはいいませんが、せめてスーツとかワンピースとか、
そのくらいは着てあげてほしいです。
いくら「主役は子供」でも、そばについている親も含めて「晴れの日」なんですから。
以前住んでいた千葉県は、茨城県とならんで「七五三」をハデにやるところです。
私も話には聞いていたのですが、友人が「両親がやるってきかないの」と、
ため息つきながら話すのを聞いて、おぉほんとだったんだーと。
いわゆる「披露宴」とおんなじ感じで開かれるんです。
友人は「会場選びから大騒ぎして、招待客だの引き出物だの、
私たちの結婚式のときよりウキウキやってる」と…ま、そりゃね、孫のことだし。
しきたりといってしまえばそれまでですが、それで万札が100枚単位で
飛んでゆく…と聞いたときは、絶句しました。
どう祝うかは、地域によっても家庭によっても違うものではありますが、
単なる楽しいイベントではなく、子供の成長を祝い、幸せを祈るという
意義のある「祝い事」です。厳粛な気持ちで臨むことは、言わずもがなですね。
本日のおまけ画像「裏庭の蕗」です。
まぁほんっとに元気はいいわ、しぶとい、いや丈夫だわ…。
春先はふきのとうがとれるし、いとこなんぞは山ほど摘んで、
京都まで持って帰ったくらいですから、ジャマなものだとは思ってないのですが、
なんせ地下茎で、どんどん伸びる…のです。
緑があるのはありがたいのですが、建物の通気口までふさがったりすると、
お願い、ここはこないでねーと、根っこごとズルズル引き抜いています。
思っていたのですが、結局これといってニュースも見逃してすごしてしまいました。
あっ写真は、関係ない画像ですみません。
せめてちっとお祝いのつもりで?ただいま色づき中の万両と千両です。
さてさて、遅ればせながらで、ニュース画像を検索してみたのですが、
あんまりみつかりませんで…。
出てくるのは「記念写真やさん」と「貸衣装やさん」ばっかし…。
で、今日の朝刊にちびっと写真が載っていました。
新聞の写真ですから、顔隠す必要もないのですが、ま、気は心ってとこで。
さて、あなたの気になるところはどこ?なぁんて、こういうこと書くから、
「お直しおばさん」だの「重箱のスミつつき」だの「アラ探し姑」だのと
いわれてしまうんでしょうけれどねぇ…。
とりあえず…坊やの袴が長すぎるのは、きっと下がってきちゃったんでしょうね。
子供用のズボンみたいにゴム入ってないし、ズボン釣りもないし。
帯ごとさがっちゃうとこうなりますね。
これだと階段の上り下りで、踏んづけて転ぶこともありますから、気をつけて!
小さい子は大人のように腰骨が張ってませんし、
オナカのあたりはふくれてて、要するに帯が落ちやすい体型ですからね。
子供の袴は「あんどん」ですから、時々したから手を入れて、
着物を引っ張りながら帯を上に押し上げてあげるといいです。
いよいよ記念写真、なんて時は、「ここチェック」ですね。
袴の着付けというものについて、聞かれたことがあるのですが…。
袴って歴史で言うと、元々は男女共にはいていたものなのですが、
室町鎌倉あたりから、女性は袴を捨て?ました。
残ったのは公家の身分の高い人の衣装だけ。つまり宮中ですね。これは長いもの。
それ以降は男性のものが主ですから、今の女性の袴については歴史も新しく、
かの「はいからさん」が、眼になじんでますかね。
明治に入って、さすがに宮中の女官も「切り袴」になりまして、
一般の女性にも「活発に動ける」と、普及したものです。
女学生の袴は「下田歌子」という、元宮中にいた女性の考案と言われています。
女史は、維新後の「女性の教育」に力を尽くした人で、
今の学習院の前身となる「華族など身分の高い子女の通う学校」の
校長を勤めた人です。女学生の袴の「海老茶」という色は、
宮中での未婚女性の袴の色(濃き色)に、似せたものといわれています。
この袴を穿いた女学生のことを「海老茶式部」と呼んだそうな。
えぇ私なんぞは、紬のかるさんだの絣のもんぺだのですから、
さしずめ「いなか式部」「絣納言」ですかねぇ。
男女に限らず、袴そのものが「目的別」に穿くものですから、
それぞれの穿く長さの細かい規定はありません。
例えば仕舞いや狂言の方はわりと短めです。また女学生も短い…。
でもって巫女さんはわりと長目…。
つまり「活動する目的」なら短く、礼装や「静」の場面なら長く…ですかね。
かの宝塚では、タビの上にちびっと素足が見える程度…だったかな?
