張り木を購入できるところをお知らせしていただきましたので、
早速一組、お願いしました。ちなみにお値段は3465円、に送料です。
新しいのは、ほんとにきれい…って当然なんですが、
手持ちのものが、どこかしらダメージがある古いものばかりですので、
完品がほしかったんですー。紐もこんなにしっかりしたのがついているんですね。
考えてみれば、本来「濡れた反物一反」を干すのですから、
12メートルからあるわけで、重たくもなりますよね。
それだけチカラもかかるわけですから、細紐なんかじゃ耐え切れないわけで。
私の家で使うには、頑丈すぎそうですが、このまま使わせていただきまーす。
さて、今日は「張り板」の方のお話なんですが、実は張り板の方は、
それこそ子供のころにお手伝いしただけで、あとは「話しを聞く」ばっかし。
間違ってはいけないので、本をいろいろ調べてみました。
あまり古いと、現状にそぐわないことが多くなりますので、
できるだけ新しい本で…といっても昭和30年代ですが。
それでもすでに「いいものはお店へ」の方針です。
先日のお話にも書きましたが、いくらかつては着物ですごしてきたからと言って、
何でもかんでも自宅でがんばってみましょう…というわけではなく、
今の時代、いいものは、特にちりめん系はプロに任せなさい、
ということは、一番安全で結局は「経済的」でもあると思います。
で、張り板の場合は、木綿、ウール、銘仙…つまり家庭着と普段着物ですね。
洗うことに関しては、数日来の記述と変わりません。
張り板の場合は、羽縫いは必要ありません。
長い張り板もあったようですが、短いものには、
やはり身頃は裏と表半分ずつかけて張ったようです。
さて、ここでまた「ふのり」を使う記述がありました。
何度もいうようですが、ふのりは汚れを絡めて取り除く作用がある、
ということで「糊」としての役目もあれば「洗剤」としても使えます。
母はもったいながって、糊付けだけしか使っていなかったようですが、
ふのりに浸して洗うこともできるわけです。
このとき分けておいてあとで糊つけにも使えばいいわけですね。
伸子張りのときは、あとから糊をはけで引きますが、
張り板の場合はさきに糊の液につけておいたものをはり付ける、とあります。
はり付けたあと、水を固く絞った白布、今ならタオルですかね、
それで余分な糊をふき取る感じで、はった布の上をささっとこするのだそうで。
母はそんなことしてたかなぁ…とうアイマイな記憶です。
はるときは、まず張り板の横のへりを目安に、曲がらないようにまっすぐ、
それと布自体もひし形にならないように…。
皆さんは家の窓ガラスで、ハンカチを乾かしたことありませんか?
アレと同じことなんですよ。ガラスはきれいでなくちゃいけないし、
ハンカチをはるときは、まっすぐシワのないように…ですね。
伸子張りよりも、張り板の方が仕事は楽です。
でも伸子張りの方が、幅を出せたり形がきれいに整ったりはします。
どっちもいいところとめんどうなところがあるんですね。
さて、ここまで「洗って干す」ということを書いてきました。
難しそうとか、いやたいへんそうとか、いろいろご感想はあるかと思いますが、
糊付けなどは今はスプレー糊もありますし、目的によってはつけなくても。
要するに、自分が何をなんのために洗いたいのか…で、
使い分けるか、プロに頼むか…そのヒントになればと思います。
つい30年とか40年前までは、
母親や近所のオバサンたちがやっていたことですからね。
さて、おまけ話として…。
先日の「解き」のお話で「チラシを折った箱に糸くずをどんどんいれていく」
と書きました。実は、これも昔の人は…という話があります。
母の話によれば…絹物を解くと絹糸が、木綿物をとくときは木綿糸が、
それぞれくず糸としてでるわけですが、母はが祖母の教えとしてならったこと。
祖母は、解いた糸でまだ20センチとか30センチとか、長さのあるものは
糸をまっすぐ揃えてとっておく。
そして縫い物をするとき、それをそばに置いて、
絹糸は白っぽい布、木綿糸は洗いざらしの木綿、
つまりどっちももうハギレとしてしか使えないものですね。
それを横に置いておいて、まず縫い物の糸で少し残った場合、
その布にチクチクと縫い付ける、たとえ2~3センチでも。
そして更に先般の残った糸のなかで使えそうなものは縫い物に使いなおし、
ちょっと弱っているようなものは、ハギレに縫い付ける…。
これで台フキや雑巾にしたのだそうです。
糸一寸でもムダにしたら、お蚕さんやら綿の花に申し訳ない、と。
縫うときはお尻の結び玉だけは作りますが、あとは縫ってそのまま。
次の糸で縫うときに少し手前から重ねて縫うわけです。
「お尻の玉さえ縫うといたら、経帷子にならへん」、
つまり、亡くなった人に着せる経帷子は、止めのための玉は作りませんから、
それとは違う、というわけですね。
