すごいタイトルです。「戦時下の被服対策 和服洋服の繰廻し更生全集」・・。
いわばリフォーム作品集です。「婦人倶楽部」の付録ですが、
発行は昭和16年、開戦のトシですね。中身をちょっと・・・
「更生」もすごい。真ん中の薄い色のものは「道行」なんですが、
説明のタイトル「色のあせた長コートを芋版で目新しく更生」・・。
「芋版」でっせ!「イモバン!」
こちらはその隣のページ、帯が多いのですが、まず古い着物や帯を染め替えたり、
染めを一度抜いて、また染め替えて・・という手間をかけています。
さらにそれに刺繍をしたり、当時ペインテックスと呼ばれた油性の手芸用絵の具、
今はペンテックスというらしいですが、それを使って、絵を描いたり、
上の黒い帯の右側のものは、イチョウのはっぱにペインテックスをつけて
それを押し付けた・・とあります。
同じ黒い帯の左側のもの、これはどうも金糸などが入ったハデなものだったようで
説明は「金糸、銀糸、漆糸入りのものは、このやうに、
ペインテックスで時局向きに改装するとよろしうございます」(原文のまま)
だそうで・・・。つまり「戦時下だからキンキラしたもの」は
やめたほうがよかったわけです。この大きな花もけっこうハデですけどね。
ほかにもちりめんの織り出し、つまり反物の一番はじっこのところ、
それをたくさんためておいたものを、まず色抜き、次に薄い色で染めて、
更に板締めで濃い色に染めて模様をつけ、それを全部縫いつないで帯にした・・
もー読んでるだけで、出来上がるまでにどれだけかかるのだろう、と思いました。
すでにものがなくなりかけていたのでしょうね。
この本、「着物から洋服、和服」「洋服から洋服」といろいろ載ってます。
着物をリフォームして暮らしてきた日本人ですから、
こういうことはお得意だったとは思いますが、戦時下という特殊な状況では、
そのワザに更に磨きがかかった感じ??涙ぐましいとまで思いました。
着物の写真(絵みたいに見える写真ですが)もいろいろでているので
興味深くみました。このころって、おたいこのヤマをわざわざ丸くしていますし、
おたいこの下のラインも丸みがあって、ホントに丸い太鼓っぽいです。
それに「たれ」が全体的に大きく、右をちょっとあげてみたり、
今の真四角に近いおたいことは、ぜんぜん違います。
そういう流行はあったのですね。やわらかくやさしい感じがします。
もしかしたら時代が時代だから、少しでもやわらかいもの、
やさしい感じがするものを無意識に求めたのでしょうか・・・。
私はこの手の古い本をいろいろ集めています。
昔の技術と今の技術の違いのようなもの、まぁ縫い方そのものは
基本的にかわりませんが、そでの丸みとか羽織丈の長さとか、
わずかでも違いはあります。そういうことや、今はもう作ることがないもの
ふとんとか、ねんねことかの作り方・・など、いろいろ知ることができます。
もっともわかったところで作るつもりはないのですが、
そういうことで昔の暮らしや、女の人の意識みたいなものも、
わずかながら見えてきたりするわけです。
最初はそういうつもりで集め始めたのですが、ほかにもいろいろ楽しいことを
みつけました。着物の着方、帯の締め方、色柄、小物の使い方など・・。
そして戦前と戦後の本の内容の違いで、戦争というものが残したもの、
与えた影響、そういったものまで見えてくる気がします。
着物離れが著しい現代、その中で一部ですけれど、若いかたがたが
「着物」に目を向けてくださっている・・。とてもうれしいと思います。
ただ、いつも言うことですが、今着物を着たい、着よう、と思ってくださっている
たくさんのお若い方には、私たちのような「着る着ないは別として、
着物というものと暮らしていた」という土壌がありません。
たとえてみれば、テレビ、電子レンジ、洗濯機程度の電化製品しか
さわったことのない私が、パソコンを始めた時と同じです。
