ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

消えてゆくもの

2007-02-28 20:18:25 | 着物・古布

♪赤ちゃんのときから カネボウ毛糸…

カネボウはあまりにも大きくなっちゃって、
なんだかわけわかんなくなっちゃいました。
とりあえず、今度は「カネボウ・トリニティ…」のほうが
「クラシエ」と名前をかえると、ニュースでいってました。
それでこの古い本の「広告ページ」を思い出したわけです。
私の子供のころは「鐘淵紡績」で「カネボウ」、
元をただせば「綿」から始まった会社ですが、繊維から化学薬品に…。
カネボウについては、あまりにも会社の内容が分散しすぎて
私もよく知りません。買い取ったり買い取られたり、いそがしこっちゃ。

もうひとつ、もうほとんどないもの、


          


「文化人形」ですね。私二つくらい持っていたような…記憶には残っています。
こういう乳母車、ほしかったけど買ってもらえなくて、おぶってましたっけ。
で、私こういう感じの子でした。いや、こんなにかわいかないけどっ、ははは。


            


私以外は、もうこんなかっこの子はいませんでしたね。
ゲタはいて遊んでる子はまだまだいましたけど。
これが載ってる本はこちら、昭和11年の「主婦之友・付録」。


          


「新案衣類」、今でいうところの「アイデア・グッズ」というところでしょうか。
ここに面白いものが載っています。今でも使えると思うアイデア…。
最近の便利グッズ、「カンタン半襟」の元祖ですね。
これは「冬号」なので、これには背中に真綿が入れてあるそうです。
また、いかり肩の人には肩がなだらかになる…とも、書いてあります。



          



古いことを思い出しついでに・・・ふとアタマに浮かんだのが「デパート」
私が子供のころは、東京・銀座なんぞはよその国?、もっぱら横浜はザキでした。
もちろん横浜西口には、高島屋もありましたが、親に連れられていったのは
「伊勢佐木町」で、デパートといえば「松坂屋」、ちょっと古い人なら
「野沢屋」でも知っているでしょう。最近になって、
松坂屋前では、あの「ゆず」が路上ライブをやていったと知りました。
ザキにはそれこそ「不二家」がありましてねぇ、年にかぞえるほど、
そこのレストランに連れて行ってもらうのが楽しみでした。
まるで遠くへ引越しでもしたかのような言い方ですが、
私は今でも横浜暮らし…、行ってないんだよぉ、どこへもぉ~。

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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (とんぼ)
2007-03-04 20:19:55
11様
ようこそおいでくださいました。
「博雅」のシウマイは絶品でしたね。
ザキのお店はなくなりましたが、
今ウェブショップもありますよ。「博雅亭」です。
昔は本屋といえば「ザキの有隣堂」でしたね。
私も横浜駅の西口もさんざん歩きましたが、
懐かしく思い出すのは、もっぱらザキや馬車道、
ベイサイドです。
しばらくぶりで行ってみようかと思っています。
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Unknown (11)
2007-03-04 10:25:17
伊勢佐木町、懐かしいですね。余りの懐かしさにコメントさせていただきました。我が家は横須賀でしたが、野毛の動物園の帰りや少しおしゃれな買い物には伊勢佐木町へ行ってました。確か”博雅”という名の中華料理屋さんがあって、大きなシュウマイが楽しみでした。当時は大繁華街で、お袋は野澤屋より松坂屋贔屓でした。1本裏に入れば、エネルギッシュで、猥雑、チョツピリ怖いかんじがする親不孝通りや飲み屋が沢山ありました。中高生の頃は有隣堂や馬車道に映画を観に友達とよく行ったものです。もう40年以上も前のことです。
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Unknown (とんぼ)
2007-03-01 21:20:38
めぐみ様
そうそう、何か本を読んでる途中だったり、
テレビが気になったりすると、
つい気もそぞろで「ちゃんと!」って叱られました。

文化人形の中身っておがくずとか、
木屑だった気がします。つかむとキシキシ音がする、
懐かしいです、あの感触。
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懐かしい… (めぐみ)
2007-03-01 21:12:05
母が編み物教室の教師をしていたので、毛糸巻きは良く手伝ってました。
動くと「動くな!」と叱られて…(苦笑)
思えば…毛糸物は買った事がなく全て母の手作りでしたね~、懐かしい思い出です。
学生時代、制服はセーラー服(幼稚園も)襟元が寒くて毛糸で衿がぐっと開いたものを作って貰いました。