物がなかったこともあるとは思いますが、ものを大切にする、という
そういう思いは、突き詰めれば「ものに対する、自然に対する感謝」です。
それは時代がかわっても、持ち続けたいものだと思います。
といいつつ、糸くずで縫うことはしない私ですが、
せめてと思って、糸くずは丸めて裁縫箱の中の角なんかのほこり掃除などに
使ってから捨ててます。元が糸ですから、細かい糸くずやほこりなんか、
けっこう取れるんですよ。
さて、何日もかかって「洗うこと」について書いてきましたが、
着物とまでは行かなくても、たとえばもう着ないとおもうものを洗って、
なにか作ってみよう…と、そんなキモチを持ってみませんか。
和裁ができなくても、ちょっとした手仕事は、着物を着るには必要です。
ただの「運針」でも、やらなきゃじょうずになりませんから。
そしてこれは「習うより慣れろ」ですから。
早速一組、お願いしました。ちなみにお値段は3465円、に送料です。
新しいのは、ほんとにきれい…って当然なんですが、
手持ちのものが、どこかしらダメージがある古いものばかりですので、
完品がほしかったんですー。紐もこんなにしっかりしたのがついているんですね。
考えてみれば、本来「濡れた反物一反」を干すのですから、
12メートルからあるわけで、重たくもなりますよね。
それだけチカラもかかるわけですから、細紐なんかじゃ耐え切れないわけで。
私の家で使うには、頑丈すぎそうですが、このまま使わせていただきまーす。
さて、今日は「張り板」の方のお話なんですが、実は張り板の方は、
それこそ子供のころにお手伝いしただけで、あとは「話しを聞く」ばっかし。
間違ってはいけないので、本をいろいろ調べてみました。
あまり古いと、現状にそぐわないことが多くなりますので、
できるだけ新しい本で…といっても昭和30年代ですが。
それでもすでに「いいものはお店へ」の方針です。
先日のお話にも書きましたが、いくらかつては着物ですごしてきたからと言って、
何でもかんでも自宅でがんばってみましょう…というわけではなく、
今の時代、いいものは、特にちりめん系はプロに任せなさい、
ということは、一番安全で結局は「経済的」でもあると思います。
で、張り板の場合は、木綿、ウール、銘仙…つまり家庭着と普段着物ですね。
洗うことに関しては、数日来の記述と変わりません。
張り板の場合は、羽縫いは必要ありません。
長い張り板もあったようですが、短いものには、
やはり身頃は裏と表半分ずつかけて張ったようです。
さて、ここでまた「ふのり」を使う記述がありました。
何度もいうようですが、ふのりは汚れを絡めて取り除く作用がある、
ということで「糊」としての役目もあれば「洗剤」としても使えます。
母はもったいながって、糊付けだけしか使っていなかったようですが、
ふのりに浸して洗うこともできるわけです。
このとき分けておいてあとで糊つけにも使えばいいわけですね。
伸子張りのときは、あとから糊をはけで引きますが、
張り板の場合はさきに糊の液につけておいたものをはり付ける、とあります。
はり付けたあと、水を固く絞った白布、今ならタオルですかね、
それで余分な糊をふき取る感じで、はった布の上をささっとこするのだそうで。
母はそんなことしてたかなぁ…とうアイマイな記憶です。
はるときは、まず張り板の横のへりを目安に、曲がらないようにまっすぐ、
それと布自体もひし形にならないように…。
皆さんは家の窓ガラスで、ハンカチを乾かしたことありませんか?
アレと同じことなんですよ。ガラスはきれいでなくちゃいけないし、
ハンカチをはるときは、まっすぐシワのないように…ですね。
伸子張りよりも、張り板の方が仕事は楽です。
でも伸子張りの方が、幅を出せたり形がきれいに整ったりはします。
どっちもいいところとめんどうなところがあるんですね。
さて、ここまで「洗って干す」ということを書いてきました。
難しそうとか、いやたいへんそうとか、いろいろご感想はあるかと思いますが、
糊付けなどは今はスプレー糊もありますし、目的によってはつけなくても。
要するに、自分が何をなんのために洗いたいのか…で、
使い分けるか、プロに頼むか…そのヒントになればと思います。
つい30年とか40年前までは、
母親や近所のオバサンたちがやっていたことですからね。
さて、おまけ話として…。
先日の「解き」のお話で「チラシを折った箱に糸くずをどんどんいれていく」
と書きました。実は、これも昔の人は…という話があります。
母の話によれば…絹物を解くと絹糸が、木綿物をとくときは木綿糸が、
それぞれくず糸としてでるわけですが、母はが祖母の教えとしてならったこと。
祖母は、解いた糸でまだ20センチとか30センチとか、長さのあるものは
糸をまっすぐ揃えてとっておく。
そして縫い物をするとき、それをそばに置いて、
絹糸は白っぽい布、木綿糸は洗いざらしの木綿、