若い人には聞きなれた、耳慣れた「モニター」とか「マウス」とか、
ちょっと覗いてみれば「タスクバー」「メニューバー」「ツールバー」
「アイコン」「ショートカット」・・・なんのことやらちんぷんかんぷん。
これと同じ状態なのですよね。
着物を着るということに難しい公式や、条文があるわけではないけれど、
かわりに「長い間着続けられてきた」という積み重ねという現実がある。
その現実をちゃんと知った上で伝えないと・・・。
たとえば、私が最初にPCをさわったとき、教えてくれた人は、
「なんでもいいから最初はここをこう」・・というやり方でした。
ここをクリックして、これが出たら次はここをクリック・・・、
という感じです。「ここ」というのが何なのかは知らずじまい。
だーいぶたってから、その「ここ」が「アイコン」というものだ、と知りました。
PCをよく知っている人からしたら、ほんまにアホみたいな話ですが、
知らないものからすれば、こんなもんです。
着物についていえば、これが逆なんですよね。
だから、自分が知っているということで油断しないように、
どうしてそうなるか、の後ろ側にあるものも、長い積み重ねも、
合わせて伝えられるようにしていかなければ、私にとってのPCの「ここ」で
おわってしまうと思うのです。もちろん、現実には私のPCでも、
「ここ」だけで、ちゃんと操作はできますし、着物だって難しい歴史を
知らなくたって着られます。それでも、伝えるということについては、
どう伝えるか、より、何を伝えるか、のほうが大切だと思うのです。
教える人が、着付け講師でも、母親でも、近所のおばちゃんでも、
着付け教室卒業した先輩でも、伝わるものが同じでなければ、
結局、着物を体に巻きつける技術だけしか伝わらない・・・。
とんぼはいつも「昔はこうだった」「昔の人はこうしてた」という話をします。
だからといって、昔の方がいいとか昔が正しいといっているわけではありません。
残念なことに、着物は受け継がれる途中で、戦争だのそのあとのゴタゴタだの
いろいろなことがあって、「箱」で受け継がれてきたことが、
「糸」のように細くなってしまいました。それでも昔があるから今があるのです。
だから古いことを書き続けます。
着物はまず着て楽しんでください。そしてときどき、とんぼのところで
今来ているもののうしろにずーっと続いている糸の先を、私と一緒に
探ることも楽しんでください。
今あなたが着ている着物のご先祖は、黒髪美しい都びとの身を包んでいたもの、
素材の絹のご先祖は、見つかったら首が飛ぶといわれた厳重な守りを越えて
中国から持ち出された一匹の「蚕」からつながった絹です。
さて、今日は「古本」をもうひとつ、着物からちょっと離れまして・・。
この本を見て「懐かしい!」とおっしゃるかたは、私と同じくらいの年、
で、女性はいないかも・・・。これは山川惣治というかたが描いたもので、
いわゆる「冒険活劇」、マンガではなく絵物語、といいますが「劇画」本。
光っててすみません。1~3巻です。
中身はこんなです。
ストーリーは荒唐無稽な部分もたくさんあって、なにしろ体長何十メートル、
なんていうオオトカゲがでてきたりします。
インドとビルマの国境地帯の密林が舞台で、少数民族の研究のため
原住民の中で暮らしていた親子が、政変にまきこまれ、いろいろあって
離ればなれになってしまう、子供は来年から学校・・という年齢の少年で、
狼におそわれたところを、そのあたり一帯のトラを束ねるトラの女王に助けられ、
というストーリー。この少年が「少年タイガー」で、育ての親のトラと一緒に
結局は政変に巻き込まれていくわけです。
私はこの本が好きで好きで、毎月一冊でるのを楽しみにしていました。
実は、山川氏は、たくさん作品を残していますが「少年ケニヤ」もそうです。
「少年ケニヤ」は、映画にもなったり、復刻版がでたりで、