私は若い女性の短い袴って好きですけどね。
一番左のおちびちゃんの着物は最初から長すぎ…ですね。
しっかり揚げをしてあげないと、なんか締まらないですね。
最近の小さい子は着物を着慣れていませんし、それでなくとも小さい子は、
足元がおぼつきませんから、短いくらいの着付けでいいと思います。
それこそ、タビの上にちょっと素足が見えているくらいでも、
それもまたかわいいものです。あっ7歳のほうは別ですから。
この写真の子供さんたちの着物の色柄を見ると、やっぱりこうだよね、
なんていう気がしました。まぁできれば男の子は着物も黒系の方が、
袴とのメリハリがついたかな…なんて、よけいなことですが…。
今までに何回か入っていた「七五三の貸衣装のチラシ」では、
やはり人目を引くためでしょうか、なんかヘンに歌舞いた羽織袴だったり、
やたらフリフリ飾りまでついた着物だったりしましたが、
実際には、こういう古典的といいますか、オーソドックスなものを
選ぶ親御さんが多いようで、なんかホッとしました。
小さい子の晴れ姿って、ほんとにかわいいですね。
輝く未来が透けて見えるようです。あーもどりた…いやいやこれはム・リ…。
えーと、あと気になったのは、写真なのではっきりしませんが、
真ん中のお母さん、袖のところに赤く縦に見えているのは
位置から言って襦袢かなぁと思うんですが。違ってたらゴメンナサイですが、
昔々、喪服の裏も紅絹を使ったような時代ならともかくですが、
今の時代、留袖や喪服の襦袢は白、その他の礼装、略礼装は、
だいたい白もしくは淡い色、が基本です。
それと、もし見えているのが襦袢の袖だとすれば、
脇が前に来てしまっているということですね。
この「帯の脇に近いところの前」というのは、手をあげさげするので、
一番着崩れとして眼にとまるところです。
帯の下から着物をひっぱればすぐに直せますが、
こういう状態になるときは、脇が前に来てしまっている場合が多いです。
右の脇、袖つけの下の「身八つ口」あたりを
後ろに回す感じてひっぱって脇に寄せるといいですね。
もうひとつ、これは別のところの写真で見たのですが、
子供さんはびっちり「お着物」で、華やかに着飾っているのに、
ついていたご両親が、ごく普通の普段着…お母さんも細いパンツで、
パーカーのような上着とか…これはねぇ…ちょっと悲しかったです。
着物を着なきゃとはいいませんが、せめてスーツとかワンピースとか、
そのくらいは着てあげてほしいです。
いくら「主役は子供」でも、そばについている親も含めて「晴れの日」なんですから。
以前住んでいた千葉県は、茨城県とならんで「七五三」をハデにやるところです。
私も話には聞いていたのですが、友人が「両親がやるってきかないの」と、
ため息つきながら話すのを聞いて、おぉほんとだったんだーと。
いわゆる「披露宴」とおんなじ感じで開かれるんです。
友人は「会場選びから大騒ぎして、招待客だの引き出物だの、
私たちの結婚式のときよりウキウキやってる」と…ま、そりゃね、孫のことだし。
しきたりといってしまえばそれまでですが、それで万札が100枚単位で
飛んでゆく…と聞いたときは、絶句しました。
どう祝うかは、地域によっても家庭によっても違うものではありますが、
単なる楽しいイベントではなく、子供の成長を祝い、幸せを祈るという
意義のある「祝い事」です。厳粛な気持ちで臨むことは、言わずもがなですね。
本日のおまけ画像「裏庭の蕗」です。
まぁほんっとに元気はいいわ、しぶとい、いや丈夫だわ…。
春先はふきのとうがとれるし、いとこなんぞは山ほど摘んで、
京都まで持って帰ったくらいですから、ジャマなものだとは思ってないのですが、
なんせ地下茎で、どんどん伸びる…のです。
緑があるのはありがたいのですが、建物の通気口までふさがったりすると、
お願い、ここはこないでねーと、根っこごとズルズル引き抜いています。
神社仏閣に行けば可愛い晴れ姿が
見られたのかも知れませんが、
まったく見ることもありませんでした。
来年は一番下の孫が七歳参りです。
来年の今頃はのんびりしていられない
ですね。
古都なのに。
我が家は二人とも男の子なのですが、三歳時はお参りしませんでした。
それが京都の風習らしい。
子供の成長をお祈りする気持ちがあってお参りするのですから節目の行事として良い風習だと思います。
この七五三の着物、安価な物は中国産が席巻しています。
懐具合のよろしくない昨今は仕方ありませんが、良い物を子や孫に残す風習も続けて欲しいものです。
私にもこんな頃があったんだわ・・・(遠い目)
私も赤い襦袢?が目につきました。
色もですが、この様に見えるというのは脇が前に来てしまっているからなのですね。
人の振り見て、です。
私は袴をはきたいが為に、中学で剣道部に入りました。運動神経皆無なのに。
大人になって薙刀を習い始めましたが、それも続かず。
今では袴が所在なさげにカーテンレールに掛けられてます。
できれば着物だけより、袴もはきたいんですけど。がしがし歩けるし(笑)。
近くに神社はあるのですが、
最近は有名神社に行くし、その前に美容院へ行くし、
家の前を通るなんてことが減りましたねぇ。
自分のところに関係ないと、忘れてますよ。
来年はお孫さんのところ、忘れず
楽しみにしていますね!
男の子は5歳だけですね。
宮中の袴儀の祝が原型といわれています。
京都には十三参りというがありますでしょ。
私は、てっきり連れて行ってもらえるものと
着物ごと期待していたのに、
母にあっさり却下されましてねぇ。
「あんたハマっ子やん」って…。
つごうのいいときだけ「京都では」って
いうくせにぃ…とひがみましたっけ。
ほんとに、お被布は独特のかわいさですね。
剣道、薙刀…アコガレますぅ。
私も運チなので、最初からみてるだけでしたが
今でも「弓道」はやってみたいなーと、
思ってるだけですー。
袴、はきましょう、私もひとつあるんですよ、
去年やっと買ったんです。
ガシガシ歩こう!?
薙刀って、あんな長いものを…と、
テレビでの試合を感心して見ていました。
私、ゼッタイどっかにひっかける…。
本、入れていただいてよかったですね。
どれもほんとに上品だったでしょう?
ついつい「お値段」を考えてしまいましたー。