つまりどっちももうハギレとしてしか使えないものですね。
それを横に置いておいて、まず縫い物の糸で少し残った場合、
その布にチクチクと縫い付ける、たとえ2~3センチでも。
そして更に先般の残った糸のなかで使えそうなものは縫い物に使いなおし、
ちょっと弱っているようなものは、ハギレに縫い付ける…。
これで台フキや雑巾にしたのだそうです。
糸一寸でもムダにしたら、お蚕さんやら綿の花に申し訳ない、と。
縫うときはお尻の結び玉だけは作りますが、あとは縫ってそのまま。
次の糸で縫うときに少し手前から重ねて縫うわけです。
「お尻の玉さえ縫うといたら、経帷子にならへん」、
つまり、亡くなった人に着せる経帷子は、止めのための玉は作りませんから、
それとは違う、というわけですね。
物がなかったこともあるとは思いますが、ものを大切にする、という
そういう思いは、突き詰めれば「ものに対する、自然に対する感謝」です。
それは時代がかわっても、持ち続けたいものだと思います。
といいつつ、糸くずで縫うことはしない私ですが、
せめてと思って、糸くずは丸めて裁縫箱の中の角なんかのほこり掃除などに
使ってから捨ててます。元が糸ですから、細かい糸くずやほこりなんか、
けっこう取れるんですよ。
さて、何日もかかって「洗うこと」について書いてきましたが、
着物とまでは行かなくても、たとえばもう着ないとおもうものを洗って、
なにか作ってみよう…と、そんなキモチを持ってみませんか。
和裁ができなくても、ちょっとした手仕事は、着物を着るには必要です。
ただの「運針」でも、やらなきゃじょうずになりませんから。
そしてこれは「習うより慣れろ」ですから。
ちょっと触らしてもらった記憶が・・・
空気が入るとだめだからと言われたような・・
残ったご飯を木綿袋に入れて糊にしていたと
思います。
縫物をする時の糸、上手に使わないとカード巻
ひとつでは足らない事が、最初の頃はありました。背縫いをする時は糸を継がないように
しますが、他の所は私も重ね縫いをしています。足りなくなって初めて気づいた事でした。
切り残した糸のもったいなさでした。おばぁちゃんは
よくとっておいて、縫っていたのを思い出します。
ガラスを張り板にって、なんだかアイデアかな?と
思いました^^やってみようっと。
そうでしたね、
古い手ぬぐいを縫い合わせた袋に、
残りご飯を入れて…ぬるぬるとした感触
覚えています。張り板は、はがすのを
手伝った記憶があります。まっすぐ引っ張れと
うるさく言われながら、ちいさいのを…。
裁縫って、知恵の使いどころが満載なんですね
私なんか糸もムダ使いばっかりです。
母の時代の人は、つましくて働き者です。
ガラスはり、けっこうきれいになりますよ。
中学くらいまで、やってましたね私。
これをやるためにはガラスをきれいにするので
母にしてみたら「一石二鳥」でしたね。
使っていましたし、ふのりを煮るのを手伝わさ
れた記憶もあります。
ハンケチを窓ガラスに張って乾かすことを姉達
がやってましたが、今の若い人はしないでしょ
うし、知らないでしょうね。
もっとも、私が子供の頃では針仕事自体あまり多くはありませんから、それだけで縫い上げるのではなく、新しい糸も使っていました。
お直しの時などは解いた内の長い糸は、私も結構使ってます。
弱いかなあ?と思いながら、貧乏性で^^;
昨年銘仙を洗った所思いの外縮まなかったので驚きました。
今回祖母の古い紬を洗ってもんぺを作ろうと思っていた所タイムリーな話。本当にありがたかったです。
張り木や伸子のことなど子供の頃近所のおばあさんのを見たことがあるくらいなので本当に為になりました。
私は二昔?前に和裁を習ったのですが今ではすっかり忘れています。それでも最近また着物を着たいと思っています。
此からよろしくお願いします。
こういう記憶っていいものだなぁと思います。
まぁ掃除機かけたり、
洗濯機のスイッチ押したりする姿も、
思い出にはなるのかもしれませんけれど…。
ガラスに張るのは、そうですねぇ、
今の人はしらないでしょうねぇ。
大体が何でも親任せだし…。
フシギなもので、親がやっていたこと、
というのは、何か言われても言われなくても
記憶に羅こっていて、気がつくと、
自分も同じことやってたり、
しないまでも「本とはこれは…」なんて
考えたりしてますねぇ。
私もある程度の長い糸は、すてられませんねぇ
雑巾も最近は売ってる時代ですけど、
やっぱり自前です。
ようこそおいでくださいました。
何か少しでもお役に立つことがあると、
私もとても嬉しいです。
銘仙は縮まないし丈夫だし、裏表ないし、
いい素材ですね。カラフルだし!
私は和裁が単くらいまでしかできないので、
ちゃんと習っておけばよかったと、
母に反抗していたころのことを
ちょっと苦い思いで振り返っています。
着物、楽しんでお召しになってくださいね。