最近の人も知っていると思いますが、私はこの「タイガー」のほうが好きで、
とうとう「ケニヤ」のほうは今に至るも「ストーリー」を知りません。
子供にとっては誰が描いたかよりも、この本が好き!だったんですね。
実は、ついこの前まで同じ作者だということすら、気がついていませんでした。
子供の頃「狼少年ケン」というアニメがあり、あれを見るたびに
「少年タイガー」のほうがおもしろい・・と思っていましたし、
「トラ」の絵を見ると「昔読んだあの本、どしたっけな」と思い出していました。
それがたまたま、古本を探していてみつけ、おぉっと思い、買ってしまいました。
元値は130円、でもなんと10倍以上です。巻によって状態によって
また扱う業者によって価格は違いますが、ひとつ見つけたのは
全巻(11巻)そろいで15万というのがありました。いくらなんでも・・です。
私のはそこまで高くありません。
この本が届いたとき、ふっといくつかの「絵」を思い出しました。
どんな場面で見た絵だったか思い出せなくて、とにかく探していくと、
いくつか見つけました。記憶はほとんどまちがっていませんでした。
特別恐ろしい場面とか、インパクトのある場面ではないのに、
なぜかその絵が好きだったんですね。
残念ながら、全巻はありません。特に完結編は、いろいろ探しても
「それだけはない」という状態です。でもあきらめずに探します。
とんぼの「休憩時間?」のすごし方・・でした。
ヒロをぢ様も、「戦時下の・・」に、惹かれたとのこと。こんいう本って、私の母の若い頃の姿なんかもダブりますね。マンガ以上になかなかみつからない・・といいますか、ほしいものはもんのすごく高いのですよ。そのへんもマンガと同じです。
しかし『少年タイガー』見にきた割に、いたく「戦時下の被服対策 和服洋服の繰廻し更生全集」に感動してしまいました・・・こんな本が欲しい・・・着物とか帯とかはチンプンカンプンなんだけど何故か惹かれてしまいました・・・汗
う~ん、この世界も奥が深いんですねぇ・・・
参った参った!良い目の保養をさせてもらっちゃったの・・・ニコニコ
イモバン、といえば年賀状・・、懐かしい。
私も「突然元気になる」タイプ。
なんかワクワクするんですよね。
で、ナントカの工夫ってのを、自分で更に
こね回してポシャらせるというのが
私のパターン、こりない性分で・・。
(だから千兵衛さんの唄は知ってます)
さわっているだけで手が薄黒くなるという記述で
突然昔に記憶が・・・・
いつも手を紫色に染めながら漫画本に読みふけっておりましたです。
芋版・・・まるで私みたい・・・
こういう時になると突然元気になる人がいるんですよね、きっと。
家庭で出来る○○の工夫とか言って。
こういう本は、さわっているだけで手が薄黒くなってしまうほどです。紙質も悪いし、印刷技術や写真技術も今に比べたら・・なんですが、なぜか楽しいんですよね。これってヒロをぢ様が古いマンガを手にしたときと同じカンゲキ・・ですよね。古い本につきましては、ヒロをぢ様の掲示板に書き込みさせていただきました。数はありませんが、各種取り揃えです。
開戦当初のことでもあり、まだ少しは「せめて可能な範囲で楽しもう・・・」という心意気みたいなものもあったのでしょうか。色もカラフルで、本として見ることもちゃんと考えて作られているように感じます。
もし他に、前後する時代の本などが手に入ったら、また見せていただけないでしょうか?先人の知恵・・・もですが、時代の空気や庶民の生活観のようなものは、堅苦しい文献などよりもこういったものからの方がリアルに伝わってくるような気がします。