文化人形も、、ワラみたいなものが詰めてあったように記憶してます。

先日、京急百貨店の本屋さんで、素足に下駄の男の子を見かけました。ビックリしたけど何か嬉しかったなぁ~。
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Unknown (とんぼ)
2007-03-01 10:36:21
空朱様
ほんとにザキは「繁華街」でしたね。
デパートといえど、夏場も冷房はなく、
下が油で磨いた木の床で、入り口には夏になると、
大きな「氷花柱」が立ってたもんです。
天井には大きなプロペラみたいな扇風機があって
ゆったりまわっていましたっけ。
建物が大きいだけで、外より涼しかったですね。
ザキのポンパはまだあるんでしょうか。
不二家の一階でお土産に迷ったことも、
いい思い出ですねぇ。
西口東口はもう「別世界」に鳴ってしまいました。

陽花様
銀座もかわったんですけど、老舗でわずかに
残っているお店もあります。浅草は仲見世よりウラ、
浅草より浅草橋、おもちゃ手芸品の問屋街、
いっしょにいこーっ!

神奈様
やらされましたね、キョンシースタイル、
少し大きくなると、こちらが手をうまく動かして
母が毛糸を巻きやすくする…でも腕がつかれるー、
キライなお手伝いのひとつでしたね。
それでも「これ、私のセーターかな」なんて
考えながらお手伝いしてましたっけ。
解いた毛糸を火鉢に乗せたやかんの蒸気にあてて
「再生」している母の姿も、よく覚えています。
あのころってほんと「手間」をかけるのが
当たり前でしたね。

蜆子様
いつもいろいろお話し伺うたびに、蜆子様は本当に
「ええとこのお嬢様」だったのだなぁと思います。
シロクのコート地がおみやげだなんて…。
すばらしいですねぇ、私なんか、未だに
シルクのコートなんて着たことぁありません。
毛糸は、出産祝いに多く使われましたね。
お母さんが赤ちゃんのために編む…、
私もいろいろわが子のために編みましたが、
はてさて…どこいった?
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毛糸 (蜆子)
2007-03-01 09:33:32
昭和45年ぐらい、その時分ではもう時分で物を編める人は少なくなっていたと思うけど、結婚式の孫さんへの引き出物はほとんど毛糸一ポンドでした。
自分で編めずとも、頼める人はまわりにいたんですね。婚約者として、初めて相手の家に遊びにいったら、毛糸一ポンドを土産にと渡された人もいました。私じゃない、私はシルクのコート生地一着分でした。毛糸編みかえもできるし、便利なものだったんでしょうね。手作りが当たり前にあった時代でしたから。
編み機嫁入りに持たされたけど、使わずじまいです。
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覚えてます (神奈)
2007-03-01 01:45:23
カ~ン・カ~ン・カネボウ♪
カ~ン・カ~ン・カネボウ♪
あ~かちゃんの時からカネボウ毛糸

あの頃はまだ玉巻きが少なくて、カセのまま売ってましたっけ。
よく母の手伝いでキョンシーみたいな手つきさせられました。
巻いてる方が面白そうなんですよね、あれ。

生まれたのは新宿なのだけれど育ったのは谷中なので遊ぶのは子供の頃は上野。
親戚が築地だったので後は銀座かなぁ・・

赤坂・六本木・原宿・
今流行りの場所は全然分りません
むしろ、上京してきた友達に案内して貰う事の方が多いです
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Unknown (陽花)
2007-02-28 23:51:46
東京は中学の修学旅行で行ったのと5年くらい前に結婚式で行ったくらいでその時初めて浅草の雷門と入谷の朝顔市を見に行きました。銀座は一度行ってみたいと思っていますが・・・
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伊勢佐木町ブルース (空朱)
2007-02-28 22:39:25
あの華やかさをみているものには
西口に(いまは、東口もですが)人の流れが移ってしまってシャッターのおりた店をみるのはさびしいですね。
現在は、新規進出の店舗が混在した感じ。
カレーミュージアムも閉じるそうですが、パチンコ店との同居は、どうにも許せませんでした。

長者町から日の出町にかけてたくさんあった家具店も、ほとんどなくなりました。
これも時代、でしょうか。
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