よく見たものですよね。蜆子様はほんとにしあわせですね。私も、蜆子様ほどではありませんが、子供の頃はよく手縫い服や手編みセーターを着せてもらいました。裕福ではなかったので、昨日まで母がきていたはずの服が、私のスカートになったり・・なんてしょっちゅうでした。少しゆとりができて、生地を買えるようになると、その残りぎれを私がいじるようになりました。息子の小さい頃の服はよく縫いましたが、自分のものを作るより楽しかったです。母もこんな気持ちだったのかな・・なんて、考えながら作ってましたっけ。自分が縫うとか縫わないとかよりも、かつて針を持っていた人のはなしだって、今の人には珍しいと思いますよ。お願いしますね。
♪いつーも おいらは泣かーない
どこまで燃える命
ガッチリつかむぜ 太陽
あらしはまたくる 走れよ ケン・・・
思い出しましたか?今、朝日ソノラマから、
このテの主題曲集のCDでてるんですよ。
ほしいなぁとは思うんだけど、
全部知ってるわけじゃないし、
全部好きなわけじゃない・・。
で、迷ってます。
とんぼさんの仰る、生地が最後まで使われる見本みたいなものでした。あまり切れのお手玉まで、染め見本の生地見本もよく目にしました。
私、結婚するときには、着物は留袖、道行、振袖にいたるまで母が作りましたし、洋服はオーバーコート、スプリングコートにいたるまで、母の手作り、何年もかかって私のためだけのお針子さんでした。
考えてみれば随分贅沢?な娘であったのですが、私自身は針をほとんど持ってません。
ここで、前の時代からようようでも受け継いでいる私たち世代がなんとかせねば・・・とんぼさんの仰ることはもっともと思います。できないけど、その有様だけは見てきた世代ですので。とんぼさんの心意気に賛同しつつ、お邪魔させて下さい。
でも、大東亜戦争開戦の年に、すでにこのよう記事が載るという状況だったとは、ちょっと驚きでした。
私の認識では、もう少し戦況が悪化してからかと漠然と思っていたものですから、江戸時代の奢侈禁止令なんかよりも、むしろ日常生活を強制された時代だったのでしょうね。
さて、私の「狼少年ケン」の思い出の中から、覚えている事をひとつご披露いたしましょう。
それは、「狼少年ケン」の主題歌の中で、間奏部分があるのですが、そこはケニアの太鼓の音を模して、言葉で歌う部分です。
良い子のみんなは覚えているかな?
それでは、お兄さんと一緒に歌ってみようね!
せ~の!
「ボバンババンボ、バンボバンボバ。ボバンババンボ、バンボバ!」
できましたかあ?
このフレーズを、早口言葉のように、よく口ずさんでました!(笑)
肝心の歌詞は、すっかり忘れてしまったけど(笑)これだけは今でも自然に出てくるんです!懐かしい!
ほんっとに覚えられません。みたことない画面が現れると、それだけで「さよーならー」と閉めたくなります。着物用語も、まったく知らない人には呪文みたい??着物用語集ってのもいいですね。
最近、その話題が一度でまして、母に聞きました。
とりあえず「脇」をひろげていくのだそうです。
それと、そのあとちょっと話したときに二部式にする人もいた・・ということでした。比較的近代に近くなってのことらしいですが、二部式だと、別々に大きくとか長くとかできますから。妊娠の場合は、人によっておなかの大きさも違いますから、それぞれにあった大きさや作り方をしたのでしょうね。
古い本を入手したときは、必ずチェックするのですが
子供の産着などの作り方は載っていても「妊婦」のはないんですよ。思うに、戦後は妊娠したら「洋装」に、移行していたんじゃないでしょうか。戦前の、この手の古い本は、ほとんどありません。焼け野原になりましたからねぇ。鋭意探しておりまする・・。
着物用語も沢山あって聞きなれない
若い人達は覚えるだけでも大変ですね。
私はPCの前でなぜ日本語で書いてくれないの
と頭の悪いのを棚にあげて愚痴っています。
ところで、上のリフォーム集とか、他の古い雑誌に、妊婦向けの着物寸法の出し方とか、着方とか、載ってますかしら。
若い人が、着物生活始めて、おなかが相当大きくなってきたら、着物って、どう改造するの?って話題をちらほら見かけたもので。。。(^^)